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劇場版

 ――夢の具象化世界(ファンタズマゴリアー)は、子供達(幼き人々)象徴(ふるさと)である。これを知らぬ者は世界に於いて最も、幸せであろう。幻想への否定は、心を安寧へと導くだろうから
 我々は本質として彼らを知らされながら、同時に彼らを否定せねばならない(さが)を持たされて生まれてきたのだ
 故に、子供たちの語る、次の逸話を語り聞かせよう――



 あるとき、マレーシアの子供は学校で授業を聞きながら思った。何故戦争はなくならないのだろうと

 あるとき、カザフスタン共和国の子供は路地裏で泥水をすすりながら思った。何故こうも貧しいのだろうと

 あるとき、朝鮮民主主義人民共和国の子供は寄生虫と病に侵されながら思った。何故偉大なる将軍様方は民を助けてくれないのかと

 あるとき、カンボジア王国の子供は肉塊となり果てた足だった何かを見ながら思った。此処はこの世の地獄だと

 あるとき、東ティモール民主共和国の子供は暴動を尻目にしながら飢えに任せて親の死体をかじったとき思った。いつになったら平和と平穏と安息が約束されるのだろうと

 あるとき、アフガニスタン・イスラム共和国の子供は想った。終わらない戦争に飽きコルト(米軍の)M1911A1(落とし物)を頭に突きつけながら空の青さに思いを馳せ、何故戦争が終わらないのだろうかと

 あるとき、ソマリア連邦共和国の子供はろくに清掃されていない船の船倉で祖国の恒久的な繁栄を想った。逆説的に祖国を糾弾した。何故祖国が乏しいのかと

 あるとき、コンゴ民主共和国の子供は幼い兄弟を抱きながら思った。いつかこのように(姦淫売春)して日銭を稼ぐことなく豊かな暮らしが送れる世界が欲しいと

 あるとき、日本国の子供はニュースを見ながら思った。戦争の正義とは何なのか

 あるとき、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの子供は廃図書館の一角でチェロを演奏するヴェドラン・スマイロヴィッチを物陰から見つめ、音楽のなんと素晴らしきかを悟った



 ある場所で云い争う夫婦の合間で赤子が泣いた

 離婚調停中の夫婦と弁護士に挟まれて、ある兄妹が心を閉ざした

 虐待されてきた少女は父母を射殺し心の欠片を拾い集めた

 周辺環境すべてに裏切られたある姉弟はお互いの胸にナイフを突き立て、その手を強く握っていた

 食うに困った少年は弟妹たちのために盗みを働いた

 生きるに困った少女が臓器と血を売った

 愛を欲した少女はある男から聞いた言葉そのままに、持てる銭を以てある男に詰め寄りこう云った――351セント払います、私を愛して下さい

 焼印の入れられた少年と少女は故郷に思いをはせながら意識を飛ばした

 あるとき、日本国の子供はNGO活動に連れていかれた先で直面した戦争の恐怖に半狂乱となりながら、通りすがりの軍服、あるいはスーツ姿の男性に縋りついて泣いた。そして想った。

 それは時代を超え場所を超え、世界中のあらゆる子供たちと寸分違わぬ渇望だった



 この世界から戦争がなくなりますようにと。









 総員傾注、と壮年の男の声がその空間中を震撼させた。
 硬質な音を立てて革靴の底の立てる小気味良い音と杖の立てる別種の硬音は未だにざわめくその世界によく響いた。それはその存在そのものが異質な生物とでも言わんばかりに男の存在を強調する。
 まず、その男は全身を白いスーツ、ともすれば軍服のような物に身を包んでいた。肩には肩章と飾り紐が胸元にまで伸び、スラックスのポケットからは懐中時計のチェーンがのぞく。大きな手は白い薄手の手袋に覆われ、口元には口髭を蓄え背筋のピンと伸ばされた、十人が見れば十人が老人と呼ぶであろう男だ。

 ざわめきとどよめきが広がる。クリスマスまであと12カ月を切ったと云うのに何を悠長な、と云う糾弾するような空気が広がり、けれど一人ずつ確実に手を止めて行く。
 この男に逆らうことはできない。この男に逆らうと云うことは栄誉より永久に離れることを意味し、またこうして声をかけると云うことは何かのっぴきならない事態が発生したと見るのが自然だと、誰に云われるまでもなく誰もが暗黙のうちに気が付いていたのだ。
 一人ずつ手を止めて行くのを見届け、再び壮年の男、もしくは白い老人は、そのよく通る声で語りかける。老いの繰り言とでもいうようにゆっくりと頼む。

「諸君、田畑から子供たちへのプレゼントを掘り起こすのをやめたまえ。水田からプレゼントを収穫する手を止めたまえ。大樹からプレゼントを捥ぐ手を止めたまえ。川よりプレゼントを釣りあげることをやめたまえ。海からプレゼントの投網を回収する手を止めたまえ。プレゼント製造ラインでコンベアー作業にいそしむサンタ諸君よ、一度その手を止め、私の言葉に耳を貸してくれんかね?」

 やがて全てが動きを止めた時、壮年の男はしばらくの沈黙の後に再び口を開いた。
 その声は喝破するでもなく、慟哭するでもなく、悲愴にくれるでもなく、静かに製造ラインと呼ばれた場所、いやその空間全てに充満するように、それこそ水のごとく染み渡っていく響きを以て、その場の全員の鼓膜を震わせ空気を震わせ水を震わせた。

 戦争だ。

 男の口から洩れた物は全ての鼓膜を揺らし、そして全てを悟らせた。それが本気だと云うことに。
 苛烈な光はあからさまなまでに男の瞳からあふれ出し気味の悪い光を灯していた。よく研がれた刃物のように鋭く、よく調整された銃のように正確で、よく鍛錬された武芸者のように剛胆で、よく引きしめられた筋肉のように強靭(しなやか)な、温かくも冷たい光り――それを端的に表現するなら、怒りと云う言葉が最も適切で最も程遠い。
 如何なる惨劇を見てその答えに至ったのか――それを形容するにはまさしく恐怖と云う言葉が適当だった。

「今年の子供たちへのクリスマスプレゼント、それは戦争の終結だ。故に皆、合戦の準備をせよ。準備期間は三か月。そののち、人間の世界に総攻撃をしかけ政治機能、軍機能、社会機能、経済機能、遍く全てを破壊する」

 皆と同じ白い防寒服に身を包んだ一人のサンタがおずおずと手を上げ確認するようなニュアンスで以て問いただす。
 いや、その性質上人間たちに深く関わることを是としない彼らにとって内政干渉にも等しいそれに踏み切ろうとする彼らの長を信じられなかったと云うのが大きい。

「お言葉ですが我らがグランド・ニコラウス、何故人間の世界の戦争に我らが関わるのですか」

 そしてこともなげにグランド・ニコラウスと呼ばれた老人は云う。さも当然と言わんばかりに、さも自然なことであると言わんばかりに、さも順当なことであるかのように、さも瞭然であると言わんばかりに。
 存在意義であり存在理由であり、また存在の価値そのものと云っても過言ではない。なぜなら彼らの存在とは即ち、生まれてからそして15の歳に至るまでの子供たちの幻想に依存し、子供たちの幻想に確立され、子供たちの幻想が信仰として自然(現象)に昇華された存在ゆえに。

「それが子供たちの願い故だ。我らにそれ以外に理由などいらなかろう――他にはおらんようだな。これより夢の具象化世界(ファンタズマゴリアー)を兵器開発に転用する。諸君らよ、いま(おこな)っている作業はすべて中断し我らの至上命題の為にその命を預けてくれ。全ては生きとし生ける子供たちの為に……以上だ」
『Yes, sir!! Lord Nicolaus!!』

 子供たちの願いのために、戦争を終わらせるために戦争を起こす。戦争が無くなるが故に戦争がおこる。忌々しい事実であると認識しながらグランド・ニコラウスはただただ想う。
 これが人の世界の理であるならば、これ以外に解決策が無いのならば我々は最終的に、そして最短経路での解決を図る為に遠回りをしよう。そうでなければ成し遂げられないのなら、そうでなければ|子供たち(かれら)の願いが成就せぬならばそれもいたしかたないことである。

 それがこの男、サンタクロースの元祖であり、サンタクロースの長であるこの老爺(ろうや)、グランド・ニコラウスが出した最終的解決方法(ホロコースト)でありサンタクロースの答え(ファイナルアンサー)だった。







 AM03:25

 アメリカ上空、複数機による哨戒飛行中のパイロットは偶然、それに気がついた。
 遠くから見る限りにおいて、それは点のようだった。民間の航空機もこの時間は確実に通らない空域で飛んでいる物となれば、それは不法侵入か届け出のない飛行。パイロットの判断は早かった。すぐさま僚機に通信を飛ばすと隊長機であるジャガー1が応答する。
 少なくとも、少なくとも彼らの駆るF-22ラプターより速いのは間違いない。その証拠に最初は点にしか見えなかった影はシルエットのように見える程度には近づいている。月の光の照り返しで何か尖ったモノが瞬くように輝いた。だが誰も、それに気がつかなかった。月の光の照り返しと思っていたのだ……。

『おい……なんだあれ、すごいスピードで近づいてくるぞ…………』
『点にしか見えんが――まさかナチスのUFOじゃあるまいし』
『いやしかし、あのスピードは……』

 云いきるか云い切らないかのうちに、戦闘機F-22ラプターのコクピットから双発横並びとなっているエンジンとエンジンの間、ちょうど真ん中を射ぬくように槍が刺さっていた。キャノピーからエンジン部までを貫いてもあまりある全長の槍は、機関の止まった戦闘機とともに失速――下降しながら爆発しようとしていた。
 直後の爆発。一瞬の光と炎の乱舞が空を彩った刹那、それの全容が見えるのとほぼ同時、二発目三発目の槍が各戦闘機の翼を掠めて遥か背後で爆発を起こし、彼らにはすでに見えない距離であったが、大気上層の風を受けてドッグタグと豹と三つの弾痕のマークの描かれた尾翼がどこかに飛んで行った。
 彼らにとって幸運だったのは、ジャガー3に槍が刺さった時点で血によって風防が曇り中身が見えない状態となっていたことだろう。それはもしかしたら、彼らにとっても本人にとっても幸運だったといえた。ミンチになった戦友を見たいと思うか思わないかの違いであるが…………。

