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戦闘服は制服! ①

 ――それから二日が過ぎ、いよいよ会長・篠沢絢乃のお披露目(ひろめ)の日がやってきた。

 その日の朝、わたしは自室の洗面台で丁寧に洗顔を済ませて自慢のロングヘアーをブラッシングすると、ウォークインクローゼットに足を踏み入れた。

 そこでわたしが迷うことなく手に取ったのは、母が購入してくれたスーツ一式ではなく学校の制服。小物を入れておく小さなチェストからは、通学時に穿()いている黒のハイソックスも一足取り出し、武士が(よろい)(まと)うように身支度を整えた。

「――絢乃、おはよう。支度できた? そろそろ朝ゴハンを食べに下りないと。九時には桐島くんが迎えに来るわよ」

「うん、分かった! 今行くわ」

 わたしが部屋を出ると、廊下で待ってくれていたらしい母はわたしの服装を見て軽く眉をひそめた。

「絢乃……、本当にその格好で行くの? スーツじゃなくて」

「うん。だって決めてたんだもん。わたしは誰に何を言われても、このスタイルを貫くんだ、って」

 わたしは母にキッパリと宣言した。
 父の葬儀が終わった後、わたしは決意していたのだ。女子高生の自分のままで、会長の職務も実行していこうと。
 どう足掻(あが)いたたところで、いきなり大人になんてなれないのだから。それならわたしは、ありのままの自分で闘っていこうと思ったのだ。この制服は、そのための戦闘服というわけだった。

「…………まあ、あなたがそこまで言いきるなら、私も反対はしないわ。パパも言いだしたら聞かない人だったけど、あなたはパパにそっくりね」

 困ったように、呆れたようにそう言った母に、わたしは苦笑いするしかなかった。あの場では、喜ぶべきだったのだろうか……?

「でも、あなたがそこまで覚悟できてるならいいけど。あなたが進もうとしてる道は(いばら)の道よ。生半可な気持ちで進めば、あなたはどちらでも信頼を失うかもしれない。本当にそれでいいのね?」

「分かってるわ、ママ。わたしは本気だよ。絶対に、どっちもおざなりになんかしない。約束する」

「……ええ、分かった。あなたのその(りん)とした態度を見てたら、あなたの真剣さが伝わってきたわ。そういうところもパパによく似てるわね」

 最後には母が折れた。嬉しそうに目を細めた母には、その時のわたしと父の姿が重なって見えていたのかもしれない。

「わたし、そんなにパパに似てるかな? ママ似のところは?」

 階下へ下りる途中、わたしが母に訊ねてみると。

「顔」

 あまりにもシンプルな答えに、わたしは思わず吹き出した。

****

 わたしと母が朝食を済ませた頃、インターフォンが鳴った。

『おはようございます、絢乃会長! 桐島です。お迎えに上がりました!』

「はーい! 今出るわ。ゲートの前で待ってて」

 わたしがモニター越しに応答すると、彼は「了解です」と答えた。すぐにゲートを開けるボタンを押し、わたしたち母娘は各々バッグを持って彼の待つゲートへと向かった。

「お嬢さま、奥さま! お気をつけて行ってらっしゃいませ!」

「行ってきま~す!」

 いつものように元気よく送り出してくれた史子さんに、わたしも元気よく挨拶を返して彼女が出してくれたローファーを履いた。母も黒のパンプスを履き、彼女に「行ってくるわね」と声をかけていた。

「――おはよう、桐島さん」

「おはようございます……ってあれ? 今日は絢乃さん、制服なんですね」

「うん。今日からこの制服は、わたしの戦闘服になるの。――そういえば桐島さんって、わたしの制服姿見たことなかったっけ」

 その時、今更ながらに気がついた。それまでわたしは、制服姿で彼に会ったことが一度もなかったのだということに。

「はい、初めて拝見しました。絢乃さんは何をお召しになってもお似合いですね。制服姿も可愛いです」

「……そう、かしら。ありがと」

 彼は照れ屋で、女の子にそういう褒め言葉を言うのが苦手だったはずなのに、その日の彼は何だか違っていた。わたしは調子が狂いつつも、胸がキュンと高鳴るのを確かに感じた。火照りを隠すように、両手の平で自分の頬を覆った。

