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わたしと彼の決意 ②

 あれだけの規模の葬儀であれば、マイクロバスをチャーターすれば済む話だったと思うのだけれど。一人一人がプライドの高い我が一族はそれをよしとしなかったのだ。

 〝社葬〟といいながら、火葬場までついてきたのは一族を除けば彼と父の秘書を務めていた小川さんだけだった。
 彼女はわたしたち母娘と別の車に乗っていたけれど、火葬場に着くと母に驚くべき事実を打ち明けた。

「私、村上(むらかみ)社長の秘書を務めることになりました。本来なら新会長……多分、絢乃さんにそのまま付くはずだったんですが。ちゃんと後任者が決まってますので、業務はそちらにすべて引き継いでおりますので」

「あらそうなの……、お疲れさま。残念だわ。あなたはこれまで夫によく尽くしてくれてたものね」

 小川さんは父といい関係で働いてくれていた。でも、そこに恋愛感情があったということはなくて、彼女は父のことを、あくまで自身が仕えるべきボスとして尊敬していただけだった。
 そのため、母とも親しくしてくれていたし、わたしにも優しかった。

「奥さま、ありがとうございます。まあ、配置換えになるというだけで、会社を辞めるわけではないので、またお目にかかることもあると思います。その時はまた、お気軽にお声をかけて下さい。――では、私はこれで失礼します」

「あら、もう帰るの? 火葬されてる間、お座敷で精進(しょうじん)落としの仕出し料理を振る舞うことになってるんだけど」

「はい、私の分はご辞退申し上げます。私は部外者ですので、ご一族のお話に入れて頂くわけにもいきませんから」

 実はこの後、仕出し料理を頂きながら、グループの今後の経営について一族で話し合うことになっていたのだ。
 母はきっと、話し合いが紛糾(ふんきゅう)した時のストッパー役かレフェリー役が欲しかったのだと思う。

「そう……、じゃあ、気をつけてね」

「はい。絢乃さん、またお会いしましょうね。お母さまのこと、くれぐれもよろしくお願いします」

「ええ。小川さん、今日まで父を支えてくれてありがとう」

 彼女は泣き出しそうな顔でもう一度わたしたちにお辞儀をすると、タクシーを呼ぶために管理事務所までゆっくりと歩いて行った。

****

 ――さて、その精進落とし兼親族会議の席として設けられた場において、母が望んでいたストッパー役、もしくはレフェリー役は先に帰ってしまった小川さんに代わり、彼が務めることとなった。

 でもわたしは、あの親族間の(みにく)い争いを、できることなら彼にだけは見せたくなかった。

 父の遺言で後継者に指名されていたわたしは、当然の結果として槍玉に挙げられており、せっかくの仕出し料理も食べた気がしなかった。

「加奈子さん、アンタの婿さんもとんでもないことをしてくれたモンだな。死んだ人のことを悪く言いたかぁないが、篠沢財閥を思いっきり引っ掻き回してくれた挙句、後継者はこんな小娘なんて。ったく、何考えてたんだか」

「絢乃ちゃんはまだ高校生だろう? 会長なんて務まるのかね」

 母の従兄弟(いとこ)にあたる人たちは、父の時に続いてまたグループ内で実権を握れなかったことを苦々しく思っていたらしく、口を揃えて父やわたしを非難していた。

「このコはね、あの人のやり方を一番近くで見てきたのよ? 父親の背中を見てきて、『自分が跡を継ぎたい!』って言ってるの。……まぁ、年は確かにまだ若いわ。むしろ幼いと言ってもいい。だからこそ、周りの大人がちゃんと支えてあげないといけないんじゃないの?」

「…………」

 母は娘であるわたしのことを精一杯庇ってくれていたけれど、わたしの居心地の悪さは変わらなかった。
 わたしのことは、いくらでも悪く言ってくれて構わない。でも、最期まで財閥の行く末を案じて亡くなった父のことを非難されるのは、さすがにガマンならなかった。

「――みなさん、ちょっと失礼します。絢乃さん、席外しましょうか」

 その場にいた唯一の他人である彼が、気を利かせてわたしに助け舟を出してくれた。空気の悪いお座敷から連れ出してくれたのである。

「……うん、そうするわ」

「桐島くん、ありがとう。絢乃のことお願いね?」

「はい、お任せ下さい。絢乃さん、行きましょうか」

 場の空気を読んだ彼のナイスアシストに、母は小声でお礼を言った。
 その後もしばらく母と親族との言い争いは聞こえていて、今度は彼がわたしを退席させたことを非難し始めていた。けれど、母は「桐島くんはただの従業員なんだから関係ないでしょう?」と、彼の味方についてくれていた。

****

 ――彼がわたしを連れていった先は、待合ロビーだった。
 そこは何基かのソファーとローテーブル、自動販売機が数台、そして化粧室があるだけの広いスペースで、お座敷ほどではないけれど暖房も効いていた。

「――絢乃さん、ここに座って待ってて下さいね。飲み物買ってきますから。何かご希望はありますか?」

「ありがとう。じゃあ……、カフェオレをお願い。あったかい方ね」

「分かりました」

 彼は頷き、わたしに背を向けて自動販売機の方へ行った。
 その日は他に火葬を待つ人々もいなかったので、わたしはひとりロビーのソファーに腰を下ろし、彼が戻るまでの一分にも満たない時間を過ごした。

 お座敷を退席した際、コートとバッグも持ってきていたので、何となく手持ち無沙汰になっていたわたしはスマホを開いた。そこには、先に帰宅していた里歩からのメッセージが入っていた。

