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 エレナの部屋に戻ってきた俺たち。エレナは机に座り、カミラさんから渡された課題に取り掛かる。課題の内容は文字の練習や算数、街の歴史などのギルド員が知っているべきものだ。エレナは見習いだ。一人前になるためには、当然覚えるべきものなのだ。リーネもしくはカミラさんに添削してもらうらしい。この世界には学校と呼べるものが無いので、学のある者に教えを乞《こ》うことは、
ままあるそうだ。エレナは勉強できる環境にいるだけマシなのだろう。
 
「じゃあ、さっさと終わらせないとな?」
「うん、がんばる。」

 エレナの勉強を邪魔してはいけないだろう。俺はベッドの上で丸くなり日向《ひなた》ぼっこをする。日の光を受けている部分が温かくなり、気分を落ち着かせてくれる。こういう時間を大切にするべきだな。
 エレナが勉強を始めてすぐに、エレナは皮紙の上に唸《うな》りながら倒れこむ。
 俺は机の上に飛び乗り、エレナの頭の横まで近づく。

「どうしたんだ?」
「……わかんないから休憩してるの。」
「算数か?」
「……うん。」
「俺が教えようにも文字が読めないからなぁ。」
「その言い方だと、読めれば教えられるって意味に聞こえるよ?」
「まぁ、内容にもよるだろうけど。」

 エレナが眠そうな目で顎《あご》を机に付けたまま課題を読み上げる。やる気なくなって、不貞腐《ふてくさ》れた時は俺もこんな体勢になったなぁ、などと思ったが口には出さない。

「次の問いに答えなさい。露店の申請が200件あり、その内《うち》111件の申請が許可された。申請されていないのは何件か。」
「89件だな。」
「え……なんでそんなすぐ答えが分かるの……?」
「暗算って言って頭の中で計算する計算方法だ。3ケタくらいの計算ならすぐできるだろ。」
「……。」
「……分かった。算数教えるからそんな泣きそうな顔するなって。」

 涙目のエレナに筆算《ひっさん》を教えていく。異世界に来てまで家庭教師をすることになるとはな。教え終える頃。頃合いを見計らったかのようにエレナの腹の虫が鳴る。

「えへへ。」
「何で腹が鳴るんだ……結構|食ってた《・・・・》よな?」
「勉強してたら、お腹減っちゃって。」
「マジか……。」

 俺がエレナの食欲に呆れていると、ドアがノックされる。

「おーい、エレナー。あーけーてー?」
「あっ!リーネだ、今開けるよ。」
「ういしょっと……ほい、買ってきたよー?」
「丁度欲しかったんだよーありがと。リーネも食べる?」
「私はギルドに行くから、エレナたちで食べてー。」
「そうなんだ、リーネ、これ、課題終わったからカミラさんにお願い。」
「……え?もう終わったの?いつもカミラと遅くまでやってるのに?」
「……わ、私もやるときは」
「キツネさんに?」
「ぐっ……。」
「教えてもらったり?」
「あぅ……。」
「くんくん……この匂いは……果物も貰ったり?」
「……その通りです。」

 リーネの口撃にやられ、椅子の上で小さくなっているエレナ。落ち込んでいても食べるのか……。リーネはエレナが渡した課題を確認して驚いている。

「すごいねーエレナー。カミラが来るまで休んでて良いよー。」
「もぐもぐ。」
「……カミラにも何か買ってこさせようかー。」
「もぐもぐ!」
「キツネさんも、エレナの勉強見てくれてありがとー。」

 俺が尻尾を振って答えると、リーネはギルドへ出発した。エレナは食べながら愚痴を言っている。
 食べ終わるのを見計らい聞いてみる。

「少しは落ち着いたか?」
「うん、落ち込んでても仕方ないし。」
「できるようになったんだから前向きにな。」
「……がんばる。」

 しばらくの間、じゃれあっていると再びドアがノックされ、カミラさんが入ってくる。その時、微《かす》かに錆びた鉄の匂いがした。俺たちの前に立ったカミラさんの服装を見ると、スカートの一部に刃物で切ったような切れ込みがあった。カミラさんは俺の視線に気づいたようだが、そのまま机まで歩いて行った。手に持っていたエレナへの差し入れを置き、話し始めた。

