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 アルゴータ商業ギルド2階、ギルドマスター執務室。マスターのじいさんは雑巾の直撃を受け、ピクリとも動かない。……まさか、逝ったか?
 俺が不謹慎なことを考えていると、執務室の扉が|ゆっくりと《・・・・・》開く。扉が開くのと雑巾が直撃するの……同時じゃなかったか? 俺の聞き間違いだろうか。
 カミラさんは頭の位置を戻し、立ち上がる。この状況で動じないなんて凄いな……。この部屋は、いつもこんな感じなのだろうか。

「お疲れ様です。ヴァルデさん。」
「疲れてないわ。それより、トイ? 私がいない間に何を?」
「……。」
「……そう。休暇《・・》貰おうっと。」
「待てっ!」
「待ってくださいっ!」
「……何?」

 おお、死んだふりをしていたじいさんとカミラさんがハモった。二人が勢いよく立ち上がり緊迫した雰囲気だ。
 執務室に入ってきた褐色エルフがヴァルデさんのようだ。ヴァルデさんが休暇を取ると、何かマズイのだろうか。
 じいさんはトイって名前なのか。出て行こうとしたヴァルデさんは半眼でじいさんを見ている。肩までの白髪に褐色肌、リーネよりも長い耳、カミラさんより少し身長は高いか。気のせいだろうか、後ろが透けて見えるような……。

「……何って聞いたのよ?」
「すまん、儂が悪かった。だから休暇は、その……。」
「……。」(じー)
「うっ……分かった。夕飯をおごるから。」
「ツマミも。」
「……1品じゃぞ。」
「ふふ、ヴァルデさん、マスターも反省しているようですし。」

 ヴァルデさんは「仕様がないわね」と言いながら、じいさんの横に歩いて行く。
 そして……なぜか、じいさんの真横《・・》に座った。ため息をつくじいさん。なんか知らんが頑張れ……。カミラさんも座り、苦笑している。密着して座っている二人……いつもなのか。

「さてと、カミラ、今からの話は他言しないで。」
「はい。」
「商業ギルドとして今回の件からは手を引きます。」
「え?」
「なんじゃと?」
「とりあえず、領主が動くわ。カミラは通常業務に戻りなさい。リタも別の仕事に回すわ。」
「ま、待ってください。少なくともエレナに危険が及ばないと?」
「私が潰してきたんだから問題ないわ。エレナはしばらく図書棟に配置を。」
「……分かりました。でも|サブマスター《・・・・・》?」

 じいさんが頭を抱えて、のけぞったまま戻ってこない。それにしても、昨日の今日で安全と言い切れるのか? ヴァルデさんが淡々と話すので、流してしまいそうになった。潰してきた、とか言ったか?

「たしか昨日、私に『話し合いでの解決を試みる』と、言いませんでしたか?」
「誰よ、そんな事をあなたに言ったのは。」
「……。」(じー)
「……卿の土地計画でも立てましょうか。」(カミラさんから視線を外しつつ)
「|また《・・》ですか。」
「仕様が無かったのよ……相容れない者同士、いつかはこうなると思っていたわ。悲しいことにね。」
「ウソ泣きしてもダメです。我慢できなくて叩きつけたんですね。」
「うっ……カミラ、最近私にもキツイわね。」

 二人の会話も気になるところだが、じいさんが横で「どこから修繕費用を出せばいいんじゃ~」と呻《うめ》いている。うん、壊したんだな……我慢できなくて。エレナに危険が及ばなくなったのなら良い……のか? じいさんには頑張ってもらおう。
 ストレスで胃に穴が開きそうだが。

 その後、今後の予定を話し終えた俺たちは本館から戻ってきた。
 建物に入ってすぐに、俺たちを見つけたリーネが歩み寄ってきた。

「おつかれー終わったみたいだねー。流石『突風』だー。」
「お疲れ様、リーネ。そのあだ名、あまり言っちゃダメよ? もう上がりよね?それとなくエレナに何か買って行ってあげて?」
「わかったー。」

 突風。彼女との交渉がこじれた時、必ず《・・》周りを一方向に吹き飛ばすらしい。本人は関係のない他の建物に被害を出さないようにやっている、と言っている。……まず吹き飛ばすなよ、と。その度にじいさんのサイフは致命的なダメージを負うらしい。今度、差し入れでも持って行こう。
 カミラさんが受付の職員と会話している。どうするかなー俺は。エレナの所に戻っても良いのかな? と考えていると、カミラさんが俺に手招きした。

「私は残るけれど、あなたはどうしたい?」
「残業か?」
「……報告書を書くから。あなたにも本当は、聞きたいことがたくさんあるのよ?」
「特にすることがないから良いぞ。」
「ありがとう、ちょっとだけ時間を頂戴。」

 受付の奥に歩いて行くカミラさんを見送り、入口横でボーッとする。
 ん? 耳の後ろが痒い……前足で掻《か》いてみるが、上手く掻けないな……もう少しなんだが。おっ……ここだ。
 俺が四苦八苦していると、複数の視線を感じた。耳に手を触れたまま受付を見ると、受付の職員とカミラさんが俺をガン見していた。……な、なんだ?
 熱っぽい視線に揚げている前足を降ろそうとすると、あからさまに残念そうな顔をする面々。……なんだかなぁ。

 大道芸でも経験していれば、皆からの視線を集めている状況でも動きようがあったのかもしれない。俺はそんな経験はない。俺と目が合ったカミラさんは、はっと我に返り俺に近づいてきた。わざとらしい咳ばらいをしてもバレバレである。耳に手を当てる招き猫ポーズで鉄面皮を崩してやろう。