 槍の爆発を見てからジャガー1は間隙を入れずにCPに無線を繋げる。明らかな敵対の意思が確認できても、報告せねばならなかった。今すぐにでも殺したいと思っていながらもすぐに殺すことはできない。

『ジャガー1よりスターゲイザーへ! 領空内に敵性勢力の物と思しき所属不明飛翔体を確認! ジャガー3が落とされた! 猛烈なスピードで接近している! 交戦許可を!』
『了解、交戦を許可する』
『了解、ジャガー1エンゲージ!』『ジャガー2 エンゲージ!』『ジャガー4 エンゲージ!』

 ――やがてジャガー1は、いやジャガー隊はそれを目撃してしまった。真夏の田んぼでくねくねを目撃してしまったような怪奇現象のような形容しがたい何か……その存在を認めることは常識的には不可能だった。
 方向転換、共に全容が見えてくる。それはいったい何であったのか――――

 それは茶色い毛におおわれた四足の生物だった。
 それは頭部の天辺二カ所より大きくしなやかな角を伸ばしていた。
 それは鼻の先っぽが真っ赤に染まり高空誘導灯のような明りを灯していた。
 それはハーネスより背後に手綱を伸ばしハーネスに繋がった金具はソリを引いていた。
 それは空中をまるで大地を踏みしめるように疾走していた。
 それは白い防寒服を着込んだ男女五名が座上し、クロスボウかバリスタのような物を構えていた。

 機銃のボタンに掛けていた指が震える。あれはいったい何だと云うのか。
 何事か叫びながら連射される弩砲、槍の数々を掻い潜りながら彼、ジャガー1と自らを呼称した男は一瞬放心し、次の瞬間バレルロールで目前にまで迫っていたトナカイの引くソリを避けるとそのままロー/ハイ・ヨーヨーで旋回時間を短縮し追随する。
 後背を突かれてせわしなく二人の射手がこちらに弩砲を向ける姿を茫洋と見つめながら、彼は痴呆のように声にならない声を洩らして――

『なんだ、あれは――――――!?』

 ――しばらくしてたった一言だけ発した。それはそのままCPに直通だった。

『ジャガー1、何が見えている!』
『あれは――』

 ジャガー1、バーナード・アンダーソンの声が震える。酸素がどうのこうのと云う高度ではないにも拘らずこの高度で酸素マスクもなしにロシアあたりで好んで着用されていそうな防寒服の男女たちとトナカイの引くソリ――これではまるでコカ・コーラが参入する以前のサンタのイメージそのものではないか……。
 過呼吸気味になりながら、詰まったように言葉が出ない。存在を認知しても彼の中にある常識がそれを否定する。こんな場所で、万全な装備と鉄の子宮に包まれていなければ生存すら危ういこの場所であんな物に乗って生きている存在など、それは化け物ではないのか? 何か人智の及ばない化け物が生まれ出でてしまったのではないか?
 想えば思うほどにそれらは不思議な現実味を帯びてしまって、気づけば機銃の発射ボタンが全く押せなくなっていた。見た目だけで見るなら人間で、けれども化け物のように見えて――二律背反とも似て非なる感情はただ思考を鈍らせ、ジャガー2が代わりに報告した。

『トナカイです! トナカイがソリを、でっかいソリを引いています! 構成員は砲手が四人と御者が一人! 我々のラプターよりも圧倒的に早い!』
『ふざけるな! 一体どこのおとぎ話だ! そんな暇があるなら戦闘機の機種を云え!』
『あれは戦闘機なんかじゃない! 白い防寒服に身を包んだトナカイのソリに乗ったサンタクロースだよ!』

 通信を小耳にはさみながら、ジャガー1はただ回避行動をするしか出来なかった。どうすればいいのか分からなかったのだ。戦闘機と戦闘機で戦闘することを前提としたマニュアルに、こんなのと戦うことは示唆されていなかった。
 “マニュアル通りにやっていると云うのは阿呆の云うことだ”といつ見たのか聞いたのかすら定かではないセリフが頭の中で反芻される。それはもしかしたら焦りだったのかもしれない。いつの間にか彼は必死に押せないボタンを押そうと躍起になっていた。
 やがてジャガー4が耳打ちするように攻撃の旨を伝えてくると彼は反射的に許可していた。ジャガー4が普段と変わらない淡々とした声音だったのもあるが、それも相まって彼は金縛りから解き放たれたような気分だった。
 その間もジャガー2はCPと云い合いをしていた。

『やつらは槍を撃ってきてる! ――トマホークじゃない! 槍だよ槍! ランス!』

 耳鳴りのようにジャガー2の怒号が聞こえてくるのもお構いなしに、彼は硬直からの解放、その快感が背筋を駆け巡っていた。もしかしたらランナーズハイのような何かかもしれなかったのかもしれないが、関係なかった。それよりも散々に訓練した内容が反射的に反復され、先ほどまで己のトリガーにかかっていた負荷は消え去っていつもの操縦桿に変わっていた。
 それを知覚したとき彼は云いようもない安心感や抱擁感に包まれ、己がそれに恐れを抱いていたことを理解してしまった。
 理解してしまえば転落はあっという間だった。感情が、情緒が不安定になってかき乱される。あぁ、一体この不協和音に似た怒りは一体何であるのか。先ほどまで確かに感じられていた解放の快楽は消えうせ何やら腹の奥で何かが煮える音が聞こえてくるのみだった
 解放の快感は一転して怒りになった。プライドがずたずたに引き裂かれたような気がして、悔しさが転じて雄たけびを上げながら機銃のボタンを押す。ただひたすらに押す。プライドなどはもはや関係なかった。
 けれども不思議なことに相手の槍がこちらを掠めるのに対し、彼らの放つ機銃の一切は致命傷を与えることはできなかったのだ。焦りのような緊迫感から滲む汗はグローブが吸いきれる量を超えてじめじめとした不快感と思わず手が滑りそうな危うさを感じながら、それでも彼は一点に見据えたソリに向かってただ鉛玉を打ちこんでいた。

 やがて少しばかりの理性が戻ってくるとやまない槍の弾幕が不可解に思えてきた。
 発射される槍は目測だけでもマッハ5はあるだろうか――長大な槍は一体どこから供給されるのか終ぞ分からなかったがそれもすぐさまどうでも良いこととなった。いや、考える必要がなくなったと云うべきか。
 トナカイが、いやソリがいきなり目の前から消え去り探そうとしたとき、その時ちょうど彼、ジャガー1の頭上に影が差してジャガー1は全てを悟った――。



 トナカイが、ソリが、自分たちの上空を掠めるように反転したまま弩砲を向けて――それが彼の見た最後だった。



 云わんこっちゃない――悪態をつきながらジャガー2は針ネズミとなったジャガー1が失速して爆散して行く光景から目を逸らした。
 見て居られなかった。平常心を忘れた兵士が、それも小隊を任されているはずの人間がマニュアルにない出来事に遭遇した途端にこれだった。

 しかしその一瞬が命取りとなった。
 物理学を無視したかのような急激な反転をして見せたトナカイは、そのまま機銃の雨の中をまっすぐに突撃してきたのだ。その予想進路はジャガー2とジャガー4のちょうど真ん中だ。
 ――しかし意図は明白だったがあのトナカイのように避けることは、相対速度の観点から云ってもほぼほぼ不可能と云っても良い距離までの接近を許してしまった後だった。

『くそっ! 所詮はお坊ちゃんかよジャガー1め! こうなったらジャガー1とジャガー3の――なっ!』
『ぐっ――――!』

 トナカイの引くソリと戦闘機がすれ違う。それはまるでアニメや映画の決闘シーンの一部を切り取ったかのような奇麗なすれ違いようだった。
 ジャガー2とジャガー4がソリとすれ違う瞬間、時間が引き延ばされていくような伸張感を感じていた。それはどこまでも、重力の井戸に囚われたようにどこまでも時間が引き延ばされていく。短くも長い永遠が走馬灯のように脳裏を掠めて行き、目の前に殺到した槍たちから逃れる術は無かった。
 やがて長い永遠が終わりを告げると、痛みを感じる間もなく彼らの肉を、機体を、全てを長大な槍の弾幕が貫いて肉片へと鉄クズへと変えて行く。そこには何の感慨も生まれず、彼らは意識を闇に落として行った。



 その日、真っ白い軍服のような物を着用した壮年の男性、あるいは老人が全世界に向けて声明を発した。

『人類ども――我々は、ここに宣戦を布告する。霊長の支配者たる君たちに、君たちの大好きな物に、挑む――君たちも好きだろう?
 鉄片血風吹き荒れる闘争が、血沸き肉躍る狂気が、三千世界を焦がす砲火が、電撃戦に踊る兵を解体する爆撃が、抵抗勢力(ゲリラ)の踊る5.56mmが、都市区画を一斉に薙ぎ払う長すぎる光の槍(トマホーク)が、膠着状態を生み出すSu-47(ビェールクト)が、抵抗勢力(ゲリラ)自由の尖兵(レジスタンス)を薙ぎ払うエイブラムスの105mm砲が、逃げ逸れた老若男女に政府勢力(保身主義)が放つ神経毒』

