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愛美さんに連れられ銀翔街通りのカフェに入った。愛美さんはブレンドコーヒーを、私はカフェラテをそれぞれ頼むとお互いに無言で1口飲んだ。

「あの……それで話って?」

無言が耐えられなくなった私は愛美さんの顔色を窺う。さっさと話を切り上げて会社に戻りたい。

「あれから直矢と電話で話をしました」

「え?」

この間は直矢さんが電話に出てくれないと言っていたのにどういうことだ。

「でも私の気持ちをちゃんと聞いてはくれませんでした」

愛美さんはテーブルに置かれたカップをじっと見て言った。

「直矢はもう私に気持ちはない。その一点張りでした」

愛美さんの話が理解できなくて首を傾げた。直矢さんを振ったのは愛美さんの方なのに、今になってどうして直矢さんにこだわるのだろう。

「私、直矢と別れてから新しい恋人と付き合って……でも違うんです。直矢とは全然違う」

「………」

「直矢が私にとってどれだけ大事な人なのか別れてから気がついたんです」

「自分勝手ですね」

先日の直矢さんと同じ言葉を思わず口に出してからはっとした。それは私の本音だけれど、あまりにも無意識に口にしてしまった自分に驚いた。

「直矢を動揺させているのは自覚しています……」

愛美さんは真顔で答えた。自覚しているのなら潔く身を引くべきだ、と私は怒りが湧いた。

「私が言える立場ではないですが、武藤さんと再会した途端に復縁したいと申し出てくるのは虫がよすぎるのではないでしょうか」

私の指摘に愛美さんは目が泳いだ。私は自然と喧嘩腰になっていた。今ものすごく嫌な女だと自覚はある。でも偶然再会しただけなのに今更よりを戻したいだなんて、そんな話受け入れられない。

「直矢とは結婚も考えました」

「それは聞いています。でも別れを切り出したのは愛美さんだとも聞いています」

愛美さんは目を伏せた。その仕草はとても妖麗だ。女の私だって目を奪われる。

「怖くなったんです。私の気持ちが追い付かないほど早く結婚に向けて準備をする直矢が。私だけおいていかれるような気になってしまった……」

想像できた。直矢さんが愛美さんをどんなに好きで、どんな思いで結婚の準備をしていたのか。今の直矢さんに愛情をぶつけられている私には直矢さんの気持ちもわかるけれど、愛美さんの戸惑う気持ちもわかってしまった。

「直矢の好きの大きさと私の好きの大きさが違う。その差がどんどん広がっていくようで辛かった……」

この気持ちもわかってしまった。自分自身の整理がつく前に直矢さんは大きな愛情を与え続ける人だ。

「直矢ほど私を愛してくれる男なんていなかったのに……」

私も同じ思いだ。直矢さんほど私を愛してくれる人はこの先の人生にはもう現れないだろう。

「直矢と別れた後に付き合った恋人は私との将来を真剣に考えてくれる人ではなかった……そのときやっと後悔しました。直矢を捨てるなんてバカなことをしたなって」

そこまで私と同じだと驚いた。恋人と結婚を望んでいたのに相手は自分のことを真剣に考えてくれなかったことが。
だからって元カレに復縁を迫るなんて図々しい話だ。愛美さんは自分勝手でずるい。今直矢さんは私と付き合っているのに。

「それで、私にどうしろと?」

愛美さんは私に直矢さんへの思いを聞かせて何をしたいのだろう。

「それだけです」

「え?」

「私の気持ちだけ知っておいてほしくて。戸田さんに」

愛美さんの言葉を聞いて理解した。この人は私が直矢さんと付き合っていることに気がついている。直矢さんの今の恋人だと知った上でこんな話をしているのだ。頭が真っ白になる。目の前の女性が恐ろしくて動けない。

「1度は結婚を考えたから、もう1度やり直そうって直矢に訴えたいんです」

「………」

「許してくれるまで、何度でも。もう1度私のことを想ってくれるかもしれないから」

「………」

「そうして結婚したい」

口をパクパクさせたまま何も言えない私に愛美さんは挑戦的な目を向けてくる。

「宣戦布告だって言いに来ました。お話は以上です。お時間とっていただいてすみませんでした」

愛美さんは立ち上がると「失礼します」と言ってテーブルに置かれた伝票を持ってカフェを出ていった。残された私は放心状態で座ったまま動けない。愛美さんのあまりの態度に引いてしまった。一方的に話をされて直矢さんへの想いを聞かされていい気分ではない。私は今愛美さんから直矢さんを奪うと言われたようなものなのだ。
あの人が直矢さんが結婚を考えて振られた女性かと思うと意外でもあった。恋人として接していた2人の生活が想像できない。愛美さんは直矢さんと別れてから変わったのかもしれない。

直矢さんと順調に付き合っていけると思っていたのに、正広のときのように他の女性に奪われてしまうのではないかと怖くて堪らない。こんな不安は予想外だ。
直矢さんが1度は結婚を考えた人。冷たく接してもあんな魅力的な人にもう1度やり直したいと懇願されたら、直矢さんもなびいてしまうかもしれない。ライバルが愛美さんだなんて勝てる気がしない。私に愛美さんに勝る魅力があるとは思えない。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



愛美さんが本気で直矢さんとやり直したいと行動したら、愛美さんのもとに行ってしまうんじゃないかとずっと不安な毎日だ。1度恋人を失ったから、私はまた恋人に離れていかれるのが怖い。直矢さんは私の前では笑顔でいてくれるけれど、私はうまく笑えているか心配だった。

