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「すみません、じゃあ失礼します」私はその後、きちんとお辞儀をして出口に向かった。

 先生や保護者委員会の大人の人たちは、微笑みながら会釈を返してくれたけれど、私は入ってきたときのように微笑みを返したりはしなかった。

 そのかわり、ドアのところでふり向き、マーガレット校長先生をまっすぐに見て、言った。「先生、学校のキャビッチ畑からキャビッチを一個、持って帰らせていただけますか」

「え?」マーガレット校長先生は眉を持ち上げたが「ああ、ええ、どうぞ」とうなずき、それからすぐに「ああだけどそれを、何に使うのかしら? まさかとは思うけど、その」と言ってまわりの先生たちや大人の人たちをきょろきょろと見回す。

「練習です」私ははっきりと答えた。「マハドゥかエアリイか、ほかのキャビッチ技の」

「ああ、そうね」マーガレット校長先生は何度もうなずき「でも、どこで?」と、いまやすっかり真顔になってまたきいた。

「たぶん」私は少し考えた。「森の中か、海岸で」

「ああ、そう」校長先生だけでなく、そこにいた大人全員がなぜかほっと安心したように肩を落とした。「そういうことならば、もちろん好きなだけ持ってお行きなさい」ふたたび、にっこりと微笑みをフッカツする。

「ありがとうございます。失礼します」私はもういちど、きちんとお辞儀をして職員室を出て、畑に向かい、自分の手のサイズにぴったりのキャビッチを選んでポケットに入れた。

 それから箒にまたがり、上空へと飛び上がる。

 どこへ行くべきか。

 海岸なのか、それとも森の中なのか。

 それは、箒がその感性で決めてくれるだろう。

 私が唱えるべきはただひとことだけだ。

「ユエホワ」私はそう言葉をかけた。

 箒はたちまち向きをさだめ、元気よく“そこ”へ飛びはじめた。



 後から考えると自分でもふしぎなほどに、私は怒りにまかせて泣いたりわめいたり、金切り声をあげながら髪をかきむしったり、いっさいしなかった。

 だけどそれは、何の感情も持っていなかった、ということでは、決してない。

 ただそのときの私には、これから自分が、なにを目的としてなにに対してどう行動するか、その道すじがはっきりと、気持ちのいいくらいクリアに見えていたのだ。

 箒が降下しはじめたのは、“一回目”のときと同じ場所、ピンクの砂浜がひろがるチェリーヌ海岸だった。

 ユエホワは、そこにいた。

 これも“一回目”と同じで、彼は波打ち際にたたずんで、腕を組んでなにか考えごとをしていた。

 私はその十メートルほど後ろがわに降り立った。

「お帰り」ユエホワはふりむいて声をかけてきた。「よく学んできたかね」口もとをひろげて笑う。

「二回目なんだけど」私は「ただいま」のかわりにそう言った。

「何が」

「あなたが」私はぴしっと緑髪鬼魔を指さした。「あたしに大うそのうそっぱちを教えて、それをみんなの前で話させて、あたしがみんなに大笑いされるの、今日で二回目なんだけど」

「――」ユエホワがふいに、口をおさえて体を半分に折るかのように前かがみになったので、私は一瞬はっとした。

 また、妖精?

 ていうか、アポピス類?

「あーっはっはっはっはっ」けれど次の瞬間、ユエホワがこんどは空を見上げて体をそらしながら大きな声で笑い出したので、私はまたはっとして半歩しりぞいた。「あーおかしい最高」私がなにも言えないでいる中、悪徳鬼魔は涙を拭きながら肩をふるわせて――さっきの職員室にいた大人たちと同じように――笑いつづけた。「てか別に、みんなの前で話せとか俺言ってねえし」さらに笑う。

