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京の都のまじない屋


 時は明治十五年、この年の三月二十日に東京で上野動物園が開園したが、このお話の舞台は京都にございます。

 幕末の動乱を乗り越えた今日この頃、ここの市井や貧民街では度々怪異が起きている。物が消え、人が消え、或いは傷つき心を病んでしまったり。
 動乱を乗り越えた余波だというものもいれば、貧しさに耐えかねた者が奪っていったとも、動物の仕業だとも、悪夢に飲まれてしまったのだと祈るしかなかった。

 そんな中、京都郊外のクソボロ家屋で暮らし、町を歩いて人の運勢を見たり、祈祷をしたりで日銭を稼ぐ少女がいた。彼女はしがないまじない屋で、或いは薬師として政府高官は相手にせず、町人たちを相手に商売している。

「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい、ついでにお客になって頂戴。最近話題の占い師、コンにお一つ任せてみない? 当たるも八卦当たらぬも八卦、あなたの吉凶見てみましょう。するべき事と、すべきでない事、見事当てて見せましょう」

 その少女は世にも珍しい金色の髪を肩までの長さにしており、桜の模様が入った薄い桃色の着物に紺色の袴を着て、左手で持つ赤い番傘をくるくると回しながら大通りを歩いている。
 興味本位で一度見する者こそいるが、見てもらおうという者は一日十数人もいればいい方で、やはり得体の知れない存在には声をかけづらいと言う事だろうか。

「んっん~。今日もさっぱり閑古鳥、世知辛いったらありゃしない~」
「あの」
「はぁい? 何か御用でしょうか?」

 コンに声をかけて来たのは着物を着た若い女性で、その表情はどうにも浮かない。ひとまず道の脇に移動したコンが用件を聞くと、彼女は今にも泣きそうな顔で俯いてしまった。

「実は……私の夫が病に倒れ、医者に診てもらっても皆目見当がつかないとの事で困り果てているのです。うわごとの様に『森が……』と呟くので良くないものの類かと思い、一か八か声をかけました」
「ふむふむ。私は占いの他に憑きもの落としもしております。そちらはちょいとお金がかかりますが、まずは見てからにしましょう」

 コンは女性の案内で夫婦で暮らしていると言う長屋へ行き、その道中で団子を買った。


 ある長屋に来たコンは傘をたたんで中に上がり、畳に敷かれた布団の中で寝込む具合の悪そうな男を見ると少し表情をしかめた。その傍らには医者がおり、彼女らを見て頭を下げた。

「奥さん、その方は?」
「町でお声がけしたまじない屋さんです。他に原因があると思い、お越しいただきました」
「おお! そりゃ心強い、薬でも苦しみを和らげる事しか出来ず困っておったのだ。私は病院に戻らねばならん、薬を置いて行くからいつもの分量だけ飲ませておくれ」
「ではでは早速見てみようかな」

 医者が出ていくのと入れ違うように草鞋を脱いで男の傍らに正座したコンは男の額に右手を当て、次に頬に、それから手を離して親指で人差し指の真ん中を擦るいつもの癖を出すと何やら考えだした。

「どうでしょうか……?」
「こりゃあ跳霊ね」
「ちょうりょう?」
「最近、自然の中を歩いたりはしなかった?」
「え、ええと。確か、森の中にある神社にお参りをしました。祝言を上げたばかりですので、元気なお子を授かりますようにと」
「それだろうね。豊かな緑によく現れる小動物の霊の事よ、こんな風に悪さをするはずはないんだけど……」
「ええっ!? この時代にそんなものが……?」
「時代が進み、人の生活が変わろうとも世の理が変化する事はない。腹は空くし眠くもなる、金は欲しいし命はいつか死ぬ。……まあいいわ、この程度ならばたいして金は取らない」
「あ、ありがとうございます……! それで、どのようにしてお祓いするのでしょうか……?」

