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わたしと彼の決意 ④

「――加奈子さん。そこはまず、絢乃ちゃんの意思を確かめるべきじゃないのかね」

 親族の中では比較的中立の立場を保っている一人が、もっともな意見を出した。
 彼は亡き祖父の(おい)にあたる人で、横浜(よこはま)支社の常務取締役を務めている人だった。

「もちろんそうね。――絢乃、あなたの意思確認をここでさせてほしいんだけど、どう?」

「わたしは謹んで、会長の職を引き受けたいと思ってます。父の遺言だからというのももちろんありますが、これはわたし自身が幼い頃から決めていたことだから。……まさかこんなに早く、こんな形でそうなるとは思ってもみませんでしたけど」

 わたしは母に問われ、自分の考えをゆっくり頭の中で整理しながら話した。

「もちろん、経営に関しては素人ですし、父の足元にも及ばないかもしれませんけど。父が仕事に向き合う姿勢は、ずっとこの目で見てきましたから、まだ自信はありませんけど精一杯務めたいと思ってます」

「だがねぇ、絢乃ちゃん。君はまだ高校生で、学校も――」

「分かってます。学校生活を送りながら、会長の務めを果たすのは大変なことだって、わたしも覚悟してます。だからこそ、貴方がた大人の支えや協力なしには務まらないんです。どうか、お力添えをお願いできないでしょうか」

「あのね、みなさん。私も、このコが学校に行ってる間は、会長の職務を代行しようと思ってるの。それが、このコを会長に擁立(ようりつ)した親の責任だって分かってるから。だから私たちは、二人で一人前の会長なの」

「二人でひとり……ねえ。経営はそんなに甘いモンじゃないんだよ、お二人さん? だったら私は、(かね)(たか)さんを会長に推そうじゃないか。この方は(むね)(あき)さんの弟さんだし、順当にいっても最年長の彼が会長になるのがふさわしいんじゃないかと思うね」

 別の親族で、系列会社の社長を務めている人が別の候補者を立ててきた。この人は、葬儀の後の親族会議でも父を非難していたうちの一人だった。
 ちなみに、宗明というのが亡き祖父の名前である。祖父の弟ということはわたしの(おお)叔父(おじ)にあたり、年齢も六十代半ば。けれど、彼もわたしと同じく、経営に関わった経験がまったくなかった。

 母もそのことをよく知っていたらしく、冷静に切り返した。

「兼孝叔父さまには、経営のご経験がないでしょう? それくらい、姪の私だって知ってます。それなのに、年齢だけで会長候補に擁立するなんて。年功序列なんて考え方、この令和の時代にはナンセンスですわ」

「なっ……! じゃあ、他の役員の意見も聞いてみようじゃないか! どうだね? この小娘と、宗明会長の弟さん。どちらが会長にふさわしいと思うかね?」

 ムキになったその親族は、自分の言い分の正当性を確かめようと、()丈高(たけだか)に言い放った。

 母のやり方に反発している勢力の人たちはみんな一様に大叔父を推していたけれど、その中で一番最初に反対意見を出してくれたのは、〈篠沢商事〉本社の社長・村上(ごう)さんだった。

「僕は、絢乃お嬢さんが会長になって(しか)るべきだと思いますけどね」

「村上さん……、ありがとう!」

 思わぬ援護射撃に、母の表情は明るくなった。わたし自身も、「新会長は大叔父」という流れに傾きかけていたのが、彼のこの意見で変わるかもしれないと思った。
 というのも、村上社長は営業部時代の父の同期で、気の合う友人同士だったのだ。お互い結婚して家庭を持ってからも、彼の家族とわたしたち親子三人は家族ぐるみの付き合いをしていて、当然ながらわたしのことも幼い頃からずっと見てくれていた。母とわたしにとっては、その会議の場では誰よりも強い味方だったのである。

「君、それはもちろん、根拠があって言ってるんだろうな?」

 居丈高な親族は、高圧的な態度を崩さないまま村上社長に詰め寄った。――自分たちは、「最年長だから」という根拠だけで大叔父を擁立したというのに。

「もちろんありますよ。第一に、彼女が前会長である篠沢源一氏の実子であること。それは血縁者による世襲という意味だけでなく、彼女が源一会長のトップとしての姿勢をずっと身近に見てきからこそです。彼女ならきっと、立派にリーダーを務めあげることができるでしょう。
 第二に、源一会長ご本人が、遺言書で正式に彼女を後継者として指名していること。そして先ほど、ご本人も会長就任のご意思をここで示されました。この遺言は、法的に有効なものです。法の下に指名された後継者が新会長に就任することが、最も道理に適ってるんじゃないでしょうか」

 村上社長はあくまで冷静に、理路整然と自分の意見を述べた。これにはさすがに他の親族も、もちろん彼に高圧的な態度を取っていた彼も、ぐうの音も出なかった。

「――村上さん、貴重なご意見をありがとう。他にご質問・ご意見等がないようでしたら、ここで採決に移りたいと思います。まず、篠沢兼孝氏が新会長にふさわしいと思う方、挙手をお願いします」

