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辻、橋、境

 森の真ん中、湖の底へ、今日も今日とて向かう者あり。半人半妖の旅人、辻ヶ先遊行(つじがさきゆぎょう)である。その歩みは、小走りに近い急ぎ足であった。がさがさと森の下草が揺れる。湖の底の竜宮へ、降りるための洞窟の途中には、いつものように門番の双竜がいる。遊行が双竜に軽く会釈をしても、双竜はむっとしている。そんな門番の態度には慣れっこの遊行は、その間を潜り抜けて竜宮に入る。
 竜宮に入り、竜の長である九角竜天子(くかくりゅうてんし)に謁見を申し出る。旅先の出来事を報告するためだ。遊行は普段は気の向くままに旅をして、気が向いたらこの森に帰ってくる。しかし、旅には何かと金銭がかかる。なので、周辺の様子や出来事を見聞きし、瓦版があれば持って帰って来る。それらを天子に報告し、その見返りに金銭を受け取るというのが、遊行の仕事の一つなのだ。その天子への報告を終えると、遊行は天子に申し出る。
「天子にお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですか」
天子の側近や臣下は遊行の申し出に吃驚してているが、天子は驚く様子を一つも見せない。遊行の「尋ねたいこと」がわかっているかのようだ。
「いいですよ。皆の者、私は遊行とお話ししたいことがあります。席を外してもらえますか」
「……わかりました」
側近たちが渋々といった様子で謁見の間から出て行った。

「遊行、私に訊きたいというのは蚕月のことですね」
「はい……」
 名前が挙がった蚕月童子(さんげつどうじ)は、この竜宮の奥座敷と呼ばれる、座敷牢で暮らしている竜の子供のことである。人の子であれば五歳くらい、遊び盛りの知りたがりの頃である。狭く暗い奥座敷では、今後の成長に影響しそうなものである。度々竜宮へ行き来している遊行でさえ、その存在を知らなかった。そして竜宮では他の竜の子供を見たことがない。このあいだ、遊行は初めて蚕月童子と会ったのだが、彼の存在は遊行には不思議であり、また気がかりだったのだ。
「蚕月、あの子は稀に見る四角の小竜です。竜は角の数が多ければ多いほど、数が少なくなるのですが、子供のころは角はそこまで多く生えていません。せいぜい一つか二つで大人になると増えるものです。私も子供のころは三つでした」
そう言った九角竜天子は、その名の通り立派な角が九本生えているのだが、このうちの三本は生まれながらに生えていたもので、残りの六つは成長で生えてきたということなのだろう。
「昔、先代の天子がいた頃、四角の竜の子供が生まれたことがありました。竜は子育てはしないのですが、その子供を育てることに決めました。ある日、その子供がお付きを数人引き連れて、竜宮の外へ出かけました。その際に、運悪く天敵の烏天狗に遭遇しまして、無残にも子供は殺されてしまいました。生き残ったお付きは死罪になったと語られています」
世の中は弱肉強食。危険とは隣り合わせであり、どんな有望な子供であっても、天敵には餌に違いない。それもまた運命なのだ。多くの子供が生まれて死に、生き残ったものだけが、大人に成長して次代を遺すのが世の理というものだ。
「そしてその後、蚕月が生まれました。次は天敵に食い殺されないように、竜宮の中で育てることに決めました。その頃は蚕月も、竜宮の中を自由に回ることが出来たようです。やがて、蚕月は年を重ねると、竜宮の外へ出たがりました。当たり前です。竜は元々天に住まうもの。空に焦がれ、日の光を求めるのは、生まれ持っての本能でしょう」
遠い目をして話していた九角竜天子は、段々と難しい顔になっていく。
「ところが、先代の天子は蚕月の外へ出たいという気持ちを無視し、駄々を捏ねる様になった蚕月を奥座敷へ閉じ込めました。一時的なお仕置きだったのではないかと私は思いますが、閉じ込めてすぐに先代の天子が急逝してしまったのです。先代がなくなった後、私が即位しました。私は蚕月を外へ出して、たくさんのことを学んでほしいと思っております。ところが、旧臣たちは先代の遺志を継ぎ、外へ出せばまた殺されてしまうと思っています。どうにか旧臣たちを説得できないものかと考えてはいるのですが、己の地位を揺るがしかねない、蚕月の存在が邪魔だと思っているのかとか言われてしまうと、強くは言えないんですよ。皆、蚕月のことを思っているのに上手くいかないものです」
