バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

久し振りの職場復帰は最高だ

新たなる世界へようこそ。それが私が目覚めてからの最初に浮かんだ言葉だった。そう、久しぶりの出社だ。これからたくさんの作家たちと語り合い、素晴らしい作品を作り上げていく。新人の作家とも知り合って、夢のような物語を泳いでいく。私は幸せだ。現実の世界を凌駕するおとぎ話を見ることができるのだ。
朝食にコーンフレークに豆乳をかけて食べる。この頃の私の流行りだ。それからコーヒー豆を挽いてお湯を沸かして香り高いコーヒーを楽しむ。そして冷凍庫から業務用アイスクリームを取り出して食べる。私はアイスクリームはバニラしか食べない。歯を磨いてアパートを出る。駅まで歩いて、清々しい天気の空を眺めながら、思わずにっこりと笑顔になる。いろんな人たちが通りすぎていく。背広を着たサラリーマン、制服を着た学生たち。みんなそれぞれの目的地に向かって歩いている。これからどんな出会いがあるのだろう。ひたすら真面目に委ねられた仕事や勉学に励んでいくのか。毎日を希望に満ちた生活を送るために一生懸命になって活動する。人それぞれ環境は違うけれど己(おのれ)に対して昨日とは異なる生活を求めて日々鍛練するのだろう。それは私も同じだ。駅に着いて電車が来るのを待っていると、いつもこの時間帯に見る数人の人たちが立っている。私は北海道土産を左手に持って、数人が珍しそうに微かに、チラッと土産袋に目を留める。電車が構内に入ってきて乗り込むと、男性のオーデコロンの匂いが鼻をくすぐる。でもその匂いは私は嫌いではない。なぜか懐かしい感じがする。そう、お父さんが身に付けていたからだ。でも、こんなに身近にいる人たちでさえ、その心のうちを理解することができないし、声をかけてお互いに知り合うこともできない。せめて私の担当する作家たちの作品を通してみんなが共感する、そのことを目指したいと思った。
出版社に着くとエレベーターに乗って五階に行く。私のデスクは窓側にある。編集長の宮本さんが丁度席から立ち上がったところだ。
「おはようございます、編集長。これ北海道土産です。家族で食べてください」私は紙袋から白い恋人を出して編集長に渡した。
「おう、ありがとう。そうか、北海道に行っていたんだよね。楽しめたかい」
「はい、素晴らしかったです。なんか経験値が上がったような感覚って言うんですかね、とても心が浄化されたような感じがします。編集長は福岡でしたっけ?」
「うん、そうだ。毎日大好きなラーメン巡りだったよ。やっぱ、本場は違うね」編集長も机の引き出しを開けてお土産を手に取った。
「これ、博多名物の明太子」
「ありがとうございます。ご飯にあいそうですね」私は他の同僚たちにもお土産を配った。みんな嬉しそうで、私も嬉しくなった。
「みつき、北海道旅行どうだった?」私と同期の葛西なつみは、早速白い恋人の包装を解きながら言った。
「そうね、友人の女の子と一緒に行ったんだけど、その子が買った絵の作者に会ったの、とてもエネルギーのある人だった。もちろん描く絵も素晴らしくて、将来性のある人でね。サクラさんっていうんだけど。そのサクラさんの絵に私たちは魅了されてきっと今までに生きてきたなかで一番心が純粋な人だと思ったわけ。それが絵に表現されているの。凄いわよ。彼女の作品を本にできないかしら?」
「一度、作品を見てみたいわ。それから考えましょう。私も彼女の作品、見てみたくなった」
「早速この件に取り組みましょう。善は急げ、って言うから、彼女へアポイント取れるかしら?」なつみはスマホを取り出して言った。私は彼女にサクラさんの住所とメールアドレス、携帯番号を教えた。目まぐるしく物事が動き出そうとしていた。その活動エネルギーが私を揺り動かした。きっとこの計画は成功する。サクラさんは注目されて一気に成功の階段を上がることになる。いや、一般的な成功ではなくて、多くの人に感動を与えるという意味での成功さと言うべきか。それは人々に感銘を抱かせて、人が本来持っている芸術性に訴えかけるものだ。彼女の気持ちが広がって人の心に大きな傷後を残し、修復される過程で新たな肉が盛り上がっていく。