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破滅を齎す者3

 暫くもごもごと口を動かしていたシトリーは、機嫌がよさそうにしている。魔力の味というのはよく分からないが、まあお気に召したのならばなによりだよ。

「・・・ふあ」

 夜も更けてきたところで眠くなってきた。プラタが戻るまで起きていようかとも思ったが、そろそろ寝るとしようかな。気持ち悪いのも大分治まってきたし。

「そろそろ寝るとするよ」
「うん。おやすみー」
「おやすみ」

 シトリーと就寝の挨拶をすると、眠りにつく。明日になれば消化も進んでいるだろうし、気持ち悪さも完全に無くなっている事だろう。





「んー・・・・・・」

 ジュライが眠りについて少し経ち、完全に眠りについたところで、周辺を警戒しながらシトリーは人差し指を唇に当てると、思案げに首を傾げた。

「やっぱり味が変わったな。でも、悪くなった訳でもない・・・んだけれども、何処か物足りない感じ? んー・・・何かが抜けたような? んー・・・」

 ああでもないこうでもないと独り言を呟きながらシトリーが考えていると、プラタが戻ってくる。

「おかえり」

 帰ってきたプラタの手には、大きな陶器製の壺が抱えられていた。

「ただいま戻りました」
「それだけ?」
「ええ。残りはまた別の場所に」
「全部持ってくればいいのに」
「漬けこむにも時間が掛かるのです。数も多いですから、持ち運ぶには適していません」
「ああ。まぁ、ジュライ様の背嚢の中は大容量だけれども、時間が止まっているようだからね」
「ええ。完全ではないようですが、それでも必要な時にその都度持ってくればいいのです」
「ふぅん。でも、それも持ち運びが大変じゃない?」

 抱えて運ぶような大きさの壺を指差して、シトリーがプラタに問い掛ける。
 確かに壺の数は一つだが、持ち運ぶには邪魔な大きさだ。その大きさでは、普通の背嚢や鞄に入れて持ち運ぶという訳にはいかない。入れるにしても、余程大きな入れ物が必要になるだろう。

「これはご主人様の朝食用です。中の肉もほどほどに漬かっているので、ご主人様の背嚢に入れていても問題ありません」
「そっ。ならいいけれど」

 シトリーが肩を竦めると、プラタは抱えていた壺を近くに在った膝丈ほどの岩の上に置く。

「それで、私の留守中に何か変わった事はありましたか?」
「なーんにもないよ」
「そうですか」

 惚けるようにシトリーがそう言うと、プラタはジュライの近くに移動して腰掛けた。そのままジュライへと目を向ける。

「・・・それにしても、何度見ても君は変わったねー」
「そうですか?」
「ああ。もうほとんど生き物だ。それ、その人形から出られるの?」
「可能ですよ・・・やりませんが」
「そう」
「ええ」

 ジュライの方に目を向けたままプラタが頷くと、暫し二人の間に沈黙が流れる。

「・・・・・・それで、貴方はこれからどうするのですか?」
「どうって?」
「ご主人様は御主人様・・・オーガスト様から離れられました。貴方はこれからどうするのかと思いましてね」
「別にどうも。契約している以上、これからもジュライ様の傍に居るよ」
「契約を継続すると?」
「そう簡単に破棄できない事ぐらい君も知っているだろう? 何を警戒しているかは知らないけれど、私は別にジュライ様と敵対する気はないよ?」
「・・・そうですか」
「そうそう。君ほどの忠誠はないけれど、それでもジュライ様の為に戦うぐらいの忠誠はあるつもりだよ・・・ああ、君の場合は忠誠というよりも愛情かな?」
「・・・・・・そうですか」
「そうそう。だから警戒するだけ無駄だよ。わざわざ私を警戒して近くに居る君には悪いけどね」
「・・・・・・」
「ふふふ」