そう昔のことを語り終えた天子は、遊行をまっすぐに見つめておっしゃった。
「遊行、私は蚕月には立派な大人になってほしいと思っております。それは蚕月が、この森に残るも残らないも関わらずです。しかし、私の今の力では蚕月を奥座敷から出すことができません。だから、今は旅をしている貴方と一緒に過ごすことで、蚕月に外の世界を少しでも多く知ってもらいたいのです。お願いします遊行」
そう言って天子は深く頭を下げた。重き稲穂は首を垂れるの例に漏れず、余所者であるはずの遊行に頭を下げられる天子は立派な方だと、遊行は思い知らされる。これには遊行も魂消てしまう。
「頭をお上げください、天子。俺の方も話し相手が出来て嬉しいんです。今から蚕月童子に何を話そうか、楽しみで仕方がないんですよ。だから貴方に懇願されるようなことじゃないんです」
遊行が柔らかい笑みを浮かべて天子に言う。
「それでは俺はこれで失礼いたします。寄りたいところがありますので……」
そう言って遊行は、謁見の間を後にする。その遊行の背中を見た天子が驚嘆した。遊行は基本的に無表情であり、笑ったところを天子は見たことがなかった。蚕月と竜宮や森のことを思って、遊行と蚕月童子を引き合わせたが、遊行にもいい影響を与えていたのは思いもよらなかったのだ。そして天子は胸を撫でおろして、その背中をいつまでも見つめていた。

 遊行は奥座敷へ向かう。初めて奥座敷へ寄った後、蚕月童子のお付きの者に、遊行が来たら奥座敷の鍵を開けるように、天子が口利きをしてくださったようだ。遊行の姿を見た竜の女官が、奥座敷の鍵を開けて、そそくさと行ってしまった。相変わらず忙しいことだ。鍵が開いたことに、不思議に思った蚕月童子は振り返る。そして遊行の姿を見るとぱあっと明るい顔になった。随分と遊行に会うのを楽しみにしていたようだ。その様子に遊行も嬉しくなり、顔が綻ぶ。笠と合羽を外して童子の正面に腰かけて、遊行は話し始める。
「お久しぶりです、蚕月童子。いい子にしてましたか」
「遊行さん(しゃん)お久しぶり(おひしゃちぶい)(ちゅぎ)はどんなお話してくれる(おはなちちてくえゆ)のかずっとずっと(じゅっとじゅっと)楽しみにしてたの(たのちみにちてたの)
にこにこと笑うその顔は、言葉よりも語ってくれる。奥座敷で、一人で多くの時間を過ごす童子にとって、遊行は他の竜たちとは違う、初めての存在だったのだ。またその遊行が語る話は、座学で聞いた話よりも、童子にとっては興味深く面白かった。小首を傾げ、ワクワクとした様子で童子が話しかける。
それで(しょえで)今日はどんなお話してくれるの(おはなちちてくえゆの)?」
「そうだなあ」
遊行は、少し手を顎に当てて考えた後、話し始めた。
「蚕月童子は一里塚というのは知ってますか」
いちりづか(いちいぢゅか)?」
「ええ。街道には、一里(大体3.9キロメートル)ごとに榎なんかを植えて、こんもりと土を盛ったところがあります。それを目安に己がどこまで歩いたのかと、目的地の残りの距離を導くことができるんですよ。それが一里塚です」
蚕月童子は、うんうんと頷きながら聞いている。外に出たことがない蚕月童子にも出来る限りわかってもらうように、今日も遊行が語りだす。


 とある街道のとある辻に、立派な榎の一里塚がありました。その日は汗が垂れるような、ひどく暑い日で、俺はその木陰で竹筒の水を飲んでいました。その榎の上に木霊(こだま)、木の精霊がいました。白い笠を被った女子の木霊だった。その木霊が歌を唄っていたんですよ。
「♪辻~橋~境~坂峠~、逢魔が時に~丑三つ~、(あい)の異なり~、なに起きる~♪」
童歌には珍妙なものだと思って、俺はその木霊を見た。するとその木霊は枝の上にいたまま、俺に話しかけてきた。
