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第84回「苦い結末」

 ボロメオ邸から駆け出して、飛ぶような速さで街を離れていく。振り返る住民の驚いた顔もそこそこに、僕らは風景を背後に置き去り、走る、走る、走る。
 加速魔法には体力の過大な消耗と全身疲労の極端な蓄積を生む弊害がある。僕だけなら問題はないが、プラムもいるとなるとそうもいかない。普段の旅路で使わないのはそのためだ。また、たとえプラムのいない一人旅だったとしても、旅路での重大な気づきを見落とす可能性があるし、魔力を使い続けることに変わりはない。
 結果として、今のような目標に決まった追跡行動などで使うのがベストだった。あとは先ほどの戦闘で使ったように、一気に畳み掛ける目的で使用するのもいいだろう。

 とはいえ、シュルツが僕の魔法を真似してきた時にはさすがに驚いた。彼は直前に見たものをそのまま使えるのだとしたら、とてつもない天才だという他ない。例えば、誰かが難解な言語を訳しているのを見聞きしただけで、同じ能力を発揮できるというわけだから、これはもう天から贈られた資質という他ないだろう。
 術式理論としては、模倣のための魔法というのも存在するが、そこまで高い精度で研究が進んでいるわけではない。なので、シュルツによる僕の魔法のコピーは、あくまでも彼の才能に寄りかかったものだと考えられる。そうでなければ、今ごろアクスヴィル聖王国は世界を制覇していてもおかしくない。

 走り続けることで、やがてあたりから人家の気配が消えてきた。コンドンから郊外へ出て、いよいよ都市領域から離れつつあるらしい。
 道が続く先に、何かが見えてきた。
 人だ。血を流して倒れているのが二人。同じく重傷を負いながらも杖を構えているのが一人。さらには、あれは少女だろうか、小柄な人間が一人いて、これは傷を負っているようには見えない。
 ただ、彼らを見下ろすようにして、翼を持った魔族が滞空している。それは黒い剣を構えており、血がまとわりついていることからも、人間たちの方を襲撃しているのではないかと考えられる。

 だが、一気にその現場へ近づいたことで、僕は少しだけ認識を改めざるを得なくなった。魔族だと思っていた翼を持つ者は、どうも人間らしい特徴も有していた。だとすれば、彼女もまた混血だろうか。

「アヤナ」

 シュルツが叫び、飛んでいる襲撃者へと斬りかかった。
 その一撃は回避されるも、襲う側と襲われる側の間に割って入ることには成功した。僕はすかさず杖を構えていた少女に回復魔法をかける。どうやら魔道士らしい。倒れ伏している二人は戦士か、騎士か。また、怯えた様子の少女にも癒やしの波動を与える。
 倒れている二人は動かない。もはや事切れている可能性が高いか。「ありがとう」と魔道士が言った。怯えている少女はなおも一言も発さず、涙すら流している。まだ混乱の渦中にあるようだ。

「意外と早く来たものだ」

 襲撃者は女だった。背中の羽を動かし、こちらからあちらへ、あちらからこちらへとせわしなく飛びつつも、僕らとの間合いを上手く取っている。

「我が名はスゥスゥ・アドヴィンキュラ。天命院の騎士である。破壊神リュウ。おわかりかとは思うが、私は陛下のご意思のもとに動いている。私を妨害することは、魔王軍すべてを敵に回すこととご承知いただきたい」

 スゥスゥか。眠そうな名前だと思った。
 だが、彼女から放たれる魔力の波は、かなりの実力者であることを示している。

「シュルツ。魔道士の子は生きている。倒れている二人はわからないが、厳しい。少女の方は無事だ」
「いいぜ。後は離れて見てろや。こんなやつ、俺が一息で叩き落としてやる」

 シュルツがスゥスゥに大剣の切っ先を向けるが、彼女は相変わらずその場所を留めない。おそらくは僕が治療した魔道士の子の攻撃を警戒しているのだ。

「威勢がいいな、ウェイロン・シュルツ。まんまと我々の策にハマり、戦力を分散する愚を犯し、戦友を二人も失った気分はどうだ」
「最悪だ」
「それはすばらしい。お前は失敗したのだ。スワーナ・ボロメオを誘拐するという作戦は、その構造自体が欠陥だった。もはや我が軍に広がった戦争への思いは揺るがない。そして、ゼネブを討つこともできず、アクスヴィルの悲願は無残に消失する」

 待ちなさい、と誰かが言った。怯えていた少女だった。

「あたしは、あなたたちに良いように扱われたっていうの。そのために、ノエミは殺されたの。あの子だって、同じ魔王軍の仲間なのに」
「スワーナ。お前はよく働いてくれた。有能な祖父と違って無能な孫だというのに、考えうる最高の働きをしてくれた。お前のカビの生えた知識は、もはや私たちには不要なもの。ここで死んでもいいし、薄汚く生きながらえてもいい。どの道、もはや無価値だ」

 僕は胸が痛くなった。怯えていた少女はやはりスワーナだった。彼女は今も涙を流しながら反論していたが、スゥスゥの心にはまるで届かなかったようだ。

「いいのか、魔族の中で人気のあるボロメオ家の末裔にそんな発言をして」

 スゥスゥに指を突きつけてやる。もしかしたら、彼女はお喋りで失敗しているかもしれないと考えたためだ。

「こいつは大きなスキャンダルだ。スワーナをわざと誘拐させたと知ったら、団結していた軍は一気に動揺するんじゃないかな」
「破壊神よ。もう、どうでも、いいのだ」

 翼ありき騎士は、一言一言を噛み含めるように言葉を返してきた。

「少なくとも、『その』スワーナにもう価値はない。また、破壊神が陛下にとって不利益な行動を取るとも思えない。それとも、彼女をアクスヴィルに引き渡すかな。私たちとしては、それでも構わない。その時は大手を振って救出のための闘争を始めようじゃないか。何しろ、今の私だけ、独力では難しそうなのでね」

 やはり、形だけ救出に来た振りをして、挙国一致しての大義名分を作るつもりだ。スワーナはそのための材料に過ぎない。ただ気にかかるのが「そのスワーナ」という言い方だ。僕はここに謎が隠されていると考える。例えば、シュルツが能力をコピーするように、魔王軍が「人間をコピーする魔法」などを使っていたとしたらどうだろう。
 いや、それは発想が飛躍し過ぎか。となると、スワーナの他にもボロメオの末裔がいて、実はスワーナは正当な後継者ではないと発表するという戦術もある。
 いずれにしても、ここで救出が失敗に終わることは、アルビオンにとっては何ら痛手ではない様子だった。

「ああ、困った。アクスヴィルでも指折りの騎士であるウェイロン・シュルツに追いつかれてしまったぞ。これでは、私は退却せざるを得ないな。このスゥスゥ・アドヴィンキュラ、君命を帯びてスワーナを助け出そうと思ったのだが。しかし、他のアクスヴィルの騎士を討ち取ったことで良しとしようか」
「芝居がかった言い草をしやがって」

 シュルツが斬りかかるが、スゥスゥはさらに距離を取った。

「では、ごきげんよう。破壊神様もご健勝で。我々は貴方と事を構えるつもりがないということをお忘れなく」

 スゥスゥは転移魔法を発動し、あっという間に消え去った。
 妨害することはできたが、僕はそれをしなかった。シュルツも深追いはやめたようだ。転移魔法の詠唱は比較的長いから、それを阻止しなかったということは、今この場の保全に務めることを選択したということだろう。
 果たして、僕たちは勝ったのか負けたのか。それすらもはっきりしない、苦い結末だった。

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