 好きか嫌いかで言えば――好きだろう? そう言わんばかりの断定口調、真の通ったよく響く声は街角を、下水道を、ビルとビルの谷合を、路地裏を、胸倉を掴みあう男たちに、人々の鼓膜に、脳髄に、神経の端から端までに到達する。
 男でも女でも、好きな人間は一定数いるだろう? Su-47(ビェールクト)F-22(ラプター) 、M1エイブラムス、Ⅳ号戦車(ティーガー)、AK47、コルトM16、コルトM1911(ガバメント)、ワルサーP38、ルガーP08、マウザーC96、WA2000、シュマイザーMP40、PPsH-41、ビラール・ペロサM1915、ベレッタ92、ベレッタCx-4――そう言った類が大好きだろう?
 エアガンとしてモデルアップされたものを“資料”と偽って愛でる自称作家、本物を買い付けて抗争を起こす右翼の代表、自称革新者(左傾政党)、過激な保守の代表(右傾勢力)
 分かっている――男は無言で、けれどそうと分かる首肯を一つする。自然とそうと分かった。云いたいことの全てが自然と頭の中を駆け巡っていく。
 戦争によって経済が過熱し、戦争によって感情は高ぶり、戦争によって正義と善悪が決される。幾度も、幾度も、幾度も――有史以来続けている。飽きずに、好んで、思惟的に……何度も何度も繰り返す、しばらくもたたずに何度も、何度も、大義と名分を以て――。
 プロレタリア文化大革命、朝鮮戦争、南北戦争、四月テーゼ、辛亥革命、スワデーシ、プールナ・スワラージ、アロー戦争、江華島事件、白蓮教徒の乱、パルチザン、東部戦線、スターリングラードの闘い、マンハッタン計画………………

『君たちは多くを生み出し多くを壊し多く君たちの数を減らしながら、けれども君たちは決定的に戦争(それ)を嫌っては居ない。いや憎からず思ってさえいるだろう? そして決まってこういう。平和のために、必要な戦争であったと』

 言葉の上でなら何とでも言える。戦争が嫌いだと云う偽善者ほど戦争を好んでいる。銃と云うのはその端的な象徴であり、銃社会といえども嫌いだと云う超本人達がそれを持つ以上、銃社会でない国でもモデルガンなどを買う人間が一定数いる以上、それは本質的に銃を欲していると云うこと、戦争を嫌ってはいないということに他ならない。
 本当に戦争をしたくないなら、銃なんて捨てられるだろう? 捨てられないのならそれは本質的に、本能的に、無意識的に、闘争を望んでいると云うこと。闘争の本能なのだ。故に人類はそれを愛している。
 だから誰もがこれを戯言だと切り捨てた。戦争をなくすための戦争など馬鹿げていると瞬時に理解してしまったのだ。彼らの云う、圧倒と云う単語の意味に。

『我々は君たちに挑み君たちを圧倒する。陸上戦力を圧倒する。海上戦力を圧倒する。海中戦力を圧倒する。空中戦力を圧倒する。核戦力を圧倒する。君たちのありとあらゆる文化を、文明を、戦力を、戦争を――圧倒する』

 電撃戦で、包囲戦で、殲滅戦で、奇襲戦で、塹壕戦で、占領戦で、防衛戦で、核戦力戦で――――如何なるものが相手であろうと圧倒する。猛々しく、その鋭い瞳の男は云いきった。それが現代に於いて如何ほど実現不可能なことであるか分からないはずはないだろうと云う嘲笑は一瞬、映り続けるその鋭い瞳に気圧され鳴り止んでいく。
 不思議と可能だと確信できる説得力、つまるところカリスマがこの男から感じられた。
 その自信は何処から来るのか、その確信は何処から来るのか、その剣呑な雰囲気は何が故か。今日この日、分からないということがどれほどの恐怖なのかを、再び人々は学んだ。
 恐ろしくも荘厳で、故にこの存在は本気でそれを成すことが出来ると云うことを理解すると、人々はそれの名を求めた。だが同時、彼らには不思議なことにそれの名を知っているような気がしていた。そう、いつの日にか親から聞いて子に伝えた名前――彼らが知っているのではない、人間(我々)が知っている――

『疑問に思っている者は多いだろう。だが、我らの名は我らが知っているのではなく君たちが知っているのだ。我らは聖夜に訪れる孤独なる配達者――』

 その名はサンタクロース―― 一般に子供たちの願いを聞き、子供たちの求める物を与える聖夜の宅急便。子供たちの夢の象徴であり、大人になるにつれ忘れて行く幻想の象徴……トナカイの引くソリに乗って現れ音もなく子供たちにプレゼントを与える。
 こんなものがプレゼントだと云うのか――愕然とするような衝撃を受けながら、どこかのある家の中で、男はソファから立った体勢そのままにくずおれた。
 プレゼントとは物であるべきではないのか? まさかこんな、世界に対する反逆が子供たちに与えるプレゼントであって良いというのか?

 其処までを考えたところで、男はハタと気がついた。

『そう、我らの名はサンタクロース――君たちの幻想の象徴だ』

 戦争が(・・・)無くなって(・・・・・)欲しい(・・・)と云う子供たちの願いを叶え(・・・・・)に来た(・・・)のだ――

 それこそ彼らの目的、彼らが人類に敵対する理由。
 多くの子供たちにそうなってほしいと望まれたから、そういう未来を欲されたから、故に、サンタを僭称(せんしょう)するこの輩はこのように述べるのだ――戦争を終わらせるための最後の戦争を始めようと……………。
 それが彼らの答えなのだ――彼らの長が導き出した、最終的解決(ファイナルアンサー)なのだ――そう理解すると男は、棚に飾られていたとある聖人の置物を中型液晶テレビに叩きつけ吠えた。
 黒煙を上げるテレビから、死刑宣告が鳴り響いた。

『さぁ、戦争を終わらせるための最終戦争を始めよう』

 彼は出先から帰ってきた家族を掻き抱き泣き叫んだ。
 その全てを、大人が子供たちに持つべき、果たすべき責任の真意を理解して――







 世界中が混乱していた。

『ホワイトハウスはロシアの特殊部隊の犯行声明であると断定しており――』
『大韓民国および中華人民共和国政府は共通見解として日本国によるテロ行為、紛争助長行為であるとして国連での制裁が必要であると――』
『ロシア政府はデルタあるいはグリーンベレーの暴走であるとアメリカを強く非難しており――』
『日本国政府は事実無根であると野党を強く批判しており――』
『イギリス政府はドイツ連邦共和国による第二次バトルオブブリテンを狙った工作であると断定しており――』
『シリア・アサド政権はゲリラによる情報の撹乱であるとしてより一層の弾圧に乗り出す構えで――』
『スペイン政府はスイス、ボヘミア、オーストリアとの共通の見解としてドイツ連邦共和国の暴走の可能性を示唆しており――』
『オーストリアはこの件に関し完全中立を謳っておりますが国内でのテロを危惧して軍・警察による監視の一層の強化を――』
『ブラジル政府はメキシコ合衆国政府との共通見解としてトランプ政権による黒人問題の最終的解決が始まったと断定しており、国境を接するメキシコ、メキシコより以南に位置するこの両国とアメリカ合衆国との間で緊張が高まっています』



 世界終末時計の針は次々と進み、ついに残り時間は一秒となった。
 ゲリラや反政府運動がサンタクロースの正体であると各国が強く主張をし始め、自国に潜む諜報員を次々と捕獲、公開処刑していく。次第、世界中に屍の山が積み上がっていき、疑心暗鬼の波が世界に波及して行った。
 アメリカで、日本で、ロシアで、イギリスで、ドイツで、オーストリアで、イタリアで、スペインで、シリアで、カザフスタンで、イスラエルで、インドで、オーストラリアで、ブラジルで、メキシコで、チリで、アルジェリアで、リビアで、アルゼンチンで、ペルーで、コロンビアで、中国で、韓国で、北朝鮮で、モンゴルで、チベットで、ウイグル自治区で、イランで、イラクで、サウジアラビアで、トルコで――狂った祭りが始まり密告と排他主義が席巻(せっけん)する。
 混乱の渦中にあって国連、EU、ASEANは活動を停止した。
 爆弾テロ、ゲリラ、クーデタ、武力衝突、未確認飛行物体の発見――内戦や紛争が其処此処で乱立し到底外に顔を向けられるような状態ではなくなっていたのだ。一度も前線になったことが無いアメリカでさえも。

 やがて世界大戦の火ぶたが切って落とされようとしたその時、全ての目をくぎ付けにする異常な異形(いぎょう)が彼らの目の前に現れた。
 それは海を凍らせていた。分厚い氷はロシアで砕氷艦(さいひょうかん)が砕く氷よりももう数十センチほどは厚いだろうか。砕氷艦で砕くには役が足りない。それこそもっとも北極に近い北極圏最北端の村の真横を流れる流氷がごとき厚さだ。到底魚雷一発でどうにかなる大きさでも厚さでもない。
 そんな魚雷を打ち込んで壊せるか壊せないかも分からない厚みの上を進むのは巨大な帆船。その(マスト)にはSCとGNの文字の入った国旗のような何かが描かれている。そのうえ、如何なる原理で進んでいるのか艦底部は削り取られたように喫水より下の部分が無く、出来たての氷の上を疾走している。
 ひときわ巨大な船が一隻、他には少々小ぶりな帆船が数十隻、それらよりも小ぶりな船が数百隻、いやもしかすれば数千隻は居るかもしれない。
 海を凍らせ、海を覆い尽くし、そして彼らは次々と進撃してくる。ミサイル駆逐艦や巡洋艦に詰めた兵士たちは(あご)が外れるような驚愕を覚えながらその異様な姿を穴があくほどに見つめる。

 あれはなんだ?
 前時代的艦船が何隻何百隻と徒党を組んでやってくる。博物館にでも飾られていそうな古臭さと異質さの伴ったカビ臭さ――骨董品と呼んだって良いだろう。そんなカビの生えた骨董品の群れが音もなく進撃するなど、滑稽(こっけい)を通り越して恐怖すら湧いてくる。
 変化が訪れるのは意外と速かった。全ての艦船が砲を向けながら警戒して見つめる先で船の群れは進軍を止め、やがて角のように張り出した角の先に杖を突きながら壮年、または老人と読んでも良さそうな年齢の男性が出てくる。

