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独立した世界9

「新たな存在・・・貴女方、ですか?」
「ええ。ですが、私達だけではありませんよ?」
「どういう・・・ことですか?」
「質問が多いですね。流石は無知なだけあります。先程も言ったと思いますが、世界は変わったのです。新たな存在とは、新時代に生まれる者達。その先駆けは我らが女王ではありますが、我らのみがそれではありませんよ。旧時代の王よ」
「新たに生まれる者・・・」
「ええ。そうですね、貴方にも分かりやすいように言葉にするならば、旧時代の創造神に創られた貴方方と、我らが神に創られた新時代の存在でしょうか」
「貴女方以外にも御主人様に創造された者が?」
「例えですよ。旧時代の全ての者を創造神が創ったと?」
「・・・そういう意味ですか」
「理解して頂けて良かったです」
「つまりは、貴女方は入れ替えるつもりなので?」
「さぁ? それは女王にお尋ねください」
「・・・・・・」

 黒髪の少女は警戒感を更に強く抱きながらも、女性に向けて僅かにではあるが、困ったような雰囲気を醸す。

「・・・・・・ふむ」

 そんな少女に、女性は僅かに興味深げな声を漏らした。

「貴方は随分と感情があるのですね。元々が何事にも無関心な妖精だったとは思えませんが」

 そう言って、女性がはじめて少女をその瞳に捉える。

「契約を交わした、という訳でもないようですし・・・何かの残り香はありますが。しかし、それは少し違うでしょうから・・・」
「そうでしょうか?」
「ええ。聞き及ぶ昔の貴方であれば、たとえ世界が崩壊しようとも、感心が無かったでしょう。文字通り、ただ見ていただけの存在なのですから。だからこそ、長年生きてもこれだけの無知であるのですし」

 そう口にしながらも、女性は内心で小さく笑う。長年と言っても、実際はこの世界の歴史はそれほど長くはない。
 人間が魔法を覚えて約二百年ほどだが、この世界の歴史はそれより少し長いぐらいだ。
 そもそもの話、人間が本当に弱すぎて各地から逃げてきた挙句に地下へと籠ったような矮小な存在であれば、地上に居を移して無事であるはずがない。
 それどころか、魔法を修得する機会に恵まれた事、人間界周辺の平原にあまり強い敵が居ない事なども含めて、全てが偶然などでは済まされない。当たり前だが、そこには明確な何者かの意図が介在している。でなければ、人間などとうに滅んでいるような弱小種族なのだから。
 では何者の意図がそこにあったかと言えば、それは簡単、この世界を創った者。つまりは創造神の仕業であった。
 では何故そんなことをしたかといえば、超越者達を送り込む拠点の一つとして活用する為。
 そんな思惑が世界のいたるところに見られる、実は浅いこの世界の歴史だが、女性の前に立つ黒髪の少女の中では、気が遠くなるほどに長い歴史を刻んでいると認識されている。いや、そう刻まれているといった方が正しいのだろう。

(だというのに)

 記憶からして創られた存在である目の前の少女を見ながら、女性は好奇心をくすぐられていた。目の前に立つ少女が、どう見ても変質していたから。

(だからだろうか?)

 その変質を目の当たりにしながら、女性は自分の主がどうして他の旧王には大して興味を抱かないのに、目の前の少女ともう一人、共に冒涜者に仕えるスライムだけは気にしていたのか少し理解する。

(新たな住民ということでしょうか? いえ、スライムの方はまた違った意図もあるようでしたが)

 そう考えながらも女性は話を続け、その傍らで密かにそのことを女王へと報告する。
 報告を受けた女王は、小さく笑って報告の労を労った。しかし、それだけであった。

(やはり女王はご存知だった。でも、あの感じは住民にではなく・・・)

 女性は改めて黒髪の少女の方へと目を向ける。そこに居るのは、存在が変異してきたとはいえ、取るに足らない妖精が一匹。しかし、どうやら女王にとってこの妖精は、実験体なのだろうと推察する。だからこそ、今までも度々接触しては何かしらを吹き込んでいたのだろう。と、女性は考えた。
 そこまで予測できれば、女性にとっても目の前の妖精は十分観察対象になり得る。王の傍に仕える者として、主の意を酌むというのも、彼女の大切な仕事なのだから。
 しかし、いくら観察しても、やはり強さの面では他と何も変わらない。いや、他よりは強いのは理解出来るのだが、彼女の強さの物差しでは他と同じなのだ。
 強さという曖昧なモノには色々な判断基準があるが、単純な戦闘能力という意味での強さを長さで表せるとしたら、女性が測れる強さはメートル単位。だが、目の前の少女については、女性には数十センチメートルぐらいしか長さがないように感じられた。
 例えば隣で浮いている部下――直属ではなく、間に幾つも挟むことになるが――は、女王の軍の雑兵ではあるが、1メートルを超えるぐらいの強さは余裕である。つまりは女性が正確に測れる最低限の強さは超えているぐらいということだ。
 二人の少女の差でも実は絶望的なまでの差なのだが、では女性が仕えている女王はといえば、単位からして異なる。それでいて、女性では長すぎて測ることが出来ないほど。
 その女王をして、己以上と言わしめる神はというと、考えるのも不敬なほど。
 そういう訳で、目の前の妖精は女性にとって有象無象と大差ない存在であった。しかし、存在が変質している以上、もう少しぐらいは強くなる可能性はある。

