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第83回「僕の決意」

 信仰の形は様々だ。熱心に祈る者、さほど教典を気にしない者、一挙手一投足まで教義に合わせる者。人の数だけ信心の表現がある。
 では、この男は、ウェイロン・シュルツはどのような信仰を抱いているのだろうか。
 いいや、今はもっと重要な事柄がある。アクスヴィル聖王国の騎士が、わざわざ魔王領まで出張ってきて、スワーナ・ボロメオの身柄を押さえようとした。最も考えられる目的はスワーナの知識だろう。彼女の迷宮師としての知恵が広く知らしめられれば、各国や冒険者による魔族への攻撃はその効率を凄まじく向上させるはずだ。

 ただ、気になるのはアルビオンの出方だ。このような事態を想定していなかったのだろうか。いくら彼の一族がギャリック・ボロメオの遺産を使うことに反対していたとはいえ、奪われれば戦略的な損失は計り知れない娘を、内地に放置しておくものだろうか。
 事実として、このように凶漢による強殺に繋がっているわけである。僕にはそれがどうにも解せなかった。

「アクスヴィルか」

 とはいえ、今は目の前の危難に対処せねばならない。
 シュルツは強い。どうやら周りの被害を考えて立ち回っていては、彼を仕留めることはできないようだ。

「その目的は遂げさせるわけにはいかないな」
「揺らがねぇな。肝が据わってるなぁ、おい。俺もお前の正体が気になってきたぜ」
「僕も小賢しいが、君も小心者だな」
「何だと」
「わからないなら直接聞け。僕はリュウ。破壊神をやっている」

 片方の目だけを半目にしたシュルツが、かはっと大きく口を開けて笑った。

「そうか、そうか。お前がリュウか。雷声シャノンと旅をしていた賢者リュウか。チャンドリカでギルクリストの爺様が会ったって聞いてたが、こんなところで出会うたぁなぁ。お前もあの娘を獲りに来たか」

 ニルマール・ギルクリスト。90歳にして戦場に立つ騎士。彼とは確かにチャンドリカの攻防戦で出会った。どうやらシュルツの言に間違いはないらしい。

「君のような野蛮人と一緒にしないでくれ。僕は彼女を迎えに来たんだ」
「取り繕ったって変わりゃしねぇよ。利用するかされるか。世界はその二つで出来ている。俺は国を利用し、国に利用されている。だからこそ、同時に絶対的に自由だ。お前はどうなんだよ、破壊神さんよ。神なんて称号に振り回されて、いい子ちゃんぶって要らない荷物ばかり背負って、誰よりも一層不自由なんじゃないのかよ」
「どうだろうな。僕は清く生きて、みんなから褒められたいんだ。人間が小さいんでね。自由か不自由かまで考えが及んだことがない」
「それをよぉ、世間ではよぉ、奴隷の思考って言うんだよ」

 シュルツが激しく斬りかかってきたが、僕はそれを弾き飛ばした。

「おう、リュウ。てめぇは所詮、世界の奴隷だ。てめぇ一つの身さえ自由にできず、誰かに利用されるだけの便利屋だ。誰よりも強いと驕り高ぶり、何よりも物を知っていると誤解している道化師だ。転職するんなら『こき使われる犬』にすべきだったなぁ。きっとすぐにでも達者になれるぜ」
「言葉を返そう、ウェイロン・シュルツ。君は国に利用されていると自覚しているんじゃないか。だからこそ自由だというのは詭弁に過ぎない。ここにやってきたのは君の意志か。国の意志だろう。迷宮学の分野において独占的かつ排他的な知識を得ることは、対魔族のみならず、対人類の要塞戦においても効果を発揮する」

 僕は双剣のうち一本の切っ先をシュルツに向けた。

「だが、君が国を利用しているのも確かなのだろう。君はわかりやすいくらいに戦闘狂だ。戦場でしか己を見つけられない哀れな狼だ。いや、狼とは違う。狼は恥を知っている。狼は群れを知っている。お前は何にもなれない負け犬だ。『こき使われる犬』とは君のことに違いない。そのような罵倒文句が出てくる時点で、君がそれを『劣る物』と認識しているということだからな」
「そうとも。俺もまた犬、お前もまた犬。だが、牙がよく研がれているのはどちらか。考えてみるのはどうだ」

