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生きるということ

わたしがはやぶさにるりと一緒に行ってから、四か月が経過した。わたしは、この週末には、また車でケランダ山に行こうと思っている。もちろん、はやぶさのべんさんを訪ねるためだ。
 実は、べんさんは風邪をこじらせてから少し体を壊して、一か月前に少し店を休んでいた。この機会、ついでにべんさんは、体のあちらこちらを検査するということにした。
「なんとなく、風邪の治りが悪いというのは、歳のせいになってきたのかねぇ」と言うべんさんに、いつになく少し弱気になったなとわたしは思った。逞しいサイも、魔がさすこともあるようだ。
「毎日休まずにはやぶさをやることは、知らないうちに疲れもたまる。ストレス感じていないようでもノンストップは疲れてるかもしれないんじゃない?」
「いや、こんないい環境でさ。ストレスなんかないよ。歳だなぁ……そう歳には勝てない。それと、酒かな?」
「お酒、好きだものねぇ。歳なんて言ってないで、自覚して飲むのも控えたら?」
「そうなんだけど、これやめられない。おやじの生き方だ。好きな酒をやめてまで、ちびちびと生きていってもしょうがないやー!」 
 そう言ってさびしく笑ったべんさんの顔に、覚悟した孤独を感じた。それでもいいのだ。自分の心に正直に生きていく……ぶれない姿勢を感じた。
 この国に親族などがいない場合、友人が病院でサインをしたり付き添うことがある。わたしは、べんさんの病院にも付き添っていった。持ちつ持たれつの関係をいとわず、わたしも空いていれば友人に付き添う。検査のために麻酔を軽くかけることもあるからだ。苦痛をできるだけ取り除くという考えのこちらの病院では、麻酔を使うことが多い。
 事なきを得たべんさんは、検査の後、「久しぶりに海を見るかな
ぁ……」と言うので、わたしはビーチに車を走らせた。
「海はやっぱりいいな。こんな人が多くいるビーチでも海はいい。ここからでも、ずっと遠くの違う国に続いているんだから。海の向こう側を想像するのは楽しいね。きっと、今晩のビールは、うまいなぁ……」
 もし、今、べんさんに過去のような強靭な体力と、なにごとにも負けないレジリエンスがあったら、またすぐにもヨットで海に出てしまうかもしれないと、わたしは思った。

 それから、何日か経過した。その日わたしは、家のポストでるりからの絵葉書を手にした。抹茶ラテを飲みながら、それをゆっくりと読んでみる。絵葉書は、しあわせを呼ぶという蝶のユリシスを手書きで描いたものだ。写真家のるりは、ユリシスの写真はたくさん撮っているはずだが、これは手書きのパステルアートで、きれいな青い蝶を描いている。るりの心境の変化だろうか……。
 インスタントでも香り高い抹茶ラテのマグカップを鼻に持っていき、それを少し嗅いでから、きれいに泡立つ緑を、わたしはゆっくりと飲んだ。ため息をひとつつく。
 絵葉書にはこう書いてあった。
「次の旅に出るかどうかを思案しています。ここはあまりにも居心地がいい。しばらく、ここにいます」
 そして、谷川俊太郎の「生きる」という詩が書かれているだけだ。
「この詩を感覚でわかる……わかろうとするのは、自由人のべんさんやるりみたいな人かしら? なんとなくこのふたりは、共通点があるものねぇ。危険を顧みず行ってしまう、夢を追いかけやってしまうという……。自分に正直だから、見ていて気持ちがいい」
 あなたと手をつなぐこと――という詩のフレーズが、わたしの頭に浮かんだ。
「このふたりは、もしかするとお似合いだ! 離れすぎてる? いや年は関係ないか」
 それでも、きっと楽ないい関係でいるに違いない。この世の中に、絶対などという関係はなく、どんなものも自由で変化していくはずだ。それは、大海原の波のように、また、山の中の樹木や草花、生物だって、そして空も風も川も刻々と変化していく。それが、生きていくということ……。生きることに意味は問いかけない。ただ前進して生きる。人生――そのままのスピリットは、風のふくままに自由自在であったらと、わたしは、自然に生きているものをうらやましく思う。

 そして、週末に、わたしは車を走らせて、ケランダ山の和菓子屋――はやぶさに向かった。今日は天気もよく、少し汗ばむ陽気だ。ヘアピンカープを登っていく辺りの空は、雲もなく、澄み切った青、白い車のボディーがすんなりと溶け込んでしまいそうな潔さを感じてしまう。
