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部屋で本を読んでいると、ふいにツィックル便が上から降ってきた。
手に取ると、それは祖母からのものだった。
「ポピー、ユエホワに会った?」
「あ、うん、会ったよ」私はツィックルカードに向かって返事をし、投げ上げた。
ほとんど直後に、また祖母から返ってきた。
「どうしてうちに来ないのかしら?」
「あー」私は正直に伝えるべきかどうか少し迷ったけど、やっぱり伝えることにした。「ハピアンフェルに会いたくないって、言ってた」
「あらまあ」祖母はそう返事してきたあと「アポピス類については、何か言っていた?」ときいてきた。
「なにも、言ってなかった」私は、今日の朝からついさっきまで、ユエホワとなにを話したのだったか思い出して、けっきょくそう答えるしかなかった。
そうだよね。
そもそもユエホワは、大事なアポピス類のことを話しもせずあんなばかばかしい大でたらめしか話さないなんて、どういうつもりなんだろう。まあきっと、なんの情報も得られてないってことなんだろうな。
「そう」祖母はそう言った後「なにか、ユエホワがいつもと様子がちがうと感じることはなかった?」
「うーん」私は眉をしかめて天井を見上げた。
いつもと……だいたい同じだったと思うけどなあ。なにしろあんな、大でたらめを……でも、またあいつにキャビッチをぶつけたことがわかったら、祖母にまた怒られてしまうだろうし……うーん。
「そういえば、なにか考え事していたよ」私は、チェリーヌ海岸であの緑髪を見つけたときの光景を思い出しながらそう伝えた。
「まあ」祖母はそう言ってから「あなたには、とくに何も伝えてはこなかったのね?」と確認した。
「うん」私はカードにうなずいて「あ、あと、きのう助けてくれてありがとうって、あたしにお礼言ってた」と続けた。
そうだ、よく考えたらこれ、いちばん「いつもとちがう」ユエホワの行動だよね。思い出したらなんだか、背中がむずむずするような気がしてきた。
「すばらしいわ」祖母はいつものせりふを送ってきた。「だけど、彼一人にしていたら、またアポピス類にねらわれるかも知れないわ。ここに来てくれるよう、あなたから言ってもらえると助かるわ、ポピー」
「えーっやだ」私は正直に、キョヒした。「もう家に帰ってきたもん」
「しょうがないわね」祖母の送ってきたツィックルカードは、その文字をしめしながら、ふう、とためいきをついた。魔力が強いと、そんなふうにカードに“表情”までのせて伝えることができるのだ。「マーシュに頼むわ」
「パパ一人でだいじょうぶ?」私はつい、そんな問いかけを返してしまったのだけれど、それがたいへんな事態をまねくことになってしまった。
「そうね」祖母はそう言ってから「フリージアにもついて行ってもらうわ」とつづけたのだ。
「ママに?」私は目をまんまるく見ひらいた。「でもママは」
「だいじょうぶよ。それではね」祖母からの通信は、それで終わった。
「えーっ」私がさいごに祖母に送ったツィックル便は、そのただひと言だけだった。
本を手にしたまま、私は目をきょろきょろさせて考え、それからぱたんと本を閉じて部屋を出て下に降りていった。
「どういうこと?」母がだれかに問いかけていた。「なんで私が?」
ああ、もう祖母からメッセージが届いているんだな、と思ううちにも、母は
「いやよ」「ぜったいいや」「なんであんなくそったれ鬼魔をわざわざ探さなきゃいけないの」「くそったれだわあんなやつ」と、次々に悪態を口にしつづけた。もちろんそれぞれの悪態に対してそのつど祖母から返事が届いているわけだから、ほんとうにこの二人のツィックル便のやりとりは流れ星よりもすばやい。
「え」「マーシュが?」「もう」「なんであんなやつのこと気に入ってるの」「どこが?」「理解できない」そこまでまくしたてた後、母はふいに、言葉をつぐんだ。
私はそっと、近づいてみた。
けれど、母の目の前にうかぶツィックルカードに書かれてある文字は、読み取ることができなかった。
「わかった」ついに母は、低い声でショウダクした。「今回だけは、協力するわ。町の平和のために」そして、それまで座っていたダイニングチェアから立ち上がった。「あ、ポピー」それから私に気づく。「ママちょっと、用事で出かけてくるわ。夜までには戻るから」
「あの」私は少し迷いつつも、きいた。「ユエホワを、さがしに行くの?」
「――」母は、きゅっと唇をかんだ。「アポピス類が、妖精をあやつって悪さをしているのよね」確かめるように、私に言う。
「あ、うん」私はうなずいた。
「そいつらを倒す方法を、あの性悪鬼魔が何か知っているってことなのね」また母は確かめるように私に言う。
「あ、うん」私はもういちどうなずいた。
「わかった」母は何度かうなずいた。「今回だけ、協力するわ」祖母に言ったのとおなじことを、私にも言う。「町の平和のために」
「うん」私はただうなずいた。だけど、どうしてか心臓がどきどきしていた。
母を見送ったあとも、私の中で不思議な感覚はつづいていた。
あの母が、ユエホワをさがして、見つけて、話をして、祖母の家に連れて行く――
それは、なんというか、誰も考えつかないような、あり得ないできごとだ。
ほんとうに、そんなことがこれから行われるんだろうか?
なにも、問題なく?
なにも、事件になったりせず?
なにも――そう、たとえば人間対鬼魔の戦争のようなことが起きたりせず?
アポピス類がどうとかいう前に、母とユエホワが出会って話をして、あまつさえいっしょに空を飛ぶなんてこと、だいじょうぶなんだろうか?
私はいつの間にか、自分の肩を抱きしめていた。
だいじょうぶなんだろうか?
考えていてもしかたがないので、私は自分の部屋に戻った。
読みかけの妖精の本をひらいてつづきを読みはじめてから少したったころ、こつこつ、と、窓をたたく音がした。
「あれ」私は立ち上がった。「まさか、ユエホワ?」
でも、ほんとうを言えば、少し前から――母が出かけてから、予感めいたものはあった。
今朝もそうだったけれど、ユエホワは、ほかの人間たちからは行方がわからないようにさせていても、なぜか私のところにはちょこちょこ姿を見せる。
なのでもしかしたら今回も、父や母には探しあてられず、そのかわりこっそり私のいるこの家にやって来るんじゃないか――そんなふうに、なんとはなしに、予想していたのだ。
私は窓を開けた。外はもう、夕方の色になっている。
私はてっきりそこに緑髪が浮かんでいて「よっす」と片手を上げるのだろうと思っていた。
けれど、それはちがっていた。
窓の外には、だれの姿もなかったのだ。
「え?」私はきょとんとして、左右を見わたした。「ユエホワ?」
返事はなく、そのかわり「この娘か」そんなつぶやき声が、どこからか聞こえた。
聞いたことのない声だった。