「おや、(あん)さんあたしの歌が聞こえたのかえ。まあ兄さんにはこの歌の意味が分かるんだろうねぇ」
木霊が唄っていたのは、妖怪や八百万の神々に遭遇したり、摩訶不思議なことが起きたりする場所や時を表した歌だった。
「あたしは辻里。この一里塚の守り人(もりびと)だよ」
「俺は遊行。旅をしている半人半妖だ」
「半人半妖ねぇ。大層苦労するだろうねぇ」
どうにもいけ好かない木霊だと、俺は眉を顰めた。俺は荷物をまとめてその場を後にした。
「おやまあつれないねぇ。“辻”のつく者同士仲良くしたかったんだけど……。じゃあね、よい旅を……」
そう木霊の呟きが後の方で聞こえたので、俺はハッとして振り返った。しかし、木霊は枝の上から忽然といなくなっていた。だけど、気のせいかもしれないが、俺にはあの歌がまだ響いていた。
 そんな歌を聞いたので、俺は京の都にでも行こうかと決めたんだ。今行けば、古来より伝わる、鵺やら橋姫やらをお目にかかれるかもしれないと思ってね。しかし、俺は生来より、行きたい所へは辿り着けない性質(たち)をしている。俺は京の都とは全然違う方へ行ってしまい、“魂消橋(たまげばし)”という場所でそのことに気が付いたんだ。橋の名の通りに俺は魂消て落胆し、橋の欄干に凭れ掛かりました。その橋は街道の起点だったから、行き交う人が笑ってたな。「大男 堀柳より しな垂れり」なんて詠んだ奴もいましたよ。まあ、目的地に辿り着けないのは日常茶飯事なんだが、その時は胸が高鳴っていたんで、気落ち具合も一入だったな。どっと疲れが押し寄せたんで、その日は早めに旅籠に入ることにして、もう帰ろうと思いました。
 その魂消橋の近くは、店や旅籠が近くにあって、俺はその一つに泊まりました。それで、早めに布団に入って、寝ることにしたんだ。俺は旅先では結構寝入る方なんだが、早めに寝たからか、暑くて寝苦しかったのか、途中で目が覚めてね。夜風でも入れようかと、窓を開けると魂消橋が見えたのでぼうっと眺めてた。堀沿いの柳が生温い風に揺れて、俺は誘われてるように感じた。俺は二階の部屋から階段を下りて、宿の外に出た。そして、そのまま橋の方に向かって歩いて行った。ふらふらと揺れながら、橋の途中まで歩いていると、急に明るくなった気がしたんだ。あまりにも眩しくて、俺は目を慣らそうと瞬いたら、夢うつつだったのが一気に覚めた。その眼前の光景が、信じられなかったのさ。俺は確かに真夏の夜の街道にいたはずだったのに、桃の花咲く昼の里にいたんだ。
 これには俺も吃驚仰天したね。俺は橋の上にいたが、架かっている橋も昼に見た魂消橋とはかけ離れていたし、橋の下も堀ではなくてちょろちょろと水温む小川だった。遠目には、畑や曲がり家(農村にある茅葺の家)があった。明らかに異様なんだが、目の前の桃の花が穏やかな風に揺れて、花びらが散っているのを見ると、警戒心が薄れた。そこに行ったら楽になれそうな、そんな気がしたんだ。そんな時、背後から俺を抜き去るやつがいたんだ。黒い衣を纏ったそいつは、白い和服の濡れた女を抱えていた。そいつが抜き去った瞬間、こう詠った。
「不如帰 迷い来りて 花の里 しからば去らむ ここにやあらむ」
それを聞いた刹那、俺は背中がぞぞぞーっと寒くなり、鳥肌が立った。すぐさま橋を引き返した。橋の袂を超えた瞬間、俺はひどく疲れて嫌な汗がだらだらと体を流れた。汗を拭って見えた光景は、夜の柳が揺れる街道で、安堵したからかその内気が遠くなった。
 俺が気が付いたとき、旅籠の女中さんが俺を揺り起こしていた。どうやら寝過ごしたらしくて、起こしに来てくれたんだ。俺は目が覚めた瞬間、慌てて飛び起きた。起こしてくれた女中さんは俺が飛び起きたのに吃驚して、話しかけてきた。
「お客さん、そんなに慌てて。やっぱり早起きしようと思ってたんですかい。今は朝五つ(大体朝7時)ですよ。朝飯は出来てますので、顔洗ってくださいね」
女中さんは一階へ降りて行った。俺は部屋を見渡すと、そこは昨日泊まった部屋で、枕元には畳んだ合羽と笠、懐剣があった。窓の外を見たら橋を行き交う人で賑わってて、晩のことは夢だったのかと思った。
 俺はひと通りの準備を終えて、旅籠を出る時に女中さんに追加の心づけを支払った。