2人で食事をした帰り、直矢さんにマンションまで送ってもらうのは恒例になった。人気のない住宅地で別れのキスを交わす。そうして私がマンションに入るのを直矢さんは見届けてくれるのだけど、今夜はキスをしたあとに私から直矢さんに抱きついた。

「美優?」

ぎゅうぎゅうと抱き締める私に直矢さんは心配そうに声をかける。

「直矢さんと離れるのが寂しいです……」

「またいつでも会えるのにですか?」

答える代わりに私は背伸びをして直矢さんにキスをした。
愛美さんと会って以来いつ直矢さんを取られてしまうのか不安で仕方がない。必死で繋ぎ止めないと私は今度こそ傷付いて立ち直れない。私の頭を優しく撫でる直矢さんを手放したくない。私はもう直矢さんなしじゃ生きていけない。

「直矢さん……私の部屋でお茶していきませんか?」

「え?」

「美味しいフルーツティーを買ったんです……」

精一杯言葉を絞り出して直矢さんを引き留める。先ほど飲んだワインのアルコールが私を大胆にする後押しをした。

「では、ご馳走になります」

直矢さんは微笑んだ。
マンションの扉を開けて目の前の階段を上る。私たちは手を繋いだまま言葉を交わさない。誘ったのは私なのに直矢さんを家に招くのは緊張する。
2階にある私の部屋は階段を上った目の前の部屋だ。カバンの中から鍵を探すのにいつも以上に手間取り、鍵穴に差し込む瞬間がこんなにも緊張したのは初めてだ。

「どうぞ……」

「お邪魔します」

直矢さんを玄関に促してあとから部屋に入り、直矢さんが靴を脱いだとき後ろから抱きついた。

「美優?」

直矢さんは振り返って私と向かい合った。

「今夜はいつもと違いますね。どうしたんです?」

直矢さんはなんだか楽しそうな声を出す。

「すみません……私……」

大胆な行動とは反対に声に力がこもらない。直矢さんに触れていたくて、愛されていると実感したくて堪らない。私は靴を脱ぎ再び勢いよく直矢さんに抱きついた。

「美優……」

私の名を呼ぶ唇を塞いだ。背伸びをして唇を求める私を直矢さんは驚いてはいるけれど拒絶しない。唇を啄んだままネクタイを緩めにかかった時に直矢さんはやっと焦り始めた。

「美優……ちょっと待って……」

私の両腕を掴んで下ろした直矢さんは私の頬に手を添えて顔を優しく引き離す。

「何かあったのですか?」

私を見つめる直矢さんの視線から逃れるように顔を伏せた。

「何も……何もなくても求めちゃいけませんか?」

「大歓迎ですが、今日の美優はいつもと違いますね。僕はそれが気になります」

「………」

愛美さんのことを言うべきだろうか。でも私が愛美さんを意識しているなんて直矢さんには知られたくない。私も女として、直矢さんの恋人としてのプライドがある。

「私、いつも直矢さんに愛情を与えられてばかりだから……今日は私からって思って……」

私から直矢さんに何かをしてあげられたことはなかった。だから今夜は私が愛情を注ぐのだ。

「その気持ちだけで僕は十分幸せです。美優からだってたくさん愛情をいただいていますよ」

「そうでしょうか……」

「仕事もプライベートもそばにいられるだけで幸せです」

仕事で大したことはできていない。プライベートも私は完全に自信を失っている。直矢さんの気持ちを繋ぎ止めておけるほどの魅力を私が持っているとは思えない。

「なので今夜は帰ります」

「え? 帰ってしまうんですか?」

「僕は美優が不安に思う原因を取り除いてからでないと美優を抱けません」

この言葉に首を傾げた。

「美優が焦って僕に抱かれようとしているのがわかります。僕は美優が大事だから勢いで抱いたりはしない」

顔が赤くなる。直矢さんには私の思っていることが全部お見通しで恥ずかしい。

「心配しないでください。僕は美優を守ります」

「はい」

直矢さんの深い愛情を感じる。直矢さんが好きで好きで堪らない。だからこそ、今の幸せが壊れてしまわないか不安になる。

「僕は美優を愛しすぎて美優が離れていかないか不安です」

「離れるわけないじゃないですか」

私の答えに直矢さんは複雑そうな顔をした。直矢さんも恋愛に臆病になっている。恋人に離れていかれたトラウマは簡単には消えない。だからこそ、こんなに心を満たしてくれる直矢さんに私から離れるわけがない。愛美さんの言うとおり、こんなにも自分を愛してくれる男性はいない。直矢さんから離れていった愛美さんは愚かだ。

「それにしても、今度は美優から迫ってくるなんて社員旅行のときとは逆ですね」

「本当ですね」と私は笑った。

あのときは直矢さんが怖くて近づくのも嫌だった。今ではずっと触れていたいと思う日がくるなんて想像できなかった。

「誘惑してくる美優は最高に可愛かったですよ」

耳元で囁かれて私の顔は赤くなる。「もう!」と照れて直矢さんの肩を軽く叩くと、微笑んだ直矢さんに唇を奪われる。

「僕の心は全て美優のものです。それは疑わないでください」

キスの合間に唇から漏れる愛の言葉に私は荒く息を吐きながら「はい」と精一杯答えた。





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