「エレナ、課題終わったみたいね。」
「はい!」
「せっかく買ってきたけれど、要らなくなっちゃったわね。」
「要りますっ! 食べますっ! 任せてくださいっ!」
「そ、そう? 今日は一段と押しが強いわね……。」
「……。」
「さっきリーネにちょっとな。」

 カミラさんから顔を背け、椅子に座るエレナ。カミラさんがエレナの後ろに立ち、エレナの肩に手を置く。

「エレナ、よく頑張ったわね。」
「キツネさんに教えてもらって、やっと、できました。」
「いいじゃない。計算できるようになったんでしょ?」
「そうですけど……。」
「課題をこなして、苦手なところもできるようになった。成長してるじゃない。」
「……カミラさんみたいに、一人で、できるようになりたいんです。」
「エレナ、一人で何もかもする必要はないのよ? 今は困ったら頼りなさい、でも任せてばかりはダメよ? できる事をこれからも増やし続けなさい。」
「……はい。」
「私は、あなたの目標であり続けるわ。追いかけてきなさい。」
「はい、追いついてみせます。……がんばります。」
「じゃあ、これ、食べてしまいましょうか。」

 完全に蚊帳の外な俺。二人の雰囲気を壊すのもアレなので、黙って見守る。エレナの目標はカミラさんのようだ。計算以外の課題はすんなりと解けていた。知識面は問題なさそうなのだが。

 しばらくして食べ終わったエレナは、少し眠そうだ。目がトロンとしている。

「あら、眠くなったなら寝て良いわよ?」
「……はい。」

 ベッドで横になるエレナの髪を、後ろに流してあげているカミラさん。エレナがカミラさんの手を見ながら言う。

「カミラさん、手を握ってください。」
「一人前はどこへ行ったのかしら。」
「えへへ……そう言いながらも、手を握ってくれるカミラさんが大好きです。」
「はいはい、寝なさい。」
「はーい。」

 幸せそうに眠るエレナをなだめるカミラさんの表情は、穏やかで優しいものだった。

 数分後、幸せそうに眠るエレナの口元に数枚の布を置き、カミラさんが立ち上がる。無言のまま窓の施錠を確認し、俺を抱き上げ廊下に出た。真剣な顔で俺を見るカミラさんに何も言えずにいると、カミラさんは声を落として聞いてきた。

「キツネさん、今日は何かあったかしら?」
「……何かって何だ?朝からこの建物内にいただけだぞ。」
「そう。何も無ければ良いわ。」
「そっちは何かあったんだろ?錆みたいな匂いがするぞ。」
「……分かるのね。エレナには言わないでね。」
「……もしかして、エレナ関連なのか?」
「ごめんなさい、今は言えないの。」
「寝ているエレナを一人にして良いのか?」
「宿舎の周りは大丈夫……とも言い難いわね。」

 俺も声量を落として返答した。カミラさんが言葉を選びながら教えてくれた。
 午前中に、ひと悶着あったらしい。その際、手違いでエレナに危険が及んでいるようだ。カミラさんの匂いは、その時についたらしい。エレナは大丈夫だろうか……。ドアの向こうのエレナを見つめる俺をカミラさんは優しく撫でた。

「窓の向こうにリタが待機しているから、私は建物内でエレナのお守り。」
「リタって強いのか?」
「おそらく対人戦では……ここ5年近く負けたことが無いんじゃないかしら。」
「おー、強そうだな。下手にからかわないようにしよう。」
「ふふ、そうね。気づいたら狩られているかもね?」
「うへぇ、怖い怖い。」
「とりあえず……。」