 さらなる論戦に誘っている。僕はこの男の心の動きに注目した。こいつがスワーナの殺害ではなく拉致を目的で来たなら、彼女は今どこにいる。おそらくは別の誰かが連れて逃げているのではないか。その上で、シュルツだけが残ってここに潜んでいた。おそらくはゼネブという誰かを打ち倒すためだ。それが誰かということはわからないが、今、僕がすべきことはわかる。

「シュルツ。君はおかしいと思わなかったのか。なぜスワーナ・ボロメオはこんなところに押し込められていた。彼女は重要人物だ。重用しないのであれば、スカラルドの牢にでも幽閉しておけばいい。わざわざ地方都市に家を与えた理由はなんだ」
「てめぇの考えの浅薄さを俺に押し付けるんじゃねぇ。あの小娘を幽閉しないのは、やつのジジィを登用した他の一族に配慮してのことだ。ボロメオ家は今や魔族の有名人だからな。うかつに触れたら、とんでもない目を出すことになる。無駄な博打をしてどうするよ。てめぇはそんなこともわかんねぇのか」
「だからだよ」

 僕は双剣を重ね合わせた。彼の思考に罠を張る。そうして誘導してしまえば、状況は変わる。

「魔族のある勢力にとっては大切な人物なわけだ。彼の祖父は偉大な貢献者であり、ボロメオ家は祝福された一族。純血の魔族ではないというのに、『親父』と慕われたギャリックの一族だ。その人気は計り知れない。それならそれで、スカラルドの付近で丁重に遇すればいい。こんな人間の冒険者まで進出できる場所に置いておく必要はない」

 シュルツは答えない。聞き入り始めている証拠だ。
 僕はさらに言葉を重ねる。

「僕がアルビオンであれば」

 そうだ。僕が魔王アルビオンであるならば、この状況はなぜ作られたかを考える。

「スワーナを徹底的に利用する。反対されないような理由をつけて、地方都市に送り込む。そこの領主、管理者とも呼ぶべき者は反アルビオン派だ。もちろん、あえての人選だろう。これならば、現在の反主流派も納得するし、アルビオンとは別個の護衛戦略を構築できる。ところが、アルビオンの狙いは別に別にある。スワーナを『餌』にするんだ」
「俺たちのような人間を、釣るためにか」

 僕は表情を変えず、頷いてやった。

「彼女が全魔族から尊敬されるボロメオ家の人間であるからこそ、この戦略は可能となる。守りを固めたノエミ・トトと反アルビオン派だが、現魔王のアルビオンの指令がない以上、国軍レベルでの護衛をつけることはできない。結果として、今みたいに君の襲撃を受けたわけだからね」

 双剣のうちの一方で、ノエミの死体を示す。

「こうして、ノエミ・トトは殺された。外から来た人間によって。さらに、スワーナ・ボロメオも拉致されることになった。彼女の行き先は、どうやらアクスヴィル聖王国らしいと魔王軍中に伝わる。被害を受けたのは反主流派で、拉致されたのは魔族にとって大切な人物、そして犯行が行われたのは魔王領の中。……彼らが団結する理由にふさわしいとは思わないか」
「しかも、この事件と小娘の奪還を口実とした大義名分ができる」
「ああ、そうだ。この開戦事由によって、魔族は団結する。たとえ一時的なものだとしても、アルビオンは魔族に大号令を下し、人類領域への一斉進出を開始することが可能になるんだ」

 さらに言うならば、と僕は付け加えた。

「おそらくアルビオンは近々それが起こることを承知していた。なぜなら、アクスヴィルは最近『勝つはずの戦で大きな損害を被った』からだ。指導者層への不満は高まっているだろうな。だから、何かしらの『戦果』がほしかった。そこへ、『コンドンという街に迷宮師の末裔が住んでいる』という情報が流れてきたんじゃないか」
「わざと情報を流して、俺たちの行動を引き起こした。あのウスノロがチャンドリカで下手を打ったせいで」
「そうだ。チャンドリカ攻防戦での損害は、住民に大きな不信感を与えたはずだ。現在の指導部は大丈夫なのだろうかと。そこで、それを挽回するため、特殊部隊によるスワーナ誘拐を試みるのは当然の流れと言えるだろうな。しかも、君が待っていたゼネブという存在が、なぜかいないんだろう。なぜだ。もしかして、アルビオンがそれを一時的に遠ざけたんじゃないかな」