それはとても自然でいて、人の心に永遠にわたって果てしない温もりを与えるものとなるだろう。さあ、私が今行うべき仕事を始めよう。まず最初にすることは新人を発掘することだ。新たな作家を見つけるべく、ネット上の我が社のサイトを入念にチェックする。丁寧に、丹念に、読み込んで、評価の高い作家だけでなく、まだ評価の低い作家にも探索をしていく。いわゆるダイヤモンドの原石を発掘するということだ。私は心が躍るのを覚えた。きっと、素晴らしい作品を書く人を見つけ出してみせる。そう決意をした。早速、ネットにアップされている作品を読み始める。でも多くは似たような、一部の人たちが興味を引く、ファンタジーもので大衆が求めるものとはかけ離れているようなものばかりだ。数千の読者は得られるかもしれないが、数千万、数億の人たちから受け入れられるような作品ではない。私が求めているものとはそのようなものだ。世界を動かすほどの圧倒的なパワーを持った、それこそ社会を変えるような、読者の心に響く作品。私はそのような貴重な原石が必ず見つかると信じている。それには時間と労力がかかるだろう。そう簡単に見つかることはできないかもしれない。でも諦めずに忍耐強く探すならばいつの日か人々の心を動かすような偉大な作品と作家に出会うことができるだろう。私はその作業を続けているうちに睡魔に襲われた。とても目を開けていることが不可能と思われた。きっと北海道旅行の疲れがぶり返しているのだろう。この後三時から作家のツバサさんと会うことになっている。それまでにこの疲れを除き去らなければならない。女子更衣室の隣には仮眠室がある。私はそこで休憩をとることにした。二時間ほど休めば大丈夫だろう。部屋の中は窓のカーテンがかけられて薄暗い。照明も点いていない。ここでならゆっくりと仮眠できそうだ。ベッドの上で横になると、静かで穏やかな眠気に誘われた。
目を覚ますと、スッキリとしていて、身体中が真新しく交換された感じがした。そう、脳みそも心臓も腕や足の筋肉もだ。ベッドから跳ね起きて更衣室に向かう。ツバサさんとの待ち合わせまであと三十分。彼女が指定したのはいつもの閑静な喫茶店。どんな構想がツバサさんにあるのだろう。それが楽しみだ。私たちはいろんな話をして、様々な話題で作品のヒントになりそうなものを片っ端から文章にしていく。使える使えないは後回しだ。とにかくたくさんの文の羅列を組み込んで大きな山にしていく。そこから山を削っていって使えそうなところや原石を見つけ出して残す。行うことはできるだけ地中を削ってそれを山にして、そこから取れたものを丁寧に抽出していくこと。そんな作業を行っているうちにジグソーパズルがぴったり合うような感動的な場面に出くわすことがある。私たちはそれを目指してひたむきに掘り進むのだ。なんだか元気が出てきた。きっと休憩を取ったことも影響があったのだろう。私は階段で一階まで下りて、徒歩ですぐ近くの喫茶店に向かった。街は雲ひとつない青空でビル風が心地よかった。丁度ツバサさんが店のドアを開けようとしていた。
「こんにちは、ツバサさん。タイミングが良かった」私は彼女の両肩に軽く手を乗せた。
「あっ、お久しぶりです、みつきさん。元気してました?北海道に行ってたんですよね。楽しめました?」私たちは店内に入った。
「うん、最高の旅だった。とても内容の濃い、充実した感じでね、とても興味深い出会いがあった。ある画家と出会ったの」私たちは店員に案内されて窓側の席に座った。
「それでね、その人の作品を画廊で見たんだけど、私も一緒に旅行に行くことになった潤子(うるこ)っていう十二才の少女も惚れたわけ。一目惚れなんだけど、その絵の凄さったら、ツバサさんも一度見るべきだと思う。一度と言わず何度でもっていうべきかもしれない。どんな人にとっても、これほど影響を与えられる作品ってないかも。私たちの思いを体現しているといっても過言ではないの。今度一緒にその絵見に行かない?」
