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第67回「新しい局面」

 朝はどんな形でも平等にやってくる。それは太陽が爆発して、この惑星が消えてしまうまで変わらない。
 いや、これは僕が知る世界の地球の話で、もしかしたらこちらは全くの平面世界かもしれない。だとすると、空に輝くあの巨大な恒星は永遠に輝き続けるかもしれないし、その場合は人間に魔族にと多種多彩な命が暮らすこの世界は、比較的長い命脈を保つことになるだろう。
 それでも、滅びの時が来ないとは限らない。いずれこの世界も破滅的な力を所有することになりかねない。現に、神という存在が可視化される形で観測されていて、彼らはいつでもこの遊技盤をひっくり返すことができる。

 終末は、いつでも口を開いて待っている。

 ただ、今はそんな心配をする必要もないだろう。僕はこの通りのびのびと寝て、良い目覚めを迎えた。僕の隣ではサマー・トゥルビアスが眠っている。邪法の魔女ジャンヌから解き放たれた彼女は、一人で眠るのが心細いと申し出た。僕はそれを快く受け入れて、僕のベッドを半分貸し出すことにしたわけだ。
 幸いというべきか、元は館主の部屋だったのかもしれないここには、非常に大きなベッドがあった。ダブルベッドよりも大きい、クイーンサイズくらいはあるだろう。彼女に寝るためのスペースを明け渡したとしても、僕には充分な睡眠スペースが確保できていた。
 ゆっくりと身を起こし、サマーが寝ているのとは逆の方向に振り向く。

「おはよう」

 やはりというべきか、忠実なる書記官であるプラムどのはすっかりお目覚めだった。本当に僕より遅く寝て、僕より早く起きているんだから恐れ入る。
 だが、どこか不機嫌そうにも見える。

「おはよう。いい朝だ」
「いつもと変わらない」

 声の調子が突き放す感じがする。
 言っていることはいつもと変わらないのだが、こう、トゲがある。僕の額をベシベシと叩くようなツンケンさを覚えてしまう。
 ははあ、こいつはもしかすると、サマーに妬いているのかもしれないぞ。
 僕はそんな自惚れを覚えた。それくらいはしてもいいじゃないか。

「じゃあ、これから一緒に寝てみるか。いつもとは違う朝だ」
「二度寝は心身の機能を損なう」
「ああ、言う通りだ」

 サマーを起こさないように、僕は静かにベッドから抜け出た。

「大丈夫か」
「私か」
「僕は人形に話しかける趣味はないんでね」
「問題ない。至って健康。神こそ健康に問題ないか」
「何しろ神だから」
「答えになっていない」

 もっともな反論だった。僕としても、神だから健康という謎の理屈は全く意味を成さないように思えた。しかし、万年不健康そうな神々というのも、あまり想像できないものがある。多神教ならそういうのもいていいのかもしれないが、僕がそのポジションに入るべきかというと、何だか違う気がした。不健康キャラは他に適任がいるはずだ。
 僕は手の中に光球を生み出した。破壊の力を秘めたものではなく、かといって辺りを照らすためでもない。そもそも、この部屋は採光がしっかりしていて、朝の陽気で部屋の中が満ちていた。それだけに、壁に掛かっている人形が不気味ではあるのだが。
 光球は、僕が手の中でもてあそぶためだけに生み出したのだ。学校でクラスメートと話す時にペンを回すやつがいる。それと同じ理屈だ。

「これからだけど、僕の考えを伝えておきたい」
「私は神に従う」
「今から一年間くらいここでのんびり過ごすって言ってもかい」
「前言を撤回する」

 いい判断、いいリアクションだ。
 僕は光球を右手左手とポンポン投げながら、言葉を続けた。

「喫緊の課題としては、チャンドリカの要塞化が挙げられる。これはコンスタンティンの人脈で解決できるかどうかを確かめなければいけないが、どちらにせよ持続的な成長を保つためには、相応の規模の共同体を取り込む必要があるだろう。ある程度の規模になれば、僕もこの城を世界一住みよい場所にするために暴れてやろうと思うが、それまで目立たない方針を貫いていく」
「あれだけルテニアを破壊しておいて」
「あそこは遠いからいいんだ。僕の恨み辛みも少しは晴れた」

 光球をプラムに投げ渡す。彼女は上手に受け取った。それからすぐに、僕がしていたように手の中でもてあそび始める。

「ともあれ、コンスタンティンと接見を行う必要はあるだろう。彼の望み通り、聖女の槍は持ち帰った。もっとも、その魔力は僕が全部吸い取ってしまったけどね。結果的には僕にとってもありがたいことに、新しいスキルを得た形になるわけだ」
「便利なことだ」
「ああ、そろそろ破壊神レベル2を名乗ってもいいかもな」
「レベルは宣言制ではないだろう」
「神にとって、数値は飾りみたいなもんだよ」

