わたしと彼の決意 ③
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――父のお骨上げも無事に終わり、帰宅する車の中。もちろん、ハンドルを握っていたのは彼である。
「――えっ、ママも知ってたの!? 桐島さんが秘書室に異動すること」
わたしは隣で小さな骨壺を抱えていた母に詰め寄っていた。
というのも、火葬場の待合ロビーで彼と話していた内容を母にも聞かせたところ、リアクションが薄いというか大して驚いた様子がなかったからだ。
「ええ。生前、パパから聞いてたもの。まぁ、会社の中での話だったし、私から絢乃に話す義理もなかったし。あなたには、桐島くん自身の口から直接伝えてもらうべきだと思ってたから。……まさか、こんな劇的なシチュエーションで語られるとは思わなかったけど」
「そんな、僕は別に狙ってたわけじゃないですよ? ……確かに、絢乃さんを驚かせてしまいましたけど」
彼は前方を睨んだまま、肩をすくめた。
「ホントにビックリしたんだから。もっと早めに教えてくれてたら、わたしも心の準備ができてたのに」
とわたしは口を尖らせてはみたけれど、内心では怒ってなんかいなかった。
「絢乃、よかったじゃない。あなたはまだ高校生なんだから学校もあるし、学校からオフィスまで電車で通うのも大変でしょ? どうせなら、
「ええっ! そんなの申し訳ないよ! ちょっとくらい大変でも、頑張って電車通勤するわよ、わたしっ」
「う~ん……。確かに加奈子さんのおっしゃるとおり、八王子から丸ノ内まで電車通勤は大変ですよね。自由ヶ丘のご自宅からならともかく。――分かりました。僕が絢乃さんの送迎、
「……いいの? そこまで甘えちゃって」
「もちろんです。――確か、緊急取締役会は明後日に召集されるんでしたね? じゃあ明後日は朝、ご自宅までお迎えに上がります」
会長を始めとする役員は、取締役会の承認を得て初めて正式に決定となる。それが我が〈篠沢グループ〉のルールなのだ。当然のことながら、会長も例外ではない。
母は当主の権限で、親族会議の席で取締役会の召集を決定したらしい。それが、わたしと彼が席を外した後のことだったという。
「うん、ありがとう。お願いします」
――学校生活と会長職との〝二足のワラジ〟。決して簡単ではないだろうと、わたし自身も覚悟は決めていた。それを、他の取締役員たちに認めてもらうにはどうしたらいいか……。
わたしはこの時、ある決意を固めていた。
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――その二日後、丸ノ内の〈篠沢商事〉ビルの大会議場において、緊急取締役会が行われた。
主な議題は新会長の選出と、それに伴った役員人事の刷新。
学校は忌引き中だったわたしは、議長を務める母とともに、急きょ
「――おはようございます。桐島です。お迎えに上がりました」
彼は二日前に宣言したとおり、当日の朝、自由ヶ丘の自宅まで愛車であるシルバーのマークXでわたしたち母娘を迎えに来てくれた。
「おはよう、桐島さん。今日はよろしく。……あ、今日〝から〟かな」
「そうなるといいですね。……いえ、きっとなりますよ」
わたしがちょっとはにかみながら挨拶を返すと、彼は優しく微笑んでそう言ってくれた。
「桐島くん、おはよう。わざわざ悪いわね」
「ああ、いえいえ。僕が自分で言いだしたことですから、どうかお気になさらず。――では、参りましょう。後部座席にお乗り下さい」
彼は後ろのドアを外から開けてくれて、わたしと母が乗り込むと運転席に戻り、ドアロックをかけて車をスタートさせた。
「スゴいわねぇ。これ、あなたの持ち
わたしもこの車に乗らせてもらうのは初めてだったのでワクワクしていたけれど、母のはしゃぎっぷりはわたし以上だった。
「はい。ローンを組んで、自分で買いました。僕自身、あまり身の丈に合わない買い物だとは思ってるんですが……」
「そんなことないよ! 少なくとも、わたしはそんな風に思ってないから」
「そうよ。あなたくらいの若さで、自分で車買おうと思うなんて立派よ! そこは堂々と胸を張るべきところだと思うわよ」
身の丈に合うとか合わないとか、一体誰が決めるんだろう? わたしと出会ってからの彼は、よくそう言って自分を卑下しているけれど、わたしはそんな考え方が好きじゃない。
この令和の時代に、身の丈も何も関係ないと思う。少なくともこの日本にいる限りは。
「そう……ですかね? お二人にそうおっしゃってもらえると、僕も救われた気がします」
「またそんなに
彼はあくまで謙虚だったけれど、わたしには分かった。
彼が秘書室への転属を希望したのと、新車を購入したのはほぼ同時期だったのだ。
だから、それこそが彼の決意の表れだったのだと。
――それから約三十分くらいで、わたしたちはオフィスビルに到着した。
「僕は会議には参加できませんので、とりあえずどこか近くで時間を潰してますね。会議が終わり次第、またご連絡頂ければお宅までお送りします」
地下駐車場でわたしと母を車から降ろした彼は、一般社員なので取締役会には出席できなかった。そのため、彼だけ別行動を取ることになったのだけれど。
「ありがとう、桐島くん。帰りはいいわよ。ウチの運転手に迎えに来てもらうから。ただでさえ今日は休日出勤してもらってるんだし、あなたは帰ってゆっくり休みなさい」
この日は、実は土曜日。当然ながら会社はお休みだったので、彼には休日手当が支給されたはずである。
「……分かりました。では、僕はこれで失礼します。絢乃さんが無事に会長に就任されることをお祈りしてますね」
「ありがと。お疲れさま」
彼はわたしたちにお辞儀をして車に戻り、そのまま駐車場を後にした。
「――さてと。絢乃、行くわよ!」
「うん!」
母に背中をポンと叩かれたわたしは、気を引き締めた。
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――大会議室は、地上三十四階・地下二階の三十六階建てである篠沢商事ビルの三十二階にある。その名のとおり、このビルの中にある会議室の中で一番大きな会議室で、月に一回行われるグループ全体の役員を集めた本部会議もここで行われている。
「――みなさん、本日はわざわざご足労頂きありがとうございます。ではこれより、緊急取締役会を始めたいと思います」
議長である母がマイクを手に、会議の開会を告げた。
「本日の議題は、前会長であった夫・篠沢源一の急逝による新会長の選出、およびそれに伴う経営体制の刷新です。まずは、新会長の選出から。――ここに、前会長の作成した遺言状があります。ここでは、この〈篠沢グループ〉の経営に関する内容のみを取り上げたいと思います」
母はジャケットの内ポケットから、白い縦長の封筒を取り出した。それはもちろん父の遺言状で、この会議の前日に弁護士の先生立ち合いのもと、裁判所で内容が公開されていた。
「内容を読み上げます。――『私の死後、篠沢グループの経営に関する全権を、長女の篠沢絢乃に一任するものとする。また、グループ企業の土地・建造物および株式もすべて長女絢乃に譲渡するものとする』――とのことです。というわけで、新会長はここにいる娘の絢乃が就任すべきだと私は思いますが、みなさんのご意見は?」
そこに書かれていた内容は、父が生前わたしに話してくれた内容とまったく同じものだったので、わたしはホッとした。