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第8話 幼馴染三人、集結・中編

 中央街・高坂通り四番地 ある高級住宅の寝室

 豪華なベッドからのそりと起き上がったのは、長い髪が美しい二十代後半の女。
 豊満(ほうまん)な体を柔らかいシーツで包み、重だるい腰を(いた)わりながら横に視線を落とす。
 それから、極上(ごくじょう)に優しい笑みを浮かべた。
 愛しいという感情を瞳に()め込んで降り(そそ)ぐような視線。それを向けているのは、まだ二十歳にもいかない少年だ。
 成長しきっていない体をシーツにくるんで、子供のような寝顔をさらけ出している。女はその髪に指を(から)めるように撫でた。しばらくは、細くて柔らかい毛の感触を楽しむ。
 それから、優しい声を(つむ)ぐ。
「ねぇツバメ、牛乳買ってきてくれる?」
「えー……」
 少年は面倒臭そうに眉を寄せた。眠気と戦っている顔すら愛おしくて、女はいつも寝起きの彼に用事(ようじ)を言い付ける。
「お小遣いあげるわよ。そうだ、この前欲しがっていたピアスも買ってあげる。きっと似合うわ」
「ホント? じゃあ行くー」
 現金にも、少年は嬉しそうに笑った。猫のように吊り上がった目、なのに垂れた眉が特徴的な少年。子供っぽさと妙な色気が同時に存在しているような、()に足のついていない印象を持たせる少年だった。だからこそ彼女は、少年がどこかへふわふわ消えていかないようにいろんな物を買い与えた。
 そうして現実の物に囲まれていれば、その存在をはっきりしたものにできると思っているからだ。
「ますます良い男にしてあげるからね、私のカフェラテちゃん」
「ん……」
 女は(たま)らず、(くちびる)を少年の唇に重ねる。押し付けるようにすれば柔らかさを感じて、少年もくすぐったそうに笑う。それだけで、女はわりと満足だった。

 例え少年が、愛の言葉もなくあっさりと体を離していくとしても。


 ◇◆◇

 大志たちが接敵(せってき)したのは、高坂通り前の広場。
 貴族や成り金ばかりが(きょ)を構える高級住宅地は、今やたった一匹の(むし)蹂躙(じゅうりん)されていた。
 着飾った婦人が、綺麗にセットした髪を振り乱して自宅に駆け込む。蟲は全長二メートルはあろうかという巨大ムカデだ。世界大戦時に地球環境の変化で巨大化する生き物が急増した中、昆虫類も例外では無かった。
 巨大なムカデは、おぞましく足を動かしながら獲物に向かって()い回っている。
「ちょうどいい、アンタのそれ使ってみようぜ」
 車を止めた銀臣が、大志の膝の上に乗せた新型兵器を視線だけで差す。
 初めての武器を訓練もなく、こんな切羽詰まった場面で使うのに大志は若干躊躇(ためら)った。
「安心しろ、(はず)しても俺が撃つ」
 という言葉に押されて、車を降りる。
 起動スイッチを押す。操作法はオーパーツとほぼ変わらないと説明書にはあった。起動できずとも操作法の勉強だけはしていた大志にとって、完全に手に(あま)代物(しろもの)では無い__希望的観測ではあるが。
 まず受けた印象としては、オーパーツよりも起動してから銃の形状になるまでが遅い。これは銀臣が訓練で起動するところを見ていたので、わかることができた。
 それと、変形していく過程で振動(しんどう)が大きい。オーパーツは変形している最中、全く振動が無かった。これはたった一度起動した時の感想であるので、後で銀臣に確かめてもらおうと頭の(すみ)にメモする。
 これが国最高の研究者たちの最新技術だと言うのだから、オーパーツの技術の高さは計り知れない。再現不可能という話はまだまだそのままであり続けるだろう。
 一通りの感想を頭の中に書いてから、大志は構えた。
 膝立(ひざだ)ちになり、ムカデに銃口を向ける。
 リアサイトとフロントサイトで標的を狙い、引き金に指を掛けた。
 細く長く息を吐いて、それから止める。ここだと思う瞬間に引き金を引く。

