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一章第二節

 途端に眩い光が、掴んだ手から溢れ出し。黒く染っていた手が、元の色に。いや、白く変わっていく。血が抜けきったような白い肌に変わっていく。
「Aaaaaaa!!」
 激痛が全身に走る。腹に何かが刺さったあの時よりも強烈な痛み。全身が、内側から熱い炎に焼かれているような痛み。あぁ、それだけなら良かったのに。目の前で炎が渦巻いている。
 熱い! 痛い!  憎い!
 聖遺物から白い炎が渦巻き、俺の体から黒い炎が渦巻く。
 有り余る憎しみがさらに炎となり、聖遺物の白い炎すらも黒く染めていく。体はさらに焼け、白くなり。聖遺物は憎しみの黒い炎に包まれていく。白い炎と黒い炎が渦を巻き、俺を包み込む。
 内からも外からも焼かれた体には変化が置いていた。灰のように白い肌になった。炭のように黒い鎧が身を包んだ。
 伸びた髪は胸まで届き、真っ白に色が抜けている。そして何より大きな変化は、性別すらも女になっている。視線を下に向ければ胸が見える。身を包む鎧はドレスのようにも見える。
「はぁ、はぁ。くっ!」
 聞こえるうめき声は、透き通った女性の声だ。
 それともう一つ変化があった。神聖な雰囲気を発していた聖遺物は今や黒く染まってしまった。神聖な雰囲気はもう感じない。
 槍を手にし、鎧を着た人がいたら。人はそれを何と呼ぶだろうか。そう、ヒーローと呼ぶ。正義の心を持ったヒーローと。
 だが、あいにく、内に秘めた感情は、正義なんて綺麗なものじゃない。憎しみだ憎悪だ。ヒーローに対する、憎しみが体の内に渦巻いてる。
「あぁ、憎い。憎いわ。ヒーローが憎い」
 口にすればますます、その感情は大きくなっていく。
「ヒーロー、いるわね。外で戦ってるはずよ。憎いなら、そう。殺さないとね?」
 手にした槍を、杖にして立ち上がる。体を見れば、鎧に覆われている。甲冑というには線が細く、硬そうなスカートの様な物もついている。ドレスの様な鎧が一番しっくりくるかもしれない。
 兜越しでも周りがよく見える。体の調子も悪くない。仕事であれだけ酷使していたにも関わらずだ。
 槍をふるってみても、特に違和感はない。一度も使ったことはないが、手になじんでいる。ヒーローというのは、こういうものなのか。
 いや今ヒーローを殺そうとしている奴が、ヒーローなわけがないか。悪役がふさわしい。
 嫌、駄目だ。いくら憎かろうが殺すことだけは。意識を強く保たないと、憎悪に感情が流されそうになる。
 大穴の空いた壁まで歩く。あのヒーローが外で戦っているはずだ。
 そこから見える風景は、荒れていた。建物は半壊しているか、完全に崩れているものもある。そして、いまだにフリアージと、ヒーローの戦いは続いていた。いくら何でも長すぎる。
 ヒーローが一人いればフリアージ百体と同時に戦えるといわれている。それくらいヒーローの力はフリアージと比べても強い。
 なのに、今そのヒーローが、一体のフリアージに苦戦している。どれだけ大きなフリアージだろうと、一体だけなら十分戦えるはずなのに。
 目はヒーローをの姿を追っていた。ヒーローを憎む気持ちがまだ残っているからだろう。
 今の俺に何ができるだろうか。戦いなんてしたことがない。それこそ、命のかかった戦いなんて予想もしてなかった。
 助けることのできる力があるのに、助けることができないのか。もう誰かが死ぬのを目の前で見るのはごめんだ。だが実際に助けるとなると、俺には難しい。
 だから、この憎悪に身を任せてみることにした。ヒーローを殺そうとしていた時のあの状態なら、戦えるかもしれない。だけど、そのままじゃヒーローを殺しかねない。
 だから憎む相手を変える。妻を殺したのはヒーローかもしれないが。そもそも、フリアージが現れなければ死ななかった。だから憎む相手はフリアージだ。そう強く思い込んだ。
 ヒーローを追っていた目は、フリアージを見つめていた。成功した……のか。
 少しだけ、憎悪に身を任せてみる。
 その瞬間、足は床を蹴り出し空を舞っていた。ただ床を蹴っただけで。向かっている方向は、フリアージの方向。
 このまま、身を任せよう。そうすればきっと助けれる。
 屋根の上を蹴り、フリアージに近づいていく。
 あと一蹴りすればフリアージに届く距離で、跳躍した。手にした槍を両手で逆さに握りしめ、そのままフリアージの上から腕に突き刺す。
「Gyaaaaaaaa!!」
「誰だ!」
 心配してくれるのはうれしいが、話しかけられると憎悪に意識が持っていかれる。
 大きく腕を振るわれ槍が抜けてしまった。
「目ざわりだから黙っててくれる?」
「なっ!」