 はぁ、とプラムが情けなさそうに息を吐いた。

「数字に敬意を払え。あらゆる数字は経済の基本だ」
「君が正しく『経済』を使っているのを初めて聞いた気がするよ」
「私はいつでも正しく使っている。経済だからな」

 プラムは僕に光球を返してきた。僕も手持ち無沙汰になってきていたところだ。受け取ってすぐに、また左右にポイポイとパスを繰り返す。

「コンスタンティンの解呪は朝ご飯を食べた後にでも行うとしよう。それから、エロイーズが依頼してきていたこともあるし、スカラルドに向かおうと思う。口約束とは言え、今日には向かうって言ってしまったからね。アルビオンからの話の内容によっては、さっき話したプランにも修正を加える必要があるだろうな」
「サマーはどうする。連れて行くか」
「彼女の気持ちを聞いてみよう。僕としてはチャンドリカのまとめ役として残っていてほしいね。マルーたちラルダーラ傭兵団を吸収したといっても、戦力的にはまだまだ弱体だ。万一、ここが急襲された場合を考えると、優れた指揮官がいて欲しい。それもロンドロッグを含めた二拠点を同時に攻撃された時、チャンドリカ側で差配を振るう指揮官だ。チャンドリカ自身もそれなりに戦ってきた経験はあるだろうが、統制の取れた軍隊を相手するに当たっては、サマーの方が適任じゃないかと思ってる」

 その件については賛成だ。
 プラムはそう答えた。はっきりとした口調に、友であるサマーの能力を信頼している様が伺えた。

「それに、サマーもスカラルドに連れて行くと、リリと会わなければいけなくなるかもしれない。避けた方がいいだろう」
「ということだが、本人の気持ちはどうかな」

 僕は振り返り、光球を放り投げた。そこにはもちろん横になっていたサマーがいたが、途端に身を起こして光球をキャッチし、両手で握ってじっと見つめていた。

「気づいてたんだ」
「僕だってそれなりに気を使っているさ。遅れたけれど、おはよう。この件に関しては、僕としてはどちらでもいい。プラムと僕の意見がこうだというわけで、君の行動を束縛するもんじゃない。あとは気持ち一つだ」
「私はここに残る。この城のみんなとも打ち解けておきたいし」

 嬉しいことを言ってくれる。
 サマーが光球を投げ返してきたので、僕はそれを優しく受け取り、両手で静かに畳んでしまう。光球は僕の手の中に消えていった。

「決まりだ。プラムと僕は朝食後にコンスタンティンの希望を聞いて、問題なければ解呪を行う。それからスカラルドに向かう。サマーはここに残り、現状の把握と防衛の任につく。問題ないな、チャンドリカ」
「そりゃあもう」

 彼の人の形は見えなかったが、声だけはどこからともなく聞こえてきた。生きている城というのは不思議なものだ。

「すでに食堂に朝食の準備はできてるっすよ。コンスタンティンたちはもう食べ始めてるっす」
「彼以外にも捕虜の扱いを一任してしまって、苦労をかけた」
「なあに、これから人が増えてくれば、どんどん楽をさせてもらうっす。自分の中にいる魂のアドバイスを聞けば、そこらへんの問題も解決できるっすからね。さらには魔王軍の軍団長様が力を貸してくれるっていうんだ。いよいよやる気が出てくるってもんっす」

 この城にも生きた人間や魔族が増えてくる。
 それは僕の居場所を作ることもなり、新しい世界への挑戦を仕掛けることにもなる。なかなか楽しい話だ。
 だが、リスクを考える僕の脳髄は、微小ながら一つの可能性を捨ててはいない。それは魂を喰らって無限に成長するであろうチャンドリカが、いつか僕を含めた世界のすべてに反旗を翻す可能性だ。極端な話、彼以外の生命が絶滅してしまえば、彼はこの世界の絶対的な支配者になれる。それはひどく空虚で、寂滅を感じさせる世界だろう。彼の性格から考えて、そんな選択肢を取るとも思えない。

 ありえないなんて、ありえない。

 いつか、メルが僕にそう言っていた。彼女とはよく喧嘩したし、敵視されることも多かったが、それ以上に仲間である時間を共有していたし、憎まれた分だけ一緒に楽しんだこともあった。そんな中でふと漏らしたこの言葉が、今でも僕の記憶に残っている。
 シャノンという男に恋をしていなければ、彼女とはもっと上手くやっていけたのかもしれない。またシャノンが僕に恋心にも似たものを覚えていなければ、ここまで関係は歪まなかったのかもしれない。
 色恋は何かを変えてしまう。もしかすると、チャンドリカもその例外ではないかもしれない。結果として、彼が恐るべき絶滅主義者にならないとも限らないのだ。
 用心はしておくに越したことはない。

「よし、行こう。仕事の前に腹ごしらえだ」

 僕は声を掛け、真っ先に部屋を出た。それは新しい局面に対して臆することなく突き進む、僕の決意表明でもあった。

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