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第68回「迷宮師の情報」

 以前に滞在した時も、チャンドリカはしっかりとした食事を提供してくれた。彼はこの地に攻め寄せてきた小軍勢の中にいた料理人も「喰った」らしい。そう考えると身の毛もよだつ感じがするが、ともあれ、そのおかげで携行食だけで暮らすような状態に陥ることはなかった。
 美食は生きる気を起こさせる。先だっての戦いで降伏し、アクスヴィルを離れてここに留まる決断をした者たちも、それは同じだったらしい。皆、生き生きとした表情で朝食に手を付けていた。
 マズローの欲求5段階説を持ち出すまでもなく、彼らは幸せを感じているようだった。時間が立てば娯楽や知的欲求を満たしたくもなるだろうが、それまでには施設を拡張する余裕もできているだろう。今はチャンドリカという場所の基盤を整えるのが重要だ。

 そんな中でも、コンスタンティンの悠揚さは群を抜いていた。朝からたらふく食べて、一日中のんびり過ごす。アクスヴィルでも同じように過ごしていたのだろうか。彼からは規律や精勤といった言葉がまるきり感じられなかった。
 きっと、根っからの冒険者なのだろう。
 僕としては、それくらい「ゆるい」方がありがたくもある。
 彼らに朝の挨拶をしながら、朝食の席につく。すぐに料理人たちが温かなベーコンエッグを持ってきた。パンもトーストされていて、至れり尽くせりだ。

「なあ、兄弟」

 コンスタンティンがソーセージをもぐもぐ食べながら話しかけてきた。まったく行儀が悪いおっさんだ。それがまた奇妙な愛嬌になっているから面白い。

「何だい」
「あんた、ギャリック・ボロメオを知っているか」

 僕はスプーンを置いて、その名を脳内に巡らした。
 冒険者の間で知らない者はいないだろう。ギャリック・ボロメオはこの世界において最も優れていたと言われる迷宮師だ。だが、その技能は人類のためにではなく、魔族のために発揮されることとなった。
 彼はレラート帝国の構成国であるバハドゥール公国で、商家の長男として生まれた。まだ帝国の権勢が今より隆盛であったころで、出身地である交易都市イリアスも非常に活気があったという。

 その上昇気流に乗って、ギャリックはわずか十二のころには一つの店を任せられ、さらに十年経つころにはより商売を大きくしていた。
 だが、彼が二十四歳の時、魔王軍の組織的な通商破壊戦によって、店の販路が大打撃を受けた。帝国軍がこの動きを制しようとしたものの、魔王軍は入り組んだダンジョンを巧妙に利用し、その討伐を防いだ。

 ギャリック青年は非常に聡明で、家業を守るために迷宮そのものの仕組みを学ぶことにした。戦いのあるところの常で、傭兵や冒険者が街に集まってきていたから、ダンジョンにとって重要なことは何か、恐れるべき罠は何か、対策は、光源は、食料や水の確保は、といった生きた知恵を学ぶことができた。
 彼が二十七歳の誕生日を数えるころには、「迷宮攻略私観」としてバハドゥール公爵に献呈されているほどである。

 しかし、人間というものは恐ろしい。当時のバハドゥール公は非常に猜疑心の強い人物で、ギャリックが魔王軍と内通し、帝国軍の侵攻を食い止めているのではないかと考えた。また、たとえそうでないにせよ、いずれ自分にとって不利益な動きをするかもしれないと危惧した。このために、公爵はギャリックを不当に逮捕し、処刑してしまおうと考えた。

 この動きは、人望のあったギャリックのもとにすぐさま通報された。公爵の館に勤めていた庭師が急いで伝えたというのが定説であるが、一説には公爵の右腕であったオロスコ子爵、シスカ・トゥアゾンがこの庭師に伝えさせたというものがある。
 耳聡い主婦たちに言わせれば、シスカは女ながらに非常に優秀で、さらにはバハドゥール公との婚姻も狙っていたが、思わぬ器の小ささに良い未来を描けなかったため、愛人の庭師をギャリックのもとに走らせたというのだ。
 事実として、この後にシスカは魔王軍に亡命し、対人類戦で幾度となく戦果を挙げる大隊長となっている。実際に彼女に会った人間の話では、「いつまでも美しくいたいから、魔族になったのよ」と話していたとか。実際、実年齢ではもう老境にあるだろうに、今でも二十歳の若さを保っているという。

 そんなシスカの暗躍によってか、ギャリックは無事に故郷イリアスを脱出し、次に歴史の表舞台に出てくるのは魔王直属の迷宮師としてである。この辺りの流れの不透明さも、シスカ・トゥアゾン暗躍説に拍車をかけている。
 ともあれ、ギャリックは魔王の命を受け、実に多種多彩なダンジョンの設計を行った。それはとりわけ人類勢力に「これだけは避けて欲しい」という仕掛けが満載されていたため、すさまじい効果が認められた。