 目の前にいるフリアージはとにかくでかかった。それでも不思議と恐怖心はなかった。それどころか憎しみがわいてくる。フリアージのせいで妻は死んだ。フリアージが居なければ今頃俺は……
「あぁ、ほんと憎いわ。憎い憎い憎い。憎いから……死んでくれる?」
 右手に持った槍を地面に突き立てると、フリアージの足元から黒い槍が突き出す。
足を地面に縫いつけられ、もがいてはいるもののその場からフリアージは動けない。
 黒い飛沫が傷口から流れ出るが、ひるむ様子もない。
「お前はさっきの」
 ヒーローが何かを言ってるが。返事をしてる余裕はない。
地面に縫いつけたと言っても一時的な物。そのうち動けるようになる。
「刺してもだめなら、燃えてしまえばいいわ。憎悪の炎に焼かれなさい」
 槍に巻き付いていた何かが広がる。それは旗だった。旗から、黒い炎が燃え広がり、フリアージを包む。
 黒い炎は、憎悪の炎。消えることのない、憎しみの炎。それがなぜだかわかった。
「Gaaaaaa!!」
 黒い炎に包まれたフリアージは苦しんでいた。槍に刺された程度じゃひるまなかったのに。
 勢いを増していく炎は、フリアージを燃やし尽くし何も残さなかった。
 ヒーローが弱らしていたから勝てたのか、相性が良かったのか。よくわからない。
「凄いじゃないか! ヒーローになったばかりとは思えないよ。俺は」
「うるさい」
 握手をしようと、手を伸ばしてきたその手を払いのける。フリアージを倒した、憎む相手がいなくなった。行き場をなくした憎しみは、どこに行く?
「殺すわよ?」
「なっ!」
 ヒーローの足元から槍が突き出し、後ろに下がったヒーローが剣を構える。この感情を抑えないと、本当に殺してしまう。
「私は、ヒーローが憎いのよ」
「何を言ってるんだ。君だってヒーローじゃないか」
「そうね、滑稽な話だわ。ヒーローが憎いのに、ヒーローになるなんて。でも、私がヒーローに見えるのかしら」
「それは」
「それが答えよ」
 憎悪の炎がヒーローと私の間に壁を作る。
「待ってくれ!」
 炎の壁の向こうでヒーローが叫んでいる。
「さようなら。もう会うことはないでしょうね」

 ヒーローを殺したいとうごめく憎悪を押し殺して、崩れた建物の上を駆け抜ける。追ってくることはできない、炎の壁がヒーローを囲んでいるから。
 徐々に、形ある建物が増えていき。気づけば家々には光が付き、生活の音がしていた。現実の世界に戻って来た。だが、これからどうする。俺はもう俺ではなくなってしまった。
「おかえりなさい」
 どうにも聞きなれた男の声がした。
「誰っ!」
 目の前には誰もいない
「後ろですよ」
 振り向けば、そこには俺がいた。男だった俺だ。見間違えるはずがない、数十年毎日見た顔だ。
「あんた誰。なんで私がいるの」
「それを答えてもいいですが。ここでは人目に付きますから、家で話しませんか」
 自分の声で自分の姿をしているのに。中身は別人だ。俺がここに居るからな。信用してもいいのか、疑問が残るが。
 槍を持ち、鎧を付けたままここで話すのも問題だ。ここは、おとなしくしたがった方がいいか。
「さっさといきましょ」
「そんなに急がないでください。家の鍵を持ってるのは私ですよ」
「なら鍵をよこしなさい」
「いやです。ほら行きますよ」
 俺の姿をした誰かの足取りは確かで、すぐ家に付いた。
 
 先に家に入った俺が、玄関で待っていた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 十年、十年だ。十年間、誰も帰りを待ってくれる相手がいなかったのに。俺が「おかえりなさい」て言っている。おかしな話だ。
 俺の姿をした誰かは、リビングの椅子に座り。俺は壁に寄り掛かってる。邪魔な兜を脇に抱えて。鎧を着たままじゃ椅子になんて座れないからな。
「それじゃあ、お話ししましょうか」
「なんで私の姿をしてるのよ」
「そうですね、そこから話しましょうか。この体も、あなたのその体も。どちらも防人(さきもり)枝垂(しだれ)という人間の体です」
 防人枝垂、それが目の前にいる俺の名前だ。だからこそ、この女の体も、防人枝垂の体ということがわからない。
「あなたは、あの空間でフリアージの攻撃を受けました。腹部に直撃したその攻撃は、徐々にあなたの体を蝕んでいきました」
 体が黒くなっていったあれか。
「そしてヒーローが来る頃には完全に侵食され、フリアージになっていました」
「待ちなさい。どういうことよ」
「あなたの体は、フリアージになっていたのです。それも、ヒーローが来る前から。しかしあなたは、意志の力だけで、フリアージになった体を抑えていました。普通の人間であれば不可能なことです」
 あの時すでに、フリアージになっていた?