 ギャッ

 短い悲鳴を上げたムカデは、真っ赤な不気味な目を大志に向ける。
 (たま)はムカデの頭部を外し、幾多(いくた)もある足の一部を吹き飛ばしただけとなった。
 もう一度狙う。
 が、ムカデはものすごい速さで大志に向かって這い寄ってくる。蛇行(だこう)しながら黒光りする巨大な生物が襲ってくる光景にぞっとしながらも、冷静になろうと呼吸は乱さないようにしながら引き金に力を込める。
 しかし、一発の銃声がムカデの頭部を吹き飛ばす。
 それは当たり前だが銀臣の弾で、彼は大志の横でずっと狙いを定めていた。
 頭部を失ってなおも動くムカデに連続で弾を命中させ、標的が動かなくなったのを確認してから銃口を下げる。
「どうだった、それ」
 外してしまったことを(とが)められるかと思ったが、銀臣はそれには一切触れずに視線を大志の持っているものに向けた。
「………反動が凄いです」
 とりあえず撃った感想を()べた大志に、銀臣は「今度、俺にもいじらせろよ」と無愛想に返す。


 ◇◆◇

 帝都大衆住宅街・路地裏

「あ、の、なんでしょうか……」
 背後に壁、目の前に怪しい男三人。
 奈都は恐怖で震える声で聞いた。聞いたところでろくな事では無いのは確かだと思いながらも。
 昼間はあまり人気の無い住宅街の死角になる場所で、男たちは威圧すら感じさせる真剣な表情だった。ジャケットを着て、一見すると良い職に()いているようにも思える。
「君がある殺人事件の最有力容疑者にされている。我々は覆面(ふくめん)警察の者だ」
「え⁉︎」
 予想もしていなかった言葉に、奈都は固まった。なんで、なんの、どうしてと頭の中でぐるぐると言葉が回る。
「落ち着いてくれ、大丈夫。我々は犯人は君ではないと思っているんだ」
「そ、そうです、殺人なんて、私……」
「だが、証拠(しょうこ)を集めるのに資金がどうしても足りない。必ず我々が君の無実を証明してみせるから、どうか少しばかり援助してもらえないだろうか」
「お、お金、ですか。でも私、そんなに持ってない……」
 心臓がバクバクと嫌に暴れて、奈都は混乱した頭でなんとか男たちの質問に受け答える。
 親はいない、遺産なども相続していない、それを聞いた男たちは、次第にその仮面を()がし始めた。
「保険金などもかけていないのかい? 友人はどういうご家庭の子がいる? その子から借りてきてもいい。もちろん、極秘調査だから親には内緒にしてほしい」
「………すみません、警察の方なんですよね? あの、身分証などを見せていただけますか?」
「あぁ、もちろん」
 男の一人があっさりと内ポケットから手帳を出して見せた。
 奈都はまじまじとそれを見る。顔写真はもちろん目の前の男のものだ。
「……ちがいます」
「は?」
「これ、正式な手帳じゃないですよね? 手帳の印刷(いんさつ)が違ってる」
「はぁ? いえ、そんなはずないですよ。勘違(かんちが)いしていませんか?」
「勘違いしていません。私の家族、元警察官なので」
「え、やべっ」
 間抜(まぬ)けにも、奈都のその一言で男たちは慌てだした。
 明らかに動揺しながら、男の一人が今度は小型ナイフを取り出して奈都に向ける。
「おい女装男(じょそうおとこ)! 絶対にこのことを家族に言うなよ! 言ったら殺すからな!」
「言いませんよねぇ。こんなお粗末(そまつ)なシノギをするアホの話なんて、笑い話にもできないですから」
「⁉︎」
「誰だ!」
 突然の声に、男たちは(あせ)って勢いよく振り返る。元警察官の家族かと思ったのか、冷や汗まで垂らして。
 だけどそこにいたのは、明らかに警察官ではない。なんならカタギでもなさそうな雰囲気の、ホワイトスーツの男。