「じー。」
「さぁ、いくつか質問するわね?」
「じー。」
「……分かったわよ。認めるわ。可愛かったのよ。これで良いでしょ?」
「分かったニャン!」
「……くふっ……ゴホン、質問するわね。まず襲撃犯に気づいたのはいつ? ちなみに私はエレナの部屋を出た直後ね。」
「んー、投げられたナイフが床に落ちたあたりじゃないか?」
「私が聞いているのだけれど。」
「気づいたというか、範囲内にいたというか。」
「範囲内? それは建物内ということ?」

 俺が身振り手振りで答えていると、手持ちの皮紙に収まりきらなくなったらしい。カミラさんは受付奥へ戻っていった。悶《もだ》えるカミラさんも見れたし満足だ。
 この空いた時間に休憩しておこう、と腹這《はらば》いになる。体温が低いからだろう、床ですら少し暖かく感じる。ギルドの床は木製なので熱くはない。
 できれば涼しい所か物があれば、と周囲を見渡す。
 ……そういえば黒球はヒンヤリしていたっけ。黒球を引き寄せ、その上に覆いかぶさり再度、腹這いになる。

「ふぃー、ヒンヤリするじぇ~。」
「……なんだか魚釣りのおじいさんみたいな事を言うのね。」
「選《よ》りに選って、じいさんかよ……。せめて、オッサンにしてくれ。」
「あら、マスターみたいで良いじゃない?」
「はぁ……。で、後は何が聞きたいんだ?」

 観念して項垂れた俺を撫でたカミラさんが、笑顔で解体用の無骨なナイフを構える。血付いてんじゃん、ヤる気じゃん。ギョっとして飛び退《すさ》ろうとした俺を抱きかかえたカミラさんは、俺にだけ聞こえる声で言う。

「どうしたの? あなたの体《・》に聞くだけよ?」

 目の前の恐怖で声が出せない。カミラさんの目のハイライトが消え、何かに陶酔しているようだ。迫るナイフと笑顔のカミラさんに、唯一の救いを求めて黒球を探す。

 いた……って日光浴してやがる。『助けろよ!』と内心で毒づく。
 焦《あせ》る俺にカミラさんが言う。

「大丈夫よぉ? ちーっとも痛くなんて無いからぁ。グチャとかブチッとか無いから……ね!」

 終わりである。色々な意味で終わりである。恐らく今の俺は、泣きべそをかく子どもの様だろう。
 ナイフを逆手に持ち替えたカミラさんを見て、俺は目をつぶる。

 …………

 ……

 あれ?……いつまで待てば良いんだ? と考えた俺の耳に聞こえてきたのは間延びした声だった。

「カミラ、ダメだよー。」
「……リーネ、あなた帰ったんじゃ? 配置変更があったわね。」
「とりあえず降ろしなよ、カミラーやりすぎだよー?」

 恐る恐る目を開けた俺が見たのは、カミラさんの手をつかむリーネだった。急いで戻ってきたのか、肩で息をしている。カミラさんと目が合うと、ごめんね、と小さく言った。

 え? 何が? と理解できていない俺を無視してカミラさんとリーネが話し合っている。……本気で狩られるかと思った……。
 自身をペタペタと触り、無事である事を確認する。尻尾が未だに震えているが、仕様がない。
 そんな様子を見たリーネがカミラさんに言う。

「ほらーキツネさんが怯えてるじゃーん。」
「……ごめんなさい、やり過ぎたわね。」
「ダメだよー? カミラの|それ《・・》は、怖いんだからー。」
「……リーネ、フォローお願い。」
「ほーい、任せておきなさいー。」

 ばつが悪そうなカミラさんはそのままギルドの外へ駆けて行った。
 ほっとした俺にリーネが近づいてくる。

「ごめんねー、カミラもあれで人付き合い苦手だからさー。」
「……そうなのか?」
「キツネさんには大分《だいぶ》砕けた対応してる気がするけどねー。できれば慣れてあげて欲しいなー。」
「お、おう。」

 お堅い印象のカミラさんだが、実は怖くない人なのか?……あの雰囲気はマジだと思ったんだが。

「そういえば、リーネは何で急いで戻ってきたんだ?」
「サブマスターがやらかした後始末でマスターから頼まれたんだよー。」
「あぁ、吹き飛ばしたんだったか。」
「まぁ、よくあることだから慣れちゃったよー。私は夜勤になっちゃうから、キツネさんの帰りたいタイミングで帰っていいからねー?」
「分かった……って俺の単独行動は良いのか?」
「功労者に制限はつけられない、そうだよー?」

 とは言うものの。少し気になった事をリーネに質問して、ギルドを出る。
 いつの間にか夕方になっており、家路につく人が多い。人通りを抜けていくのは大変そうだな。すぐに帰っても良いのだろうが、近くの路地に入り人目を避ける。
 黒球の助けを借りつつ、建物の上へ。眼下には人がいるが、問題なさそうだ。
 黒球に覆いかぶさり、宿舎の方向を指して告げる。

「宿舎まで飛べ。」

 ゴッっという音とともに、虚空へ射出される俺《・》。放物線の頂点付近で事態に気づき、黒球に毒づく。

「何でだよ、チク……うぁ、おちるー!」

 この時の俺の叫びは街中に響き渡ったそうだ。

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