〈今家に着いたよー。
 どんだけ絢乃が親戚から針の(むしろ)にされてたとしても、あたしはずっとアンタの味方だからね☆ だから負けるなよ!  
 学校はしばらく忌引きだよね? 元気になってまた学校おいで('ω')ノ 〉

「ありがと、里歩」

「――お待たせしました。どうぞ」

 わたしがスマホの画面に元気づけられ、独りごちていたところに彼が戻ってきて、買ってきてくれた温かいカフェオレの缶を手渡してくれた。彼自身の分も買っていたらしく、もう一本のそれは温かい微糖の缶コーヒーだった。

「ありがとう! ……あ、お金――」

「ああ、いいですよそれくらい」

 わたしがお財布の小銭を確かめるのを、彼は笑顔でやんわりと止めた。

「そう? じゃあ……いただきます」

 スマホカバーを閉じてバッグにしまうと、プルタブを起こし、中身をすすった。お砂糖とミルクの優しい甘さにホッとした。

 彼はそんなわたしの隣に腰かけ、自分も缶コーヒーを飲み始めた。
「隣」とはいっても、キチンとわたしが不快にならない程度にスペースを空けていて、そんなところからも彼がちゃんと気遣いのできる人なのだと伺い知ることができた。

「絢乃さん、コーヒーお好きなんですか?」

「うん。パパの遺伝かしら。パパも毎朝コーヒーを飲まないと目が覚めない人だったから。ちなみにママは紅茶党」

「そうなんですか。僕もコーヒー好きなんです。飲むのはもちろんですけど、好きが高じて淹れる方にまで()っちゃって」

「へえー、いいなぁ。わたしも桐島さんが淹れた美味しいコーヒー、一度飲んでみたいな」

 わたしが目を細めてうっとりすると、彼はビックリするようなことをわたしに言った。

「そのお望み、案外すぐに叶うかもしれませんよ?」

「……えっ?」

 わたしは目を瞠ったけれど、彼からの申し開きはなかったので、その時のわたしには彼がそう言ったのが冗談だったのか本気だったのか分からなかった。

「――ねえ、桐島さん。さっきは貴方にみっともないところ見せちゃったね。ごめんなさい」

「はい? ……ああ、先ほどの親族会議のことですね」

「うん……。なんか身内の恥を(さら)すみたいで申し訳ないんだけど、あの人たちいつもああなの。お祖父さまが会長職を引退した時も、ああして好き勝手なこと言ってたのよ」

 わたしは(いきどお)りを通り越して。彼らのことを情けなく思っていた。そこまで権力に固執しないと、自分自身を保っていられないのだろうかと。

「お祖父さまって、えーーと……先々代の会長、ってことですよね」

「そう。自分たちがグループ内で実権を握れないのが気に入らないらしくて。……でもね、彼らの言ったこと、ひとつだけ当たってるの」

「……え?」

「わたしみたいな小娘に、会長なんて務まるのか。――あれ、ちょっと痛いところ衝かれちゃってたなぁ。わたし自身、パパに言われた時からずっと自信ないもの。わたしに会長なんて重責務まるのかしら……って」

 母方の親戚の一人が、親族会議の席でわたしに浴びせた言葉のひとつである。彼のこの言葉は的を射ていたどころか思いっきり急所を衝いてきていて、わたしは心に甚大なダメージを受けていたのだ。

「ごめんなさい。貴方にこんな弱音を吐くつもりはなかったんだけど……」

 彼の前では、わたしはなぜか背伸びをせずにいられた。彼になら、甘えて弱い部分を見せても大丈夫だと思えた。

「謝らなくていいですよ。僕になら、弱音なんていくらでも吐いて頂いて構いませんから。今後はそれが、僕の仕事の一環になるわけですし」

「えっ、どういうこと?」

 彼はその時、サラリと爆弾発言をしてくれた。その時の驚きを、わたしは今でも忘れられない。

「……もう、お話ししてもいい頃かもしれませんね。部署を異動することは、もうお伝えしてましたよね? その転属先は、実は秘書室なんです」

「秘書室?」

「はい。小川さんの後任者となる会長付秘書って、実は僕なんです」

「えっ、そうなの?」

「はい。――源一会長がお倒れになった後、もしかしたら絢乃さんが会長に就任されることもあるかもしれないと思って、僕なりに覚悟を決めてたんです。すぐに人事部に異動届を提出して、受理されました。今日はまだ総務課に籍が残ってますが、絢乃さんの会長就任が決まり次第、正式に秘書室へ籍も移されることになってます」

 彼は淡々とそれまでの経緯を話していたけれど、彼は彼で相当な覚悟を持って転属を決めたのだと、わたしは彼の不器用なまでの実直さに感服した。

「あのっ、こう言ってしまうと、源一会長がお亡くなりになるのを望んでたように聞こえるかもしれませんけど、決してそんなことはありませんからね!? あくまで万が一の事態に備えてたというか……」

 ハッとした彼があたふたと弁解するのを見て、わたしは思わず吹き出してしまった。

「大丈夫よ。貴方が父の死をそんな風に考える人だって、わたし思ってないから。安心して?」

「はあ、そうですか。よかった……」

「桐島さん。わたし、どこまでパパのようにできるか分からないけど……、頑張って会長やってみるわ。だから、これから先、わたしのことしっかり支えてね。よろしくお願いします」

「はい、もちろんです! こちらこそよろしくお願いします、絢乃会長」

 それが、わたしと彼との間に強い(きずな)が生まれた瞬間だった。

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