 じゃあこの体は、それに目の前にいる俺は何なんだ。
「話を続けますね。そしてヒーローが居なくなると。あなたの目の前に聖遺物が現れて、あなたはそれをつかんだ」
 そう、そして体が内側から燃えているような激痛に襲われた。
「聖遺物の力で、フリアージになっていた体は浄化されていきます。しかし、フリアージの力が強すぎて、逆に聖遺物は浸食されていきます」
 この体になるときの話か。
「そしてあなたの身体は、浄化された身体と、フリアージの体に別れてしまいました」
「待って、別れたってどういう事よ」
「そのままです。あなたはフリアージの体でフリアージを倒しに行きました。後ろを見なかったので気づかなかったかもしれませんが、後ろには浄化されたあなたの体があったのですよ」
「じゃあ、あなた誰よ」
「私は、元は聖遺物に宿っていた意志。聖遺物が侵食され追い出されてしまった存在です。聖遺物という入れ物を失った私は消えてしまう。だから、あなたの置いていった体の中に入りました」
「元はこの聖遺物の中に居たっていうの」
黒く染まった槍を見つめる。
「はい。ちゃんと名前もあるんですよ。聞きたいですか?」
「聞いてあげるわ」
「オルレアンの乙女。ヒーロー(英雄)としての名前はジャンヌ・ダルクと言います」
「じゃあ、この槍は」
「私が使っていたものですね」
「この姿は」
「生前の私によく似てますね。肌と髪の色は違いますが」
「じゃあ何、ジャンヌダルクの意志が防人枝垂になって。防人枝垂の意志はジャンヌダルクになったていうの」
「そういうことですね」
 馬鹿げてる。けど、目の前に自分の顔で、声で、言われたことが嘘だと思えない。
「私の体返しなさいよ!」
「返しますよ。もともとそのつもりでしたから」
「そ、そう。早くしなさいよ」
「手を出してください」
「これでいいの」
 差し出した手に俺が手を重ねると、意識が、視界が吸い込まれ。目の前に女が立っていた。ただ髪色も肌の色も変わっていた。
「これで戻れましたね」
「お前、姿が」
 白かった髪と肌の色が変わっていた。薄いブラウンと健康そうな肌に。それに来ていた鎧も、布の占める割合が多くなり、ドレスの一部に胸当てや小さな防具がついているような。そんな姿になっていた。
「ジャンヌで良いですよ。これは元々の髪色と肌の色です。鎧もあんなに硬そうなものではなかったんですよ。おそらくフリアージの力は枝垂さんの魂に付随してるみたいですね」
「まて、俺はどうなってるんだ。肌の色は変わってるようには見えないが。髪はどうなってる」
「ちょっと白っぽくなってますね。大丈夫ですよ、白髪に見えるだけですから」
「まあ、それくらいならいいか」
 どうせ見る相手は男連中ばかりだ。営業をする訳でもない。見た目に気を使う必要も無い。
「早速これからのことを話したいのですが。その前に着替えはありますか、鎧を着たままだと色々動きづらくて」
 確かに、椅子にも座れないし。動きずらいだろう。
「妻の部屋に、服があるはずだ。付いて来てくれ」

 この家は元々妻と暮らすために建てた家だ。ローンを組んでな。今じゃローンも支払い終わって、一人だけで住んでた。今は一人じゃないわけだが。
「ここだ、服はクローゼットの中だ」
 ジャンヌが妻の部屋に入っていく。
 それにしても、妻以外の女性を家に入れて。妻の部屋に入らせるなんてな。いや、そもそも妻の遺品を十年もそのままにしている俺も俺か。
 何度か捨てようと部屋に入ったが、結局捨てることもできず一日を妻の部屋で過ごすんだ。
 部屋に入った時は、掃除だってしてる。部屋の主が帰ってくることなんてないのに。
「お待たせしました」
「ああ……」
 ジャンヌが着てきたのは妻がお気に入りの部屋着だと言っていた洋服だった。ジーンズにティーシャツという楽な格好。
 仕事中はピシッとした服を着てるから、家にいる時くらい楽な格好がいいと。そう言っていたことを思い出す。
「泣きそうですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、少し昔を思い出しただけだ」