 何も答えないプラタに、シトリーは含むように笑う。三人の他に誰も居ない洞窟内に、シトリーの静かな笑みが響く。
 シトリーは暫く笑うと満足したのか、笑みを止めて近場に腰掛けた。

「それにしても、世界は急に動き出したね」
「オーガスト様が目覚められたのです。それに世界が反応しない訳がないではないですか」
「まぁ、それはそうなんだけれどもさー。幾つか世界に手を加えられたようだし」
「直にあの森も統一される事でしょう」
「まあね。死の支配者もあれには手を出さないだろうし」
「ええ。オーガスト様の御許可を賜れれば別でしょうが」
「多分あの程度であれば、手を出しても気にもされないだろうけどね」
「そうでしょう。オーガスト様にとっては、あれだけの力を有していようとも、そこらの有象無象と大差ないでしょうから。しかし、そこは別に大事ではないのですよ」
「まあ死の支配者にとっては、主公様がお創りになられたという部分が大事なだけだからね」
「ええ。彼女にとっては、特にそこが大事な部分でしょうから」
「・・・・・・ま、その気持ちも解らなくもないけれど」

 プラタの言葉に、シトリーは何処か遠くへ語り掛けるような声音で呟く。

「・・・・・・そうですか」
「今なら君もだろ? あの頃の私とは違うがね」
「あの時の貴方とでは、そもそも向いている方向が違うと思いますが」
「・・・・・・それもそうだね」

 そのプラタの指摘に、シトリーは苦笑するように肩を竦めた。
 シトリーが肩を竦めると、再び沈黙が訪れる。元よりプラタは多弁ではないので、シトリーが喋らなければ静かになるのは必然であった。
 静かな空気の中、シトリーはプラタが持ってきた壺に目を向ける。

「それにしても、何やら酸っぱいにおいがするね」

 壺に近づき、しゃがんでにおいを嗅いだシトリーは、壺に目を向けたままプラタに問い掛けた。

「果実や穀物などを発酵させたモノに漬けていますから」
「・・・それは美味しいの?」
「浅く漬けた物をそのまま焼けば美味らしいですよ。逆にしっかり漬けたモノをそのまま食べれば珍味になるとか」
「・・・まぁ、臭いは消えるだろうけれど、大丈夫かなー?」

 壺に目を向けながら、シトリーは疑わしげに首を傾げる。

「毒物ではありませんし、比較的味覚が人間に近い種族が美味としている物ですので、問題はないかと」
「そう。ならいいけれど。ま、君がジュライ様に毒物を食べさせる訳がないから、そこは心配してないけどね」

 シトリーは立ち上がると、伸びをしてプラタの方に目を向けた。

「まだジュライ様はお休みみたいだね。やっぱり身体が変わって感覚が違うのかなー?」
「それはご主人様に伺わねば分かりませんが、身体を変えたのですから、感覚も変わったとは思いますよ」
「以前より人間らしくなったからねー」
「・・・・・・そうですね。これで良かったのでしょう」
「んー・・・まぁ、そうかもねー。あのままでも色々大変だっただろうし」
「ええ」

 二人に見つめられても、ジュライは目を覚ます事なく眠っている。
 まだ時間的には夜中。外が薄暗くなるにはもう少し時間が掛かるだろう。

「さて。それはそれとして、これからどうするんだい?」
「どういう意味でしょうか?」
「これからの目標さ。目的は必要だろう? それとも、ただ闇雲に旅をするのかい?」
「それはご主人様が決める事です」
「ジュライ様は世界に詳しくないのだから、情報を提示する事ぐらい出来るでしょう?」
「・・・・・・」

 シトリーの言葉に、何か言いたげにプラタが視線を向ける。その視線には、やや剣呑な雰囲気が含まれていた。
 そんなプラタの目に、シトリーはやれやれといった感じで肩を竦めると、呆れたように口を開く。

「別に誘導しようって訳ではないよ。道を進むにも案内は大事だろう? それにそこまで気にするのであれば、情報は君が開示すればいいじゃないか。私が情報を開示すると疑わしいのだろう?」
「・・・・・・」

