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第76回「ロジャーの暗躍」

 僕の魔法で重傷を負った社員たちに、回復魔法をかけてやった。室内で暴虐を果たしたにもかかわらず、死亡者を出さず、建物にも損害を与えなかったことについては、誰かに褒めてもらいたかった。もちろん、そんなことをしてくれる存在がいるわけもないので、僕は心の中で自画自賛しておく。
 一方で、誰かに傷を負わせることへの心理的な障壁が低くなっている気がする。回復魔法が便利すぎる弊害だろう。もちろん、既存の薬学医学と弱点を補い合う形で発展してきたのだが、僕にとっては魔法の方が手っ取り早いのだ。

「あの落とし穴は何なんだ」
「びっくりしただろ」
「底がそんなに深くないし……」
「借りてる物件で無茶はできないからね」

 ともあれ、ケイトリンとともに建物の二階に上がり、応接室で話ができるようになった。こんな馬鹿話から入りながら、本題へと進めていく。
 それにしても、応接室とは名ばかりの質素な部屋だった。木製の机に、同じく木製の椅子が四脚だけ。取調室といった方がまだ通じそうではある。僕らはこの部屋で向かい合って座ったが、プラムは少し椅子の位置をずらして斜めに僕らを観察していた。ここでの交渉は僕に任せて傍観者に徹する、という意志の表れかもしれない。

「ケイトリン。君がルンヴァル一族の反乱を支援しているのは事実か」
「事実だとも」
「理由は」

 僕の言葉に、ケイトリンは自分の額を中指で叩いた。

「うちの会社の使命を知っているかな」
「知らない」
「世界を真に手に入れるのさ」
「大きく出たな」

 ケイトリンは木の椅子の上で足を組んでいた。童女が自分を大人らしく見せようとしているふうにしか見えない。

「リュウ、あんたは今の世界をどう思う。数百の国家が入り乱れ、人間と魔族の戦乱も終わらず、無数の戦火にまみれた現状をどう考える」
「容易には終わらないな。だが、いずれこのいびつな状況にも終止符が打たれなければならない」
「私たちはそれを成す。単純な武力ではなく、経済力でそれを実現する」

 つまりは、死の商人として暗躍するということか。
 僕はケイトリンの背後に、ロジャーの幻影を見た。あのリアリストは本気で戦乱を鎮める方法を考えているのかもしれなかった。
 戦争というのは、とかく金が掛かるものである。それはどの世界でも変わらない。

 そうして、終わりなき戦争は国家としての身代を食いつぶす。その良い例が僕の世界の歴史にある。アヴィス朝ポルトガル。かの国はヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路発見などで、スペインと世界を二分するほどの繁栄を遂げた。しかしながら、第7代君主である「待望王」セバスティアン1世が国家歳入の半分も投じた遠征を行い、サアド朝モロッコとの決戦で敗北。相手の王たるスルタンを討ち取ったものの、セバスティアン1世も戦死し、ポルトガルはスペインとの同君連合下に置かれることとなる。海洋帝国の落日である。

 経済的な面で言っても、潤沢な資金が繁栄を約束することは多い。先に挙げたアブスブルゴ朝スペインなどは、世界交易でその勢力を飛躍的に増大させた好例だ。一方、地中海での貿易を支配していたヴェネツィア共和国は、インド航路や西廻り航路の発見と発展により、その衰退を余儀なくされる。同時に、イスラム商人たちにも打撃となって影響は現れ、世界の中心は中東から西欧へと移行し始めるのである。

 そうした歴史の中で輝きを放つのが貿易会社だ。イギリスの東インド会社などはその典型で、スペインからの覇権を奪い取ることに成功した。彼らは資金とそれによって賄われた武力とで、広大な土地を支配し、数多くの産物を独占した。
 ロジャー・ダルマワン。ルテニアのバンディット地区で生まれ、幼いころから盗みを繰り返し、手ひどい目に遭いながらも生き延び、貴族から率先して物を盗んでは換金して貧民に配り、ついに僕らと出会って旅をし、より大きく成長したあの男は、もしかすると大変な野望を実現させようとしているのかもしれない。

「まさしく経済、か」

 プラムがそんなふうに独り言を言ったが、僕はあえて触れないことにした。目線をケイトリンに戻し、話を続ける。

「僕はロジャーと一緒に冒険をした仲だ」
「マジで。てことは、あの賢者リュウ」
「そうだ」
「へー、そうだったんだ。勝てるわけないわ。私、人を見る目がないんだよなあ。男を見る目には自信があったんだけどなあ」

 ケイトリンは目を押さえたが、すぐにバンザイして僕の方に身を乗り出してきた。

「じゃあ、私たちの邪魔する必要なんかないじゃん」
「ここには魔王アルビオンから依頼を受けてきた」
「うおっ、魔王とタメで話せるの。さすが規模が違うわ」

 ケイトリンは椅子に座り直した。落ち着かない娘である。

「ねえ、それなら尚更だよ。私たちと同盟を結ぼう。そうすれば、世界はいっそう平和に近づく。私たちは『平和の分け前』を受け取る」
「自分の欲望を隠さないあたり、ロジャーらしさを感じるな。あいつは元気か」
「どうかな。自分で会いに行けばいい。もっとも、私もどこにいるか知らないんだけど」
「ぜひ話を聞きたいな。僕が抜けてから、いったい何があったのか……」
「それで」

