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一章の七 一華の部屋の中。

 掃除機を掛けた後。ただでさえ、それまで殺風景だった一華の部屋は、なおさら物が置かれなくなった。

「いつ何時でも出て行ける」が、一華の部屋のコンセプトになっている。
 高校一年の春。いや正確にすれば、高校入学前の冬に、父親の商売が傾いた。
 今にしてみれば、本当のところは分からないが、持ち家を取られる寸前まで追い詰められたらしい。
 当時の一華は、親戚か誰かから、深刻な状況を知った。進学校に通ったが、おのずと大学進学は諦めた。
 経済的危機は、一時期の深刻さを脱したが、高校卒業後に、今の会社に入社した。
 今現在も家族のために、それなりの金を入れている。
 つい最近母親が、「もう大丈夫だから、これからは自分のために」と言い出す。一華は「今更なんだ」と、頑固一徹、拒否をした。
 とにかく後遺症が残った。いつ、家から投げ出されるか分からない。部屋に物が置けなくなった理由は、はっきりしていた。
 ただ今回の部屋掃除で、なおいっそう物が置けなくなった理由は、別にある。


 片づけた物は、ヤマト急便の段ボールに詰め込んだ。
 すべて、三段本棚に収納されていた物で、ご当地キティ・グッズのストラップや、尾藤公季のCDや関連の品物ばかりである。後は、目に触れないように、押し入れの奥に詰め込むだけだ。
 これで一華の部屋は、小さな洋服ダンス、ほぼ空っぽになった三段本棚の上にある古いCDラジカセと、CD二枚。それと、折り畳み式の一人用座卓の上の、ノートパソコンがあるだけとなった。
 部屋掃除が終わった辺りで、洋服ダンス内から携帯電話の音が聞こえる。昨日、会社から帰って、鞄の中にしまい込んだままだった。
 急いでタンス扉を開き、鞄の中から携帯を取り出す。「キイちゃん」と表示されている。尾藤公季からだった。
 一華は、出るか出まいか、大いに悩む。呼び出し音が十を超えても、迷う。
呼び出し音が、二十近くで鳴りやんだ。一華は後悔をする。
 またすぐに、呼び出し音が鳴る。呼び出し音が二つ鳴る前で、一華は電話に出た。

「俺だけど、今、大丈夫?」

 公季の遠慮ぎみの声だった。

「何か、あったの?」

 一華は、必要最小限の返事をした。話をしたいような、話をしたくないような、微妙な心情になっている。

「今、福岡にいるんだよ」

 公季は、すごいでしょ、とでも言いたげだ。電話越しでも、よく分かる。

「仕事は順調なの? 仕事中でしょ? こんなところに架けてきたら、駄目だよ」

 一華は、「私に電話している場合じゃないでしょ」と突き放す。この頃の電話でのやりとりでは、必ず飛びだすフレーズになっている。

「今日は、大丈夫なんだな、これが。今から帰るところなんだ。ちょっと買い物できる時間もあるから、なんか、欲しい物ある?」

 公季は、引き続き高いトーンを維持した。

「何もないよ」

 一華は、いつもどおりの返事をする。「土産欲しいのある?」のくだりも、ここ最近の電話では、結構な頻度だ。

「そう言うと思ったから、また買っておいたよ。ご当地キティのストラップ」

 結局、「買っておいたよ」という筋道も予想できた。
 一華は、公季に悪いと思った。さすがに、つい最近の会話の内容が重複しすぎている。何か、別の話はできないものかと、無理に用意する。

「今度また、東山に連れて行ってよ」

 正直なところ、当分は行きたくない。前回、偶然にも、蔦文花と遭遇した。結局あの日は、一華の仮病で早々に帰った。

「本当に? だったら今度、休みがとれたら絶対に行こう」

 公季は、小さい子供が父親に確認するみたいにはしゃいだ。

「ごめん。また後で電話するね。頭痛がひどくなってきた」

 大丈夫? という公季の心配を遮って、急に一華は電話を切る。頭痛だなんて、ちゃちな理由しか思いつかなかった。とにかく、公季との会話が苦しい。
 ただでさえ優男なのに、変に引け目を感じて、いっそう優しくしてくれる。本当に、胸が締め付けられた。
 一華は、三段本棚の上にあるCD二枚のうち、上に重なっている『あなたがいたから』というCDを手に取った。CDのジャケットは、素朴な尾藤公季が、ギターを持ってこっちを見ている。
 一華は、じっと眺めてから、今度は三段本棚の上にある、もう一枚のCDを入れ替えて手にした。ジャケットは、どこかのモデルの後ろ姿を遠目で撮影されていて、タイトル『文子』が、白字で印字されている。
『あなたがいたから』は、公季のデビュー・シングルで、一華が最も大切にしている作品だ。
 ちなみに公季の二枚目、三枚目のシングルCDは、段ボールの中にある。デビュー・シングルがパッとせず、プロデューサーがテコ入れした二作品だが、それらも売れ行きはよくなかった。
 四枚目は、背水の陣を言い渡された。駄目なら、おしまいだったらしい。
 公季は、一華に愚痴った。「もうネタがない」と。一華は、「高校のときに作った曲があるでしょうが」と、とっさに口をついた。で、発表された作品が、『文子』になった。
 一華は、本当は、『文子』を押し入れにしまいたい。ただ、あからさまにしまったら、意識しているように思えた。だから、三段本棚の上に『文子』を置き、『あなたがいたから』を重ねてカムフラージュしていた。
 一華は、『文子』のジャケットを眺めていた。見れば見るほど、ジャケットのモデルが蔦文花に見えてくる。そもそも『文子』は、文花を想って、公季が高校時代に作曲した。
 一華は、『文子』のCDを床に置き、右拳を上に据えて、ゆっくりと下に圧力を加える。そのまま圧迫して、押し潰してやりたかった。

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