 シュルツが近くの机を大剣でぶった斬った。
 畜生。
 その叫びが激しくこだまする。
 気持ちはわかる。僕としても今組み上げた推測に過ぎないが、確かな説得力を感じているのだ。アルビオンは利用するものを最大限に利用しようと考えた。そのために配置したのがスワーナという爆弾であり、爆弾を起動させるための導火線として噂を流した。ゆえにこそ、かつてのコンスタンティン、今のサリヴァの耳にも「コンドンにスワーナ・ボロメオが住んでいる」という情報が流れてきたのだ。
 つまり、僕も一緒に踊らされたことになる。いい気分ではない。

「リュウ。俺と手を組め」

 シュルツの言葉に、僕は少しだけ双剣の切っ先を下げた。

「ここは休戦だ。てめぇみたいな実力者とはやり合いてぇが……魔王の手のひらで踊るのは我慢ならねぇ。俺の仲間が先行している。追いつくぞ」
「なら急ごう。僕の見立てが完全に当たっていれば、彼らは無事の可能性が高いが、別のケースも考えられる。つまり、誘拐計画を知っていた上で実行させ、その上でそれを阻止するというパターンだ。こちらの方がアルビオンにとっては確実だ。スワーナを誘拐しようとしたという事実、それにノエミ・トトを殺害したという事実は残るわけだからな。それに、僕はここに来る前にアルビオンに会って、彼から好きにしていいという言質を得ている」

 貴方がコンドンとテイラーで何をなさろうとも自由です。
 アルビオンの言葉が僕の中でよみがえる。聞こえのいい言葉だったが、あれは同時に「それらの都市で何が起ころうとも、自分の立場を補強する結果にしかならない」ゆえに出たものではなかったか。
 シュルツが大剣を収めた。
 ならば、僕も戦闘態勢を維持する必要はない。双剣を消滅させる。

「プラム。状況変更だ。シュルツとともに彼の仲間を追う」
「わかった」

 部屋の入り口で様子を伺っていたプラムが、シュルツに注意を払いながら、僕のそばに走り寄ってきた。

「僕と同じ強さの加速魔法はまだ使えるか」
「ああ、使える」

 僕が問いかけると、シュルツは不機嫌そうに詠唱し、自分と僕たちに加速魔法を付与した。
 どうやら、直前に「真似をした」魔法は、上書きされるまで使用可能なようだ。

「行くぞ」

 シュルツが駆け出し、僕らはそれに従った。あまりにも早すぎて、破壊された扉がいよいよ吹き飛ばされてしまったが、もうそんなことにこだわっている暇もなかった。どうせ科学捜査が入るわけでもないのだ。
 それにしても、アルビオンはやはり恐ろしい。僕という不確定要素まで組み込んで、大戦争を始めようとしている。すでに誘拐自体は実行されてしまった。果たして、ここからどのように振る舞えば、「魔王が強くなりすぎない結果」に帰着させることができる。

 それは僕の野心だった。人間と魔族が拮抗している中で、僕の国を広げたいという欲望から発していた。
 だが、世界は常に胎動し続けている。僕が自らの目的で動くように、他の者たちも己の目指すところに拠って行動し続けている。事件は広い視野で見れば小さなものだけど、それがやがて大きな波紋となって全世界を揺るがすことになる。
 かつての世界の歴史もそうだっただろう。「すべての戦争を終わらせるための戦争」たる第一次世界大戦を引き起こしたのはセルビア人青年プリンツィプの銃弾だった。その大戦はヴェルサイユ条約で集結するが、連合国軍総司令官フォッシュの「これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ」という言葉の通り、第二次世界大戦へと引き継がれた。

 ならば、恐れずに進もう。僕はこの世界の歴史の劈頭に立ち、敢然と闇を打ち払おう。その先にあるものがおびただしい死と悲しみの葬列だとしても、僕は人間であり、賢者であり、破壊神であり続けるために、自ら銃火に身を晒そう。
 それが今まで漂うように生きてきた僕の、一つの答えだ。

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