「そんなに素晴らしい絵なんですか?とても気になります。ぜひ一緒に。私も今書いている小説のことで、とても興奮していることがあるんです。今までなんとかみんなの心を揺さぶるものを書きたいなあと思っていたんですけど、突然、高校野球みたいな小説を書こうってイメージが湧いてきたんです。もちろん高校野球の小説を書くんじゃなくて、そんなスピリットなんですけどね。まだ荒削りなんだけれど、純粋さを秘めた、初々しいものを。もちろん、技術的にはプロじゃなくてはいけないけど、もっと初心に帰って幼かった時に抱いていた思いだとか、届かない気持ちを表現したいなあと。分かりますか?」ツバサさんはメニュー表を見ながら話した。私は彼女の真剣な眼差しを受けとめて、心が洗われる思いだった。
「その気持ちって大事だよね。ツバサさんの今まで書いてきた小説の中には、たくさん挫折してきた生活を送ってきた人の話とか、あともうすぐ命が尽きてしまう人たちの苦しみとかいったような話が出てきて、人の心に訴えかけるものがあると感じるんだ。それはきっと自分自身で体験しなくてはわからないものだと思う。でもそんなことなくて、小説の世界ではイメージするだけで、そんな現実の世界を凌駕することができる。そこが凄いところ。矛盾する考えが合わさって予想だにしない物語が構築される。本当に小説は素晴らしいと思う。なんだってできるんだから」店員が来たので話を中断して、私はキリマンジャロブレンドに、北海道産チーズをたっぷり使ったチーズケーキを、ツバサさんはコロンビア産コーヒーにショコラケーキを注文した。
「みつきさん、それでね、私、初心に帰ることに決めたの。幼い時に抱いていた、記憶の断片を紡いでそれを現代に蘇(よみがえ)らすの。過去の出来事をリライトして生き返らせて、そこに幻想的なオブラードで包み込んで眩しいくらいに読者に照射してあげるの。記憶が不確かなところがあるけど、妄想力でカバーしてね。小説の醍醐味って感じ。私は読者の心の内にある潜在意識に訴えかけて、その人の経験してきたことを最大限に増幅して、実際に目の前で見ているような体験をさせることができる。感動を呼び起こして、昔自分自身が温めてきた希望や理想を復活させて現実に目に見て映像化させる。そんなことは非現実だとか、無理に決まっているなんて言う人たちにも、それは可能だということを理解させたいの。それが今私が思っていること。みんなを明るくさせたいな、そう考えている。出来るか出来ないかはわからないけどね。でもいつの日か、そんなことが、心の中で、パッと輝く日が来るといいなって。現実を見ていると暗い話ばかりでみんな心が荒(すさ)んでしまうから、どこかに明るい希望を当てなくちゃいけないと思っているの。少しでもそのことに貢献できたらなと。少しでもいい、わずかな人たちだけでもいい、そんな感銘を与えることができたら最高だなって」ツバサさんは冷めたコーヒーを口に運んでから、にっこりと笑った。その笑顔を私は終生忘れないだろう。
「私もそのことに貢献したいわ。きっとツバサさんにはできると思う。きっと壮大な理想なんかじゃなくて、たった一人の人でもその心に残る、思わずため息と共に感嘆させてしまうほどの物語を形作ることは可能なんじゃないかとね。心の奥深くへと沈み込んで、必ずある魂の根源に潜んでいる躍動している何か分からない物を掴(つか)んで、みんなの前にさらけ出す。それには時間と労力がかかるかもしれない。でも諦めずに考え続けるなら、必ず見つけ出して白日のもとに知らしめることができるんじゃないかな」私は右手でツバサさんのテーブルに置かれた左手にそっと触れた。ツバサさんは私の手を握った。
「ありがとう。あなたは私の心の友よ。そう今感じた。世界中には人で溢れかえっているけど、こんなにも人を思う心がある人は今までいなかった。こんな近くにそんな人がいるなんてね。私はとても幸せよ。本当に嬉しい。これからが勝負ね。なんだか身体がとっても暖まってきた。筆が進みそう」
「ツバサさん。私にできることがあったら何でも言ってね。あなたの力になりたいの。小説を書くうえで助けになれるかもしれないから。もちろんそれ以外でも相談にのるわ。恋話とかもね」
「私、恋愛なんてここ十年くらいしたことは無いわ。もうすっかり小説が恋人みたいなものよね」
