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第二十話 狩人達の前菜

 午後9時10分。

 自分の端末から浮かび上がる3次元ディスプレイとデジタルキーボードを操作して、祥吾は今日の模擬戦の模様を検証していた。

 学校から自宅までの道すがら、コミュータでコンビニに立ち寄り、適当に夕食を買い込んだ。そして誰も居ない事を良い事に、自室でそれを平らげ、早々に風呂を済ませた祥吾は、コントロールルームから転送した画像データを見ながら、ディスプレイに向かってブツブツと独り言を呟いていた。

「ここは、もう少し角度を浅くした方が……」

「普段の機体と出力も違うからな……」

 祥吾は、杏との模擬戦で勝利出来なかった事について、悔しさよりも、「なぜ? どうして?」と、その原因の追及に夢中になっていた。

 自身のMPG操縦技術に、それなりの自信を持っていた祥吾は、昨日の訓練で里香に勝った事もあり、やや慢心していたと認めていた。
 イーロンと言っても、MPGの経験は自分の方が上だ。隊の中では鬼と呼ばれているあの母親を負かす事が出来る自分が、学校での訓練程度の杏に負ける筈がない、と思っていたのだった。

 それがこのザマである……
 どの判断が悪かったのか?この場面では次に何をすべきだったのか?そんな事を考え続けながら、キーボードを操作していたが、不意に、(要は、杏を舐めきってた。って事か……)との結論に至った。
 そう思うと、急に今やっている事が馬鹿馬鹿しくなり、ディスプレイの電源を多少荒っぽく切り、背もたれに体重を預けながら、雪が舞っている窓の外の景色を眺める。

 模擬戦まで、杏の事は結花のクラスメイト、という位の認識しか持っていなかった祥吾だったが、今は、同じ技量を持つライバル……と、格好良く思い込もうとしても、最初に浮かぶのは、何故かMPGのコクピットで気を失っている姿だった。

(変態か?俺は……)

 祥吾は今まで特定の異性と付き合った事が無かった。

 中学から高校入学あたりまでは、告白された回数はそれなりにあった。しかし、誰からの告白にも、曖昧な返事しかせず、実際には決して付き合わない祥吾の態度に、いつの間にか、告白しても付き合えない男、として、狭い田舎の学校でイメージが定着してしまった。

 告白して来た女子の中には、校内で一番可愛い、と男子から人気のあった子も居たが、可愛いな、と思っても付き合ってみたいとは思わなかった。
 祥吾自身、なぜ自分は誰とも付き合ってこなかったのか、何となく察しはついていた。
 それは、恐らく一番身近に居る者を気にしての事だろう、と、客観的な自己分析をしていた。
 
 結花の事だった。
 それは恋愛感情などではなく、憐みの思いが強かったのだろう。
 血は繋がっていない同い年の兄妹として育った2人だったが、成長するにつれ、次第に結花の境遇が特別であり、そして窮屈なものであると、祥吾は感じ始めていた。

 同じ兄妹なのに、結花に許されていない事を、兄だけ許されて良い筈がない……いつの間にか、そんな風に考えるようになっていた。

 しかし、結花の事を疎ましいと感じた事は一度も無かった。
 特に高校に通う様になってからは、結花は祥吾にとって常に気になる存在となっていた。
 それは単に保護者的な立場からかも知れないし、全く別の感情が働いたのかも知れない……

(普通の兄妹ならこんな気持ちにはならないんだろうな……)

 今の祥吾にはその答えを正確に出す事は出来なかった。と言うより、出したくなかった、という言い方が正しい。

 そして、杏である。
 結花と同じイーロンであり、3月にはここ名寄を出て行く……そして、もう会う事はないだろう。

(何で杏が気になる?)