「それはこちらのセリフですよ。誰の許可得てこのシマでそんなチャチな商売をしてんだい」

 男はぎらりと(するど)く睨みながら、(ふところ)に手を忍ばせる。
 取り出した懐刀(ふところがたな)(つか)の部分を見て、男たちは情けなく悲鳴を上げてから走り去っていった。
 急展開に頭のついていかない奈都は、しばらく逃げていく背中を見送ってから、ハッとしてスーツの男に頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
 男はニコリと、とたんに人当たりの良い紳士的な笑顔になる。
「いえいえ、お嬢さんにお怪我(けが)がなくてなによりです。ここにはああいう警察を名乗るバカが多いので、お気をつけなさい」
「はい、都会に慣れていない田舎者で……」
「大丈夫ですよ、今日の帝都は誰も慣れていないでしょうから」
「え?」
「さぁ、こちらに。ここは危険だ」
 男は、それだけ言って歩き出した。
 奈都はついて行くべきか悩んで足踏みをしたが、突如(とつじょ)近くから聞こえてきた人の叫び声に肩を震わせる。
 続いて大通りを横切っていくおぞましい生き物を見た。それが危険なものであるとすぐに理解して、足を(すく)ませる。男がもう一度「来なさい、この先に避難所がある」と(うなが)してくれて、ようやく一歩を前に出した。



 ◇◆◇

 帝都中央街・高坂通り付近ショッピングエリア

「おい、なにやってんだ急げ!」
「もっとスピード上げろ!」
 この地獄絵図のような生物兵器テロを(くわだ)てた革命家たちは、自身の策により生死の合間を彷徨(さまよ)うことになった。
 アクセルを全開にして、最高速度で車を走らせる。
 後ろからは巨大(あり)が追いかけてくる。大きさは車のタイヤより少し大きい程度だが、大型トラックさえ持ち上げてしまう怪力の持ち主だ。
「おいおいおいもっと急げ!」
「急いでるよ!」
 ハンドルを握る男は怒鳴り、恐怖からか何度もサイドミラーを(のぞ)く。脅威(きょうい)がどこまで迫っているのかを確認したい心理によるものだったが、結果的にはそれがいけなかった。
 男がサイドミラーの中にいる蟻に気を取られていると、すぐ隣から焦った声。
「おい前、前!」
「え?」
 気づいたが、反応するまではできなかった。
 運転手が前を向いた時、すでにそれは目の前にいたのだから。
 小型の乗用車と同じサイズはある蜘蛛(くも)が、車の前に飛び出してきた。ハンドルを切ろうとしたが間に合わず、蜘蛛を()いた衝撃でタイヤが浮いた。
 車は横転し、道路に火花を散らしながら(すべ)った。何度か回転し、最後には店のウィンドウに突っ込む。