「おはよう、桐島くん。今日はよろしくね。――ハイ、ラブコメモードはそこまで! さっさと車のドアを開ける!」

「はっ……、ハイっ! 失礼しました! ……どうぞ」

「ママ……、他に言い方ないの?」

 母の号令に彼は神妙に縮こまり、わたしはそんな母に唖然とした。
 〝ラブコメモード〟なんて、彼にわたしの想いを知られたらどうするのか。……そんな抗議めいた気持ちを込めながら、わたしは母を恨めしく睨んだ。

「…………。さ、行きましょう」

 わたしたちを後部座席に乗せ、運転席に収まった彼は、気まずそうに車をスタートさせた。

 ――さて、なぜこの日、母も一緒だったかというと。株主総会でわたしが新会長としてスピーチする時に、母も一言挨拶をすることになっていたからである。
 母はわたしが学校へ行っている間、わたしの仕事を代行してくれることになっていた。いわばわたしの影武者というか、分身のようなものだったのだ。

 ただ、母は会長の職務を代行するだけであり、肩書でいえば〝相談役〟に近かったので、母には経営に関する権限はなかった。――もちろん今も。

「――なるほど。それなら、親子で権力争いや派閥争いが起きる心配はなさそうですね。絢乃会長おひとりに、すべての権限が集中しているわけですから」

 わたしと母の説明に、運転しながら耳を傾けていた彼は安心したように頷いた。

「うん。でもね、桐島さん。そう言うとわたしがワンマン会長みたいに聞こえるでしょうけど、実際はそうじゃないの。わたしひとりで決められないことは、ママとか村上社長とかに相談して、意見を聞いて、みんなで決めるのよ。パパもそうしてたみたいにね」

 亡くなった父も、決してワンマンではなかった。元々が経営者ではなかったため、お仲間と相談しながらでないと何も決められなかったのかもしれない。

 でもわたしは、むしろ父がそういう経営者でよかったと思う。もしわたしのお手本となるべき父がワンマン経営者だったら、きっとわたしは後を継ぎたいと思わなかっただろうから。

「僕もその方が安心です。平和主義者なんで、争いごとキライなんですよ。ましてや自分の働かせて頂いてる会社でそんな争いが起きたら、働きづらくて仕方ありませんもんね」

 彼もまた、わたしが守っていかなければならない社員のひとり。そんな彼の率直な意見は、わたしにとって何よりありがたかった。
 わたしは彼に退職してほしくなかったから、彼が働きやすい企業であり続けられるようにしなければと、改めて決意を固めることができたのだ。

「――絢乃さん」

「うん?」

「あなたはこれから、きっと険しい道を歩んでいくことになると思います。でも、あなたは決してひとりじゃないです。僕も、加奈子さんも、そして……亡くなったお父さまもお側にいますから。あなたのことは、絶対にお守りしますから」

 彼が力説していると、母も隣から彼の言葉に同意した。

「そうよ、絢乃。あなたが不安な気持ちはよく分かる。こんな小娘、周りの大人から舐められるかもしれないって思ってるでしょ。でも、そのために私や桐島くんがいるの。だから、いつでも頼ってね。私たちが全力であなたをサポートしてあげるから」

 わたしはなんて頼もしい味方に恵まれたんだろう。二人のこの言葉に、何より彼の励ましに、わたしはどれだけ勇気づけられたことだろう。

「……うん。ママ、桐島さん、ありがとう!」

 ――パパ、見ててね。わたし、みんなから信頼される会長になってみせるから。二人にお礼を言った後、わたしは天国にいる父にそう語りかけた。

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