 自問自答してみた祥吾だったが、そんなのは元来の負けず嫌いが作用した些細な抵抗であって、自分の気持ちはおおよそ見当が付いていた。

 お互いそれぞれの道に進めば、様々な想いも、時が経つにつれ時間という安全装置によって、綺麗に解決出来てしまうのだろう。それが現実かも知れなかったが、今の祥吾に分かるものではなかったし、結花や杏も同様であった。

 (なんでこのタイミングなんだよ……来月にはもうここから居なくなるってのに……)

 祥吾は、自分自身が納得出来るような答えが出せず、苛立ちながら頭の中に同じ想いをグルグルとループさせていたが、その生産性を欠いた思考を断ち切るように、着信の電子音が鳴り響いた。

 少しホッとしながら、机の上に置いたウェラブルフォンを確認した祥吾だったが、発信者が結花だと分かると、再び同じ想いが顔を覗かせる。

 祥吾は一呼吸置いた後、少し大きめの声で電話に出た。

「結花お疲れ。もう帰って来れんの?」

「あ、うん、いやまだ掛かると思う……お兄ちゃん、もう家に帰った……?」

 確認するように結花が尋ねる。

「ああ、飯も風呂も終わってるよ。」

「そっか……よかっ……わかった。」

 祥吾の返答に明らかに安堵したような口振りだったが、祥吾は気付かなかった。

「そっちは?遅くなりそう?」

「うん。多分。でも、お父さんに送ってもらうから、先に寝てていい。」

「オッケー。俺、ちょっと疲れたから、もう寝ると思うわ。結花も無理すんなよ。風呂はそのままにしておくわ。」

「うん……有難う。おやすみ。」

「おやすみー。」

 いつもの調子で電話を切った後、堂々巡りの思考が再発する前に部屋の電気を消し、ベッドに飛び込んだ祥吾は無理矢理目を瞑った。

 直ぐには眠れないだろうなと思っていたが、模擬戦での消耗が激しかったせいか、5分も経たない内に、意識は深い闇へと落ちていった……

          ※ ※ ※

 午後9時47分。

「ほら、お前がモタモタしているから、降って来ちまったよ……」

「あんたが急に作れって言うからじゃない!」

 雄武港組合長の柏崎は妻である夕子と共に、徒歩5分の距離にある港へ足早に向かっていた。
 沿岸部でも降り始めた雪は、時間が経過する程に降りが強くなり、その勢いは道路にあらたな積雪を生み、夜の海原も白く濁していた。

 柏崎は妻に依頼した夜食の差し入れを届ける途中だった。
 当初、柏崎は自分1人で届けるつもりだったが、冷えるだろうと日本酒も持った為、思った以上の大荷物となってしまい、急遽夕子にも手伝って貰ったのだった。

 荷物を持っている為、傘をさす事もままならず、防寒着のフードを頭から被り、雪に足を取られながら目的の場所へと急ぐ。

 柏崎は、転倒を避ける為足元にばかりに注意を払っていた事もあり、間近にするまで寄港している船の全体像を把握出来なかったが、ようやく到着したと思い顔を上げたところで唖然とする……

「ちょっと、あんた待ってよ!……わっ!」

 ようやく夫に追いついた夕子は、足元ばかり見ていた為、立ち竦んでいる柏崎の背中にぶつかりそうになった。

「急に止まって危ないじゃないのさ!」

 よろめきながら毒づいた夕子だったが、反応の無い夫の姿を訝り、同じ方向へ顔を上げた。

 2人が見上げた目の前には、確かにロシア船籍の船があったのだが、その船の甲板には、船体とのバランスが取れていない長方形の壁が、まるで港側から甲板を隠すように立っていた。

「なんだぁ、こりゃぁ?」

 柏崎が驚きの声を上げる。こんな装備のある漁船など、今まで目にした事はなかった。

「寒いから、衝立代わりなんじゃないの?」

 柏崎が、自身が感じた違和感と、あまりに見当違いの返事を寄越した夕子を無視して、船の反対側へ回り込もうとした時、2人の後ろからロシア語が聞こえた。
 柏崎と夕子は、ビクッとして振り返る。そこには髭を蓄えた白人の男が立っていた。身なりは漁師の様だったが、2人の全身に走らせた探る様な視線を、柏崎は見逃さなかった。

(いつの間に……?)