『――アメリカよ、ロシアよ、刮目して見よ! これこそまさしく、開戦の号砲ぞ!』

 ぬらりとした動きで杖の中ほどを持つと弓を構えるようにして遥か上空を見据える。右手は和弓を扱うように滑るような動きで男の後頭部ほどにまで引き延ばされ、ピンと張った左人差し指、それを照準器(サイト)の代わりに見つめる左目は何処までも何処までも空を、雲に覆われ鈍色(にびいろ)を灯す空を狙っている。
 弓なりに反らされた背が、がっちりと槍のような船首を掴む足が、その男性がいま矢を射んとするのを教える。何事かと動揺が広がっていくうちに、やがて何も見えなかったその指先に光が集まっていき矢の形を象る。
 光、陽光と云うよりは雪明りのような光が集っていく。それはやがて強い光となり、そして当然のことながら、光が周囲一帯を覆うほどにまで肥大化した瞬間に右手が矢尻から離された。
 杖が左手の中で空しく空回りして、けれど男はそのまま空を見続けると、やがて目の前に広がる艦艇の群れに目を移す。

 誰もが予感していた。あれは何らかの前触れであると。背筋をちりちりと焼く不快感と意味の分からない焦燥は一人また一人と艦の中に避難させていく。少なくとも鋼鉄のなかに逃げ込み一筋の安心と安寧を得たかったのだ。
 だが果たしてそれを選べた彼らは幸運だった。まぎれもなく幸運だった。

 空が光りで埋まっていた。先ほど白い服の男が放った光が分裂し、何処までも飛散し拡散して乱反射する。やがてそれが空を支配する。
 辺り一面の雪明り。ほの白い光が周囲一帯、もしくは地球全土を覆い尽くす光景は圧巻という言葉では足りないほどの美しさと、そしてこれを見る者すべては直後の己の末路を理解してしまった。
 避けられない。間違いなく死んでしまう。高高度からの再突入体の一撃を受けてしまえばビルの中に逃げた程度では逃げきれない。それがどのような者にも理解できてしまう純然たる事実として全ての人間に叩きつけられた。

 空が押し寄せてくるようだ。男は空を見上げながらそう思った。いや、よく見ればそれは段々と近づいてきていることが分かる。しばらくそれを眺めていればそれが猛スピードで突っ込んでくる再突入体、先ほど射った矢が降りしきる雨のように隙間なく地上全てを射程に収めているのだとも。
 速度が上がる。美しい色の流星はやがて数百個の弾道弾として押し寄せる。光の矢の数々。まさしく光陰は矢のごとく、仮にこの場の全員を助けられる権利を与えられたとして、男を含めて二人以上を生き残らせることはできないだろう――故に男は隣で茫然と立ちすくむ男を引っ張る。

「上官どの、失礼!」

 手が上官の胸元に触れると、その勢いのままに艦橋へと続く扉に押し込み扉を閉める。
 決断した。そしてもう、彼本人が助かることはできない。その実感を得ると、周り中で悲鳴が聞こえるとともに彼の腹部を何かが貫いた。断続的に腕を、足を、腹を、あらゆる場所を貫かれて男は内心『人に見せられないだろうな』と思いながら出来るだけ声を上げなかった。扉の向こうに聞かれたくなかったからだ。
 見れば鋼鉄に深々と矢が刺さっている。甲板や高射砲、VLSや魚雷発射管にまで、余すところなく深々と突き刺さった矢は勿論、其処に転がる全ての人間の身体も貫いている。
 運よく足を縫いつけられるだけで済んだ男、頭ごと魚雷発射管に縫い付けられた者、体中に棘を生やして宛らハリネズミのようになっている者、棒立ちしたまま動かなくなった者、阿鼻叫喚や地獄絵図と云った言葉が似合いな地獄が其処には広がっていた。

『お前、どうして――!』

 くぐもった声を聞き、その(ひず)んだ声にそろそろかと思うと、彼は血反吐(ちへど)を吐きながら一度言ってみたかった言葉を無責任に掛けた。
 段々とかすみゆく視界に、彼は目の前の惨禍を招いた雪明りを視界に収めて、今度生まれ変わるなら温暖な国に生まれたいと強く思っていた。もうこんな鉄臭い雪明りも雪の匂いも嗅ぎたくない。一生分は嗅いでしまったから、もういらない。

「――へっ、へへへ――――人を助けるのに、理由が……必要ですかい? 俺は、ただ――そうする、き…………思っ、か……ら――――生きろ……よ、ダチ公」

 其処までを云いきると同時、彼の視界は雪明りで満たされた。

 次に上官が見たとき、其処には頭を光に染めた飲み友達兼直属の部下が転がっていた。だが少なくとも、彼は笑っていた。それだけは彼に伝わっていた。






 とある国のスラムで姉弟が路地裏をとぼとぼと歩いていた。
 今日を生きる糧を得られなかった姉弟は明日を憂うどころか今日を生きられるかもわからないまま、いつの頃からか誰かに管理されるように、生きるために生きる柔軟性のない生活と少ない稼ぎを搾取される生活を送っていた。
 養い手もない捨て子、彼らが生き残るには遺憾なことながら、どんなに社会的に褒められた身分でなかったとしても大人が必要だった。
 甘んじたいわけでもなかった。ただそれ以外に生き方を知らなかった。路地裏のゴミを漁って金目の物を大人に渡し、些少(さしょう)の金銭を得る。鼠に紛れて残飯を漁り、盗みを働いて、警官の暇つぶしに殴られて――この国ではどの子供もやっている底辺の暮らし、抜けだしたくとも抜け出す方法すら分からない。
 故に姉弟はボロボロの毛布に身を寄せ合いながら思っていた。

 サンタなんてどうでも良い。神様なんてどうでも良い。いつだってサンタクロースも神様も品切れだった。そんな物に縋るくらいなら明日を生きるよりも今日を生きたい。今日を生きていけるだけのお金とパンと水が欲しい。どれもお金さえあれば手に入れられるささやかな幸福だから――



「なんだよ、またこれっぽっちか」

 毛深い男の掌でチャリチャリ鳴る程度の少量の小銭。先ほどまで姉の手に握られていたそれを、弟はひたすら凝視していた。姉と二人で手に入れたパンを一つ買うにも足りない金が、また搾取される。
 もう飢えて生きて行くのは沢山だ。せめて姉とともに遠くで、誰にも侵されることのない遠くへ行きたい。

 渇望、と言い換えても良いかもしれない。彼にとって世界の全てとは姉であり、故に彼は彼らにとっての桃源郷へ往きたい――いつの頃からか只管に夢想するようになっていた。それがこんなスラムでは一生を費やしたところで叶わないと云うことも、理解していた。
 しばらく手持無沙汰に男がチャリチャリと鳴らしていた小銭は、少しばかり下卑た笑みを浮かべた男が興味なげに姉の手に手渡した。余程機嫌が良いらしいと理解すると余計なことを云わずに口を閉ざす。

「――まぁいい、今日の俺は機嫌が良いからな。お前たちが持ってろよ――それよりも■■■、あの話考えといてくれたか?」
「まだ、です…………」

 粘り気の強い視線が頭の先から足の先まで嘗めまわす。その視線の動きに呼応するように、彼女は己の身体を幼いなりにとても淫らでふしだらだと思った。
 幼いなりに整った体つき、寸胴(ずんどう)のようではありながらも丸み帯び始めてきている幼く儚く中途半端な体型、そういう趣味の人間が大枚を(はた)いて抱きたがる不完全な無垢、芳醇(ほうじゅん)なまでに乳臭い醇正(じゅんせい)さ、これまで手を出されなかったことが奇跡のような物だった。
 そういう部分も含めて、彼女はこの男がいることによって自身の純潔が守られてきたと云う吐き気を催す事実に辟易していた。
 彼女がそうして男のその視線とその存在に辟易していると、男はまたつまらなさそうに悪態を吐く。けれど其処に強制しようとする響きは僅かにしか感じられなかった。それもまたいつものやり取りで、そしていつかはそのようなことをしなければならない日が来るのかと思うと女に生まれた自分の身を呪った。

 お互いの思惑と内在する虚無がすれ違いを起こしているうち、姉弟の目の前で日本円換算で十万円はありそうな紙屑の束が取り出されるのを、姉弟は目撃した。いつか街頭のテレビでニュースキャスターが聞いてもいないのに喋っていたジンバブエ・ドルだった。

「けっ、お前も物分かりの悪い餓鬼だなぁ――ちィと一発奇特な趣味の金持ちどもとくっちゃ飲んで歌えや飲んでしてれば、お前たちが見たことも聞いたこともないような大金が舞い込んでくるんだぜ? 見ろよこのピン札の束をよぉ――奇麗だろう? 美しいだろう? 芸術的だろう?」
「それ――」
「……あんだよ、一丁前に新聞でも読んでたか? そうだよジンバブエ・ドルに価値何ざねぇさ。そう云うところが素人なんだよお前らは……」

 馬鹿にするように一瞬笑うと札束を顔の真横まで持ってきてお手玉でもするようにぞんざいに扱うと紙屑でも価値があると付け加えた。
 奇麗にピンと伸ばされているお札を痛めない程度に乱暴に一枚一枚捲っていく。その数は百枚。それでも男は価値の無くなった貨幣は便所の紙にちょっと奇麗な絵柄が入っているようなものだ、そう前置いて“だが”と続ける。
 姉の方に一部の人間からの需要があるのと同様に価値の無くなった貨幣にも価値があると嗤う。

「――いいか? 世の中には紙屑よりも価値のなくなっちまった旧貨幣を収集しているコレクターって人種がいるんだ。こいつらに未使用のこれを見せたらどんな反応すると思う? え~と……名前忘れっちまったなおい弟の方、答えてみろや」
「――この札束よりも、お金……いっぱい?」
「そぉうだ! 人によっちゃあこれに100万US$もかける馬鹿野郎がいるのさ! とくに価値も分からねェような素人には付加価値をつけてやればもっともっと高値で売れる……! それが商売だ――――分かるか餓鬼?」
「―――――――――――――」
「―――――――――――――」

 まぁ子供には分からねぇよな、そうつまらなさそうに独りごちて男は立ち上がるとこの札束を売ってくると云い残して路地に消えて行こうとしたときだった。
 弓の弦が解放されて矢が放たれた時のような高音が其処彼処から響いてくると、しばらくして辺りを月明かりのような物が一瞬で照らしあげ、その光は段々と強まっていくのが誰の目にも分かった。