 これには、母に反発する勢力の人たち数人がバラバラと手を挙げた。

「次に、篠沢絢乃が新会長になるべきだと思う方、挙手をお願いします」

 わたしはビックリした。夢じゃないかとさえ思った。この会議に出席していたほとんどの人が、わたしを新会長に選んでくれたから。
 わたしの想像だけれど、多分みんな、村上社長の演説に心動かされたのだと思う。彼には今も、本当に感謝している。
  
「――というわけで、新会長は多数決により、篠沢絢乃に決定致しました」

 この決定に、まだ文句タラタラの人たちもいたけれど、新会長の誕生を大勢の人たちが拍手でもって歓迎してくれた。
 
「みなさん、ありがとう! わたし、精一杯頑張ります! 本当にありがとう!」

 わたしは万感の想いで、わたしを会長に選んでくれた人たちに感謝の気持ちを述べた。

 会議は次の議題へと移り、常務は村上社長が、専務は人事部長の山崎(やまざき)(おさむ)氏が兼務し、あとの役員人事は一部変更するということで、取締役会は幕を閉じた。

「――絢乃、今日はお疲れさま。お腹すいたんじゃない? 何か美味しいものでも食べて帰りましょうか」

 帰りの車の中で、母がわたしを(ねぎら)ってくれた。わたしが頷くと、母は運転手の寺田さんに「青山(あおやま)のレストランに寄って」と申しつけた。

 そしてわたしにはその日、朝からずっとモヤモヤしていたことがあった。

「――桐島さん、一度もわたしのこと褒めてくれなかったわ。せっかく気合入れて、ファッションもメイクも頑張ったのに」

 大人っぽいスーツの中で、唯一女の子らしい可愛らしさを(かも)し出していたフワッとした大きなリボンタイ付きの白いブラウス。それと、背伸びして頑張ってみたビジネスメイク。せめてこれくらいは彼からの感想がほしかった。
 それを言葉にして吐き出すと、母は笑いながらこう言った。

「あなた、そんなことが不満なの? ……そうねぇ、桐島くんは不器用だから、あんまりそういうこと言ったりできないんじゃないかしら。女性慣れしてるようでもなさそうだし」

「それは……、うん、確かにそうかも」

 彼が女性慣れしている人だとは、わたしも思っていなかった。
 実際にそうだったし、仮に彼がそういう人だったら、わたしもきっとこんなに惹かれていなかっただろう。わたしは、彼の不器用すぎるくらいの誠実さに惹かれていたのだから。

「でしょう? そんなに気になるなら、あなたから電話してみたら? 会議のことだって気になってるでしょうし」

「ママ……」

 さすがはわたしの母親だ。わたしにさりげなくキッカケを与え、恋のアシストをしてくれた。
 恋する女の子は、好きな人からもらったささやかな褒め言葉ですら嬉しいものなのだ。

 母のアシストを無駄にしないために、わたしはその場でバッグからスマホを取り出して、彼の番号をコールした。

『――はい、桐島です。お疲れさまです』

「桐島さん、朝はありがとう」

『どうしました? 会議で何かありました?』

「ううん、そういうワケじゃないんだけど。あの……、今日のわたしの服装とかメイクとか、どうだったかな……と思って……」

 何だか催促しているみたいなのが自分でも恥ずかしくて、言っていることがしどろもどろになってしまった。

「あっ、別に感想を催促してるとか、そんなんじゃないの! だからあんまり気難しく考えないでほしいんだけど……」

『……ああ、そういえばお伝えしてませんでしたっけ。ステキでしたよ。特に、大きなリボンのついたブラウスが可愛らしくて、絢乃さんによくお似合いでした。お化粧もなさってたんですよね。ちゃんと〝トップレディー〟らしく見えましたよ』

「ありがと。――どうして朝のうちに言ってくれなかったの?」

 感想を聞けたことは嬉しかったけれど、わたしは拗ねたように口を尖らせた。どうせなら、そういうことは本人を目の前にして言ってほしかった。

『すみません。なんか照れ臭くて……。僕自身、こういうシチュエーションにはあまり慣れてなかったもので』

「…………そう」

 母の想像はズバリ当たっていた。よく言えば誠実、ひどい言い方をするならバカ正直に弁明するところは、実に彼らしかった。そこまで正直に言う必要はなかったはずなのだけれど。

「……でね、会議のことなんだけど。わたし、多数決で無事に会長就任が決まったの。お祖父さまの弟さんっていう人も候補になってたんだけど、村上社長がわたしの味方についてくれてね、形勢が一気にわたしに傾いたの!」

『そうですか! おめでとうございます! 就任発表はいつですか?』

「明後日の株主総会で、正式に発表されることになったわ。というワケで、貴方もその日から秘書室の一員よ」

 このことも、会議で決まったことだった。彼はわたしの会長就任と同時に、会長付秘書に任命されることになっていたのだ。

『いよいよですね……。僕、全力であなたをお支えします! よろしくお願いします、絢乃会長!』

「ええ。一緒に頑張りましょう! よろしくね!」

 通話を終えたわたしには、〝闘志〟ともいえる強いエネルギーが(みなぎ)っていた。
 わたしたちにはまだ〝敵〟がいたし、世間の評判とだって闘わなければならない。何より、大財閥の運営という大仕事こそが、わたしにとっては闘いだった。父が遺してくれたこの務めを、わたしはこの先立派に果たしていかなければならないと思った。

 わたしと彼の本当の勝負の日々は、ここから始まったのだった。

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