 そしてその光景を見ていた少年は、あまり日常ではお見かけしない大事故に「え、え?」と困惑することしかできなかった。

 少年__ツバメは、街の様子がおかしいことには気づいていた。
 昨晩は世話になっている女と朝方までベッドの中で(たわむ)れて、独特の心地良さから目覚めたら昼も間近(まぢか)だった。
 女に買い出しを言い付けられ街に出てみれば、様子がおかしい。いつもこのショッピングエリアは金持ちが贅沢(ぜいたく)を楽しんでいるのに、全く人影がなかった。
 優美さに命を()けたような道は、物が散乱し荒れていた。並ぶ店の窓にはなにかで()()いたような(あと)と、なにやら緑や黄色の液体。店の中からはたまに人の気配がするが、ドアにバリケードのようなものを張って出てくる気配は無い。
「え、ヤバイ感じかな? 警察呼んだ方がいいの、こういうのって?」
 街が異様な雰囲気に包まれていても、どこか呑気(のんき)な声音のツバメは、しかし次の瞬間には「只事(ただごと)どころではない」と確信する。
 (かど)から、巨大蟻が顔を出したのだ。
 触覚をピクピクと動かしながら、二股に割れた歯をギシギシと不気味に鳴らす。
「え、なに? どゆこと?」
 口の先だけで(つぶや)いて、後ずさる。
 巨大化した昆虫たちは、普段は人里の、しかもこんな都会になど出るはずがないのだ。住処(すみか)(えさ)が充実している山奥で、野生動物などを捕食して生きているはずであり、ツバメは膨張類(ぼうちょうるい)(世界大戦時またはそれ以降に巨大化していった生物の総称)を見るのは初めてだった。
 一瞬の間に過ぎる死の予感に固まっていると、しかし蟻はツバメには目もくれず、大破寸前の事故車の方へ向かう。
「う……たすけて……」
 運転席から這い出てきた男は、どこまでタイミングが悪いのだろう。
 そのまま車に身を潜めて息を殺していればよかったかもしれないのに、男は上半身を外に出したあたりで、やっと自分が(ねら)われていることに気づいた。
「あ、あ、たすけて……たすけてくれぇ……」
 ツバメを見る。
 助けてくれと(すが)る、または見捨てないよなと(おど)すような瞳で。

