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第十九話 雪は熱に熔けて……

 午後6時58分。

「なぁ、いつお袋と知り合いになったんだ……?」

 お互いの意見を出し合った模擬戦のミーティングも、もうそろそろ終了という頃合いで、祥吾は杏へ唐突に尋ねた。
 正に今、祥吾に買ってもらった、紅茶を飲もうとした杏は、缶を口に付けたまま固まり、横目で祥吾を見る。

「その……ここ来る前に……ちょっと言われてさ……」

 祥吾もちょっと気まずそうに言葉を続ける。少し気を取り直した杏が、「あ、うん、さっき声かけられて……」、と小さな声で答えた。

「あぁ、模擬戦見てて、名嘉真の事気に入ったんかな……」

 単に納得した、という表情で独り言に様に呟いた祥吾だったが、それに対して慌てて杏が取り繕う。

「えっ?き、気に入った?……いや、そんな事はないと、思う……」

 杏は顔を真っ赤にして俯いたが、モニターの方を向いている祥吾は、その様子に気が付かない。

「いや。俺の操縦って、もともとはお袋のスタイルなんだよ。ま、教えられたから当然なんだけどさ。多分、名嘉真の操縦からも、同じ種類の匂いがしたんじゃないかな?」

 祥吾の説明に、俯いていた杏は、チラッと視線を移した後、顔を上げた。そして、「でも、よかったら家に来いって、言ってた。」と、モニターの方を見ながら、反論する様に答え、祥吾の反応を窺う。

 しかし祥吾は、「ふ~ん。そっか。いいね、それ。結花も喜ぶと思うしさ。」と、慌てた様子も無く平然と答えた。
 祥吾の返答に何故か不満を覚えた杏だったが、それ以上何も言えず、「そう……ね。」と答える事しか出来なかった……

 最初は、基地で特別に訓練を受けている一般の高校生が居る、と、杏の親が懇意にしている基地の幹部から聞き、更に教えを受けているのは、MPG模擬戦の元トップ、と教えられ、興味が沸いて調べ始めたのがきっかけだった。

 それが、同じイーロンの結花の兄、と聞いた時は少なからず驚いたが、知ってからは自然と祥吾を目で追うようになっていた。

 それは、恋愛対象としての好意などではなく、トップに教えられている生徒が、どの程度の技量なのかを推し量る目的だったのだが、次第と得体の知れない感情が心の奥に棲みつく様になるに至り、杏は無性にその感情に抗いたくなっていった。
 その結果、今回の模擬戦となったのだった。

 自ら挑んだ模擬戦が引き分けだった事に対して、今となっては不思議と悔しさも後悔も沸かなかった。
 その理由を自分自身、薄々気付き始めた杏だったが、その流れに身を委ねるのは、ひどく独りよがりで身勝手な事だろうと思っていた。
 
 杏は、何となく祥吾と目を合わす気になれず、録画した模擬戦の映像が終了し、舞い始めた雪がプラクティスグラウンドのライトに反射している様子が映っているモニターを、しばらく見つめ続けた……

          ※ ※ ※

 午後8時26分。

「悪いね。降って来たってのに、昨日今日とこき使っちゃってさ。」

 トレーラから降りてきた佐久間に向かって、ツナギ姿の里香が手を挙げる。

「いやいや、こん位大丈夫ですよ、二尉。残業代儲かっちゃうし。」

 軽口を言いながら格納庫の床へ飛び降り、佐久間は里香に敬礼する。
 里香も軽く答礼しながら、トレーラに積まれたシェムカへ近づいた。
 シェムカにはオリーブグリーンのシートが掛けてあった。

「あたしの方はどう?」

 里香が手を触れたシェムカは、佐久間が今朝、旭川から運んだ濃紺の機体だった。

「二尉が出かけてからも作業を続けましたけどね、良いもん使ってますね、こりゃ。動力も駆動系も全部アップデートされた部品使ってましたよ。」「ただ、脚はちょっと柔らか目だったんで、二尉好みの固めにしときました。」

 佐久間が得意げに説明する。

「オーケー。あと……あれも持ってきてくれた?」

 自分の左肩を2回叩きながら、里香が尋ねる。

「はい……でも、あれを使うなんて事が……」

 佐久間は心配げに答えたが、「万が一さ。」と、あっさり答えた里香に、「……くれぐれも、無茶は止めて下さいよ二尉」と、お願いするのが精一杯だった。

「わかってるよ……ところで佐久間、これは?」

 しゃべりながら機体をチェックしていた里香が、怪訝そうに尋ねた。
 MPG輸送の際は事故を防止する為、武装はトレーラに付随するラックへ全て固定するルールになっていたが、里香がシートの一部を捲ると、マニピュレーターに保持された50㎜アンチマテリアルライフルのバレルが見えた。

「あ、これはですね……えー、いや、結局まともな方法じゃ、ライフルや弾薬を持ち出せそうになかったんで、こんな風に……」「そんな訳で、頼まれてた追加の武装は無理でした……すんません。」