 手を(ひさし)の代わりに男が思わず天を見上げる。其処には空を覆い尽くす一面が矢で構成された銀色の世界が広がっていた。
 雪に反射する月明かり、そう形容するしか出来ない穢れない純銀の灯火――びっしりと隙間なく何処までも広がる矢の光景は彼らを圧倒して、やがて一つの矢が男の頭を打ち抜くと断続的に矢が地上に降り注ぎ逃げ場をなくす。
 大気上層より再突入する矢の速度は軽く大型弾道弾の速度に近似し、衝突時の対物貫通力と破壊力は12.7mm弾に匹敵する。そんな物が数百、数千、あるいは数万もしくは数百万もの軍勢と成って空から押し寄せてくるのだ。

 其処彼処で悲鳴が上がり爆音が響き渡る。
 阿鼻叫喚のまさしく地獄絵図。身近な建物が倒壊して人が血煙りとなり、地面は陥没し下水管が逆流して悪臭を放つ。



 少年が気がついたとき、彼の上に誰かが覆いかぶさっていた。よく見なれた影、手入れされていないボサボサな長い髪の毛、垢に濡れた顔、とてもよく見なれた姉の顔だった。
 姉弟の横に巨大な瓦礫が落下する。見れば深く抉り取られたような跡を残して貫通、破砕されており、その行きつく先はと彼は恐る恐る彼の姉の胸を見る。そうであってほしくはないが、同時に子供にも分かる事実として理解出来てしまえた。それが彼の不幸と言えた。

「■■――ゴメンネ………………楽園への切符、取りそびれちゃった」

 胸を白く染める淡い月光。ぬらりと少年の頬に、腹に落ちる血はそれまで見て触ってきた中でひときわ粘り気が強く、彼はその手で姉の胸から滴り落ちるそれと姉の顔を見比べてしまった。
 いつかあの男に云われていたことだった。自分たちみたいな孤児は他の人間とは違う奴隷という身分なのだと。偉い金持ちや学者先生、お役人さんたちが豊かに暮らす為にせっせと働き搾取されるために存在する奴隷なのだと。故に、自分たちは人間ではない。人間ではないのだから、感情もいらない――

 ――そんなのは嫌だろう?

 あの男の言葉が反響してきた。勿論、いやだった。けれど結果として、同じだ。保護者という別の搾取対象が生まれただけで、生活に変わりもなければ男が云うところの柔軟性とやらが生まれた自覚なんて無かった。
 男の声はなおも反響する。

 ――見も知らない金持ちどもが女侍らせて毎日毎日飽食と快楽を貪って、そんなの嫌だろう? 残飯漁るよりか真っ白で柔らかいパンとベーコンが食いたいだろう? このまま生きてりゃお前ら、ずぅぅっっっっっっと奴隷のままだぞ?

 それでも姉は、笑っていた。今まで見せてきた以上の、華が咲いたような奇麗な笑顔だった。何処までも透き通るような、笑顔だった。
 夢中になって、彼は手を伸ばした。壊れ物を扱うかのように、その美しい()へと――――頬に触れた手に感じられる熱はボロボロの毛布に抱きあって包まっているときよりもいっそ暖かく感じられ、姉は少年の手を優しく握ると、人生で初めて涙を流した。

「一緒に、楽園に行こうって云ったのに……ゴメンネ――――お姉ちゃん、嘘吐きだね。ゴメンネ――――――――――大好きだよ、■■……」

 頬に落ちる涙の意味が伝わってきた。言葉では言い表せない種々雑多な感情が涙を通して少年に伝わってくる。不用意な感情の流入はそれまで押し込めていた全てが濁流によって押し出されてくるかのようで、言葉にならない悲鳴を上げながら彼はただ姉の頬から手を離さないでいることしか出来なかった。

 己は無力だ――姉の影に隠れているしか出来なかった愚かな子供だ。筋違いだとしても思わせてほしい、何故神は、何故人は自分から大切なものを奪っていくのか――こんなプレゼントいらない。それよりも、返して――大切な者を…………。

 糸の切れた操り人形(マリオネット)のように彼の横にくずおれる姉の亡き骸に、少年はすがった。せめてその美しい顔が汚れないようにと抱きかかえ、彼は血に塗れた手で少女の頬を撫で続ける。
 ともに楽園に行こうと約束した、たとえ離ればなれとなっても、必ず見つけあい惹かれあい二人だけの楽園に往こうと決めた――けれど、彼女の居ない生に意味はあるのか? それならいっそ、二人で仲良く死んだ方がよっぽど、楽園への近道だったのではないのか? あぁ、どうして彼女の身体はこんなにも冷たいのか――――
 しばらくそうして蹲っているといつの間にやら誰かの走る足音が聞こえてきて…………

「どけよクソ餓鬼!」

 何処の誰とも知らない男に殴り飛ばされ、少年の頭は近くの瓦礫に突っ込んで――そして二度と起き上がることはなかった。
 路地裏だった場所に子供だった物が二つ転がっている。一方は満足げに微笑み、一方の顔は潰れていた。けれど不思議と微笑んでいるのが分かった。

――――さぁ逝こう、姉さん。僕たちの楽園へ
――――さぁ逝こう、■■。私たちが私たちでいられる場所へ

 路地裏だった場所に子供だった物が二つ。満足げなそれは黙して語る。





 一面を雪に覆われた大雪原を、鈴の音色をかき消す下品な爆音とエアホーンを鳴らしながらやってくる一団がいた。
 トナカイの角は下品に加工と装飾が施されて、また全身は所有者の頭の出来が垣間見える色彩に彩られ、この真夜中に視界は大丈夫なのかと疑いたくなるような濃いスモークの刺々しいサングラスと棘付きパッドが掛けられている。
 ソリには仰々しい大砲が四つ並べられ、各砲座に射手が一人、装填手が一人ずつの合計八人が座乗し、そのソリの後端には下手クソもいいところな漢字で『惨絶苦露須(サンタクロース)特攻隊 世路死苦(よろしく)』と書かれた旗が何本も刺さっていた。
 先陣を切るソリの御者台に座る男が目の前に奇麗に横に並ぶロシア陸軍の戦車大隊を尻目に、後ろにつき従う同じようにキチガイ染みたペイントと旗の刺されたソリに号令をかける。どうやらこの男がリーダーのようであったが、その奇抜過ぎていっそキチガイ染みているペイントをしている主にしては頭が回る方らしかった。
 その風体はと言えば、一言で云うなら昭和のヤンキー、あるいはバブル期のヤクザの下部組織に入りたてで粋がっている暴走族上がりのような汚らしい風体だった。
 日焼けサロンで日焼けに失敗したサルのような風貌に、上半身はこの寒さで大丈夫なのかと疑いたくなるほどの薄着。端的に云うなら、さらし一枚。腹にさらしが巻かれ肩に棘付き肩パッドの付いただけの半裸に、白くて薄い特攻服の上着をかけているだけだ。

超皇帝爆発(スーパーカイザーノヴァ)剛力砲(アームストロングカノン)の間隙を縫うように第一陣の砲撃から二秒後に第二陣が砲撃、第三陣は敵中枢(モスクワ)に潜り込むまで対空砲火だ! 俺たち惨絶愚連隊の力を見せてやるぞぉっ! 全ては我らがグランド・ニコラウスと世界中の子供たちのためにィィィっ!!」

 派手派手しい男や女たちが一様に汚いガラガラ声で雄たけびを上げながらその相対速度を上げていく。そのスピードたるや悠に130kmを超えており、すぐそこに迫った戦車に向けて各砲座が動いて照準を調整、順次砲弾を装填して行く。
 エアホーンの下品な音が雪原にパラパラパラパラパラパラと間断なく響き渡り、トナカイたちはコーラを飲んで水分補給している。吐くような気色の悪いゲップも忘れずに…………そのトナカイたちの足元では如何なる原理かスパークが迸っていた。
 最初は点にしか見えなかった戦車大隊が目前にまで迫る。ロシア陸軍はその異様な爆音を立てる集団に混乱していた。

「何だあれは……暴走族だとでも云うのか?」
「いや、違う――あれは、暴サンタ族だ……くっ、各車後退! 行進間射撃だ! 急げ!」

 雪上を器用に方向転換しながら全ての戦闘車両が後退を始め、殿(しんがり)のみならず全ての車両が爆音を響かせるトナカイの群れに砲撃を始める。
 雪が、その下にあった土が舞いあがり、けれど150kmでなおも移動を続けるトナカイの群れは容易にそれを避けてしまう。それどころか報復射撃をジグザグに動く対象に正確に当てるだけの能力まで備えている。

 あの妙ちきりんな格好の一団のほうが、長く軍属に着いてきた者たちよりも優れるだなどとあってはならないはずだと云うのに、だと云うのに、彼らの砲撃は、機銃射撃の一切は当たる気配が無かった。
 曳光弾の軌跡と着弾点は明後日の方向に、主砲の砲撃は、小さく素早く動く標的に当てられるような物ではない。けれど榴弾による爆発で、あんなちゃちなソリの一つや二つ程度、壊せていいはずなのだ――――

 次第に距離が近づく。あんなふざけた物が戦車よりも早く、そして追いつくなど悪夢以外の何物でもない、指揮官の動揺は大隊各員に伝播していく。

『大隊長! 大体長ぉぉぉぉぉ!』

 断末魔は雄叫びと成って雪原に響き渡る。古式砲の穿った穴に投げ込まれた火炎瓶の焔が、エンジン部とガソリンタンクに引火して爆発した。もはや助からない。
 対HEAT防御に難はあるが、だからと云って古式砲程度に破られる装甲でもない。しかし厳然たる事実として古式砲は装甲を貫いた。それは古きナチスドイツの使用したHEAT兵器の代表、パンツァーファウストに匹敵する力を持つことを、ありありと見せつけられたと云うことだ。
 彼は最悪の事態を想定して、自分だけが生き残れる道を探し――命令した。

『各車、隊列を乱すな! 火線を集中させるんだ!』

 無線を送り、敵陣の配置を再度確認するため搭乗口を開けた時、何かが顔に当たって戦車内部で破裂した音を、大隊長は聞いた。それが何かを理解した時、大隊長は犬のように搭乗口から這い出たのと同時、ガソリンタンクに誘爆、戦車が弾け飛んだ。
 それでも大隊長はまだ運が良い方だった。少なくとも戦車内部で爆発に巻き込まれて死んだ彼らよりは。
 だがその運の良さも、彼を死の淵から引き上げることを是とはしなかった。

