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田舎蛙

 青葉が茂る木々の合間を、歩く者あり。方向音痴で半人半妖の辻ヶ先遊行(つじがさきゆぎょう)である。木陰があるため、森の外に比べれば涼しいが、それでもじっとりと汗が滲む。流れる汗を手で拭う。まだ夏になったばかりだというのに暑い。今年の夏は厳しくなりそうだ。途中、泉の水で顔を洗い、手で掬って口に流し込めば、何とも言えない心地がした。遊行は洞窟へと急ぐ。
 湖底の竜宮へ行く洞窟に入ると、ひんやりとして気持ちいい。遊行は、手拭いで顔や首の汗を拭いてから、九角竜天子(くかくりゅうてんし)への謁見を側近たちに請う。
「遊行、今回も長旅おつかれさまでした。だんだんと暑くなっていますが、暑気あたりなどには気を付けてくださいね」
九角竜天子は遊行を労い、体の心配までしてくださる。相変わらず優しい。
「お気遣いありがとうございます。今年は一層暑くなりそうですので、天子もお体をご自愛ください」
遊行は天子に礼を述べる。天子はにっこりと微笑む。
「ありがとうございます。ここは涼しいから、貴方もゆっくりなさってくださいね」
そう言う天子に一礼し、遊行は謁見の間を後にして、奥座敷へ向かう。
「キャー」
遊行が奥座敷へ向かうと、女官の金切り声が聞こえた。何事かと小走りで向かう。そこには、蚕月童子(さんげつどうじ)を前に、二人の女官が腰が抜けたようで、座り込んでいる。童子は手に持ったものについて、女官達に訊いている。
「こ()なーに?」
「ど、童子。そんな汚らわしい生き物に触れてはなりませぬよ!」
「そ、そ、そ、そうですよ。早くお捨てになってください」
童子が訊いているにも関わらず、女官たちは怯えるばかりで答えようとはしない。その様子に見兼ねた遊行は、奥座敷に入る。
「童子、どうしたの?なんの騒ぎ?」
「あ、遊行。久し(ひしゃち)()。ねえ、こ()なーに?」
童子は、両手を前に掲げ、遊行に手の物を見せる。そこには、小さなカジカガエルがちょこんと乗っていた。
「おう。(かわず)だなあ。しかも河鹿(かじか)だ」
(かわじゅ)?」
遊行が答えると、童子は小首を傾げる。それを見ていた女官たちは言う。
「童子、蛙とは、自ら『下郎、下郎』と宣う様なものです。さあ捨ててしまいましょう」
よっぽど蛙が苦手なのか、女官たちは壁に寄って、童子に蛙を放すように促す。手の上の蛙が、女官たちを見て、甲高い声で「フィフィフィフィ」と鳴く。すると、女官たちは叫んで逃げて行った。奥座敷には遊行と童子と、その手の上の蛙が取り残された。童子は、女官たちが逃げて行った方から、蛙に視線を変えて言う。
「げ()う、げ()うなんて言ってないじゃない。こんなに可愛いのに」
狼狽えるばかりで自分の問いに答えず、逃げて行った女官たちに、童子は不機嫌そうだ。
「童子はなんて聞こえたの?」
遊行が童子に問いかける。童子は遊行を見上げてから、蛙を覗き込む。蛙がまた「フィフィフィ」と鳴いた。童子は首を傾げながら答えた。
「うーん、ヒヒヒかなぁ」
女官たちとは異なり、童子は聞いたままを素直に答える。
「そうだなあ。河鹿は河の鹿と書くとおり、その鳴き声は鹿に似た甲高い声をしている。但し、それは河鹿が特別なんであって、他の蛙は『ゲロゲロ』とか『ゲコゲコ』とか色んな鳴き方で鳴く」
「ほゆー。そうなのね」
「まあ、童子には可愛いと思える蛙だけど、ご婦人方には苦手なのも多いもんだ。女官たちだって苦手なんだろうから、あんまり悪く言いなさんな」
遊行は、童子の頭を撫でながら諭す。
「じゃあ遊行は蛙さん(かわじゅしゃん)どう思うの?(しょ)き?(きや)い?」
童子の問いかけに、遊行は顎に手を添えて考える。
「そうだなあ。蛙は『かえる』とも言い、『帰る』に通じている。無事に帰る旅の縁起物だから、どっちかというと好きかな」
(しょ)っかあ。遊行が帰ってきてくれる(えゆ)のも、この子のお陰なのかあ。あ()がとう」
童子は蛙に笑いかけながら、蛙に感謝している。おかしな光景だが、遊行は何も言わない。
