「あれが名高い『フリュールニルの戦乙女』だって?」
「まだほんの子供じゃないか」
「いえ、あれは妖魔族。我々とは生きる時間が違うのです」
「まあ…なんて恐ろしい。でも確かに鱗は星のような輝きですわ」
「よくご覧になって。いくら美しくともあの角と尾。魔獣と同じでしてよ」
「獣人族とそう変わらんではないか。同胞狩りとはよく言ったものだ」
(まったく、あれで声を潜めているつもりなのかしら…)
ここは、ブレイザブリク帝国の首都ログにある王城エイグロウ。応接室に行く道すがらの回廊である。妖魔族を普段目にする機会のない人間族の貴族達が、こぞって高みの見物もとい…野次馬をしにきているようだ。
人間族には、妖精戦争の軋轢から他種族への差別意識が残っており、さらに人間族の中でも身分差がある。貴族は王族に次いで高い地位を持つ者たち、国の顔ともなるべき立場だというのに…なんと不躾なことか。それとも、これが人間族のありようなのだろうか?
(いえ、駄目ね。たったひとつの側面に過ぎないことで決めつけるなんて、愚か者のすることだわ)
好奇の眼差しに晒されるのは慣れているはずよ、ノルン。私は妖魔族の中でも異端の存在なのだから。それに、こんなに心強い味方に囲まれているのだ。恐れることなど何もない。私は、そう自分に言い聞かせた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
————遡ること数刻前。
「お嬢ーっ、そろそろ見えてきたぜ‼」
「相変わらず騒がしい奴だ」
「がははっ、そう言ってやるなアレウスよ!!」
「父上もです」
「なんと可愛げのない息子じゃっ‼それに比べ、我が曾孫の愛らしいこと!!」
「ひ、曾祖父様、苦しいです…」
曾祖父様は片手で手綱を操りつつ、前に乗る私をもう片手でぎゅうぎゅうと抱きしめる。屈強な上腕二頭筋と腕橈骨筋の狭間で締め上げられながらもリーグル様が指示した方角を見やると、遠方に美しい白亜の城と城壁に囲まれた大きな街が見えてきた。
「あれがログの街ですか…。さすがは首都ですね」
城壁が高く、まだ街の全容はわからないが、貴族の邸宅らしき豪奢な屋根が見え隠れしている。きっと街並みも立派なのだろうと容易に想像できて、ほうと息をついた。さすがに竜に乗ったまま街に入ることはできないため、城壁前で城の遣いと落ち合う手筈になっていると伺ったけれど、何事もなくうまく行くかどうかはわからない。
(すべては、私に懸かっているのだわ。しっかりしなきゃ)
目的地までもう数十分で着くだろう。出立前にお父様から聞かされた話を思い出しながら、私は改めて気合を入れ直す。今回の謁見の意味、妖精戦争のこと、神々の娘の存在、そしてこの世界エンテレケイアのこと…。
————それは、神話に近い時代の話。
八本の母なる世界樹イルミンスールは、海の底から遙か雲の上までそびえ立ち、文字通り世界を支える柱であった。火属性、水属性、風属性、地属性、闇属性、光属性の六柱はエンテレケイアに存在するすべての生命の源たる外在魔力を放出し、それらは各大精霊達の眷属となる。そして、無属性と時属性の二柱からなる大精霊が、眷属の采配と調律を行うことで世界の均衡が保たれていた。
しかし、人間族の早すぎる人口の増加及び、魔術の開発と発展により、イルミンスールは次第にやせ細り、加えて人間族の寿命は他種族に比べて短かったことも重なり、人々はイルミンスールや大精霊を伝承の中にのみ存在するものへと忘れ去っていってしまう。
エルフ族は、弱りゆくイルミンスールと大精霊を守っていたが、イルミンスールを回復させるためには、始祖の魔獣や妖精王に匹敵する内在魔力を秘めた存在である神々の娘が魔力回路を繋げることが必要であり、繁殖力の弱いエルフ族の神々の娘では、あまりに早い外在魔力の消費に耐えられなかった。
そして妖精族は、エンテレケイアをともに生きる生命として生まれた人間族が世界を崩壊させゆく元凶であることに悲しみを募らせ、それは徐々に憎しみへと変わっていく。
(そうして勃発したのが、妖精戦争…。妖精族は人間族を滅ぼすことで世界を守ろうとしたのね…)
皮肉なことに、妖精戦争によって魔術はより強力なものへと発展して行き、イルミンスールは砕け散る寸前まで弱りきってしまったため、エンテレケイアを守る苦肉の策として、時属性の大精霊がすべてのイルミンスールを『時の狭間』に隠してしまった。
世界の崩壊を防ぐためとはいえ、外在魔力の供給源を失ったエンテレケイアは、大精霊達が自らの内在魔力を少しずつ放出することで支えられてきたが、それも徐々に追いつかなくなってきており、現在では我が国ミュルクヴィズの始祖の支柱が代理的にイルミンスールの役割を果たすことで、ギリギリに均衡が保たれている状態なのだという。
(そして、代理的イルミンスールである始祖の支柱に対して、代理的に神々の娘の役目を負っておられるのが、代々の魔王様…)
しかしながらそれであっても、一部動植物の絶滅や異常気象など世界の生態系に影響が出始め、ゆっくりと着実にエンテレケイアは崩壊へと向かっている。それを食い止めるには、一時的に外在魔力が大量供給される『精霊の祝福』を発生させるか、始祖の支柱のような内在魔力を帯びた強力な魔晶石が代理的イルミンスールの役割を果たすしかない。
つまり、大精霊、始祖の魔獣、妖精王のいずれかを殺めることでエンテレケイアの余命を伸ばすか、『時の狭間』に隠されたイルミンスールと、それぞれの対となる神々の娘を探し出し、恒久的改善を図るかどうかの選択を迫られているというのがこの世界の本当の姿だ。
この『本当の姿』を知るのは、ブレイザブリク帝国の代々皇帝陛下とその極一部の側近、そして代々の魔王様とその極一部の側近のみ。妖精王と始祖の魔獣たちとは意思確認ができていないが、そもそも意思疎通ができる相手とは限らない。エルフ族は行方が知れず交流がないが、イルミンスールと大精霊の守護たる彼らなら、恐らく世界を救う手立てを知っていると見て、人間族と妖魔族は秘密裏に協力しながらずっとエルフ族の里を探し続けているのだという。
「…曾祖父様。私、この世界に生まれた意味を初めて知りました」
「……うむ」
本当は好きじゃなかった。皆がどれだけ愛してくれても、私はどこか自分を愛せなかった。精霊の特徴をたたえた異端の外見、魔術も魔法もろくに扱えず、四家に連なるアウストリ家の血を引きながら竜と契約できていないこと。ずっとずっと嫌いだった。でも…
「私、生まれて良かったと思います。私で良かったのだと」
「…ノルン……」
曾祖父様が手綱を離し、両腕で強く私を抱きしめる。私が産まれた時、お父様とユング叔父様が妖魔族に光属性の神々の娘が生まれたことを『人間族から隠す』と決めたそうだ。なぜなら、それは光属性の神々の娘だけではエンテレケイアは救えないから。正体が知られてしまえば、ただの消耗品として利用されてしまうから。しかし、長きに渡るエルフ里探しの過程でついに知られてしまった。
(でも、私は私として、ここに居る理由を知ることが出来た)
「私、きっと上手にやってみせます」
例え、それが遠からずの死を意味したとしても。
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