 ツバメはすぐに『背を向けた』。

「ま、待ってくれ! 待って………待てよ‼︎」
 恫喝(どうかつ)する声に、ツバメは振り返りもしない。ただただ、自分が逃げることを優先する。蟻が男の方に行ってくれてラッキー、とさえ思った。後ろでは、男の呼び止める声。しかしその後すぐに叫び声と、なにかを砕くパキパキとした音。男の声も止んだ。
 その音を聞かないように、ツバメは自分の声でかき消す。
「知んねーって、ホント、ボクは。自分の運命呪えよ」
 そして角を曲がったところで、今度は自分の運命を呪うことになる。
 二つの(かま)が見えた。死神の鎌かなと場違いな冗談を心でぼやきながら視線を上げる。逆三角の恐ろしい顔が、自分を見下ろしている。
「う、わ……」
 見上げるほどに巨大なカマキリ。
 ツバメは背を向けることができなかった。背を見せた瞬間、その鎌で八つ裂きにされそうな気がした。震え出す足と、抜けそうな腰。だけど自分ではコイツから逃げ切れないと、なぜか冷静に判断できた。
「た、すけて……」
 さっきまで男が言っていたのと、同じ言葉が口から出る。
 だけどツバメが頼る先は、いつも決まっていた。
「大志……!」
 カマキリが鎌を振り下ろそうとする。それにただ、目を(つむ)ることしかできなかった。
 衝撃を覚悟していると、車の走行音。続いて何かにぶつかった派手な音。
 またどこかで事故かと思ってツバメが目を開けると、さっきまで自分を見下ろしていたカマキリがいない。
 代わりに、一台の車がそこにいた。国最高の部隊であるグリーン・バッジの(もん)が刻まれている。
「体当たりとか、案外やること(すさ)まじいな」
「すみません、一般人が近かったので銃よりいいかと思って」
「ユウの運転よりは安全だったぜ」
 車から出てきた男二人のうちの片方が、吹っ飛んでいったらしいカマキリに銃を向ける。立ち上がろうとしていたカマキリは、頭と腹部を撃たれ絶命した。
「大丈夫ですか!」
 もう一人はツバメに駆け寄る。
 ツバメは呆然とする頭で「生きてる……」とだけ呟いて、あまりの安堵(あんど)に力が抜けて尻もちを突いた。
「お怪我はありませんか?」
「だ、だいじょーぶ……」
 それを見た男が慌てて尋ねる。ツバメが顔を上げて無事を伝えると、二人同時に「え?」と声を上げていた。
「ツバメ……?」
「大志……?」
 お互いの名前を呼んで、それからツバメはよろっと立ち上がる。
 信じられない、ひさしぶり、なにやってんのお前、あれ、警察じゃなかったっけ、なんで軍にと、言いたいことが回り回ってどれも口から出てこないようだった。
 両手を伸ばしてもう一度大志を呼び、それから涙を浮かべて思いきり抱きつく。
「大志いいいぃぃぃぃぃ‼︎」
「このクソボケがあああぁぁぁぁ‼︎」
「なんでえええぇぇぇぇ⁉︎」
 ()り倒され、ツバメは(ほほ)を押さえながら女々しく地面に伏した。
「ここは普通さ! 幼馴染の偶然の再会しかも命を助けた(へん)で熱く抱擁(ほうよう)するとこじゃないの⁉︎」
「なに甘ったれたこと言ってんだ張っ倒すぞ!」
「もう張っ倒されたよ!」
 別の意味で泣き始めるツバメの胸ぐらを、大志は乱暴に掴む。
「お前いつもいつもいつも音信不通になって……住所変えたら連絡しろっつったよなオイ。一体いつになったらそのゴミしか詰まってない脳みそは学習するんだ。しかも地元離れて帝都にいるならなおさらだ、お前が女に刺されて死んだ時に供養(くよう)もできないだろ」
「す、すみません、すみません……てかボクの死因、女に刺されるってのは決定なのね……」
 久々に見た大志のマジギレの顔に、ツバメは冷や汗を垂らしながら誠心誠意謝罪する。
 腕っ節で大志に(いど)んで勝てるわけないので、彼はわりとすぐに謝ることにしている。そこから学習はあまりしないのだが。
「とりあえず、お前のことは安全な場所まで連れて行くから。後で迎えに行くから絶対いなくなるなよ。いなくなったらお前、わかってるだろうな?」
「はい、わかってます。もうラリアットはイヤです。大丈夫です」
「よし、やっと学習してきたな」
「……おーい」
 二人の後ろから遠慮がちに掛けられる銀臣の声に、大志はハッとして振り返ると笑った。
 ツバメからすれば気持ち悪さすら感じる大志の愛想笑いに「こわ……」と小さい声を()らす。