 女性の疑問に頷いたコンは膝を叩き、傘を持って立ち上がると肩に担いでニヤリと笑みを浮かべた。

「憑りついているなら追い出すしかない。けれど、基本的には話し合いで解決よ、やつらも望まず引かれた場合があるからね」

 男の顔を番傘で小突いた瞬間、彼の体から火の玉が飛び出してきた。その様子に女性は叫び声をあげる事も出来ないほど驚愕して腰を抜かしていたが、コンは彼女を守るように立ち塞がると鋭い目で彼らを睨みつけた。

「話が出来ればいいんだけど」
『ひゃあ! 助かった、おいらたちの森を助けてちょうよ!』
「はん?」
『森に暴れん坊の悪霊がやって来たんです! しかも居心地がいいのか森の仲間たちを次々追い払っておいらだけがみんなに頼まれて逃げて来たんです! でも、よく考えたら普通の人間じゃおいらに気づくはずがなくて……』
「事情が本当かどうか信じられないわ。この人から離れて私をそいつのところに案内して」

 火の玉が兎の姿になった途端、男の顔色がよくなり女性が安心した。コンが今日は家から出ずに愛する人の傍にいるように言うと、彼女も頭を下げて男性の頬を撫でてやり、兎に呼ばれたコンは森の跳霊たちを脅かす物の怪とやらを見に町を後にした。



 その日の夜、コンは兎……サンチの案内で神社があると言う森までやって来ていた。参拝者はいない、この時間にいる方がおかしいだろうし、人目のない方が彼女にとっては都合がよい。

『お、おかしい……仲間の気配が全然しないっす』
「動物の気配もしないわね。その悪霊とやら、あんた達だけじゃなく常世の者にも影響を与えているみたい」

 道を歩きながら周囲に気を付けるコンだったが、彼女とサンチの目の前にフクロウの霊が飛んできた。咄嗟に身構えるコンだったが、サンチが嬉しそうにフクロウの傍に行くと両者はくるくると回り始めて彼女を困惑させている。

『モキチ! 心配したぞ!』
『心配かけたのはお前の方だサンチ! みんながどれだけ待ったと思ってる!』
『すまねえ! けどもう大丈夫だ! このベッピンさんはどうやらこっち側にも通じているらしい!』
「私はコン。どうやら悪さをしているやつがいるのは本当みたいね、場所がわかるなら教えて」

 番傘を肩に担いだコンがため息をつくと二体の霊は何度を頭を下げて彼女を神社へと導いていった。


 鳥居をくぐって参道を通り、本殿が佇む境内まで来た一人と二匹は彼らの仲間が他にいないかどうか見回してみたがその気配はやはりない。二匹が呼び掛けようとしたが、その瞬間、ガサガサと落ち葉を踏む音が周囲から聞こえてくると、袴や着流し姿の半透明の男たちがコンたちを取り囲んだ。

『ひょええええっ!? で、出たあああ!』
『姐さんお助けえええ!』
「霊魂が驚くって言うのも新鮮だね」
「何者か! ここは我々が蜂起するための拠点の一つぞ!」
「蜂起? 幕末の動乱を経て西南戦争も終わり、明治も十五年過ぎたって言うのに何をしようとしているんだか」

 呆れたコンが番傘を肩に担ぐと男たちは一斉に抜刀して敵意を露わにしてくる。サンチとモキチは震え上がってしまい、一旦気配を消すように言われるとポフン!と消えてしまった。

「我が薩長の同胞らは明治政府などと宣い権利をほしいままにしている! この国を守り、人々の暮らしを守るために我々は幕末の動乱に身を投じたと言うのに!」
「それが今はどうだ!? 維新を支えた西郷さんを追いやるなど言語道断! 士族の不満を払えなかった大久保も凶刃に倒れた!」
「廃刀令を始め、武士の誇りを汚す所業は許し難い! こうなれば政府は勿論、薄汚い平和を貪る愚民もろとも黄泉への道連れにしてくれる! 邪魔するなら女子だろうと容赦せん!」

 轟々とがなり立てるのは幕末の頃、命を懸けて京都で戦った志士たちだった。しかし、彼らの魂はこの期に及んでも救われる事なく、現世への憎しみで半ば実体を持つほどにまで膨れ上がっていた。
 そんな彼らを見ていたコンはため息をつくと小さく首を振り、肩に担いだ番傘を主格であろう男に向けた。