 普段は寄り道はしないわたしだが、今日は途中の見晴台スポットで車を止めてみた。下界の町並みは、かわいらしい積み木をばらまいたような色とりどりの屋根がある。そこに、いいあんばいに木々の緑が配色されてきれいだ。そのずっと向こうには、無限に広がる海の青さ。それは空の青さと溶け合う。空からの光はさんさんと海面にふり注ぐ。
「とてもクリアーだわ。それにやさしい水色……それなのに、一歩出れば、広い海は過酷なんだって! 泳げないわたしには恐怖でしかないけど」
 わたしは、思わずひとりごとを言ってしまった。べんさんの航海物語を思い出す。
 わたしは、るりが他国を旅したときに、怖い経験をしてきたという話しも聞いたことがある。
 インドでは、持っているカメラバッグだけは肌身離さずだったし、電車では、用心してファーストクラスを予約していたのに、パソコンと着替えを入れていたリュックを盗まれた。ちょっと部屋から通路に出ていただけだったが、戻りしなに、刃物を持ったその泥棒がぶつかってきて、走りながら振り返ったその怖い目を思い出すと今でもぞっとすると、るりは言っていた。
 また、パリではジプシー強盗の女達に囲まれ、首を絞められて所持金を撮られたこと。
 パレスチナでは、その生活を撮ろうとしていて、イスラエル軍の兵士に銃を突きつけられカメラを壊された。日本でも、そんなに高くない山だって、川だって、カメラ片手に橋から落ちそうになったようなことも、一度だけではない。
「あの人達、死んでしまうかもしれないのに……。それで、どうしてヨットで海に出て行くの? カメラ持って飛行機で旅に出るのかしら?」
 航海後のべんさんは、もうヨットには乗りたくないと思ったらしい。それでも、またなにがしかの機会があれば、べんさんは海に飛び出してしまいそうな気がする。
 るりも、飛行機に乗るのが、いつも頭痛薬や酔い止めを飲むくらい苦手というのに、どうして危ない国などに行くのか……。それは、彼らはそこに行きたいからだ。挑戦したいからだ。
 苦労しても楽観する。今、現在が楽しい。生きることは、今を愉しむこと――ゴールはない。朽ちてしまう前に、やりたいことはやる! ってなかなか自分に正直に生きていける人はそういない。「べんさんも、るりもすごいなぁ。うらやましいと思う」と、わたしは感心していた。
 べんさんは、ヨット生活を決めたとき、もう世間のしがらみはいやなんだと思った。自分に嘘をつかない人生を送りたいんだ。わがままと言われたって、それが自分の生きるということなんだ。べんさんは、それを貫いた。
 生きているものの感性、それがこのふたりには充分にある。動物や植物や自然のものに近いかもしれない感覚。しかし、人間には夢がある。社会的地位とか、金銭など無縁である。
 夢――そこで共鳴して、さらにその魂は、ケランダ山の大自然で研ぎ澄まされて、また希望を持って、どこへ旅立って行くのだろうか。
「どうして、お店、はやぶさって付けたの?」
 いつだったか、わたしがべんさんに訊いた。
「死んだ後の、おやじの名前だよ。はやぶさの隼という字がついていた……法名にね」
「やっぱり、おやじさんに申し訳ないと思ってるんだ」
「そう、もちろんそうだよ。継がなかったなぁと、悪かったと思ってるさ。だから、今こうしてやってんだよ」
「それでも、後悔はないんでしょう?」
「そうだね。後悔はない。やりたいことやったから」
「また、冒険に出る?」
「いやー。年だからねぇ。ここで、できるだけ、やれるところまでこれをやるさ」
「それも、普通の人にはできないパイオニアだわねぇ。なんと言っても、ただ一軒のこの国で初めての本格和菓子屋だもの」
 自然が作り上げたすごいものに、所詮人は脱帽するしかない。わたしは、どこまでもきれいな青い空に溶け込んでしまいそうなマリンブルーの海を、遠く見つめていた。

 ケランダ山の手前に、バルーンリバーという大きな川があり遙か向こうに、バルーン滝が見える。一昨日にまとまった雨が降ったので、滝つぼの水量は多い。それは、自然と川から、海に流れていく。
 人も川の流れに逆らえなくて、運命に翻弄されて生きていく。しかし、それは流されていくのではない。自分の気持ちに正直に、でも自分で舵をしっかりと取って、進んでいこうとする。無理をしすぎることなく、ただ淡々と……生きていくということが理想と思える。
「わたしも、残りの人生を考えた場合、まだまだやりたいことがあるし、毎日を無駄に過ごしたくないなぁ。この環境の中で……だけど」
 ケランダ村に着いて、車からおりた途端、わたしは熱帯雨林の森の香りを嗅いだ。昨夜の雨を含んだ森は、またいきいきとしている。そこに、元気な鳥達の声を聞くと、自分の細胞のひとつひとつが元気になるような気がする。風が、吸う空気がさわやかで心地よい。