「よぉ、大隊長さん! さっきので生き残るなんて運が良いなぁ!」

 それは、指揮官と思しきサル顔の男の声だった。何やら上機嫌そうに自分の詰まっている筒の反対側からみかじめ料の徴収に来たヤクザのような笑みで迎え、痛みとともに視界が真っ暗になった。
 それが先ほどまで自分の大隊を苦しめてきた古式砲の砲塔内部と理解すると、いつの間にか恥も外聞も捨てて命乞いをしていた。
 冷たい視線が刺さるのを体感しながら、それでもこんなのと一緒に死ぬのなど到底認められるものではなかった。それなら降伏して勝ち船に乗ってしまった方がよほど利口だと言えた。

 しかし彼は見通しも考えも甘かった。少なくとも彼らを同じ人間だと思っていた時点で、彼の死は決定していた。
 彼らはサンタクロース。子供以外の歳の人間など、老いも若いもそう大して区別など付かないし、男女の別や堅気か極道者かの別で容赦手加減をするような渡世の義理も人情も持ち合わせていない。それが人間であるならば、哺乳類綱霊長目ヒト科ヒト族ヒト属ヒト種である以上全て同じだ。

『モスクワによろしく伝えてくれよぉぉぉ!! 超皇帝爆発(スーパーカイザーノヴァ)剛力砲(アームストロングカノン)世路死苦(よろしく)ぁぁぁぁぁぁ!!』

 光が目の前を覆うのとともに、彼の意識はそこで途絶えて、押し出された肉塊は履帯が脱帯して走行不能と成り、奇跡的に生き残った戦車の搭乗口から滑り込んで血と肉片を撒き散らして止まった。
 それを見てサル顔の男はその死体をこう揶揄した。

「ハハハハッ! 汚ねぇ花火だぜぇっ!」



 やがて戦車大隊の指揮は乱れ各個撃破される結果と成った。
 戦車の砲塔旋回よりも早く旋回を終えたソリに据え付けられた古式砲が戦車の横腹に砲弾を撃ち込み大穴をあける。続いて二発、三発と撃ちこまれ、火炎瓶が投げ込まれて大爆発を起こし、そこに後続の戦車が乗り上げて爆発を起こした戦車だった何かを押しつぶした。
 一輌残らず鏖殺(みなごろ)し。這い出てきた搭乗員はトナカイが踏み潰し、果敢にも抵抗を続けるなら寄って集って破壊する。クルップ鋼をすら破壊するトナカイの強靭な足は、やがて何も動く者のいなくなった雪原を走り抜ける。
 下品なエアホーンの雄たけびが、下品な男女の勝鬨が木霊する。ここに、彼らを止められる者は居なかった。

「行くぜお前ら! モスクワはもう目の前だ! 地上の汚物を消毒するぞぉぉぁぁ!」
『イィィィヤッハァァァァ!』






 アメリカ合衆国ノースカロライナ州フォート・ブラッグ上空500m

 トナカイ四頭が引く大がかりなソリが五つ、その下に牽引されるのは巨大な黒い筺体だった。中に何が詰まっているのか定かではないが、とてつもない重量なのは間違いなく、不規則に風にあおられ鎖をきしませている。
 それら五つの筺体を整備する数人の白い防寒服のサンタたちが驚異的な身体能力で一斉に箱からソリに飛び乗ると御者台で手綱を引く男に報告する。

「Saint and Automatic Necessarily of Tactical Aggression able Lethal Weapon Systems.正常に起動。全機、出撃準備よし!」
「よし、では各機投下。アメリカ陸軍第一特殊部隊デルタ作戦分遣隊及び敵対勢力全てを殲滅せよ」
「了解! ガントリーロック解除! 投下開始! 随伴部隊はそのまま上空を警戒しろ!」

 牽引されていた鎖が外されると筺体が一斉に自由落下を始め陸軍特殊作戦軍団基地にそれぞれが着地する。
 何事かと上空を警戒しながら近寄る米軍士官たちは銃を片手にそれに近づき、遥か上空を何もせずに舞い続けるトナカイの群れに目を移す。

 この箱が一体何だと云うのか。まさかサンタらしくプレゼントでも渡しに来たわけでもあるまいし――注意深く見守っていたとあるデルタの士官は確かにそれの産声を聞いた。
 (ひず)んだ声。まるで出来の悪いコンピュータボイスだ。それが錆ついた金属音と共に存在を主張する。地獄の底から響く様な産声、どんな言葉でも形容しがたい恐怖を伴った声が其処に響いた。

『オペレーティングシステム、戦闘モードヲ起動。S.A.N.T.A.1オペレーションヲ開始シマス』

 突如筺体が崩れる。いや展開する。サイコロの展開図のように奇麗に開き切ったそこには、赤い瞳を爛々と輝かせる一体のロボットがいた。
 赤錆びの浮きたつ質の悪そうな鉄鋼で構成され、腕や脚は関節部のみが異様に細くそれ以外の部分が異様にふとましいアンバランスな構成。
 四脚、二脚、タンク、逆関節、あるいは球体をとても太い足あるいは腕でバランスを保つ、日本の怪談ではおなじみのテケテケのような外観の鉄塊たちが其処に待ち構えていた。SF映画やゲームにでも登場しそうな、とてもではないが現代の科学力では実現不可能だろうと思われる油の臭いを漂わせるロボットたちで、それの最も近くにいた彼はその不完全でありながらも同時に汚い中に存在する美しさに目を惹かれて――

「あ…………」

 それが彼の最後の言葉と成った。テケテケのような変なロボットの背面に備え付けられていた擲弾発射機のような物からの一撃で上半身を吹き飛ばされ、残された下半身はその剛腕に踏み潰された。

 悲鳴と怒号とが基地に伝播した。一度始まり広がった混乱を鎮める術は誰にも持ち合わされていなく、様々な姿形のロボットは基地に居合わせたすべての士官、基地の外からその光景を撮っていたカメラマンたちを一人残らず殺しつくして行く。

 人の体長の約1.5倍ほどの頭長高を持つロボットたちの脚部、かかと側に据え付けられた履帯が稼働を始めると、つま先側の底部に供えられたタイヤが稼働しその巨体を猛烈な加速と共に前へ進ませる。
 ローラースケートの様な移動方法をとりながら、両手のライフルとマシンガンは逃げ惑う兵士たちへ効力射を掛け、背部に据えられた筺体が稼働すると小型のミサイルが基地に展開している兵器へとむかい、次の瞬間には爆発した。
 手に持ったライフルから放たれた炎は着弾と同時に家屋一棟を消し飛ばし、司令塔は何処からか飛んできたテケテケに真っ二つに折られて、果敢にも銃や擲弾発射機を持ち出してきた者たちもロボットの反応速度には叶わず撃つ直前にはすでに消えていた。
 車両で逃げだそうとした者たちは足が戦車のように履帯とシャーシで構成されたロボットに待ち伏せされ、バックしようとレバーを操作する間に体当たりを喰らわされた。
 ヘリで逃げようとした者は逆関節のロボットが追随し、その無防備な胴体に蹴りを叩きこまれて爆発炎上する。

 銃声、砲火が乱舞し鉄片と血風が舞い踊る。
 ロボットが地を踏みしめる鈍い金属音、高く飛び立つ推進機の高い音、鋼鉄に鋼鉄の足が叩きこまれる瞬間の息の止まる様な光景、履帯が兵器を押しつぶす威圧的破壊音。ロボットたちは止まらない。基地を、あらゆる場所を破壊しそれでもなお止まらない。
 戦車、ヘリ、銃、軍人、一般人の別はなく、壊すことが出来、殺すことのできる者がいるなら赤い瞳のそれらが殺到する。この場に居合わせた彼らに唯一残された解放の途は死だけだった。
 爆音が、烈光があたりを支配する基地だった場所で、最後に残った男は手榴弾を片手に吠えることしか出来なかった。ここで突撃すれば確実に死ぬのは分かり切っていたことだったが、それでも一体でも多く道連れにしなければ最早気が済まなかった。
 ここまで虚仮(こけ)にされて、凌辱されるがままに死ぬのは我慢ならない。それならいっそのこと特攻でもすれば、誰が見ているわけでもないが格好は着くだろう。獰猛な笑みを浮かべながら手榴弾のピンを引き抜き――――

「糞がぁっ! サンタだか何だか知らねぇが、調子に乗るなよ! アメリカを、世界で最も優れたこのアメリカを敵に回したことを後悔させてやる!」

 目の前にまで迫ったロボットの胸元に自ら飛び込んで、直後の爆発。
 肉片が散らばり煙状に散った血が砂埃と混ざって異臭を放ち、やがて風が血煙りを払ったときそこにあったのは――――

『Mission Complete. S.A.N.T.A.1、引キ続キオペレーションヲ実行シマス』

 こびり付いた肉片と血煙りをそのままに、まったくの無傷のロボットは無情にもそう告げ、二脚を先頭としてロボットたちは一路ワシントンDCを目指した。後に残る物は何もなかった。






 とある海域、サンタ艦隊と人類艦隊の戦闘は熾烈を極めていた。
 木造船にはあるまじき耐久力と古式砲とは思えぬ威力は同士うちをしながらも牛歩のように歩を進める人類艦隊の戦列艦艇のことごとくを葬っていく。
 トナカイとトナカイの引くソリの群れが空を駆け、ソリに乗った者たちが放つ弩砲は一撃で戦闘機を撃墜し、戦列艦艇に大穴をあける。

 海を覆う膜の如き分厚い氷は潜水艦を海中に押し込めて圧死させ、魚雷でも割ることは叶わない。潜水艦たちは今にも、海の中に閉じ込められようとしていた。
 ある潜水艦は特に不幸だった。艦首部分に出来たての氷を喰らったがために調停中だった魚雷が誤爆、艦首部分で爆発が起こった。
 表面層を反響する艦首部分の爆発音、重油の群れ、圧縮酸素の気泡は氷に阻まれ外に出ることは叶わず、また潜水艦たちはその爆発を耳に氷の勢力圏からの撤退を始めた。彼らは見捨てられた。