「そういえば、『井の中の蛙大海を知らず』って言葉があってだなあ、井戸の中に棲んでいる蛙は海を知らないように、色んなことを知らないのに、偉そうにしているののことを言うんだよ」
(しょ)うなの?じゃあ僕も海知ら(ちや)ない()、お(しょと)のこと全然わか()ない。井の中の(かわじゅ)だね」
童子は蛙に話しかける。その表情は少し寂しそうだ。童子は、森の外はおろか、竜宮の外から出たことがない。その境遇は、確かに井戸から出ることのできない蛙と通じるものはある。しかし、女官や他の竜(天子といった三君の面々は除く)が聞いたら、卒倒してしまいそうな言葉だ。真っ先に否定するだろう。誇り高き竜の、その中でも有望な子供が、「下郎」と見下す蛙と一緒などと。だが、己の無知を認め、周りが見下す生き物と同等と、認められるのは無邪気さ故か。それともこの子の器の大きさ故か。蚕月童子を見ていると、その秘めた可能性に驚かされる。先代の天子や九角竜天子が、この子を慈しむのが分かる気がする。遊行は、童子の童子と目線を合わせるためにしゃがんで、頭を撫でる。
「童子は井の中の蛙じゃないよ」
「本当?」
「本当だよ。童子は、自分が知らないことを知っている。それは、大人にだってできることじゃない、凄いことなんだよ」
童子は褒められてはにかんでいる。すると、童子の手の中の蛙が跳ねた。奥座敷の外へ跳んでいく。童子は後を追い、格子を掴んで蛙に言う。
蛙さん(かわじゅしゃん)。僕の代わ()(いよ)んなこと見てく()んだよー」
遊行は、蛙を見送る童子の肩に手を置いた。遊行は、小さな賢人が一日でも早く外に出て、様々なことを見て感じてほしいと願う。話に聞いて知っているものでも、実際に見たり触れたりしたのとでは感動が違う。その感動を童子にも味わってほしいのだ。今自分が出来ることは、それでも彼に外のことを教えてあげるしかない。
「さて、蛙を見送った所で、今日も話しますか」
「うん」
二人はいつもの通り、向かい合って座る。
「田舎と言うところは、井の中の蛙が多い。これは別に田舎を馬鹿にしている訳じゃない。まあ江戸や都はもちろんだけど、街道筋は色んな人が行き交うから、世情に明るくなるのは道理だ。しかし、田舎というところは、そんなに人の出入りがないから、疎くなりがちで、明るくなるための手段が必要になる」
「うんうん」
「天子様は、世情を知ることを大事にしている方だ。実を言うと、俺は旅をして江戸や都、諸国の様子を天子様に報告するのが、ここでの生業なんだ」
「えっ!(しょ)うだったの!?」
童子は遊行と天子の関係を知り、驚いている。
「そうだ。世情が変われば、森の在り方も変えなくてはいけないってことを、あの方は知っている。天子様は賢い方だ」
「ほゆー」
「田舎でも、世の流れについていくのは、大切なことだと俺は思う。しかし、井の中の蛙になって、ふんぞり返ってる奴がいるんだ。俺はそういう奴らを『井の中』と『田舎』を掛けて『田舎蛙(いなかかわず)』と呼んでいる。今日はそんな『田舎蛙』の話をしよう」
今日も遊行が語りだす。


 昔の話、その頃は戦乱の時代だった。今はあちこち行き交うことができるけど、当時は旅をしている奴は少なかった。街道や旅籠なんかはあったけど、街道をぶった切った合戦なんかもあったから気が気じゃなかったな。合戦の最中も危険だが、合戦の後も落ち武者狩りとかあったのでなにかと物騒だった。
 ある日、旅をしていると、とある戦国大名が、領地内の隅々まで大規模な視察をするという噂が流れていた。また領民であるにもかかわらず、米などを納めていない集落があれば、これを攻めるというものだった。どんな山深い所だろうと、焼き討ちしてでも暴いてみせると意気込んでるようだ。
 残虐な話だけど、当時は大名の財力が物を言う時代だったし、領主に従わず、周辺大名に通じているような集落を、危険視するのは理には適っている。その噂を聞いて、これは一波乱ありそうだと思った。