 と、呟いたカミラさんの雰囲気が一変した。カミラさんが俺から手を放し、構えを取った。俺の目の前で小さなナイフが薄い膜に阻まれる。黒球の自動防御が働いたようだ。赤い矢印が3つ、ナイフの奥を指している。俺はいまいち状況が呑《の》み込めていない。今の今まで何も無かったのだ。
 床に打ち付けられる手前で、黒球に包まれる。ナイフがどこから飛んできたのか、全く見えていなかった。床に落ちたナイフを視界に入れつつ、下り階段の方を見る。誰もいない。足音も何も聞こえない。矢印は動いていない。
 後ろを見ると、カミラさんが構えたまま、視線だけを巡らせていた。足元に投げナイフが落ちているので、上手に対処したのだろう。

「何が起こってるんだ?攻撃された?」
「敵よ。」
「え?敵って、え?」
「誤算だわ……。」

 敵か……敵なんだな。敵だ。反芻して集中した。攻撃されたのだ。倒すべき敵だ。カミラさんの発言は……今は無視しよう。森での攻撃のように周りを気にする必要がない。さっさと倒そう。

「3体だ、撃て。」

 いつもの高音の後に、水風船が割れるような音が大小3回聞こえた。手前の矢印が消え、残りは2つ。
 矢印が動き始める。距離は分からないが、方向は分かっているんだ。逃がすか。

「2つ、さっさと倒せ。」

 階段下と、おそらく外で同時に爆発音がした。矢印が一つ減った。残りの一つは階段下を指している。
 俺は慎重に階段手前まで近づくと、階下から煤《すす》の匂いと煙が上がってきていた。微かに血の匂いもする。矢印は動かない。少し声を落として黒球に言う。

「動けないようにしろ。」
「……。」

 高音が鳴ったので拘束したのだろう。チラっと後ろを見ると、呆然としているカミラさんがいた。呼びかけると構えを解き、俺の近くまで来る。警戒はしているようで、手には小さな棒を持っていた。20センチほどの金属棒のようだ。文字のような文様《もんよう》が等間隔で描かれている。俺が観察していることに気づいたカミラさんが聞いてくる。

「えっと……終わったのかしら? 気配が弱弱しくなったけれど。」
「終わったと思うぞ? 階段下に1匹いるだけだ。外の奴は倒したと思うぞ。」
「……本当に?」
「見に行けば分かるさ。」

 俺たちがゆっくりと階段を下りていくと、階段途中の折り返しで入口付近の惨状が目に入ってきた。
 
 壁や床に飛び散る肉片と赤黒い血。俺がした事なのに、何とも思わない。血だまりで呻《うめ》く敵に情けなど無用だ。ゆっくりと血だまりに近づき、拘束された敵を観察する。
 20歳くらいの黒髪男性だった。少なくとも商業ギルドや兵士の服装ではない。街の住民が着ているだろう安物の服だ。今はボロボロだが。両足とも股から下がない。切断面に血が溜まり内部は見えない。……見えても困るんだが。おそらく黒球によって何かで覆われているのだろう。すぐ傍に吹き飛ばした足が転がっている。入口から出ようとしたのだろう。扉が少し開いていた。
 うめき声をあげた敵を見ると、俺を見る目が虚《うつ》ろになっている。死ぬ前に聞く事はあるだろう。カミラさんを見ると、俺の数歩後ろで|俺を《・・》凝視していた。

「どうした?こいつに聞くことがあるんじゃないか?」
「え、ええ……。まともに話せるのかしら……。」

 黒球に自白させるように言うと、虫の息の男は無理やり上体を起こされ叫び出す。
 数秒叫んだ男は、急に静かになり経緯を話し始めた。目があらぬ方向を向いている。黒球よ、何をした……。
 カミラさんも男が急に話し始めたため、慌ててメモを取っている。
 俺は慌てるカミラさんってのも珍しいな、などと場違いな事を考えていた。

しおり