 呆れと笑いが混じったような声音でそう告げると、シトリーはもう一度肩を竦めて少し離れた場所に移動する。
 離れた場所に在る適当な石の上に座ると、シトリーは欠伸のような動作を行う。

「世界は忙しなくとも、ここは平和なものだ。いいことだねー」
「・・・・・・ふぅ。何が言いたいのですか?」
「別に何も。今のジュライ様でも世界には通用するとはいえ、それでも安全に越した事はないからね」
「・・・どうするかを決めるのは私や貴方ではなく、ご主人様です」
「そうだねー」
「・・・・・・」

 何処となくギスギスしているが、それはプラタだけでシトリーはどこ吹く風と言わんばかりに普段通りにしている。
 そのまま少し時が経ち、洞窟の外が徐々に明るくなってきた辺りでジュライが目を覚ます。





 目を覚ますと、プラタが帰ってきていた。

「おはよう。プラタ」
「おはようございます。ご主人様」

 傍に座っているプラタと朝の挨拶を交わすと、上体を起こす。そこで少し離れた場所にシトリーが座っているのを見つけて、声を掛ける。

「シトリーもおはよう」
「ジュライ様おはよー!」

 声を掛けると、片手を上げて挨拶を返すシトリー。それに笑みを返して立ち上がると、思いっきり息を吸ってから伸びをする。
 そうして周囲を見回したところで、昨夜は無かった物を見つけた。

「あの壺は?」
「漬けこんだ肉で御座います」
「へぇ」
「他にも御座いますが、それは別の場所に保管しておりますので、必要な時に取って参ります」
「そうなの? 背嚢に入れていてもいいけれど?」
「漬かるのに時間が掛かりますので」
「そう。ならしょうがないか」

 兄さんから貰った背嚢は中に収納した物の時間をほぼ止めている様なので、漬けるのには向かない。ほぼ時間が止まっているので腐敗も発酵もほとんど起きなければ、浸透だってろくにしないのだから。
 であれば、プラタの判断が正しいだろう。どれだけの量が在るのかまでは分からないが、あの肉の量だ、結構な量になっている事だろう。

「その肉はもういいの?」
「漬けが浅い方がいいようですので」
「なるほどね。どうやって食べればいいの?」
「中から取り出して焼くだけです」
「なるほど。じゃあ準備するかな」

 竈や鉄板代わりの薄く切った岩を用意して、焼く準備をしていく。昨夜造った竈は昨夜の内に崩していたし、薄く切った岩は新しい方がいいだろう。
 その用意が済むと、竈に火を入れる。
 少ししてから岩が十分に熱せられたところでプラタが壺を差し出してきたので、それを受け取りふたを開ける。

「・・・・・・むぅ」

 瞬間漂うにおいに少し顔が歪む。腐敗臭という訳ではないが、壺の中から独特のにおいがした。
 独特のにおいをさせてはいるが、プラタ曰く食べられる物らしい。においも独特ではあるが腐敗している感じではないと思うし、大丈夫だろう。もっとも、発酵して中身が細かく泡立っているが。
 小さな気泡を眺めながら背嚢の中を探って綺麗な箸を取り出すと、それを使い壺の中を探って漬けられている肉を取り出す。