(それでも大した事はないのですが。それにしても、何故変質を?)

 真っ先に考え付くのは、妖精が現在仕えている冒涜者だが、あれも女性にとっては有象無象の一人でしかなく、強さも短すぎて予測でさえ難しいほどであった。
 それでも、何か能力があるのかもしれないと心の中で観察事項を増やすと、女性はそのまま次の可能性について思案を巡らせていく。
 女性の頭の中では、思いつくままに様々な可能性が浮かんでは消えていく。

(ですが、やはり我らが神の影響、でしょうか?)

 その中でも最も可能性が高いと女性が見当をつけたのは、新時代の始祖たる存在であり、女性達にとっての神の存在であった。

(この妖精は、あの冒涜者の近くに長い間居るのですから、神の影響を受けて変質が始まってもおかしくはない。それに、今の世界はそれが許されている世界なのですから)

 そもそも、と女性の思考が少しずつ逸れていく。

(我らが神は偉大過ぎるのです)

 女性は己が神を直接拝する栄誉に浴したことはない。しかし、自らの主から聞いた神の話はあまりにも偉大過ぎて、今でも崇拝の念が次から次へとこみ上げてくるほど。
 元々の世界には絶対の規律が存在していた。全ての存在が神の決めた通りにしか動けず、それを無視した行動は許されてはいなかった。そして、それを疑問に思う者も気づく者も存在しない。そんな世界であった。
 そう聞かされれば異様だと思うが、しかし、もしも当事者であれば、自分もそれを当然だと受け止めていただろうと女性は思った。そう、それはあまりにも普通のことなのだ。
 そんな中にあって、それに気づいて疑問を抱いたのみならず、解明して世界をつくり変えてしまうという偉業・・・いや、神の領域に到達したのだ、そんな存在を崇める以外にどうしろというのか。
 詳しい話を聞いた今でも、女性には神が何をしたのか理解出来ない。最もそれを理解しているだろう女性の主でも、完全に理解している訳ではないと聞いていた。

(本当にどうやって理解に、いえ、疑問を持てたのでしょうか?)

 世界を創り直すではなく、女性は初期の気づく段階からして理解出来なかった。世界に疑問を抱く。そんな当然のことに疑問を抱くというのは簡単なようで非常に難しい。
 そんな風に偉大な神について想いを馳せながらも、女性は黒髪の少女との話を継続させていたが、そろそろいい頃合いかと思い、話を打ち切る。

「それでは、この辺りで失礼致します」

 女性はそう断ると、少女の返事を聞かずに、部下である赤茶色の髪の少女と共に姿を消す。
 そうして転移すると、女性は人間界を囲む森の外に在る湿地に姿を現した。

「さて」

 湿地に到着した女性は、小さくそう呟いて一緒に転移してきた部下の少女の方へと目を向ける。その視線に、少女はびくりと小さく肩を震わせた。

「まぁ、退屈なのは理解します。しかし、だからといって不用意に接触しただけでは飽き足らず、要らぬ知恵まで授けるとは・・・自分がした事は理解していますね?」
「・・・はい。申し訳ありません」
「そろそろナイトメアがやってきますが・・・そうですね、流した情報自体は大したことはありませんが、超越者達にこちらのことや死について伝えたのは少々時期尚早だったかもしれませんね。今伝えても無駄に怯えさせるだけでしょうし・・・まったく。貴方には監視は任せましたが、何をしてもいいと言った覚えはないのですがね」
「も、申し訳ありません!」

 困ったような女性の声に、少女は怯えるように頭を下げる。

「今回はまぁ、大きな問題にはならないでしょう。ですが、これからは気をつけなさい?」
「はい!」
「あとはナイトメアが合流するまで待ちますが・・・さて、超越者達が変に委縮しなければいいのですが」