「私も同じ。でも実は旅先の小樽で素敵な人に出会ったの。まだ恋とはいえないかもしれないけど、凄く綺麗にピアノを弾く人だった。その時演奏された曲が心に灯ることがあるの。私は自分で気づいていないけど、これって恋なのかもしれない」私は想像でその彼のピアノを演奏する指を追っていた。何故だろう、今になって気持ちが高ぶってくるなんて。一瞬の出会いだったのに。夕闇のなか、街灯に照らし出された彼の姿が脳裏に浮かんだ。これが恋なのか。ときめき、それが今の状態だ。心の中で大切に暖めよう。いつの日か、その思いが表層に現れるのを期待して。
「みつきさんの気になっている人ってピアニストなんですか。素敵ですね。私、今まで楽器を演奏したことないんで、普通の人と感性が違うんですかね。凄く音に敏感なんでしょうか」
「たぶんね。私も音楽は聞くけど、演奏はからっきし。でも意外と物語を紡ぐことと似たようなところがあるかも。ピアノを弾くときも頭の中に景色が浮かんでいるようなそんな感じがする。ツバサさんもそうでしょ」
「そうですね。イメージを映像化しながらタイプしています。目の前で映画を見ていてそれを写しとるっていう感じですかね。自分でも楽しみながら行っています」
「ツバサさん、今、心の内にある物語の構想を教えてくれる?」私はツバサさんが今、思考の中で小説の題材を探しているか見つけ出そうと思案しているように感じた。
「そうですね、今思いついたんですけど、主人公はお金持ちの家で育てられた十二才くらいの少女で、よくある設定ですけど、父と母は二人とも愛人との関係を大切にしていて、その少女はそのことを知っていて、心に空白を抱えて、学校の担任の女性に打ち明けるんです。でも、実は少女の父親の愛人っていうのは、その少女の担任だったんです。今、そこまで想像でその設定を思い浮かんだんです。その後は家に帰ってから考えようと思います」私はツバサさんの想像力が羽ばたいていけるように願った。彼女の構想が上手くいくように。
「そうね、それで少女の担任はそのことを隠そうと工作する。なんとか少女にバレないようにするけれど、少女はその事実を知ってしまう。そういう感じかしら」
「その通り。それで少女はそのことに触れないで、担任の先生と父との仲を裂こうとする。先生の過去を知ろうとして、先生に近づき、先生と友達のように仲良くなる。なるほど、段々と構想が浮かんできたわ。みつきさん、導いてくれてありがとう」
「編集者は、少しずつでも作家がより良い環境で小説を書くことを手助けすることだもの。そのことを行うことができれば本望だわ」私はツバサさんに信頼されていることを嬉しく思った。彼女が本当の妹のように思えて彼女を抱き締めたいという気持ちでいっぱいになった。
「ツバサさん、あなたが鳥のように翼を広げて飛翔する姿が思い浮かぶわ。必ず小説を完成させてね。あなたにはそれが可能よ。どんな困難な状況にもめげずに飛び回ってね。風を受けて空高くどこまでも、地球の大気を越えて宇宙まできっと行くことができる」
「私、絶対にみんなの心を揺り動かす小説を書いてみせる。まず最初にそのことを可能にするという自信が大切なんだと思う。常に自分の気持ちを研ぎ澄まして、一歩一歩歩んで行くこと。大それたことをするんではなくて、地道に前に進むこと。たくさんの人の為に書くんじゃなくて、たった一人の読者に向けて書くようにしたいな」
「うん、その気持ちって大切だよね。私も例えば大好きで尊敬している人の為に一生懸命働いてその人に認められたいって、そんな動機で働けたらいいなって思うもん。自分のことだけでなく、他の人までをひっくるめる感じってとても重要だよね。私たちは母の胎内にいるのを抜かして結局孤独を抱えているからね。それでなんとかお互いに一体になることを求めている。男性と女性が引き合う、愛を交わすことによって私たちは生まれ死んでいく。今生きていることに刻印を押さないとね。私が生きている証拠をじっくりと考えて日記にしてもいいし、頭の中に大事なことを記憶させることだってできる。とにかく、大切な思い出を増幅させて自分の経験値を上げないとね。きっと心の奥深くにある潜在意識はそのことを知っていて、私たちが必要なものをしっかりと捉えている。だから自分の心と相談して内面を磨くことが重要なんだ。その為には目を覚ますことや、常にアンテナを張って三百六十度全体に意識を集中することが求められる。それってとても大変かもしれない。だけど訓練や努力をかけるようにするならだんだんと容易になるし、意識しなくても、まるで自由に気持ちを現すことが容易になるんじゃないかな。今行うことは集中して真実を探し出すこと。物語の確信を、その中心的なものを見出だすように努めること。そうすればもっとたくさんの人が引き寄せられるように集まって来るのかもしれない」私は飲み干したコーヒーの残り香を嗅ぎ、心が落ち着く感じがした。店員を呼んでエスプレッソをオーダーした。