「これをこのまま焼けばいいんだよね?」
「はい。そうです」
「分かった」

 取り出した肉には、細かく刻まれた何かの欠片らしきものが付着している。
 それの焼き方をプラタに確認した後に、そのまま岩の上に優しく置いた。

「あ、油を引くのを忘れていた!」

 ジュワアと拡がるように焼けていく肉を眺めながら、それを思い出して声を上げる。鼻に衝くにおいも気になるが、そちらの衝撃に一瞬においを忘れた。

「問題御座いません。その肉が漬かっていた液体の中に油が入っておりますので、そのまま焼いても大丈夫なようになっております」
「そうなんだ! それならよかったよ」

 ジュウジュウと焼けていく肉を眺めながら安堵すると、残りの肉も岩の上に並べていく。
 安堵すると、焼かれる事で周囲に漂い始める蒸気に思わずせき込んでしまう。ちょっと一気に焼きすぎたかもしれない。岩の温度も少し下がってしまったし。
 ある程度蒸気が収まるまで身体を岩から離すように逸らせるも、視線だけは肉に向けておく。焦げてしまったら困るからな。
 程なくして、十分に片面が焼けた辺りで肉をひっくり返していく。肉自体は薄く切られているので、直ぐに火が通る。
 それからもう少し肉を焼いた後、十分に火が通る少し前に火を消して余熱で火を通す。以前まで料理はした事がなかったが、これでも多少は学習しているのだ。

「・・・・・・そろそろいいかな?」

 少しして、そろそろ火傷しない程度には肉が冷めたと思うので、肉へと箸を伸ばす。本当に岩にくっ付いていないな。
 箸で摘まんだ肉をお皿の上に一つ置き、息を吹きかけて冷ましてから一口食べる。

「・・・ん! 昨日みたいな臭さが無い!!」

 濃い味付けではないが、しょっぱさと旨みの中にほのかな甘さと僅かな酸味が広がる。噛めば噛むほど味が染みてきて、逆にお腹が空いてきそうだ。
 口の中に果実の甘い香りが広がり、昨日までの肉を焼いただけのモノは料理ではないなと悟った。肉を切って焼くだけとか、料理ではなく調理する過程だもんな。
 もぐもぐと口を動かしながらそれを文字通り噛み締めていると、思いついてパンを取り出して食べやすいように千切ってから、焼いた時に出た汁に軽く浸けて一緒に食べてみる。

「んー・・・これはこれでいいけれど、なんか違うな」

 嵩が増して食べ応えは増したのだが、口の中がパサパサしてなんか違う。それにこれは、小食のボクでは直ぐにお腹いっぱいになりそうで、何となく勿体ない気がしてきた。
 口の中のモノを良く噛んだ後に飲み込み、食べるのを止めてパンを背嚢に戻す。
 パンを仕舞った後、残りは肉単品で食べていく。昨日と違って美味しいので、残りも直ぐに食べ終わった。
 朝食を終えると、片付けを行う。竈を崩したり火がしっかり消えたかの確認を行ったり、岩を軽く洗ってその辺りに捨てたりしていく。
 寝床周辺の片付けまで済むと、出していた荷物を仕舞って準備を終える。
 壺についてはプラタが何処かに持っていった。まだ中に少し肉が残っていたから、次もあれだろうか? 美味しかったから問題ないけれど。

「さて、それじゃあそろそろ出発しようか」
「はい」
「行こー!」

 二人の返事を聞いた後、洞窟を出る。外は明るくなってきていたが、まだ微かに暗さが残っていた。
 プラタの案内を受けながら荒野を進む。迷宮都市の方角はよく分からないからな。方向感覚を掴むのも大事だな。
 近くには異形種達の新たな住処があるようだが、中に誰か住んでいる場所は遠慮した。誰か居ると面倒だし。
 相変わらず時折の襲撃はあるが、大した脅威にはならないので問題ない。むしろ彼我の戦力差がありすぎて、相手が可哀想なほどだ。
 それにしても、荒野も奥までくれば賑やかだな。たまに遠くに少数ながらも魔族を視掛けるが、移動していっただけなので警邏でもしていたのかもしれない。そういえば、ここら一帯も魔族領になるんだったか。

「・・・・・・」

 それを思い出して、他国に来たというのがやっと実感できた。それも他種族の国だ。何だか今更ながらにわくわくしてきたというか、楽しくなってきたな!
 しかし、現状世界情勢はよろしくない。そこに兄さんが外に出たのだから、果たしてどう変化していくのか。兄さんは世界にあまり興味がないようではあったが、正直恐い。あの人は生きている世界が違い過ぎて理解出来ないのだ。まだ死の支配者の方が理解出来る相手だろう。