「奥さんのことですか?」
「そうだ。ほら着替えたんだ、これからのことを話そう」
 場所をリビングに移した。
「麦茶でいいか」
「はい」
 パックを急須に入れてお湯を入れコップに注ぐ。来客用のコップなんてないから、妻のものだったコップを使う。
「ふぅ。とりあえず、私ここに住んでもいいですか?」
「行く宛てなんて無いだろうからな」
 一人で住んでいた家に、同居人が一人増えた。
「じゃあ次ですね。世界教会ことですが。ヒーローになりたいですか?」
「なりたくはない」
「ですよね、ヒーローのこと嫌いみたいですし。でも世界教会は私たちを探してくるでしょう」
「新しい戦力の確保か」
「はい。実のところ、フリアージの力は年々強くなっていますから。新たなヒーローは世界教会が今一番欲しているものです」
 世界教会は簡単に言えばヒーロー達を抱える組織だ。フリアージが現れ始めた頃から存在していて、ヒーローたちの支援とか聖遺物の管理とか色々やってる。表舞台に出てきたのはここ数十年の話だ。
「聖遺物は力を失っていますから、聖遺物の力を追って見つけることはできません。ですが、世界教会は色々な場所に目を持っています。なので見つからないためには、私はこの家を出ない方がいいでしょう。枝垂さんも面倒ごとは避けたいですよね」
「そうだな、じゃこの家を出てって」
「わーわーわー!」
「冗談だ」
「無表情で言わないでください。枝垂さんのは冗談に聞こえないですよ!」
「よく言われる」
 冗談をいえば本当だと思われて、本当のことをいえば冗談だと思われる。ほとんどこの顔のせいだ。
「まだこの体にいた時のほうが表情豊かでしたよ」
「その体にいるときは感情の制御が難しいんだ」
「奥さんを殺したヒーローに対する憎悪ですか。すみません、浄化する時記憶みちゃいました」
「そうか。その通りだよ」
「本来ならあり得ないことなんですけどね。民は私たちにとって守るべき存在なので」
「あのヒーローにとってはそうじゃなかったみたいだけどな」
「そうみたいですね。って話が脱線しましたけど。私はこの家から出れません。そしてご飯も必要です」
「ただ飯くらいか」
「家事くらいはしますよ。失礼ですね」
「わかった。まあどうせ金は余ってるんだ。通販で買いたいのがあれば買っていいぞ。だだし二万までだ」
「いいんですか。見つかる危険が増しますよ」
「ああ。どうせずっとは隠し切れないからな。それにヒーローなのはジャンヌだろ。その体といったほうが正しいかもしれないけどな」
「それはそうですね」
「となればヒーローとして戦うのはジャンヌってことになる」
「私を生贄にする気ですね!」
「人聞きの悪い。ヒーローも立派な仕事だろう。働かざる者食うべからず。それまでは養うさ」
「確かにこの体なら戦えますけど。能力が使えません」
「能力?」
「聖遺物としての力は、フリアージの力に浸食されたことで反転しました。黒い炎がそうです。あれは憎しみがないと使えませんから。今の私にできるのは、槍を地面から突き出すくらいです」
「十分じゃないか?」
「使い勝手はいいですからね」
「ならそれでいいだろ」
 無言の時間が続く。ジャンヌも、俺も。見つめあうだけで何も言わない
「気まずすぎますよ、なんですかこの空気は」
「とりあえず見つかったときはジャンヌが戦ってくれ。俺はそもそも戦闘するのに向いていないんだ」
「わかりました。でも、もしもの時は助けてくださいね」
「それは約束する」
 ぐー。
 ジャンヌがお腹を押さえて、恥ずかしがっている。
「そういえば晩飯がまだだったな」
「すみません」
「別にいいさ。と言ってもカップ麺しかない……」
「どうしました?」
 二日酔いみたいに頭がガンガンして、視線が定まらない。
 額が痛い、目の前が真っ暗だ。
「し…………で……か」
 ジャンヌ、何言ってるか聞こえない。
 すごく眠い、そうか、仕事終わりで寝るんだった。寝る……か。


しおり