 そんな思いを胸に歩いていると、相も変わらず俺は迷った。本当に深山幽谷の奥深くに入ってしまい、帰る道もわからない。だんだんと霧が立ち込め、二進も三進もいかなくなった。引こうか迷ったが、進むことにした。当時の俺に帰る場所なんてなかったし、恐れもなかったからな。一刻ほど彷徨っていると、霧が晴れていき、視界が明るくなった。そして、目の前には里があった。今まで獣道すらないような、道なき道を進んでいたのに、里が現れて吃驚した。まず、里に人がいるかを確認した。人がいなければいないで、野宿に使おうと思っていたけど、矢張りいた方が嬉しいものだ。すると、人がいて、俺のことを見ると、すごく仰天してた。その里の者は騒ぎ出し、いつの間にか人だかりができた。
「ど、どうして、この里に」
客人(まれびと)だ。長に伝えねば」
「しっかし大きな客人だ」
人を見るなりひそひそと、失礼ではないだろうか。うんざりとした俺は話しかけた。
「あのーここってどこですか?」
一声かけただけなのに、里の者が皆ビクッとした。ただ喋りかけただけなのに。すると、里の奥から、如何にも偉そうなやつが出てきた。先ほど、里の者が言ってた長なのだろう。横に大きな口に、離れた大きな目、えらの張った五角形の輪郭といった蛙顔だった。
「客人よ。ようこそお越しくださいました。私はこの里長の河津分藏(かわづぶんぞう)と申します。ここは山奥の隠れ里でして、滅多に人が訪ねることはありません。しかし、我々は客人を歓迎いたしますぞ。長旅でお疲れでしょう。どうぞごゆっくりなさってください」
蛙顔の長の苗字が河津で、吹き出しそうになったが、堪える。
「ありがとうございます。あのーここってどこですか?近くでは……」
「あー。立ち話もなんですから、我が屋敷へどうぞ。何もない所ではございますが、もてなしますぞ」
もてなしもなにも、人の話を遮るのはどうなのかと、俺は眉を顰めた。まあ、大名の視察の件は、追々ゆっくりと話すことにし、河津の後をついて行った。
 河津の屋敷に着いたら、河津は一人の娘に声を掛けた。その娘は、河津の屋敷で下働きをしているようで、なんとも素っ気ない子だった。その娘に案内されて、まず長旅の疲れを癒し、汚れを落とすために、風呂に入るように言われた。近くに温泉が湧きだしているらしく、その温泉に浸かれた。今では湯に浸かるのが当たり前だけど、当時は湯気で体を温めるのが、主流な入浴だった。だから、湯に浸かるというのは初めてで、最初は困惑した。でも、浸かってみると非常に心地が良かった。山深い所を歩き回ったから、疲れていた。しかも、枝や草で切傷や擦傷が所々出来ていた。湯に浸かり始めた時は沁みた傷は、次第に痛くなくなり、傷が治った。滅多に人が来ないと言っていたが、湯治にでも利用させたら、さぞ栄えるだろうと思った。
 風呂に入ったら、脱衣場に俺の着ていた着物がなく、代わりに白い浴衣があった。着物がなく、懐剣や荷物までなくなっていて訝しんでいると、案内役の娘が通りかかった。
「あのさあ、俺の着物知りません?浴衣しか無くなってるんだけど……」
風呂の入口から顔だけ出して、みっともなく、素っ裸で手拭いを腰に巻いた状態で、娘に声を掛ける。娘は脱衣所へ入ってきて答えた。俺は大胆な行動に吃驚した。
「客人様のお着物は、今洗っています。そちらの浴衣にお着替えください」
当時の俺はまだ若かった。うら若き乙女に、裸を見せるのが恥ずかしかった。しかし、娘はあまりにも平然としていて、こちらが馬鹿らしくなった。
「着替えのお手伝いをいたしましょうか?」
「いい!自分で着替えるから」
 浴衣に袖を通すと、おろしたてのようで、清々しい着心地がした。後の方で、娘がじっと眺めていなければ、とても気持ちがよかったのに、どうにも居た堪れない気持ちになる。
「そんなに見つめないでもらえるかな。落ち着かないんだけど……」
「わたしめのことは、庭の石とでもお思いください」
「そんな風に思えないから、言ってるんだよなあ……」
男の裸を見慣れているかのような、娘の振舞いがなんとなく不思議に思った。
「随分と平気なんだな」
「幼い頃よりこの屋敷で働いています。旦那様や屋敷の方々の、風呂の世話や着替えの手伝いをしていますので、見慣れています」