「・・・・・・ふぅ」

 心を落ち着けるように小さく息を吐く。まだ兄さんの事を思い出すと、小さな震えが起きてしまう。理解出来ないというのが一番恐ろしい。
 このまま迷宮都市に行ったとして、何か出来るのだろうか? まだ自身の能力の把握が済んでいないので何とも言えないが、まるっきり役立たずという訳では無いと思うんだよな。この身体になって軽くなったような感じだし。
 心も体も晴れやかなのは、兄さんの影響がなくなったからだろうか? 能力としては劣ってしまったが、今なら以前以上の能力を発揮できそうな気がするな。やはりこれが自分の身体という事なのだろう。





「・・・・・・」

 黒く塗りつぶしたような世界。その世界を眺めながら、オーガストは一際豪奢な椅子に腰掛け、ひじ掛けに片ひじを乗せると、手の甲に頬を乗せて退屈そうに眼下を睥睨する。そうしながら、自分の状況を確認していく。

(この部屋で最も高い場所に在る椅子だから、これは玉座だろうか? しかし、数段下にもう一つ椅子が在るが・・・あれは一体?)

 オーガストが現在居るのは、死の支配者ことめいの支配する死者の国。その玉座の間ともいうべき場所。
 そこでオーガストは、オーガストの訪問に異様なまでの熱烈な歓迎を見せためいに勧められるまま、最も高い場所に設置されている椅子に腰掛けた。
 その眼下には、伏している者達。数は然して多くはないが、広い空間に居る全員が伏している。
 オーガストはそれを眺めながら、何を期待されているのだろうかと頭を働かせる。
 ジュライの中で過ごしていた間もオーガストは世界を観ていたのだが、流石に領分に反すると思い、めいの支配する地に関しては、稀に様子を少し眺めるだけに留めていた。なので、オーガストはこの地の事にはそこまで詳しくはない。知っていても、精々がめいやその周辺に居る者達の強さぐらいだろう。
 故に、眼下で伏しているめい達を眺めながら、さてどうしたものかと思案を巡らせる。オーガストにとって世界の管理を継がせためいは、少々特別な存在であった。
 ただ、状況的に支配者として扱われているのだろう事は容易に想像出来る。オーガスト自身にはそんなつもりはないし、そんな事に興味は無い。それに、その地位はめいに譲ったはずであった。
 ついでに言えば、オーガストはこの地に詫びに来たのだ。というのも、少し前に勝手に魂を何度も何度も行き来させたので、領分を越えたと判断したから。流石にその裁量を自分でめいに押しつけておいて、そこを無断で侵すというのは考えものだろう。
 まずはその目的を果たしたいところではあるので、全員が眼下で伏している状況をどうにかしなければならない。

「面を上げよ。その必要はない。というよりも、ここは僕のではなくめいの支配地だろう?」

 面倒くさそうに手で払いながらオーガストがそう告げると、全員が顔を上げる。しかし恭順するような雰囲気は変わらない。それはこの地の支配者であるはずのめいが率先して恭順の意を示しているからだろう。
 オーガストは無感情な目にその様子を収めながら、どうしたものかと思案する。
 とりあえず顔を上げさせる事は出来たが、それだけだ。オーガストが椅子から降りれば早いのだろうが、そんな雰囲気でもない。
 まずはめいを椅子に座らせなければ話は進まないだろうと思い、オーガストはめいに椅子に座るように勧める。もう一つの椅子はそのための椅子だろうと推測しての判断だった。