「私、みつきさんにとっても信頼を寄せています。ほんと、まだ出会って一年くらいだけど、私の亡くなったお姉さんの面影がします」
「お姉さん亡くなったんだ。初めて聞いたわ。ご病気で?」
「はい、癌で。身体中に転移してもう助かる見込みがなくて。でも、最後まで病気との戦いに、気負うことなく、まるで癌が昔からの友達みたいなふうを装っていました。なにか全てを達観したように、病室から見える風景を眺めていました。風が木葉を揺らすと、にっこりと笑って、それがとても嬉しそうなんです。それから私も日常の風景をよく観察することが多くなりました。私、生きているんだって感じるんです。そして生かされているって思うんです。この世に生を受けていろんなことを経験して、いつか死ぬことになるなんて想像もつかないことですよね。ひょっとしたら明日死ぬかもしれないのに、人は自分が死ぬなんて思ってもいない。不思議ですよね。今世界中で寿命が来て、後少しで自分が死ぬなんて、いったいどんな気持ちなんだろうって。死期を知るなんてほんと残酷ですよね。たとえ今までいっぱい、たくさん贅沢をしてきても、その喜びは絶望に変わると思うんです。富めば富むほど人は死ぬときに孤独を抱えて一人で死地に向かって行くんでしょうね。私そう思います。よく死ぬ前に、最後に食べたいものは何?って聞くけど、そんなものは関係なくて、愛する人の抱擁(ほうよう)が、愛する人の笑顔が最後にその人が望んでいることなんじゃないかと感じるんです。私も最後を迎えるとき、そんな自然で尊い、尊厳に満ちた死にかたをしたい」ツバサさんはどこか遠くを見つめて、その浮かんでいる飛翔した、きっと姉の姿を眺めているようだった。
「きっと最後まで諦めずに生ききったんでしょうね。その姿が今でも克明にツバサさんの目には見える、その影響が物語にも影響を与えている。私もそんな素敵な姿をしていきたいな」
「そんな姿勢がそっくりです。でも悲しくはないんです。あまりにも姉の姿が印象的に焼き付いていて、いまだに側に寄り添っているみたいに感じる。亡くなったというよりどこか遠くに旅に出かけたっていう方が近いように思えて。病気にかかって苦しいはずなのに、私が思い浮かぶのは、いつも笑顔でいる姉の姿なんです。何度か私に語った姉の言葉があるんです。たとえ苦しくても今生きていることを喜ぼう、っていう言葉です。だから私も今、生きていることを喜びたい。そうですよね、世界中の人たちに対等に与えられているんですもんね。この生命というものは。どんなお金持ちの人も貧乏で困窮している生活を送っている人たちも同じく一日が加えられている。大切なのはその一日一日を貴重なものとして、いかに用いるかということなんですよね」ツバサさんはキラキラと輝く瞳でとても幸せそうに微笑みながら、力を振り絞るように言った。彼女の言葉には、素直で脚色がなくて、経験したというより、始めから持って生まれた遺伝子に組み込まれてきたというような感じがした。私はそこに学ぶべきものがあると、そして初めてツバサさんと出会ったときのことを思い出した。その時彼女はまだ高校生だった。まだあどけない初々しい姿だったけど、今と変わらない確信というか信念を表情に表していたこと、そしてどこか、一瞬悲しさを、ほんの数百分の一秒だけたたえたこともあったのだった。でも、私の前に座っている彼女はどこから見ても、まるでバレリーナのように優雅に踊ってみせる自信に溢れていた。私はそんな彼女に魅了されて、言葉のダンスに酔いしれて幸せだった。これから先どんな小説を書いていくのだろう、楽しみで仕方がなかった。私も彼女と共に魂の成長を遂げることができるのだろうか。そのことを考えると自然とクスッと笑ってしまった。

しおり