 数時間前に受けた里香のリクエストに、100%の内容で応えられなかった佐久間は、心底申し訳なさそうに頭を下げる。
 
「そうか……じゃ、万が一の時は、これと祥吾の機体しか動かせないね……でも感謝してるよ。無理言ってすまなかった……」
 
 最後が、有難う、ではなく、すまない、と結んだ里香の雰囲気から、思っていた以上に、深刻な状況になりそうな予感に、佐久間は温厚な顔を強張らせる。

「二尉……自分にはそんな雰囲気はさっぱりなんですが……ほんとに襲って来るんですか……?」

「わからないねぇ……」「まぁ、取り越し苦労だったら、私が司令に土下座でもするよ。」

 と、里香は明るく返答したが、シェムカを仰ぎ見たまま、佐久間の目も見ないその態度に、佐久間自身も察するものがあった。

「わかりました。とは言っても、私も同罪ですからねぇ……そん時はご一緒させてください。」

 佐久間は真摯な表情で里香に答える。

「ふっ……そうかい。助かるよ。」

 少しだけ自分に向けられた微笑みに、佐久間も笑顔を返したが、慌ててスコードロンキャップを被り直し、「じゃ、こいつ上げちゃいます」「おい服部!こっち頼むわ」と、照れ隠しの様に大声を張り上げた。

 遠巻きに二人の様子を窺っていた保が、慌てて駆け寄ってくる。そして、「佐久間さん、これ、弾積んでんスか?!」と、我慢できない子供の様に、息せき切って聞いてきた。そして佐久間に肯定された保は、「ひゅう~」と口笛を鳴らす。

 上官の前での態度としては不適切だったが、そもそも搦め手で持ち出した機体と武装であり、露見すれば罰は免れない行為であった故、佐久間もこの場に軍紀を持ち出すつもりは毛頭なかった。

「持ち出せた武装は、二尉と祥吾の分だけなんスね?」

 トレーラを眺めながら、保が尋ねる。
 どうやら、既に里香から事情を聞いているらしいと判断した佐久間は、「ああ。これが精一杯だった。」と正直に返答した。

 それを聞いた保は、「う~ん」と唸りながら腕組みをし、思案気な顔で、「あのですね……」と、声のトーンを落として佐久間に近寄る。

「実は……訓練機分の実弾装填済みマガジンがあるんスよね……」「ライフル本体はある訳スから、ちょいと手を加えれば、実弾入りライフルが出来ちゃったりします……」

「なに!?」

 反応したのは、佐久間ではなく里香の方だった。
 二尉の勢いに、処罰の対象となってしまう!と怯えた保は、必死に言い訳を始めた。

「い、いや、俺のせいじゃないっスよ! 前にここ担当だった時に、基地からペイント弾を補給に来た連中が、間違って実弾入り方を置いてっちゃったんスよ……」「そん時は、ちょうど忙しかったんで、連絡すんの忘れちゃって……」「で、結局何の連絡もなく現在に至るって感じで……」

 それを聞いた佐久間は、「補給の奴ら、ミスを隠しやがったな……」と、呟いたが、里香は、「よし。良い判断だ服部!早速装填作業に取り掛かってくれ。」と、上機嫌で指示を出した。
 保は「へ? りょ、了解しました!!」と喜び勇んで準備に取り掛かったが、「良いんですか? 二尉……」と、佐久間は里香へ幾分慎重な声で問いかけた。

「残念だけど、ここも襲撃されたら、あたしと祥吾だけじゃ、支え切れる自信がないよ。」

「しかし……」

「ここが地域指定避難所に指定されてるの忘れたかい? 有事の際には、町中の人間がなだれ込んで来るんだ。」「加えて、この地区のイーロンも集まるからね。恐らく狙われる確率の方が高いさ。」

 ここまで言い切った里香は、更に一呼吸おいて、「もし……隊の連中が助けに来られない場合は、イーロンにも戦ってもらうしかないって事……」と、締めくくった。

「……わかりました二尉。とにかく準備に取り掛かります。」

「佐久間!」

 踵を返してトレーラに向かう佐久間を、里香が呼び止める。

「悪いね……この2機を降ろしたら、お前は基地へ戻って、出来る限りの応戦準備をしておくんだ。」「もし事が起こったら、間違いなく狙われるからね。」

 里香の本性を垣間見る様な鋭い目で見据えられた佐久間は、唾を飲み込みながら、無言で頷き、作業に戻っていった……

          ※ ※ ※

 祥吾と杏は、ミーティングが終わり1時間ほど前に帰路に就いた。
 結花も英明のところへ着いたと連絡があった。

(ひとまずファーストフェーズ完了、かな……)

 里香は格納庫の外へ出て、夜空を振り仰ぐ。
 雪雲に覆われているせいか、空は漆黒ではなく灰色がかった色だった。

 里香の顔に細かい雪が落ちて来る。
 それは里香の体温を下げる様な心地良さと、少しだけ不安にさせる冷たさを内包していた。

(興奮してんのかいあたしは? ……ここまでして何にも起きなかったら、良い笑いもんなのにさ……)

 唇を自嘲気味に歪ませた里香だったが、その目に湛えた獰猛な光が歪むことはなかった……

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