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第1話

季節は初夏、都内の夕刻せまる街角。
じりじりと蒸すような熱気を追い払うように涼しい風が吹き始めていた。
人通りの激しい中。
一人の少女が当ても無くふらついていた。
年の頃15.6くらい。
華奢な彼女は冬服の制服を着たままである。

 
挿絵


下校途中にしては鞄さえ手にしていないのは不自然ではあったが。
それにも増して不可解な事があった。
よく見ると地に足がついてない。
浮いているのである。
その為、風の吹くままに揺れたり、流されたりしていた。
通行人が幾人も通りすがるも彼女の事は気にも留めない。
実際何人も彼女と重なったのだがぶつかることもなくすり抜けていった。

どうやら彼女は幽霊とかいったそういう類のものである事が感じられた。
誰も彼女に気づかなかったし気にも留める者は一人としていなかったから少なくともこの世の者では無い様に感じられた。

私の名前は天野命。
気がついたらいつの間にか、ふらふらとさ迷っていた。
名前以外は何も思い出せなくって記憶喪失? てやつかなとも思ったけど、どうやらそんな甘い状況ではないらしい。

そう思いながら命は自分の体に目をやる。
全体的に線が薄くどんなに強い日差しを浴びても影が出来ないのだ。
おまけに足元は常に数センチ地面から離れ常に浮いている。
そして自分の体に触れることも出来ない。
どこを触ろうとしてもすり抜けるのである。

これって幽霊ってやつだよね。
「ふうー」
「どうしたらいいのか解んないよ」と途方に暮れる命。
命は誰に言うとも無くぼやくが勿論答えるものなど誰一人いない。
このまま誰にも気づかれずに風の吹くままにあっちへいったりこっちへ行ったりか・・・
うーん・・・この格好から見ると自分は、ありきたりの女子高生にしか見えないんだけど。
私は多分とても悪い人間で何か悪いことをしでかして自業自得で死んで、死んでからもバツを受けているのかもしれない。
仕方ないことなのかも?
命は自分の今の境遇を噛み締めるように感じていたが、いかんせん記憶がないのですっきりしない様子だった。
「でも、なにも覚えてないのに・・・」
「こんなの納得出来ないし・・・」
「ああ、私は不幸だ」

命は悲しみの淵に沈んでいたが、さりとて運命は容赦などしない。
悪いことは次々と起こるものだ。
折しも突然の強風に煽られ命は自分の願わぬ方向に運ばれる事になってしまう。
「え?」
「やだ、なにこの風?」
「ちょっと待って、ちょっと待ってよ!」
(だってあっちの方には・・・)
命が飛ばされていく先には空き地があった。
そこは曰くつきの土地でその周囲に住む人間は誰も近づこうとはしない。

数年前・・・
ひどい男がいた。
ろくに働きもせず博打に手を出し多額の借金を作り酒びたりの暮らしをしていた。
妻も子も愛想をつかし出て行ったが
サラ金からの取立ては毎日頻繁に来ていた。
「だから、ないものは無いっつーの」
「ひっく」
酒びたりの中年男は黒服のヤクザと思しき数人の男に囲まれても尚、したたかに酔っ払ったままだった。
黒服の男たちは特に粗ぶりもせず一人の男が極めて丁寧に対処した。
「ふっ」
「私達もプロですから」
「どんな手を使っても債権は回収させてもらいます」
「これを見てください。」
「それは・・・」
中年男は、たちまち顔色を変えた。
黒服の男の手には生命保険の書類が握られていた。一千万円の保険だ。
「奥さんの実家まで頂きに行ってまいりました」
保健の受取人に妻の名は無く見知らぬ男の名になっていた。
いや、そうではない。今目の前にいる。
黒服の男はニヤつきながら自分の名刺をちらつかせた。
まごうことなきその名である。
黒服の男はサングラスを外し、鋭い眼光を放ちながら
「あんただって知っているよな?」
「契約1年過ぎたら自殺でも保険金が下りることを」
すると黒服の男の一人が脇に抱えていたアタッシュケースを開いた。
特注なのだろう。中にはケースより一回り小さい灯油タンクが入っていた。
「た、助けてくれ」
「死、死にたくねー」
一大事に男はあらん限りの抵抗をするが
所詮酔っ払いと屈強なヤクザ。
所詮多勢に無勢。
男はあっと言う間に気を失った。
「さて、火を付け、さっさととんずらと行くか?」
「いや、待て!」
「酔っ払いながらもこいつ」
「なかなか抵抗しゃがったからな」
「念のため止めを刺しておこう」
一人が口をハンカチで押さえ、もうひとりがナイフを突き立てた。
中年男は僅かなうめき声を上げすぐに絶命した。
「ふっ」
「流石に組一番のナイフ使いだな」
「正確だ」
石油を撒き、火をつけその場を去ろうとする一同。しかし・・・
「何もたもたしてんだ」
「開かない!」
「開かないんだよ!」
鍵もかかってない戸がびくともしなかった。
「そんな馬鹿な」
「冗談じゃねえぞ」
「こんなとこで死んでたまるか!」
黒服の男達は窓から逃げようとしたがどうしてか窓もあかない。
無論鍵などかかっていないのにだ。
次第に火と煙が勢いを増してくる。
黒服の男たちは必死の形相で窓ガラスを割ろうとした。
だが屈強な男たちの拳がボロボロになろうとも窓ガラスにはヒビ一つ入らない。
男たちが火と煙にまかれ死んでいく。
死の直前、男はふと自分たちの殺した男の方に目をやると男の顔は微笑んでいた。
「くそったれ・・・」
そして男たちは死に絶えた。
その瞬間、扉は開き、窓ガラスは粉々に砕け散った。
そしてその炎の勢いはこの家一軒を焼き尽くすまで収まらなかった。