娘は自分を抱くような素振りをした。腑に落ちた。その話を聞いたら、娘が不憫に感じる。あらためて娘を見ると、細い体つきで、青あざや赤あざが見えた。
「大事にしなよ。自分のこと」
娘は目を丸くした。そして俯いて何かぼやいている。その内容は聞き取れなかった。
 着替えた後、女が数人やってきて、体を揉んでくれた。肩や腰、脚を揉まれると気持ちよくて、旅の疲れがみるみる癒えた。
 今度は広間に通されて、宴を開いていた。一番上座に座らされ、大変なご馳走を振舞われた。獣の肉や鳥肉、山盛りの白米、鮭や鮎の川魚に、野菜の煮つけ、地元で食べているという虫なんかもあった。味を整えるための塩が盛られていて、山間部に塩なんて貴重なものまで出てくるとは、よっぽどのもてなしだ。そして傍らには里一番という美女がいて、瓶子(へいじ)から濁り酒を注ぐ。
「あのー、何故、このように歓待されるのでしょうか」
「この里に人が訪れるのは、数十年に一度と伝えられています。我も生まれてこの方、客人にお会いするのは初めてです。ここでは、客人を神と崇め、もてなす風習が御座います。貴方様が望む限り、ここでごゆっくりなさってください」
丼に白米だけが盛られた飯に、感動すら覚えた。獣の肉を養生以外で食べるなんて珍しい。虫も食べてみたが、思ったよりも食べられるもんだ。そんな初めて尽くしのもてなしに、幸福な気分になった。里に伝わる舞とやらが、目の前で行われた。白い装束を纏った女性が、くるくると回る。笛や鼓のゆっくりとした調子が響く。言わなきゃいけないことや、訊きたいことが山ほどあったのに、忘れてしまった。旅の疲れと、風呂上がりの所為か、酔いが回るのが早かった。土器(かわらけ)に二、三杯の酒を飲むと、うつらうつらし、眠くなった。瞼が下がる。土器が落ちる音が遠くに聞こえる。俺はその場で眠ってしまった。
 はっと目が覚めた時、体が動かなかった。金縛りかと思ったが、違った。動かせる限り首を動かして、周りの様子を伺う。俺の四肢と胴は縄で縛られて、輿に括りつけられていた。藻掻いてはみるが、雁字搦めに拘束されているので、手足の僅かな部位しか動けなかった。口には猿轡がしてあり、喋ることもできない。暴れた音に気がついたのか、河津が松明を持って、俺を覗き込んだ。
「お目覚めですか?」
俺は憎たらしいその顔を、睨みつけることしかできない。
「この里は、遥か昔に落人(おちうど)が逃れてきて、開いた里でしてねえ。里の外から来た者は『(わざわい)』を運んでくると伝えられています。余所からの知識が里を荒らし、里を滅ぼす。里が今まで通りであれば安泰。もちろん里から出ていく者も許しません。そして、禍から里を守るためにですねえ、神にお供えをするんですよ。わかりますか。」
嫌な予感に汗が流れる。
「禍の種である客人を、神に捧げるのです」
なんて奴らだ。偶々来た人間を人身御供にするなんて。止めろ。そんなことしている場合じゃない。抗議しようにも、言葉は紡げない。首を振って、手足を動かすが、びくともしない。暴れる俺に、河津は頬を撫でてきた。ビクっと震える。
「ふふふ。こんなに活きが良い美丈夫を奉納すれば、未来永劫に里は繫栄するでしょうね。夜明けと共に山の祠へお連れします。きっと神々も貴方を迎え入れてくれるでしょう」
 河津や数人いた男どもが離れていく。人の気配がしなくなると、落ち着いた。俺の人生も終わりかと諦めた。大して幸せな人生ではなかったし、悔いもさほどない。別に俺が死んで悲しむ人もいないだろう。本当に半人半妖の俺を、神々は迎えてくれるだろうか。俺は昔のことや様々なことを思い出しながら、目を瞑った。
 しばらくすると、誰かが来た。案内役だった娘だ。近くにある篝火の明かりを、頼りにこちらへ来た。彼女は俺の懐剣を持ち、黙々と俺を縛っていた縄を切った。最後に猿轡も解いた。
「早くここからお逃げください。里から抜けられる道まで案内いたします」
彼女は、俺の荷物や着物と懐剣を渡して、走り出した。俺は彼女についていく。屋敷がある方とは逆の方向へ走る。話しかけると、静かにと言われてしまうので、黙々と走った。娘が走るのを止めて振り返る。