 こつこつ、とケイトリンが机を指関節で叩いた。

「魔王は貴方にどんな依頼を」
「ルンヴァル一族の排除」

 僕は程よく彼女に喋ってしまうことにした。考えようによっては利用できると考えたからだ。東南貿易のミッションが経済面での世界制覇にあるならば、何もしゃにむにアイリアルに反乱を起こさせる必要はないのである。

「君はなぜアイリアルに反乱を起こさせようとする」
「んー、今の魔王さん、ちょっと頭が堅いのよね。私たちにとって、アズィズ第三支族が力を伸長しすぎるのはありがたくない。適度に荒れていてもらわないと。魔王軍が一致団結して人類国家に決戦を挑むなんてなったら最悪よ」
「そのための焚き付けか」
「戦争になれば、この街も無事では済まないでしょうね。でも、破壊があれば創造もある。復興特需で私たちの勢力はさらに伸びる」
「暗躍していたことが知られれば、ただでは済まないだろう」

 僕が気になっていた点はそこだった。アルビオンが本腰を入れて反乱の原因を調査すれば、東南貿易の関与が疑われる可能性がある。人類領域の会社が魔族領域で営業しているという特異性を考えても、それは非常に高い確率で起きるはずだ。

「私たちは大丈夫なのよ。まあ、この件については、貴方にこれ以上話す義理はないのよね。手を組んでくれるんなら別だけど」

 となると、自分たちは捜査されないという自信があるわけか。人間の会社がこうして魔王軍の勢力範囲内で営業していることから考えても、軍部に強いコネクションを持っている可能性がある。であれば、少々暗躍した程度ではびくともせず、逆に問題をもみ消すこともできるだろう。
 さすがにロジャー一人でここまでの組織を構築したとは考えにくいが、一方では彼の辣腕でさらに勢力を拡大したとも考えられる。
 いずれにせよ、現状を解決するためにはケイトリンに翻意を促すしかない。

「僕から頼みたいことはひとつだ。ルンヴァル家への支援を取りやめてくれないか。これはお願いではない。脅迫だ。断れば、君たちを地上から消し去らなくてはならなくなる」
「ごつい脅迫だわ。私たちが取れる選択肢なんてないじゃない」
「そうとも。君は僕の要求を飲まざるを得ない。この反乱が起こす前から無理であることを、彼らにわかってもらう必要がある」

 でなければ、と僕は続けた。

「この街を徹底的に破壊してでも止める」
「誰も得しないねぇ」
「そこで、提案がある」

 僕は何かを差し出すように手を動かした。

「君たちにとって、この街の支店は重要な戦略拠点だろう。何も戦火に巻き込むことはない。だから、僕がルンヴァルの主要メンバーを蹴落とした後、この街が魔王に従うように尽力してほしい」
「それこそ私たちにとって魅力がない提案だ。アルビオンを持ち上げたところで」
「その考えは君の考えか、それともロジャーの考えか」
「まあ……社長だね」

 ケイトリンが鼻の頭を掻いた。
 ここが攻め時だ。僕はそう感じた。

「君はこうして現場に来て、魔王に抗って営業を続けることに限界を感じてるんじゃないのか。理想を言えば、魔族に混乱をもたらすことで介入する隙を作るのがいいだろう。だが、実際に上手くいってないことはよくわかる。なぜなら、今も地方の豪族に過ぎないルンヴァル一族の支援なんかに活動が留まっているからだ。アルビオンは確かに魔王軍のすべてを掌握しているわけではないが、それでも歴代の魔王に比べて強く手綱を握っているのも確かだろう。君たちにとって、これは誤算だったんじゃないのか」

 ケイトリンは答えない。僕はそれを肯定と見て取った。

「君には腹案があるはずだ。過程はどうあれ、魔王軍の支配下で商売できているという実績がそれを証明している。そうだ。何も人類国家がこの戦乱に終止符を打つ必要はないんだ。魔王が世界を征服したところで、彼らの生命線である商業を握り続けていれば、それは東南貿易の勝利になりうる」
「あんたの言う通りだよ。私たちは確かに行き詰まりを感じている。魔王アルビオンは想像以上に支持されていて、彼の治世のもとで地場の商人たちも発展を続けている。私たちの進歩性なんて微々たるものだ。いずれ激しい販路争いに巻き込まれるのは必至。そのためには、反アルビオンではなく、親アルビオンの道を模索するのが定石だ」
「その声を真に伝えることが、君に与えられた役割だろう。力を貸してくれ。僕とともにこの街を救うことが、平和への一歩になるはずなんだから」

 僕は彼女の手を両手で握り、訴えた。
 無論、僕の行動は空々しいかもしれない。それでも、彼女の真心に言葉を届かせる必要があったのだ。

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