そして月日が経ち、他の借金の担保に入っていたこの土地は人手に渡ったが、工事に入ると決まって工事関係者に災難が起こるためいつしか誰も近寄らなくなった。
そして木造だったため全て燃え尽きたこの地はそのまま残されている。
なぜか草1本さえ生えない曰くつきの土地として誰も立ち入ろうとはしない場所になっていた。
その場所には今尚その男が居た。
自業自得だったが未だにこの世に強い執着を残したその男は自縛霊となってその場に留まっていた。
命は何度か通り過ぎた事があった。もう少しで捕まりそうになってヒヤリとさせられたことが何度かある。今の命では捕まったが最期逃げられない。
取り込まれたら最期。
霊塊(いくつもの霊が集まった状態、怨念が重なりより強力な災いを成す源となる)
になってしまう。
「いやだ!」
「そんなの絶対に・・・」
私は死んだんだ。
それは確かに若い身空で死んだんだ。
未練もあるだろう。
悔しいだろう。(憶えてないけど)
私は運命とか宿命とかは信じないけど現実は現実として受け入れなければならない。
残念だけどそれが自然の摂理。
掟。
それを破るとこの世は人で溢れかえってしまう。
死者と生者の争いが起こるかも知れない。
何事にも始まりがあれば終わりがある。
それが嫌ならば時間の無い世界に行けば良い。
しかしそこでは何も終わらない代わり何も始まらない。
もし生命に死が無ければ懸命に生きることも虚しくなるだろう。
人は死ぬからこそ今を精一杯生きているのである。
しかしそんな思いも届かず命はその男の居る空地まで流されて来た。
男は黙って手招きをしている。ゆっくりと命は男の方に流れていった。
「ああ、やっぱり運命なの?」
「こんな残酷な・・・」
「やっぱり運命には逆らえないの?」
命はなんとか逃れ様ともがいたが、やはりそれは叶わない。
命は仕方なく観念して目を閉じた。
すると不意に後ろから引っ張られた気がした。
しかし自分でさえこの霊体には触れないのだ。
この男に取り込まれることは疑わなかったが後ろから引っ張られる感覚には半信半疑だった。

「おい!」
「大丈夫か?」
背後から男の声がする。
しかし前に居るはずの中年男とはとても思えないほど若い男の声だった。
命は恐る恐る振り返った。
すると・・・自分の手を掴んでいる少年の姿が目に映った。
年の頃17、8くらいだろうか、彼は冬服の制服を着ていた。
「え?変な人?」
「おい!」
「放すぞ!」
彼は私がもう少しで嫌な自縛霊に捕まる所を助けてくれたのだ。
感謝の一つでもされるはずでいたのだろう
意地悪するようにそう言った。
むろん放す様子は全く無く、その手は硬く握られたままだったが。
「とりあえば話は後だ」
「とにかくこの場を離れるぞ!」
そして2人はその場を離れた。