 はやぶさに向かうアーケードは、週末の土曜日というのに観光客も少なく人通りもまばらだった。それでも、通りの向こう側には観光バスも数台は来ているのが見える。そのひとつのバスからツアーらしき観光客の団体がおりてきた。わたしはそれを眺めていた。
「ひとりひとりの人生がある……でも、わたしはたぶん決められたコースにはまるのは、窮屈でやれないだろうな。失敗だとしても、自分のやりたい方向にいく……やっぱり、自分に嘘はつきたくない。べんさんやるりのように、もっと自由にではないけど」と、思った。
 そして、わたしが通りから覗いたはやぶさは、相変わらずのマイペースぶりで、そう混むでもなくまったりと時間が流れているようだった。客も日本人の三人組みの若い子が、中のテラス席にちょうど座るところだ。ふたりは女子で、ひとりが男子だ。観光客だろう。
「あっ、いらっしゃい! ちょっと待ってね。オーダー訊いちゃうから」
 べんさんの様子も、いつもと同じだ。今日は、なにやら漢字が画いてある日本手ぬぐいを、頭に巻いている。よく見れば、それは魚偏で、魚の名前が画かれた湯のみをわたしも昔はもらったことがある。そんな日本的装いは、ここでもノスタルジックで安心感がある。
「全然、だいじょうぶよ。時間はあるし」
 そう言いながら、わたしはるりの姿をキッチンに探してみたがいない。
「あれ、べんさん。るりは? なんだかこの店をお手伝いしてるって聞いていたから」
「あーあ、今ね。ちょっと外に出て、写真を撮ってるよ」
「相変わらずかー」
「そう、相変わらず、カメラは離さないねー」
「打ち込めるものがあるっていうのは、しあわせだなぁ」
 三人組の若い子達は、マンゴーや、抹茶金時のかき氷をオーダーしたらしい。べんさんは、マンゴーをカットしながらテラスの方に声をかける。
「お腹空いてんなら、他店のものを買ってきてここで食べてもいいんですよ。どうぞ、リラックスしてください」
 どうしてこの人は、こう親切なのだろう。利益など考えずに客にサービスするところがある。頼まれることは、余程のことがない限り、全部引き受けてしまう。
 べんさんは、古い手動かき氷器に、氷をセットした。シンプルな青い木綿の甚平の上着を着ている腕は、袖をさらにまくり上げている。下は黒のニッカポッカだ。黒い胸当てエプロンをしているが、相変わらず木の実のマクラメネックレスをしている。べんさん流山伏姿だ。
 テラスから下を見ると、小川がある下の坂道からゆっくりと登ってくるるりの姿が見えた。
「ハロー! 元気かー」
 わたしがテラスの端に立って、手を振った。坂道の両側の木々の葉がサワサワと揺れている。それに歩調を合わすかのようにるりが歩いてくる。るりは、とても元気なようにわたしは思った。きっと、いい写真が撮れているのに違いない。
「今日あたりは、いらっしゃるかと思っていました」
「見せたい写真がたくさんあるんでしょ?」
「そう、よくわかりました……ふふっ。このところまだお天気もいいし、今日は暑くて夏日みたいですがまだまだ気候もいいので、芽吹く草花や、子育てを始める鳥達などもっと撮りたいものがあるんです。ちょっと奥地にも行ってみようと考えてます」
 雨季に入ると、緑は元気になるが、人が歩き回るには厄介なのだ。
「あらあら、じゃあ、はやぶさでの手伝いはしないの?」
「だって、元々がそういう目的ではないので……。でも、はやぶさで働かせていただいてとても助かっています。ここでの出会いも撮りたいものがたくさんあるので、楽しいですよ」
 そうるりは言って、キッチンのべんさんの後ろ側の引き出しからアルバムを出した。そこには、ここを訪れる人達の笑顔が刻まれていた。
 みたらし団子をほおばり微笑む女の子、おはぎを両手に持っておどけた表情の男子学生、ところてんとあんみつにかき氷、そしてお赤飯をアレンジしたドリアを前にしてVサインをしている若いキャピキャピの女子達、抹茶とセットで、大福とどらやきをテラス席で食べている老夫婦。おいしいものを食べているときの人間というのは、皆自然と幸福そうな笑顔だ。
「これ、持って行ってくれる?」
「あっ、ごめーん」
 二つ目の、かき氷を作ったべんさんは、三つ目に取りかかる。
 るりは、かき氷の上にとろけるように山盛りになったマンゴーを受け皿に落とさないように、慎重に運んだ。
「うわーっ! すごいなぁ」
 イマドキの風貌ではあるが、顔つきが少し落ち着いた感じに見える男子が驚いている。シロップが隠れてしまうくらいのマンゴーが、溢れんばかりだ。抹茶のかき氷も一緒に、女子達が、早速インスタでも投稿するのかスマホを向けていた。