「すみません、柴尾さん。コイツ、俺の幼馴染なんです。行方不明だったからつい(りき)んじゃって」
「力むと張っ倒す幼馴染とか危険すぎるってぇ」
 そこで再び顔だけをツバメに向けた大志が、ニッコリ笑う。
 ツバメは一瞬でラリアットの気配を感じて口を閉じる。普段の関係性が見える無言のやり取りだった。
「まぁ……無事に見つかってよかったんじゃねぇ? とりあえず、どこかに避難させよう」
「はい、お手数おかけします」
「………」
 礼儀正しく頭を下げる大志とは対照的に、ツバメはジッと銀臣を見た。
 その顔は警戒と面白くなさそうな不服さが遠慮なく(にじ)み出ていて、大志と話している時とは随分違う印象を受ける。
「ほら、ツバメ、行くぞ」
「うん」
 大志に促され三人で車に向かおうとした時、またも不気味な姿が現れる。
 先程の巨大蟻だ。獲物を捕食し終わって、気配のする方に来たのだろう。
 ぐるんと首を振って三人に狙いを定めたらしい蟻に、銀臣はすぐに失われた叡智(オーパーツ)を構える。
「おいアンタ、急いで車に乗れ!」
「ドア閉めとけよ!」
「わ、わかった!」
 大志を信じて背を向けて走るツバメ。
 それを見送ってから、大志も最新型(ニューモデル)を起動する。
「頭を狙え。アイツは瞬発力は(にぶ)い方だから落ち着けば当たる」
「わかりました」
 銀臣の指示を受け、今まさに引き金を引こうとした時。
 蟻が突然倒れた。いや、首がごろりと転がっただけで、体自体はまだ立っている。
 そして、蟻の背に(またが)っている一人の男。上から飛ぶように蟻の背後を取って、手に持った懐刀で首を一瞬で刎《は》ねたのだ。
「全く、(はな)(みやこ)はいつから昆虫博物館になったのやら」
 皮肉とも余裕とも取れる、落ち着いているのにどこか楽しんでいるような声。
 きっちり整えた黒い髪と、見るからに仕立ての良いコートとホワイトスーツをセンスよく着る、洗練された雰囲気の二十後半から三十前半くらいの男。
 しかし鋭い双眸は笑っていなかった。口元だけに薄っすらと笑みを乗せ、男は懐刀を(さや)に納める。
「絶対カタギじゃないだろ……」
 聞こえないように呟いた銀臣に、大志は心の中で同意する。
 男もこちらの存在に気づいたらしい。ニッコリと笑って、建物の影の方へ呼びかけた。
「お嬢さん、軍の方がいらっしゃるようです。保護してもらいなさい」
 そしてひょっこり顔を出した人物に、大志とツバメはまたも声を合わせる。向こうも気づいて、ポカンと口を開けた。
「奈都⁉︎」
「え、え、大志?」
 地元にいるはずの奈都が、やっと会えたという顔で大志を見つめる。
 ツバメはそれに手を振り回して声を強めに出した。
「奈都、ボクのことも視界に入れてくれよぉ〜」
「え……ツバメ……?」
「そうだよぉ〜! すごい、幼馴染が揃った、これってすっごい偶然じゃん! 奇跡じゃん⁉︎」
 奈都は、(たま)らず走り出す。
「ツバメェ!」
「奈都!」
 駆け寄る奈都に、ツバメは両手を広げて受け入れる。
「このアホンダラァ!」
「ぎゃふっ」
 感動の再会だとばかりに泣き笑っていたツバメに、奈都は胸に飛び込む直前に張り手をかます。
 それから胸ぐらを掴んで固定し、往復ビンタも。
「このバカ! アホ! ゴミ! カス!」
「すっげぇ……なんで一日二回も幼馴染に罵倒(ばとう)されてんだろボク……」
「連絡先は教えないさいよ! なんで帝都にいるのよアンタは!」
「い、今ね、帝都に住んでる貴族の家でお世話になってて、それで……」
「だったらそう言いなさいよ! 大志のアイアンクローまた食らいたいの⁉︎」
「それはイヤです……」
「心配したじゃない!」
 そうして奈都は、急に勢いをなくしてツバメを抱きしめる。大切な幼馴染の無事がわかっての安堵の涙に、ツバメは「ごめんねぇ」と落ち着かせるように背中を叩いた。その場で反省はするが学習しないのが彼の欠点なのだが。
「奈都、どうしてここに!」
 状況がわからず率直に聞く大志に、奈都は泣きながら答える。
「お店が休みだから、大志に会いに来たの。でも来てから、軍にお勤めしてる大志にどう会うか考えてなかったことに気づいて……なんとかなると思って駅を出たら、変な人にお金を巻き上げられそうになったの。でも、あの人が助けてくれてね、街がこんなことになっちゃって、私を避難所まで連れて行ってくれる途中だったの」