そこは、その場からは縦にも横にも離れた場所にあった。
そう、2人は空の上にいたのである。
男は城戸霊士と名乗った。
彼も幽霊らしく、それも完全な?浮遊霊なので飛べるし自由に動くことが出来るそうだった。
そして命と比べて体の線がはっきりしていて
霊感が弱い人でも少しは見えそうな感じだった。
「なんで冬服?」
命の関心事は、まずそれだった。
「ああ?、幽霊は大抵死んだ時の姿のままというのがセオリーだろ?」
「だって記憶がないんだもん」
「それより手は放さないでね、飛んでっちゃうから」
城戸霊士はその場に見事なまでに静止していたが命の体はふわふわ揺れていた。
「俺も名前以外は記憶無いけど」
「あんた、名前は?」
「私の名前は天野命」
「多分・・・」(なんとなく思い浮かんだだけだけど)
「ふーん、で命は飛べないし動けないんだ
「うん、て、呼びつけかい?」
「霊になってまで敬称なんか別にいらないだろ?」
「うっ、こいつ、けっこう正論をついて来るわね」
命は少ししゃくだったが久しぶりに誰かと会話を交わせることがなんとはなにし嬉しかった。
「というわけでこれからは2人で行動だな」
霊士は掴んでいる手とは逆の手を差し出し握手を求めた。
「どういう理由よ!」
命は逆手で霊士の手を払いのけたが自分でやりながら驚いた。
「そういえば触れる・・・」
「自分の体にも触れないのに・・・」

「人にも個性があるように霊にも性質や個性があって当然だろう?」(ならば望みはあるか)
霊士は言いながら何か考えているようだった。
「うう・・・」
「やっぱ偉そうだ」
命は少し膨れたが霊士はお構いなしだった。
「実は」
「幽霊という自覚を持ってから成仏する努力をしてきたんだが」
「やはりこの世の未練を断ち切らないと、どうやら無理らしい」
「その為には是が否でも記憶を取り戻す必要がある」
「生きていればインターネットで調べたり」
「警察に届けたり」
「人に聞いたりして」
「いくらでも調べようがあるというに」
「幽霊ではそれもかなわない・・・」
霊士は少し悲しそうな顔をした。
(そうだよね、私達。死んじゃったんだもんね)
先程までは自信満々で頼り気だった霊士のそんな姿に命は親近感を覚え、励ますかのように快活に話し始めた。
「じゃ、じゃあさ」
「生きている人に乗り移らせてもらって調べるとかは?」
「出来なかった」
霊士は首を振る。
「ああ・・・」
命はうなだれかけたが
霊士は気を取り戻した。
先程の悲しそうな顔は消え自信満々に見える表情を浮かべていた。
「自分は無理だったが命なら出来るかもな?」
「え?」
「でも、みんな人間はすり抜けてったよ?」
「それはその人の意思が人体に介在しているから当たり前だ!」
「まあ、強い力を持つ霊なら出るかも知れんが・・・」
「通常は気絶しているとか寝ているときがチャンスだな」
「へえ、よく知っているわね」

「もしかして生前は霊能者とかだったんじゃないの?」
(どうやら、霊士は人には弱さを見せず頑張るタイプね)
(それでも霊士だって一人で心細かったんだろうね)
そう思うと命は自信満々に見えるこの男にも親近感を覚えた。
ともあれ当面の目的は決まった。乗り移れる人間を探すことだ。
霊士はこれまで何人もの人間に乗り移ろうとしたが無理だったらしい。
だから私なら出来るかもしれない? というか霊にもDNAの様な固有のものが存在し霊波と呼ぶらしい。
その波長の合う人間でないと乗り移れないらしい。

あるいは、霊の能力や強い意志、その他なんらかの条件が揃えばと霊士は言っていた。
まあそう簡単には見つからないだろう。
そして波長の合う人間が見つかれば霊士だって乗り移れるかもしれない。
年や性別も似ている方が波長の合う確立が高いということも命は教わった。
「さてと、もう日も暮れてきたことだし」
「目当ての人間を探すために住宅地を探すとするか」
霊士は命の手を取りその場を飛び去った。
ほどなくして高層マンションの立ち並ぶ一角にたどり着いた。
そしてひとつのマンションの前まで来たとき命は何かの気配を感じ上を仰ぎ見る。
それなりの高級マンションであろう。
階数は20階ほどあった。
命は目を凝らして見ると暗闇に何かを見つけた。
下からではよく解らなかったが私服姿の一人の少女であると判断するのにそう時間はかからなかった。
屋上のフェンスを乗越え身を乗り出している。
そう、今しもその少女は飛び降りようとしているところであった。