 艦首魚雷発射管、バラストタンクと増漕(バルジ)を損傷した潜水艦内に海水が流入し始める。それは蝗害にあえぐ田畑に新たな蝗の大群が押し寄せるかのようで、流入した水は水圧で拉げた増漕(バルジ)を経由して機関室にまで流れ込み、機関室長は水の流入を止めることを諦め機関を停止させ、耐圧殻を閉鎖した。
 水によって、水圧によって窒息して死ぬのはもちろん怖かった。怖かったが、だからと云って他の生き残る可能性のある彼らを道連れにするほど非情にもなれなかった。だから機関室長は水圧殻を閉めて無線を開いた。怨嗟のように腹の底から声が出てくる――止められない。

「機関停止、耐圧殻閉鎖――艦長、お元気で……」

 閉ざされた隔壁が流入する水を受け止めて、機関室にいた数多の躯は水圧に潰れながら水浸しとなった機関室を泳ぎ、水圧はやがて隔壁を押しつぶし潜水艦の艦内はたちまち水浸しとなっていく。
 流入する水はバラストよりも重く、満身創痍と成り海底に座礁した潜水艦は酸素を使いきって窒息か、それとも新たな傷より流入する水の圧力に押しつぶされるか――それが潜水艦乗組員のごく一般的な死因と成る。
 数時間がたち、圧力がある一定に収まり何枚目かの隔壁で抑え込まれると水の流入は止まり、たちまちに被害が艦長に報告される。
 それは喉元に鎌を突きつけられた状態で死刑宣告を受けるのとなんら変わらない、艦長は目を閉じながらそう思い静かに損害報告を聞いた。もう助からないと。

「艦長、報告します。艦首発射管室全損、両弦側バルジ破損、これにより圧搾空気喪失。メインバラスト、ブローできません。主機の作動停止音を確認。電動機停止、ポンプ破損、海水淡水化装置大破、電解装置損傷軽微。損傷は艦首および艦尾側機関室、艦低層部に極限しましたが、バラスト含め損害個所、いずれも復旧の見込みは立っておりません。電解装置は微量ながら電気分解を続けておりますが、酸素がどれほど持つかは――――」
「――――諸君、我々はあのサンタに対してよくもまぁあれだけ奮戦できたと思う。とても残念なことだが本艦の次の浮上予定は延期になった、永久に」

 善戦なんぞ出来なかった、足元を掬おうとして足を掬われた。だがそれもしょうがない。運が悪かった。そう諦めてしまえば問題など何もない。全ては泡沫へ静かに消え去るのみである。
 分かっていてもそうとしか言えない。運が悪かった。まるきり何も分からない存在を相手に戦おうとしただけでも誇れることだと思えば幾分かましな気分になれるのではなかろうか。そうでも思わなければやっていられない。
 だが同時に負ける屈辱を知ってしまって、ただ一言悔しいと云う言葉すら出てこない。もう何もかもが手遅れで、無駄でも足掻くことはできないのだから。

「現在我々は深度560mの深々度領域に座礁した。三~四時間もすれば酸素も枯れる。蓄電池の電力を生き残った水密区画に行きわたらせよう。どのような死を選ぶかは君たちの判断に委ねる。皆よく戦ってくれた」

 だから最後の時まで、彼らはうちに秘めるようにして思っていた。
 国を守ろうとする意志はそれほどまでに罪なのだろうか? 家族を守りたいと銃を持つことはそれほどまでの罪なのだろうか? 我々(人類)はどこで、道を踏み外してしまったのか――――――

 やがて海底から、音のするものは何一つなくなった。あるのは魚たちの息吹きのみである。






 海が凍っていた。真っ白に凍っていた。その白さと言えば、いつか北極圏で見た巨大な氷塊のような、美しく眩しいまでの純白だった。
 空挺サンタ部隊からの槍の如き弩砲の投射を避け、背筋が凍りつき全身が凍えるような世界の中、男は足の止まった艦から順番に沈められていく惨状よりも、鋼鉄の足元に静々と横たわる氷の大地に目を奪われていた。

 まるで真冬の朝、軒先に出てみたら奇麗に氷漬けになった動物を見掛けたような気分だ。動かなくなったイージス艦も巡洋艦もミサイル駆逐艦も、動けなくなってしまえば唯の固定砲台、もっと云ってしまえば置物だ。それが一つ、また一つと破壊されていく。
 極限の集中状態が生み出す極大の興奮と全能感、プロスポーツ選手に見られるゾーンのように周囲が止まって見える中で、ただ彼は現実逃避的にその白さに思いをはせた。
 一体何が間違ってこうなってしまったと云うのか――彼には最早知りようもないほどに終わってしまったことだったが、そう問いを投げずにはいられない。誰も答える者はいないと知りながら。
 だから彼は生き残りたかった。是が非でも、生き残ってその答えを知りたかった。知りたいから、生き残りたいから、闘うしかないのかと彼は諦めて目の前の敵に集中した。
 空の敵に集中するよりも、空からの奇襲に全く警戒した様子の無い古めかしい船の方に――たとえ強固な空中戦力といえど、これほど肉薄した状態での急降下なら止める術は無い。

『イーグル4吶喊する』

 急降下突撃とともに切り離されるミサイルが一隻に向かい爆散して炎に包まれると、その爆炎と煙に紛れて氷の大地すれすれで機首を氷に対して水平に――目指すは味方に囲まれて悠々とたたずむ旗艦だ。

 きっと敵軍にはこう見えることだろう。突然一機の戦闘機が爆炎の中から飛び出してきた風に。
 ヘルメットの下で口角がいやらしくつり上がるのが男には分かっていた。それほどまでに興奮していた。死を覚悟した瞬間にこの人生で感じてきたどんな物よりも強い興奮が体中を駆け巡って――それは一種の快感だった。

 驚けよ――驚愕しろよ。お前たちが如何に優れた人間でも、最新の兵器には勝てないのだと思い知れ。
 もはや味方は居なくなり彼だけだと云うのに、彼は勝利を疑わなかった。そうでもなければ特攻など不可能だった。いつか祖国が、世界がこの出鱈目に打ち勝てる日が来るのだと信じて――特攻など日本人のお家芸とばかり思っていたが、案外覚悟すればだれでもできるのかと乾いた笑いを挙げる。

 やがて見えてきた。艦首の槍のような物に立つ、杖を突いた男の姿。この戦争の始まりを告げた白い老人――――まずはお前だ。
 戦争に於いてまず真っ先に狙わなければならない者、それは指揮官とその指揮官に次いで高い官位の士官だ。そして奴は無防備にも艦首よりこの惨劇を悠々と観覧している。狙うなと云う方が無理からぬ話だ。
 アフターバーナーによって加速度的に押し出される傷だらけの戦闘機は、その機首で白い老人を跳ね飛ばそうと迫り一条の光線と成って肉薄する――確かな手ごたえを感じた。

 その光景は不自然だった。空が二つに割れて見えていた。二つに割れたその合間を見ようとすれば、その合間はまるでぽっかりと口が開いたかのように真っ暗で、キャノピーが何かに切られたように見えていた。
 やがて何か赤い液体が視界を覆い始めると、光が彼を包み込んだ。



 何処に向かっているのか分からない瞳の彼が白い翁に突っ込んでくるのを、彼はただその鋭い瞳で眺めていた。

「無為な――」

 一条の光線――機首の尖塔が彼の喉仏に触れるか触れないかの瞬間に一閃――誰の目にも止まらないうち、両手に確かに握られた杖は振り切られていた。その軌跡は戦闘機の先端から後端までを迷い無い一本の線で貫いている。

 遥か上空へと戦闘機が昇っていく。自分がどうなっているかも理解できぬままに偽物の(わし)は獲物も咥えぬままに飛び去り、そして二つに分かたれた。
 ゆっくりと構えが解かれる。血糊を払うように杖を一瞬横に払うと、再びゆったりとした動作で元の姿勢に戻り始める。
 その姿は何処までも自然だった。まるでそうなることが当たり前であるかのような錯覚。杖で戦闘機を叩き切るなどと云う普通に考えて異常な光景であるはずなのに、そうとは思えない非現実感。もはや何でもあり、驚かせた者勝ちなのではないかとすら思えてくるほどの出鱈目だ。

 杖を再び槍の如き船首に突いたと同時、戦闘機が爆発して、ここでの(・・・・)戦闘は終了したことを暗に告げる。あまりに濃密な大勝であったが、それでもここはまだ序章なのだと云うことを、人々は知る由もなかった。

 演説によって明言された圧倒とはすでに達成されたものだと、このときはまだ誰もが思っていたことだった。それはそうだ。主力艦隊や多くの艦載機を薙ぎ払い、そのうえでほぼほぼ無傷のサンタたちを見て、誰がこれ以上に惨禍が広がると思うのか。
 彼らは見通しが甘かった。かつての戦争は人間対人間だった。それは縮図を広げれば国家対国家だ。故に一つの艦隊を退けようとすればそれだけで経済が、国政が、民意が傾いてきた。その傾きを直す為に、ひと時の平穏を彼らは選択するほかなかった。それ以外に選択肢が無かったからだ。

 けれど、サンタ軍(かれら)は国家ではない。国力? 民意? 経済? そんなものとも関係ない。ひとたびプレゼントの配達に動き出したならば、プレゼントを配り終えるまで止まることはない。そう、それが彼らと云う組織であり、彼らと云う集団であり、彼らの仕事だから。
 故に、故にだ――――彼らは見通しが甘かったのだ。どうしようもないまでに、楽天的だったのだ。彼らは、希望を持ちたかったのだ。
 束の間の安息はやがて絶望へと舵を切っていく。誰にも、それを止めることはできなかった。