 人類の裏切り者は、魔族の救世主になったのだ。実際、各地のダンジョンに籠もるモンスターたちからは「ギャリック親父」として親しまれ、毎日のように祝いや礼の品が届けられたという。
 一方で、シスカのように寿命を延ばすための工作は行わなかったらしく、数年前に寿命で死去したという風聞が僕のもとにも流れてきた。このころにはかつてのバハドゥール公も死んでしまっていたが、その子孫たちが盛大な祝いの宴を開いたそうだ。
 僕が知っているのはこれくらいだ。そうしたことを、かいつまんでコンスタンティンに話した。

「その孫娘がいる。ギャリックのすべての技術、技法を叩き込まれた孫娘だ。名前はスワーナ、スワーナ・ボロメオ。魔王領である炭鉱都市コンドンで、祖父の業績を引き継いでダンジョンの設計を続けている。だが、爺さんと違って、魔王直属ではない。むしろ遠ざけられているようだな」
「スワーナか……。ぜひここに迎えたいな」
「そうだろう」

 コンスタンティンは満足そうに言った。

「間違いなく、この城を、いやこの地域のパワーバランスをひっくり返す起爆剤になる。今、魔王アルビオンに冷遇されているんだから、余計にだ」
「気になることがある。なんでアルビオンは彼女を冷遇した。ギャリックの技術を引き継いでいるなら、重用し続けた方がいいはずだ」
「魔王とてその権力基盤が盤石なわけではない。それはわかっているな」
「もちろんだ」

 今さら歴史の講義を受けるほどではない。
 だからこそ、僕はすぐに答えにたどり着くことができた。

「そうか。当時の魔王はヴィダル一族の出だったはずだ。アズィズ第三支族のアルビオンとは……」
「今でも敵対している仲」
「まして、今なお内部に不安を抱えているアルビオンなら、重用するわけにはいかない。支族の会議でもそう決定されているはずだ」

 アルビオンは非常に明敏な君主であり、魔王軍の勢力範囲を歴史上で最も広くした魔王である。しかしながら、彼の魔王軍内、ひいては魔族内における立場はとても不安定なものであり、常に内部の不穏分子の蠢動に悩まされてきた。
 彼は対人類では強固であったが、対魔族では今も気を使わねばならない立場なのだ。「もしもアルビオンが盤石な集権体制を築いたならば、人間はやつの前に屈さねばならないかもしれない」とは、レラート帝国の現第一皇帝ウォレス七世の言である。僕がシャノンたちとともに謁見したころは第三皇帝だったが、その重みに変わるわけではない。

 それに、先の言葉には一寸誤りがあるだろう。「屈さねばならないかもしれない」ではない。「屈することになる」のだ。魔王軍がアルビオンの意のままとなり、世界各地に散っているモンスターたちに大号令を掛けた時、人類の命運は尽きる。
 しかしながら、魔王軍の勢力が今なお地上の二割に留まり、残りの八割で人類が相争っていられる程度には、アルビオンの立場というものは心もとない。彼の力はとてつもないものがあるとされるが、彼自身が対人類の戦場に立ったのはこれまで一度しかないのだ。彼がスカラルドを離れると、たちまち反体制派が行動を始めてしまうのである。

「じゃあ、僕がスワーナを有効活用しても問題はないわけだ」
「むしろ、魔王は喜ぶと思うね。今はコンドンの街で遊ばせているような状態だ。あそこを治めているノエミ・トトは反魔王派でもある。見た目の割には鼻っ柱が強いし」
「本当に詳しいな」
「ん……だろう。そうだろう。優れた冒険者だからな」
「僕が旅をしている時には、君の噂はまるで聞かなかったが」
「世界は広いんだよ、兄弟」

 コンスタンティンはぐいっとスープを飲み、満足そうに腹をさすった。
 僕は彼から聞いた内容をまとめる。これらの材料は、スカラルドでアルビオンに会った際に確認しておくのがいいだろう。余計な波風を立たせないためにも、事前の承諾はあった方がいい。サマーの件とあわせて提案することになるか。

「ちょっと待ってくれ、コンスタンティン。僕も食べ終わってから、君の解呪の用意をしよう。それからスカラルドに向かおうと思う」
「ゆっくり食べるがいいさ。こっちもしっかり準備してもらってからの方がいいからな」

 どうもおかしいな。
 僕は彼が去っていく背中を見ながら、ふいにそう感じた。根拠はないのだ。ただ、変なものを感じる。よそよそしいともまた違うし、言葉にしづらい気持ちだ。
 コンスタンティンには隠し事がある。
 一言で表すなら、これだろう。元から怪しいおっさんではあるが、何か大きな秘密を持っている気がする。

 でも、それはこれから彼の解呪を行って、さらに時が経てばわかるのかもしれない。心配しすぎるのも毒だ。もしも彼の活動によって、チャンドリカに危害が及びそうであれば、その時には対策すべきだろうが、今は彼の情報を存分に生かすとしよう。
 そう決めて、僕もスープに口をつけた。

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