「めいも椅子に座れば?」
「御心遣い痛み入ります。ですが、畏れ多い事です」

 固辞するように頭を下げてそう告げるめい。それに少し考えたオーガストは、しょうがないかと命令する事にした。

「そう。なら、めいも椅子に座れ。そこの椅子はお前の椅子だろう?」
「はい! 御下命謹んで賜ります!」

 電流でも流れたかのように背筋をピンと伸ばして、歓喜して命令を受けためいは、一歩一歩踏みしめるようにしながら、玉座までの階段を一段一段丁寧に上っていく。
 そしてオーガストの座る玉座の数段下に置かれた、オーガストが座る玉座より簡素な椅子の前に来ると、めいはそれに腰掛けた。
 それを見届けると、オーガストは再度眼下の者達に目を向ける。しかし、状況は先程までと大して変わっていない。

(・・・・・・やはりここに座っているからか? 面倒だからもういいか)

 変わらないその状況に、あまり意味はないだろうと予想していたオーガストは、諦めてこのままでいいかと内心で息を吐く。
 しかし、まずは用事を済ませないとと思い直し、オーガストはめいに声を掛ける。

「めい」
「はい! 何で御座いましょうか!?」

 オーガストの呼びかけに、めいは身を乗り出してまで嬉々として振り返る。

「少し前に魂を何度も往復させて悪かったな」
「そんな事は! 全ては我が君の御心のままに」

 慌てて立ち上がっためいは、恭しく頭を下げた。
 優雅な所作を見せるめいを眺めながら、オーガストはもう一つ気になった事を問い掛ける。

「めい。その半身はそのままでいいのかい?」

 変わらぬ無感情な目で見つめながらオーガストが問うと、めいは優しい笑みを浮かべてお辞儀をした。

「我が半身をご紹介する栄を賜れるのですか!?」
「好きにするといい」
「ありがとうございます!」

 めいはオーガストに感謝を伝えると、半身の凝集したような闇が溶けだすように足下に垂れ、そのまま足下に出来た暗黒の水溜まりが横に移動する。
 そうして横に移動した暗黒の水溜まりは、人型となって形を成した。