 火に包まれる街があった。
 かつて古き良き街並みとさえ称されたパリの街並み。火の手が上がり人々の悲鳴と叫び声が木霊する。

『凱旋門を起動しろ!』

 凱旋門が真ん中から真っ二つに割られ内部から大砲が飛び出そうとしたとき、あるサンタの発射した弩砲、その弾体である槍が複数本凱旋門に突き刺さり、凱旋門はその鼓動を止めた。
 真ん中でぱっくりと割られたまま破壊され、日本政府がその内部に用意した対惨絶用決戦兵器布例逝屠凱旋門(プレゼントボックス)は日の目を見ることなく凱旋門の奥深くに鎮座する、守るべき人々の悲鳴を聞きながら。

 ロシアのペトロパブロフスク・カムチャツキーでは、進行した陸上サンタ軍の猛攻が都市を襲っていた。
 トナカイ戦車の一団が陸上部隊の(ことごと)くを薙ぎ払っていく。戦車を、人を、高射砲を、ソリに据え付けられた古式砲による効力射が全てを無駄と云わんばかりに吹き飛ばし、街並みを舐めるように基礎からこそげ取っている。
 空からは弩砲から発射された槍がマンションの屋上から地下室までを貫いて、赤子を抱いて震える母親を脳天から貫き、空挺落下傘タ部隊の弩砲の乱射が、街角を抜ける一人の青年の胸を貫いた。
 殺戮が其処彼処を埋め尽くす。何処までも、何処までも、この大地の一片までを覆い尽くすような勢いで、逃げ場は無くなってしまえと。
 やがてペトロパブロフスク・カムチャツキーは制圧、空挺落下傘タ部隊によってSCとGNの二本の旗がぼろぼろの家の屋根に刺され、サンタたちが勝鬨を上げた。

 殺戮と虐殺との二重奏が世界中に響き渡っていた。
 路地裏から先回りして銃を向けようとした男の脳天が割られる。
 子供を抱いて逃げ惑う夫婦をトナカイの蹄が引き裂いた。
 市民を背に銃を持つ男は倒れるその瞬間まで銃爪から指を離すことはなかった。
 ある国の大統領は我先にと政府専用機に乗り込み、その生を終えた。
 シリアの反政府ゲリラも政府軍も民間人も、逃げる間もなくその身体を大地に縫い付けられた。
 バチカンの大聖堂は見る影もなく、法王は大聖堂の尖塔に頭から串刺しにされ、その身を以て逆十字を描いていた。

 終わることのない、止まる処を知らない殺戮は、やがて世界を静止させた。
 世界中の国家が崩壊する音を、人々は聞いた。
 世界中の軍隊が消滅する音を、人々は知った。
 世界中の経済活動が破綻する音から、人々は目を背けた。
 怨嗟と怒りと悲しみが生まれ広がり、やがて世界を包む頃には、完全に地球は静止して、あとに残るのは(しるべ)()()を失った人間たちだけ――そしてその時、音もなくこの殲滅戦は終わりを告げた。知らぬは彼らだけだった。



 焼け野原となった街中で、少年は母親だった燃え滓を抱きしめていた。妹にはこの光景を見せまいと目に包帯を巻き付けて、ケロイド状となったかつて母親だった物の肌がドロドロと手に付着するのを構わずに、彼は母親を抱き続けた。
 声もなく、二人は其処でただじっと待った。抱き続けて半刻、妹も何があったのかを幼いながらに察して、もはや二人だけで生きていくほかないのだと、兄の袖を強く握りしめた。
 父親は骨すら残さずに消えて無くなってしまった。母親も既にいない。二人ともこの戦争によって失った。目の前で惨殺され、サンタたちは何処(いずこ)かへ消え去ってしまった――この悔しみを、一体どこにぶつけてやるべきなのか、彼は嗚咽を噛み殺し静かに泣いた。

 杖の硬質な音が、街中に響いた。
 よく見れば、そこには煤と灰と機械油と、そして夥しい血に濡れた、あの演説を行った翁がそこに立っていた。
 コツコツコツコツ、一定の速度でゆったりと、翁は彼らに近づいた。よくよく見れば、夥しい量の血は彼の物ではなく、誰かが最後の抵抗に残して逝ったものだと分かる。それはつまるところ、この翁はこの戦場のド真ん中で生き抜いてきたということと、刃向う全てを血に濡れた杖で切り払ってきたことを暗に理解させる。
 如何なる技術で以て杖一本によって其処までの殺戮を繰り広げられたのかは定かではなかった。普通、杖一本で幾人も殺せるような物ではない。一人二人殺す程度が精々だろう。しかしそれは杖の先端に付着した夥しい量の血が否定するのだ。それは違うと。
 素人目にも分かるほどに、この男は並々ならない剣呑な雰囲気と、その姿の何処にも隙と言えるような物が見られない。逆に抵抗しようとすれば次の瞬間には切り捨てられるかもしれないと云う恐怖が映像と成って押し寄せてきて、彼はそれがそう云った類のものなのだと云うことまで理解して、理解することをやめた。
 やがて死体を挟んで三者が対峙すると兄が何かを云うよりも先に、事の次第を全て理解してしまった――させられてしまった妹が、兄に先駆けて言葉を発した。目元の包帯は、微かに湿っていた。

「サンタさん――」
「何かね、可愛らしいお嬢さん」
「サンタさん――サンタさんは、一年間いい子にしていた子供たちに、プレゼントを届けてくれるんですよね?」
「左様だ」

 兄はいつでも妹の盾と成れるように妹を抱き寄せ、翁を睨む。父がそうして、母がそうしたように、彼もまた、死ぬ覚悟で妹を守ろうとしていた。
 このように鬼畜の所業を世界に波及させ、親を、家族を、隣人を、友人を殺し尽くした者たちが、サンタクロースであるはずが無い。あったとしてそれこそ、祖母から伝え聞くブラックサンタクロースに他ならない
 だからもう、家族を失いたくない、失うくらいならまずは自分から妹の盾と成って死ぬ。
 やけくそ気味の急ごしらえの覚悟で、彼は唸るように静かにほえる。決して妹が殺されぬように。これ以上の悲しみと怒りと悔しみは、彼の心をきっと溶かしてしまうだろうから、後ろ向きな死の覚悟を以て目の前の翁を睨むしかない。

 そして彼女は、己を抱く最後の肉親の温もりに闇の中で密かな安堵の吐息を洩らすと、闇の中でただ一人存在感を放つ翁に向かって、臆することなくそれを伝える勇気を得た。
 父も母も死に、最後に残った兄が死を覚悟して守ろうとする命の燃焼が延焼して、深い闇の中が温まっていく。たゆたうような安らぎとまるで赤子の頃のような万能感がともに、たとえこの後も兄とともに生きて行かねばならぬとしても生きていけるのではないかと無条件に信じられた。
 だから目の前の悪童に死を配達する者(ブラックサンタクロース)も、恐るるに足らない。

「私は、私たちは――こんなプレゼントいりません」
「――――――――ふむ」
「返してください。私たちに、私たちのお父さんとお母さんを、返してください――」

 闇の中で目を瞑った。なにがあっても兄の温もりを手放さないために、より一層兄の胸板に額を押しつけて――――それは兄も同じだと、気配で分かった。
 彼らは征服者なのだ。前代未聞の、全世界征服を成し遂げた、征服者なのだ。征服者に対して、彼らはちっぽけな原住民。彼らの機嫌を損ねることは、生きながらえた自分たちの蝋燭の炎が消えるのだと誰に云われずとも分かっている。だから、お互いの温もりを離さないために、目を瞑った。

 しばらくの間があって、老人特有の唇に残った唾液がネチャリと嫌な音を立てるのを聞いたとき、彼らはより一層強く抱きしめあって、続く言葉を待った。
 それでもまだ返答はなかった。
 一分、二分、三分、やがて再び唇が開いた音を聞いたとき、彼らはそう云うものだったと思いだした。

「残念だが、プレゼントは一年に一回だけだ。欲張りはいかん」

 クーリングオフは利かない。一度受け取ったら、それで終わり。返品対応もクレームも受け付けていない。渡したら渡しっぱなし。

 ゆっくりと目をあけると、けれど其処にはやはり先ほどまでと変わらない瓦礫の光景が広がるばかりで、翁も元の場所から1cmたりとて動いては居なかった。
 総身からどっと力が抜けるのを感じるのとともに、ふつふつと、再び怒りがこみ上げてくる。注文してもいないピザを届けられた揚句にクーリングオフは適用されないなどふざけるのも大概にしろと、彼は胃液を撒き散らすようにして叫び、父と別れる前に持たせられたスタームルガーMk1を片手で構えた。
 照準がぶれようが、汗で視界が悪かろうが、こいつを殺せば全てが終わるのではないかという考えが頭をよぎる。引き金に掛かった指はけれど少しも動かない。
 照準越しに目が合ってしまった。戦場では特に新人の射手が陥ると云う、あれだ。
 だが決定的に違うのは、他者を慮るような思慮あるそれではなく、全く正反対の感情がそれの大多数を占めている。

 恐れだ――

 それは人を人として見ていない――殺気はないのだ。殺気はないはずなのに、深淵のような瞳は圧するでもなく、まるでそこいらに転がる物を見るかのように見下されていた。
 だがそれも一瞬、再び顔に影が落ちると、サンタクロースを僭称(せんしょう)する翁は踵を返し、杖を突いて歩き始めた。その背筋は何処までもピンと伸ばされていた。
 重圧から解放されたように油汗をぬぐい、己と妹の身が助かったのだとその生命の充足を安堵するのも束の間、数歩歩いたところで翁は振り返った。

「だが――だがもし君たちが、来年までその思いを想い続けられたならば、我々は君たちに新しいお父さんとお母さんを用意しよう。では、さらばだ――」






 数十年の時を経て世界経済はゆっくりと動き出し、やがて人々にも平和を享受する余裕と新たな経済戦争に湧く余裕が生まれてきたとき、人々はこの出来事を忘れないために、この戦争と彼らを畏怖してこう残した。
 歴史の教科書でも十(ページ)を丸々使って、それらが風化しないように、そして次に彼らが現れる時こそ、人類の終わりだという確信を持って――――――



 後の歴史書に残ったその動乱の名は即ち――サンタ・クライシス――






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