「霊士あれ」
命は上方を指差し霊士に屋上まで連れて行くようにせっついた。
霊士は命の手を取り屋上まで飛んで行こうとしたが時既に遅し、二人が8Fの直前まで行った所で少女は飛び降りてしまった。
20F建てのマンションの屋上から飛び降りた少女は15F辺りで気を失い、頭をまっさかさまにして凄い勢いで落下してくる。
下はコンクリート、まともに落ちれば骨はバラバラになって即死は免れない。
そんな中、命はすぐさま霊士に落下コースに縦軸を合わして彼女と自分が丁度重なり合うようにしてくれと頼んだ。
霊士は命の意図を察知したか、せずかはともかく黙って協力してくれた。
「気絶しているから乗り移ることは可能なはず」
「そしたら落下しながら最寄りの階のバルコニーの手すりに」
「手を伸ばしてしがみつけば」
「腕は折れちゃうけど助かるかもしれないわ」
霊士は今までの命とは違いその真剣な眼差し、そしてその気迫に戦慄を覚えた。
「いい?重なったらすぐに私の手を離してね」
「そうしないと抜けちゃうかもしれないから」
命は冷静な判断力で次々と霊士に指示を出す。
そして命と少女が重なった。
霊士は全て完璧にこなした。
軸調整も手を離すタイミングも、ものの見事に決まった。
そして肝心の命の方はと言うとこちらも見事に乗り移ることに成功した。
波長が合ったのかそれとも命の気迫が成功を呼んだのか。
あるいはその両方か、しかし空中でのすれ違いざまの乗り移りも神業だったが
次のバルコニーの手すりに捕まるというのも大博打であることに変わりはなかった。
「ふう、なんとか乗り移れたわ」
「とにかく空気抵抗を大きくしなきゃ」
命はとっさに精一杯体を広げ空気抵抗を大きくするように試みた。
そして体を回転させ体勢を立て直すと左手1本で手すりにしがみ付いた。
体勢を立て直していたので両手でしがみ付くことも可能だったが命は敢えてそれはしなかった。
ショックで左手は折れ激しくからだが浮き上がる。
「ぐぐぐ」
命は激しい痛みに耐えながらもすかさず右手で手すりにしがみ付いた。
衝撃で左手は見事に折れており使い物にならないのだ。
誰かが気づくまでしがみ付いていることが出来なければ結局は助からない。
命の判断は正しかった。
が、今又不測の事態が起ころうとしていた。

あまりの激痛にこの体の持ち主が目を覚まそうとしていたのだ。
もし目を覚まされてしまったならこの体の主導権は持ち主に帰参する。
すなわち命には心の中に語りかけることは出来ても体を操ることは出来なくなってしまう。
そうなれば自殺志願者である彼女は右手を自ら離してしまうことは火を見るより明らかであった。
「くっ、ここまで来て・・・」
命は助けを呼ぼうと考えていたが彼女の目が覚めればそれよりも早く彼女は手を離すだろう。
命は無言で既にその場まで降りてきていた霊士の方に目を向けた。
なんとかならない?と目が語っていた。
自分では何もせず人に縋る様な眼差しではない。
自分ではこれ以上どうにもならない。
人事を尽くして天命を待つにも似た面持ちが伺える横顔だった。
霊士は何が出来るはずもなかったのだが
命の予想外の活躍に引き込まれ何か出来そうな気がしていた。
そうだ・・・「幽体干渉!」霊士はそう叫ぶと彼女の左手に手を翳し何かを引っ張るような仕草をした。
すると彼女の左手が2本になったように見えた。もちろんそれは2本になったわけではない。折れている部分から先が本体の左手とそれから抜け出すように線の薄い左手が存在していたのだ。
「何をしたの?」
命はきょとんとしていた。
「幽霊は人間から完全に抜け出た状態で霊体と呼ぶが」
「人間の体には幽体という状態で入っている」
「通常は危篤状態やなんらかのショックで抜け出してしまうこともあるが・・・」
「さっきのは、それに干渉して左手のこの部分だけ本体から離脱させてやった」
「これで本体が痛みで目覚めることは無いだろう。ともあれ早く助けを呼べ!」
ボーゼンとしていた命だったがハッと我に帰り大声で助けを呼んだ。
なにしろ今の命には霊士の特殊な知識と特殊な能力に興味を示している余裕もなかった。
すぐさまその階の住人によって救助される。早急に救急車が呼ばれそのまま病院へと搬送される命と少女。命はその少女の中である想いを胸に秘めていた。
しばらくはこの娘の中に居よう。

また自殺しようとするのを説得して止めさせることが出来るかどうかは解らないけど・・・
救急車について飛んでいる霊士もまた別の思いに身を寄せていた。
なぜあんなことが出来たのか、出来ると思ったのかは解らない。
でもたった一つだけ解ったことがある。
幽体の左手を見て解った。命の霊体より明らかにはっきりとしていた。そう、自分の姿と同じくらいに。俺は幽体だ、本体はどこかで生きているのに違いない。
だが命には黙っておこう。
完全に死んでいる命には・・・
確かに自分が幽体なら一刻も速く自分の体に戻ることが最優先だろう。
だが、さっきの命の直向な姿を目の当たりにした霊士にとってどうでもいいことの様に感じられた。
おそらく命はあの少女を救うためにこれからも懸命になるのだろう。
ならば俺も出来る限り力を貸してやろう。二人はそんな決意を胸に病院へと向かった。
もうすでに日はとっぷりと暮れていた。

しおり