 私は無意識のうちに、そして当然のこととして、学校の畑からもらってきたキャビッチを手の上にとり出した。

「お、くるかリューイ」ユエホワは体の前にすっと腕を立てて目を細めた。「いつまでも俺におなじ魔法が通用すると思うなよ」

「リューイなんか使わない」私も目を細めた。「あんたなんかふつうのストレートでじゅうぶん倒せるし」

「へえ」ユエホワは少しむっとしたような顔になった。「大そうな自信家だな」

「あやまるならゆるしてあげるかもだけど」私はユウヨをあたえてやった。「うそついたこと」

「あっれ」ユエホワはぷいっと横を向いた。「俺これまでも何回か忠告したことあると思うけど」

「なにを」

「人間のくせに鬼魔の言うこと本気で信じてどうすんだ? って」

「――」

「もう忘れちゃったのかな」悪徳ムートゥー類はまた私を見てにやりと笑った。「まあお子様には特別に、もっかい言ってやろうか。人間のくせに鬼魔の言うこと本気で信じて、どうすん」

 私はキャビッチを投げた。

「だっ」ユエホワは瞬時に両方の前腕を顔の前にもってきて、その腕にキャビッチが猛スピードでぶつかった。「いだーっ」前腕を立てたままユエホワは悲鳴をあげた。

 私はごめんともだいじょうぶかともいっさい言ってやらなかった。

「今の、あんま手加減してくれてなかった」両腕をかわるがわるさすりながら、ユエホワは涙目で文句を言った。

「したけど」私は告げた。「手加減してなかったらもうあなたはこの世に生きてないからね」悪徳鬼魔を指さして言いすてながら、私は箒にまたがって飛び上がった。

「くっそ……スピードもかなり上がってきてるよな……なんとか回避……」ユエホワはまだ腕をさすりながら、ぶつぶつ言っていた。



 まっすぐ家に向かって飛びながら、私は、マーガレット校長先生や他の先生たち、さっき好きなだけ私のことを笑っていた大人たちに、今と同じようにキャビッチを投げたとしたら、どんなことになるんだろうか、なんてことを、むっつりとしながら想像してみていた。

 学校を追い出されて、子どもだから仕事もさせてもらえなくて、へたをすると罰として鬼魔界へ閉じ込められたりとかして。

 いや、頼めばクロルリンクとかでお店番のアルバイトとかさせてもらえないかな? いっしょうけんめいがんばります、とかって頼み込めば。

 ああ、だけど学校に行けなくなったら、もう、ヨンベとも、いっしょに勉強したりとか、遊んだりとか、おしゃべりしたりとか、できなくなるのかな……そこまで考えると、鼻の奥がくしゅっといたくなって、涙が出そうになった。

 いや、ならないならない。そんなことには。

 だって、先生や他の大人たちにキャビッチなんて、ぜったい投げたりしないから。

 そうだよ。

 あたしがキャビッチを投げるのは、鬼魔、あの悪いやつらにだけだ。

 さあ、気を取りなおして、家に帰って、おやつを食べて、あの妖精の本でも読もう。もちろん子ども向けの薄い方のやつを。

 ちょうど家に着いたとき、ヨンベからツィックル便が届いたのだった。

「ポピー、先生の話どうだった? だいじょうぶ?」

 私はたちまち、笑顔を取りもどすことができた。ほんとうに、持つべきものはやさしい親友だ。

「だいじょうぶだよ。怖い敵にあったとき、どんな気持ちでたたかえばいいのかってきかれただけ」

「えーっ、なにそれ、むずかしい」

「うん(私はこれを書くときカードに向かってうなずいた)。『よくわかりません』って答えた(ちょっと事実とちがうけれど)」

「わかんないよねえ。必死だよね」

「そうそう」

「でもよかった。また明日ね」

「うん、また明日ね。ありがとう」

「ううん」

 そんなやりとりをしながらついでのように母に「ただいま」を言って、二階の自分の部屋に上がったのだけど、ドアをぱたんとしめるのと同時に、私は気づいた。

 あ、そうか。

 大切な人に『無事だよ』って伝えなきゃいけないんだ。

 怖い敵に出くわしたとしても。

 ちゃんと、無事に戻って、心配させないようににっこり笑って『ただいま』って言って。『だいじょうぶだよ』ってうなずいて。

 それを必ずしないといけないって、必ずするんだって、そういう気持ちで闘えば、いいんだよ。

 私はひとり、部屋の中でなんどもうなずいた。

 ああ、そう話せば笑われずにすんだのに!

 あの、性格最悪ムートゥー類のせいで!

 もうにどと、口きいてやらないから!

 私はほっぺたを最大級に膨らませてそう心にきめたのだった。

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