「どうもお世話になりました」
と、礼を言って頭を下げた。
「いいんですよ~もう。あれ、お客さん、花びらが頭についてますよ。きちんと櫛で梳いたんですかい。ほら」
と言った女中さんは、俺の頭についた桃色の花びらを取って渡してくれた。
「この時期に何の花びらでしょうねぇ」
なんて女中さんは言っていた。そして、旅籠にいた料理番と思しき男に声をかけられた。
「兄ちゃん、丑三つ時位にふらふらしとったけど、どこへ行こうとしてたんだい。出立ではなさそうだったけど……」
俺は晩のことが夢ではないことを思い知らされた。そして、宿を出て街道を歩き始めた時に堀から白い着物を着た女の土座衛門(溺死体のこと)が上がったって騒ぎになってて、更に俺はとんでもなく魂消てしまった。それこそ魂が体から抜け出てしまうくらいにはね。


蚕月童子は、呆然とした様子で聞いていて、そして我に返り、パチパチと手をたたいた。
「ほゆ~」
「まあ、さっきの歌の話じゃないけど、橋であり街道と街道の境である魂消橋は、何かが起きるにはうってつけの場所なんですよ。元々そういうことが起きるから『魂消橋』なのか、『魂消橋』という名が言霊となってそういうことが起きるようになったのかは俺にも分かりません。ただ言えるのは辻、橋、境には気を付けた方がいいってことでしょうな」
「遊行さん(しゃん)、今日も面白い(おもちよい)お話(おはなち)ありがとうございました(あいがとうごじゃいまちた)
そういった蚕月童子は、深々と礼をする。それに対して遊行は返事をした。
「別に礼をされるような話はしてませんよ。それに遊行さんなんて畏まった言い方もあまり好きではありません。『遊行』と呼び捨てで結構ですよ。言葉遣いもそんな畏まられると困ってしまいます」
「でもー、それ(しょえ)じゃあ僕も困る(こまゆ)
遊行と童子は眉尻を下げて互いを見つめる。しばしの沈黙が奥座敷に広がる。その沈黙を破ったのは意外な人物だった。どこからともなく九角竜天子が現れたのだ。
「蚕月は今日も遊行から面白い話を聞けたのですか」
「天子」
天子様(てんちしゃま)
「はい」
そう言って九角竜天子は奥座敷に入ってきて座った。
「で、どうなのですか。蚕月」
すごかったです(しょごかったでしゅ)。もう本当にどきどきでハラハラ(はやはや)で、ぼわっとなりました(ないまちた)
蚕月童子は、興奮冷めやらぬ様子で、大きく手を挙げて説明しているが、何が言いたいのかは遊行にはよく分からなかった。
「よかったですね」
天子はにこにこと笑って、童子に相槌を打っている。
「ところで、私が入ったとき二人とも困っていたようですが、どうかしましたか」
「遊行さん(しゃん)(かちこ)まって僕に話すんです(はなしゅんでしゅ)
「俺も蚕月童子が俺を敬う必要はないと申したんです」
天子に尋ねられて、二人は事の経緯を順々に話す。
「なるほど、どちらも相手の敬う態度が畏れ多いというわけですね。ならば、お友達になればいいのでは?」
「「お友達!」」
遊行と童子はお互いを見つめあう。遊行は天子にこそこそと訊く。
「いいんですか?俺なんかが大切な竜の御子の友達なんかになって」
すると、天子はにこにことした様子で答えた。
「いいんですよ。貴方は竜ではありません。だから貴方が蚕月を敬う必要はありません。貴方には気楽に蚕月と接してほしいのです。ほら、蚕月も嬉しそう」
確かに天子に言われた通り、童子はお友達という響きに目を輝かせていた。童子には初めて友達ができるのだ。遊行は長いため息を吐いた。そして決心したように言った。
「わかりました。俺は蚕月童子を友達として、これから接します」
すると、蚕月童子はわーい!と言って、遊行の膝に飛び込んできた。遊行は一瞬驚き、そして微笑みながら童子の頭を優しく撫でた。蚕月童子は気持ちよさそうにしている。それを見た天子は、その二人を微笑ましく見つめていた。
 こうして、種族を超えた友情が、仄暗い奥座敷で結ばれた。

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