 わたしはそれらを見て、ちょっとにんまりした。
「ここの和菓子にも、惹かれちゃったんじゃないの?」
「それもありますね。べんさんにも実は興味がありました」
「えーっ! やっぱり?」
「いや、美樹さん、そういう意味じゃないですよ。人として、それから被写体としてですから」
 キッチンに背を向けて、べんさんに聞こえないようにわたしに言うるりは、なんだか嬉しそうだ。
「まっ、いいんじゃない。理由がどうであれ、ここの居心地がいいんでしょう? それなら、気の向くまま、自由にいてもいいんじゃない」
「やだなぁ……でも、落ち着くんですよねぇ。この場所が」
「るりが帰ってくる場所があれば、それはいいと思うよ。べんさんは束縛はしないし、同じような感性で話せる相手はそういないし、お互いがプラスになるならいいんじゃない。それに、色んな人に囲まれてるけど、やっぱりひとりのべんさんが、わたしは心配だしね。いいパートナーのような関係というか、ほら、あれよ……」
 わたしは、天井からぶら下がるブランコに仲良く乗っているドラえもんの隣のドラミちゃんを指差した。
「妹? 」と、るりは笑った。
「べんさんは、もう家族がいないじゃない」
「家族かー。わたし、美樹さんが親戚のおばさんのように思えるときがあります」
 キッチンの奥で洗い物をしていたべんさんが、柱から顔を出した。
「おーい。なにをふたりでごちゃごちゃと言ってるんだよ。今日は店、早じまいにしてメシでも食いに行こうかー」
「いいわね。べんさんのおごり?」
 そういうわたしは、知っている。るりが児童養護施設から里親に引き取られ養女で育ったこと。その義母ももういないこと。そして、初めての恋愛が妻子ある人で長く付き合ったこと。また、九つ年下の男子に騙されてお金を盗られたこと。
 だからこそ、るりにはしあわせに成れる人と付き合ってもらいたいと思う。幸福にしてもらいたいと思う。「べんさんならだいじょうぶ……」と、わたしは感じている。この間、べんさんが言っていた言葉で、この人はやはり信じられると思った。
「人を騙すのは簡単だよ。嘘八百を言えばいいんだ。だけど、それで自分に嘘を重ねれば、自分自身に嘘をつくことになり、そんな人生はいやじゃない」
「航海をして、なにが変わった? べんさんに思うことはある?」
「なにも変わらないね。たぶん、おやじが死んでからあまり自分の生き方は変わらない。ただ、あの最初の九州にヨットで行って大分でお世話になったこと……助けてくれた人がいた。航海を始めるその前に、それは本当に助かり心強かった。感謝の気持ちを、未だ伝えていないのが一番に心残りなんだよ。大分のむさしという場所なんだけど、いつかはあの場所にお礼参りに行けたら、おれのあの航海の決着がつくような気がする」
 がんじがらめの都会の社会組織の中で、嘘をついて生きなければならない人は、忙しくて、いつの間にかそんなことにも疑問を抱かなくなった。自分が本当はそうしたくないという嘘を続ける毎日が、それで平気になる毎日がなんとも不甲斐ない。哀しい。今、与えられたことに素直に感謝して、悲しいことは、水に海に流して、楽しいことはまわりの人と分かち合う。嘘を自分につかずに、正直に生きていきたいと、わたしは改めて思う。生きることは、冒険かもしれない。でも今晩は、母親に電話をしよう。そして、明日も家族と夕食を食べよう。今……そうわたしは思った。
「おーい。べんさーん。今日の調子はどうだい?」
 近くの店のオーナーのオージーが、そう声をかける。
「はーい。ピーター。おれは元気だよ」
「べん。今日のパスタはうまいよ!」
「おれにも、その店のランチ持ってきてくれよ。いくらかい?」
「ビール、おごるよ……あとで来いよ」
「べんさーん! どらやき届けてね……帰るとき」
 はやぶさの前の坂道を歩いていくケランダ村ヒッピーの面々がこぞって、はやぶさの中にいる山伏べんさんに手を振り声をかけていく。
 そこに青い美しい蝶の大きなユリシスが、二匹で楽しそうに風に乗って、じゃれあうようにふわふわと飛んでいった。
 はやぶさ常連客で、ツアーガイドのジェフが教えてくれたこの国の人の言葉――ことわざのようなもの。
「True Blue] 
 正真正銘、今、真実であるという意味――海の青さに等しい。
 
                         (了)

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