「ここまでくれば安心です。お天道様の方角に只管歩いていけば、どこかへは行けるでしょう」
彼女は言うだけ言うと元来た道へ帰ろうとする。俺は彼女の手を掴んで止める。
「なあ、生贄逃したら、あんた只じゃ済まないだろう」
「そうですね……」
彼女は俯く。
「それに、あの里だって、近い内に侍が押し寄せる」
彼女は驚いたようで、目を丸くした。
「麓の町で聞いたんだ。大規模な領内視察をし、従わない里があれば攻め込むと。この里が見つかれば、きっと攻め込まれて皆殺しか辱めにあう。なあ、俺と里を出ないか?」
それを告げると、娘は俺の手を払い、真摯なまなざしで見た。
「どこへ行くというのですか?孤児である私を、育ててくださった恩義が里にはあります。だから私はどんな目に遭おうとも、里と運命を共にします」
迷いは感じられなかった。彼女を説き伏せることは出来ないと分かった。俺は彼女の手を放す。彼女は真っ直ぐに里へ走って行った。夜明けの光が彼女を照らす。俺はそれを見送ってから、逆方向へ歩みだす。

彼女の言ったとおり、太陽を見ながら二刻も歩いていくと、山道に入り、さらに歩くと下山出来た。すると、馬に乗った兵士や、徒士(かち)の一団とすれ違った。
「この山奥に、隠れ里があると言う噂だ。そんな里潰してしまえー!」
「おー!!」
その後、隠れ里がどうなったかは、俺は知らない。


「どうだい。田舎蛙の顛末は。碌なことがないだろう」
童子はこくこくと頷いている。
「まあ、田舎蛙は新しいものを知ろうとしないのがいけないんだ。逆に、偶々やって来た客人からの知識を取り込むと栄える、なんて考えの村や町もある」
「な()ほど」
「昔の考えっていうものも悪くはないが、それに凝り固まって、新しいことを取り入れないのはよくない。『温故知新』という言葉があるくらいだからな」
「うんうん」
童子は素直に聞いている。
「ちなみに童子は『温故知新』って言葉は知ってる?」
童子はキョトンとした顔をしてから、明るい顔になった。
()って()。この間(おち)えても()った。(ふゆ)きを温めて新し(あたやち)きを知る(ちゆ)でしょ」
驚いた。蛙を知らない子供が、「温故知新」を知っているのか。もっとこの子に教えるべきことがあるんじゃないだろうかと、心配になる。
「遊行の(はなち)は為にな()なあ。他の()(はなち)面白(おもちよ)くない()、よく分か()ないんだもの」
「え?」
「だって『井の中の(かわじゅ)』って言わ()ても『(かわじゅ)』が分か()なきゃ何も分か()ないじゃない?だから(いよ)んなこと言わ()ても、ちんぷんかんぷんなの」
童子の言うことに遊行は感心した。確かに蛙を知らない者に、「井の中の蛙」の話をしても理解できないだろう。諺には生き物がよく出てくるが、その生き物がよく分からないとピンと来ないものなのだ。遊行は顎に手を添えて呟いた。
「なるほど」
童子は目を丸くして遊行を見た。そして次の瞬間、その目が輝きだし、遊行にしがみ付いた。遊行は、童子の咄嗟の行動に驚かされる。
「僕が遊行に(おち)られる(やえゆ)ことがあ()の!?」
「えっ!そりゃあるでしょ」
童子はすごく嬉しそうな顔をしている。
「なんで、そんな嬉しそうなの?」
「だって遊行は物知り(ものちい)だもの。僕が遊行に(おち)られる(やえゆ)ことがあった()嬉しい(うえちい)よ」
童子の尻尾が揺れている。童子の気持ちはよく分かる。確かに、教えられている立場が、教えている立場に、物を教える事が出来たら嬉しいものだ。優越感ではなく、尊敬する相手に近づけた気がするのだ。遊行は、童子にそう思われていたことが嬉しくなる。遊行は童子の頭を撫でる。
「今日は、童子に色んなことを教えてもらったよ」
「本当?」
「本当だよ」
「わーい!わーい!」
童子は万歳している。それを眺めながら遊行は微笑んだ。そして、己もまだまだ至らぬ所があると、実感させられた。井の中の蛙に教えられることもあるようだ。

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