「御初にお目にかかります」

 闇が人の形を成した真っ黒なそれは、その場で跪いて涼やかな声でオーガストへと挨拶をする。

「名は?」
「御座いません」
「そうか」

 オーガストはチラリとめいの方に目を向けたが、それ以上は口を閉ざした。

「我が君」
「ん?」

 すると、めいが慎重な声音でオーガストに声を掛ける。

「この者に名を賜れませんでしょうか?」
「僕が?」
「はい」

 恭しく頭を下げるめい。オーガストはそれを無感情な瞳で眺める。

「・・・・・・」

 世界の時が止まったのではないかと感じるほどの静寂が空間を満たす。その間、よく見ればめいは微かに身体を震わせていた。

「名前、ねぇ」

 オーガストはそう呟き、眼下のめいと、未だに跪いたままの人型の闇を眺める。
 その何も映していない瞳を向けられ続け、めいも人型の闇も恐怖に微かに震えている。しかしそれは、よく見なければ分からない程度の小さな震え。とはいえよく見れば分かるので、オーガストはそんな二人の震えに気づいていた。
 めいは自身の申し出を後悔はしていない。しかし、出過ぎた真似だとは思っていた。これで処分されても文句は言えないが、めいはそんな事は別に構わないと思っている。それよりも恐ろしいのは、これでオーガストに見限られて見捨てられる事。
 名付けというのは、実際はそんなに大仰な意味を持たない。単にその者を識別し、認める行為に過ぎないのだから。しかし、今回は少々状況が異なる。
 人型の闇は、めいが創造した存在だ。そして、ずっとこの暗闇の中に引き籠って暮らしていたので、その存在を知る者は多くない。
 存在というものは、認知されて強固になっていく。名付けというのは、これをより確かなモノにする為の一種の儀式であるが、普通はその前にそれなりの数の者達に存在は認知されているものだ。名付けだって、その認知している者達が相手を定めただけに過ぎない。
 名付けでより認識が深くなったとしても、存在が強固になったぐらいで、その時点で認知度は然して変わりはしないのだ。
 しかし、今回は問題があった。まず、その人型の闇を認知している者の数が少ない事。その為、新たに認知する者の存在の大きさによっては、かなりの影響を受けてしまう事になる。
 そしてもっとも問題なのが、その認識を与える存在がこの世界の神のような存在であるという事。名付けは契約などでは無いのだが、それでも人型の闇に与える影響は大きなモノとなるだろう。
 これを更に進めると契約も出来るのだが、こちらは名付けと共に魔力を与える必要が出てくる。この契約は強固なものではないが、それでも名を付けて魔力を与えた者が、名を付けられ魔力を与えられた者を支配する関係になる。その影響は単に名前を付けただけよりは強く、両者の力量差によっては、被支配者側は弱くも強くもなってしまう。
 それでいて、契約後に被支配者側が急激に強くなってしまった場合、撃ち込まれた杭のようなモノである契約が揺らぐ事もあった。
 とはいえ、今回は単なる名付け。その実情が、神より下賜される称号の如きモノであったとしても、ただの名付けである以上、影響力は限定的。ただ、全く無い訳ではないので、力を欲したと捉えられてもおかしくはなかった。
 オーガストは暫くそんな二人を眺める。その行動に意味は無いのだが、眼下の二人にとっては何かを試されているような心持であった。
 そんな風に静寂の時が流れると、オーガストは何処か呆れたように息を吐き出す。

「ふぅ・・・名前か」

 周囲が何と思おうとも、オーガストの心の中では、面倒なものだという思いが最も強く占めている。
 名前というのは、世界に対してその者の地盤を築く一助になる役割も持っているので、名付けられた側にとっては意外と重要なのだ。それを知っているだけに、オーガストにとって名付けというのは正直面倒くさい事であった。
 それにオーガストは他人に興味があまりない。強者であれば別だが、それ以外は名前を覚える気も無いので、名前と言われても困るのだ。

(何か参考になるモノでも在っただろうか?)

 結局何も思いつかなかったので、オーガストは様々な世界から参考になりそうな名前を探していく。しかしその数は膨大過ぎて、直ぐに飽きてしまった。処理できない訳ではないが、時間や能力をわざわざ割くほどの興味も湧かないのだからしょうがない。
 かといって、興味無いなりに考えたので、その時間が惜しい気にもなってくる。

(しょうがない)

 オーガストは内心で溜息を吐くと、集めた情報の海から無作為に一つ選んでそれを告げた。

「・・・では、お前は今日からヘカテーだ」
「ヘカテー。その名、生涯我が宝といたします」

 人型の闇改めヘカテーは、感涙にむせび泣いているかのように何処か籠っているような声音ながらも、はっきりとその言葉を発する。
 それを変わらぬ表情で受けたオーガストは、もう興味が無いとばかりに視線をめいの方へと向けた。

「感謝致します」

 その視線に気がついためいは、深々と頭を下げて謝意を告げる。
 そんな両者を見た後、オーガストはどうでもいいかのように視線を遠くへと向けて、煩わしそうに手を振る。
 それにめいとヘカテーは断りを入れるように頭を下げると、めいは椅子へと戻り、ヘカテーはめいの半身に戻った。
 名付けが済むと、オーガストはもうここに用事は無いなと思いながら、これからどうしようかと思考を巡らしていく。
 考えられるこれからの予定は、まずは別世界に赴く。これは現在、オーガストが生み出した存在によって次々と世界が消えていっているのと同じ事をしようか、という考えだ。要は強者を求めた行動なのだが、その世界に強者が存在しなければ世界は滅びるだけ。
 そもそも世界は無数に存在する。勝手に生まれては勝手に滅びる。オーガスト達の行動も、結局はその摂理に沿っているだけ。
 オーガストは最終的な目的を一応は持っている。その目標の為にも、強者探しも重要な事であった。

しおり