「馬鹿どもが。動乱はもう終わったんだよ。表舞台にはお前たちの出番も、俺の出番もありゃしない」
「なんだと……!?」
「ただの小娘に何がわかる! 八つ裂きになって悔やむがいい!」
「話し合って済む相手だとよかったんだが……そういうわけでもないらしい」
「何をごちゃごちゃと……もとより言葉を交わす気など無い! 武士の誇りたるこの剣で正しき世を作ってくれる!」

 主格の男の指示で志士の霊たちがコンに襲い掛かる。だが、彼女は臆することなく番傘を右手に持ち替え、柄の方から先端にかけて左手を滑らせると番傘全体が赤い炎に包まれていく!

「な、なんだ!? 妖術の類か!?」
「ひるむなかかれ!」
「時代錯誤の不逞浪士どもめ……俺の愛刀の虎徹は今宵も腹を空かせているぞ!」

 炎が散った時、彼女の手には日本刀が握られており、彼女の頭には狐の耳が、お尻にはふさふさの尻尾が生えていた。驚くべき芸当に隙を見せた男たちの隙をつくように、コンは抜刀すると手近にいた二人を切り捨てた。

「こ、虎徹だと……!? 馬鹿な、そんな事が……!」
「嘘だと思うならかかってきな。切られた瞬間にわかるだろう」

 鞘を袴の帯に差してニヤリと笑みを浮かべたコンに煽られた男たちは気勢を上げて襲い掛かるが、卓越した剣腕の前に為すすべなく倒されては消え、最後に残った主格が刀を八相に構えて斬り込んで来た。

「キェェェエエエエエッ!」
「示現流……か」
「チイイィェストオオオオオオオゥ!」

 猿叫と共に振り下ろされる必殺の剣。大地を抉るほどの一刀は食らえば必死……だがその直前、コンは幻のように姿を消していた。

「な、なにっ!」
「薩摩の太刀は初撃を外せ、俺自身がかつて隊士たちに伝えた事だ」

 いつの間にか背後に回り込んでいたコン、男は体を捻りながら横薙ぎを放とうとするも間に合わず、胴を払い抜かれると糸の切れた人形のように倒れた。

「お、女如きが、これほどの、剣腕を持つなど、あ、あり得ぬ……。そ、それに、その刀……」
「長曾祢虎徹は希代の名刀、これを手放すなど死んでも出来ぬ」
「な、んだと……!?」
「……その昔、明治元年、京の都で死んだ一匹の狼はこの地に住まう稲荷の大狐に魅入られた。そして、新たな命として今を生きている」
「し、信じ難い話だが俺自身が信じられぬ存在だから、信じるしかあるまい……。冥途の土産に、その名を聞かせろ」

 納刀したコンは刀を番傘に戻すと同時に耳と尻尾も消えた。そして傘を開いて肩に担いで得意げに、八重歯を見せるように微笑んだ。

「近藤いさな。コンと呼ばれるしがないまじない屋よ」
「お、お前のような、剣士を、一人、知っているぞ……。かつて、壬生狼と、呼ばれた……男たちを、率いた……」

 コンは男の言葉を待たずしてその場を去り、彼も力尽きて消滅した。その後、夫婦から報酬を貰った彼女は森の跳霊からも木の実を貰ってしばらくの食べ物に困らなくなった。


 翌日夜、京都郊外にあるクソボロ家屋。その屋根の上に座るコンは番傘を広げて月を見上げていた。その表情はどこか寂し気で、厳しくも見える。

「……見ているか、トシ、みんな。この世は確かに動乱が終わり人々は生活を取り戻した。しかし、未だ幕末の亡霊は京都に留まり平穏を脅かそうとしている。主を人から大狐に変えようとも、これからも俺は人々を守っていくぞ」

 番傘を閉じたコンは立ち上がって大きく伸びると、苦しむ人々を探して今夜も京都の町に飛んでいった。

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