 奈都の視線の先には、例の絶対にカタギじゃない男。
 大志はすぐに男に体ごと向き直り、腰を深く折って頭を下げた。心からの感謝を述べる。
「幼馴染を助けてくださってありがとうございます。後日必ずお礼に(うかが)いますので、お名前を教えて頂いてもよろしいですか?」
「いえいえ、一度やってみたかったんですよ。悪役からピンチの女性を助けるヒーロー役」
 相手に気負わせない洒落(しゃれ)たことを言う。上品で優雅さもある男だった。
 そうしてさらっと名前の件を(にご)したことに、大志と銀臣はなんとなく気づく。
「君がお嬢さんの探し人だったのだね。お嬢さんが心配していましたよ、手紙の返事が来ないからなにかあったのではと」
「え……」
 男の口から予想もしていなかった言葉を聞いて、大志は再び奈都に向き直った。
 奈都は胸の前で両手を()むようにもじもじとしてから、申し訳なさそうに(うつむ)く。
「ごめんなさい、迷惑かとも思ったんだけど……大志からのお手紙が来なくて、なにかあったんじゃないかって……私は正式な家族じゃないし未成年だから、大志になにかあっても連絡が来ないもの。だから、もし、大志が怪我してたらとか思って……」
 話しているうちにどんどん目に涙を()める。大志はやっと、自分のしていたことに気づいた。
 罪悪感と自己嫌悪に陥りながら、奈都の肩に手を置いて顔を覗き込んだ。
「ごめん、奈都。新しい職場の仕事や武術大会でいろいろあって、奈都にまで気が回らなかった。休日は疲れて一日中寝たりとかしてて、手紙は読んでたけど返事書く元気もなくて……いや、言い訳だよな、ホントにごめん」
 心底申し訳なさそうにする大志に、奈都は慌てて顔を横に振る。
「ううん、私が勝手に心配しただけなの。そうだよね、お仕事忙しいもんね、押しかけちゃってごめんなさい」
「ボクも行方不明になってごめん」
「それは許さないから」
「えっ」
「謝り合戦してるとこ悪いんだけど、今は安全な場所に行くことを優先させていいか?」
 横から入った銀臣の言葉に、幼馴染三人はまたも声を揃えて謝る。
「おや、くもが」
 そこで、男が上を見ながら呟いた。
「え、雲?」
 大志が空を見上げると、視界に入ったのは雲でも青空でもなく、蜘蛛(くも)だった。
 建物の間に糸を張り、六つの目が見つめてくるのが背筋をぞわりとさせる。
 蜘蛛の糸は鉛筆(えんぴつ)ほどの太さがあり、蜘蛛もそれに見合う巨大さだ。しかも三体。
「どうしますか、柴尾さん」
 刺激しないように、大志が小さい声で耳打ちする。
 銀臣は蜘蛛の動向に気を張りながら返した。
「糸が厄介(やっかい)だ。あの怪しい男に俺たちが乗ってきた車を運転してもらって、三人を逃して俺たちは残るって考えもあるが……糸が車に(から)まったら走れなくなる。近くの建物に避難させるのがベストだな」
「どこか入れてくれそうな建物は……」
 周りの建物はバリケードを築いて籠城(ろうじょう)していたり留守だったりと、すぐには入れないだろう。仮に逃げ込もうとした建物に鍵が掛かっていれば、それが命取りになるロスタイムかもしれない。
(どうする、奈都とツバメだけは守らないと……俺が(おとり)になって……いや、蜘蛛が三体だけとは限らないのに、下手に奈都たちから離れたら守れなくなる)

「こっちに!」

 考えあぐねていると、若い男の声が響いた。
 視線をやると、数メートル先のカフェの店員が扉を開けて迎え入れてくれている。店の中には人が数人いて、通れるように店内のバリケードをズラしてくれていた。
「早く逃げ込め!」
 銀臣に言われて、奈都はツバメの手を取って走り出す。
「あなたも__……!」
 男の方に振り返ったら、さっきまでそこにいたはずの場所にいなかった。
 辺りを見渡すと、ちょうど数ブロック先の角を曲がるところだった。最後に男はこちらに手を振って、その姿を消す。
「あの!」
 呼び止めようとした大志だが、銀臣が肩を掴んでやめさせた。
「幼馴染を助けてくれた人に言うのもあれだが、ありゃ関わらない方がいい人種だと思うぜ。それに、あの腕なら問題なく生き残れるだろ」
「そう、ですね……」
「それより目の前の敵だ。手早く片付けようぜ、クモは嫌いなんだ」
「まさか怖いんですか?」
「目が何個もあるのってゾワッとするだろ」
「確かに」
 そうして二人、背中合わせに立つ。

しおり