 漁師が纏う空気は、国が違えど殆ど変わる事は無い。これは、長年この地で漁師に従事し、様々な国の船が寄港する事が珍しく無い現在、柏崎自身が感じていた事だった。
 しかし目の前の男からは、その空気を感じなかった。海から吹く風によって、雪が激しく舞っていたが、男は全く身じろぎせず片手は防寒具のポケットに入れたまま、こちらの返答を待っている。この時間、周りに人の影は皆無だった……

 早くこの場から立ち去るべきだ、と本能的に感じ取ったが、その手に抱えた差し入れをそのまま持ち帰る訳にはいかない、(これは夕子に無理を押して作って貰ったから、持ち帰る等と言ったら何を言われるか……)と、判断した柏崎は、たどたどしいロシア語で、目の前の男に話しかけた。

 話しかけられた男は、こちらに据えた目線を外さず、手を首のあたりに添え他の誰かと話を始めた様子だったが、その内容まで聞き取る事は出来なかった。(無線の類か?何故そんな物……)ますます漁師とは思えない奇異な行動に恐れを抱いた柏崎は、思わず自宅の方角へ足を一歩踏み出したが、男の言葉がそれを遮った。

「有難うございます。船長がお礼を言いたいそうです。こちらのタラップを昇ってください。」

 丁寧な聞き取りやすいロシア語で、男はタラップを手で指し示したが、こちらには近寄ろうとしない。
 うながされるまま、タラップを見上げると、そこに夕刻に挨拶をした船長の姿があった。
 とりあえず知った顔を見付けた柏崎は、多少警戒を解き夕子と共にタラップを昇り始めた。

「あんた。ここの人達、なんか嫌な感じね……」

「馬鹿。お前は黙ってろ。」

 不平を言う夕子を諫め、柏崎は妻の手を引き甲板へ向かってタラップを昇っていく。
 甲板へ到着しても、白い壁の向こうは窺い見る事は出来なかった。
 ただ、金属と金属が接触するような硬質な音と、インパクトレンチが作動しているような甲高い連続音が響き、何らかの機械作業をしているのだな、とは想像が出来た。

「先ほどは有難うございます。」

 柏崎が壁から聞こえてくる音に気を取られていると、船長がいつの間にか目の前まで近づいていた。
 
「何かお持ちいただいたとか?」

 言葉は同じく丁寧だったが、世間話をするつもりは無い、といった固い表情が夕刻の船長とは同一の人物には見えず、柏崎は言葉に詰まってしまった。

 しかし、「見せていただけますか?」と、押し込まれた言葉に、たじろいだ柏崎は、「え、ええ、皆さんお疲れだと思って、夜食を……」「おい、ほら袋から出して見せなさい。」と、慌てて妻の方を振り向き、抱えてきた大きなショッピングバッグの中から、夕子と一緒にプラスチックの容器を取り出した。

 そして、あらためて船長へ向き直り、「これ、ウチの特産のホタ――――――」と、中身を説明しようとしたが、「テ……?」と、間の抜けた言葉と共に、唇が固まってしまった。

 いつの間にそこにあったのか……柏崎には全く分からなかったが、振り返った眼前に船長の手に握られた黒い塊があった。そして、その中央に穿った穴から光が迸る直前、「あ」と呟いたのを最後に、柏崎の意識は消失した。続けて2回、風船が割れるような音が響き、海面に何かが落ちる音と共に、甲板から柏崎夫妻の姿は消えていた……

(回収しますか?)

(いや。放っておけ。この天候だ。夜明けまで誰も近寄らんだろう。)

(了解。監視を続行します。)

 咽頭マイクに英語で指示を吹き込むと、船長は柏崎が持参したバッグを船外に蹴り飛ばした。
 バッグは中身をまき散らしながら、上空から舞い降りる雪と共に海面へ落ち、瞬く間に波の間に消えていった。

 バッグの行方を確認した船長は、ブリッジに戻る途中先刻2人が気にしていた壁を見上げる。
 風に舞う雪で見え難かったが、目を凝らすと壁の向こう側に先端が白く塗られた複数のブレードアンテナが見えた。それらは、波に揺られる船体の動きに合わせ、大昔のアーケードゲームの的の様に壁から見え隠れしていた……

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