 思案するように森へと目を向けた女性は、残念そうに息を吐く。

「ここまで来たのですから、御尊顔を拝したかったですが、そんな幸運には恵まれませんか」

 その後に女性は反対側へと顔を向ける。

「あちらはまだ掛かりそうですね。本格的な侵攻はまだでしょうし」
「次の侵攻はいつあるのでしょうか?」
「それはまだ判りませんが、そんなに長くは待たないと思いますよ」
「そうですか・・・それで、あの――」
「そこは私の領分ではありませんから。しかし、ここでしっかり任務を全うしていれば、私から女王へと奏上ぐらいはしておきましょう」
「ありがとうございます!」

 嬉しそうに頭を下げる少女に、女性は小さく笑う。

「しかし、貴方を満足させるような相手は居ないと思いますよ? 我らを除けば、貴方程度でも相手になる存在は居ませんから」
「大丈夫です! 愉しめれば!」
「そう。それならいいけれど」

 満面の笑みを浮かべる少女に、女性は優しげな笑みを向ける。

「でも、女王次第ですが、命令はしっかり聞くのですよ?」
「勿論です!」
「多少の遊びは許しますが、遊び過ぎるのは駄目ですよ?」
「はい!」
「まぁ、どうなるかは分かりませんが」

 そこで女性は何かに気づいて視線を横にずらす。

「どうやら来たようですね」

 女性の言葉に呼応したかのように、何も無い空間から一人の少女が姿を現す。
 現れたのは、灰色の長い髪で身体をすっぽりと覆うようにしている少女。その少女は、女性に気づいて頭を下げた。

「いらっしゃいナイトメア。ここに居るシスとは初対面だったかしら?」
「ハイ。ソうでス」
「そう。今回の任務は一緒に就くから、仲良くね」
「カしこまりましタ」

 頭を下げたナイトメアに、女性は満足そうに頷く。その後にナイトメアとシスは互いに自己紹介をして挨拶を交わす。それを見届けた女性は、仲良くするように念を押すと、その場から姿をかき消した。





 強くなり過ぎたのだろうか?
 静寂が支配する暗黒の中で、少年はふとそんなことを考える。
 元々少年は挑戦者だった。
 今までどれだけ惨めな敗北を積み重ね、数えきれない傷を負い、幾度死んだことか。

「はぁ」

 そう。少年は既に何回、何十回と命を落としている。興味も無いので数えていないが、もしかしたら百を軽く超えているかもしれない。
 幸い、少年は己を蘇生させる方法を獲得していたので、幾度死のうとも生き返った。いや、それは逆か。己を蘇生できるようになったからこそ、そんなことを繰り返し始めたのだ。
 しかし、そんなことを繰り返している内に、少年は死ぬことが手間だと感じるようになってきた。
 それだけではなく、呼吸も食事も睡眠も全てが邪魔だと感じていた。そんなことに時間を割く暇があるのならば、その分研究に費やした方が遥かに価値があると思えたのだ。
 だから少年は、生きることを止めた。正確にはまだ生きているのかもしれないが、誰も認識出来ぬほどの一瞬だけ時を過ごして、肉体の全てを過ぎた一瞬前に戻すのを繰り返すような存在を、生きていると表現してもいいのかは疑問を抱くところではあるが。
 成長しないが傷つかない肉体。そこまで至った時には、少年は世界を改変できる力を得ていた。別に難しいことではない。世界を構成しているモノを理解して、それに手を加えてやればいいのだから。
 少年は自分が身を置く世界というモノを割と早い段階で理解していた。それは偶然であり、必然であった。なにせ、少年は常々存在というモノに疑念を抱き続け、それを追求し続けていたのだから。
 そういう訳で、少年が他の者より少し違っていたのは、視点ぐらいだろうか?
 自分とは何か? それを考える者は多くはない。しかし、居ない訳ではなかった。それでも少年の域にまで達した者が居なかったのは、もしかしたら視点よりも、役に立つかも分からないことに、どれだけ真面目に取り組んだかの違いかもしれない。
 その辺りの詳しい話は、もう誰も知るところではない。少年自身も興味が無いのか、思い出そうともしないほどだ。
 とにかく少年は至った、至ってしまった。神の領域という場所に。そこまで至ってしまっては、少年に敵など居なかった。
 少年は常に挑戦者だった。魔力を奪われ、感情を奪われ、居場所を奪われ、ありとあらゆるものを奪われ、残ったモノは己が命と理不尽な暴力、それと僅かな知識欲だけ。
 そんな中に在って、少年は欲に縋って知識を求めて抗い続けた。だからこそ、敵が居なくなったとて、上を見るのを止めなかった。何処かに自分よりも上の存在が居るはずだと、己を鍛えることを怠らない。
 しかしそんな中で、最近少年の頭の片隅に一瞬だけ浮かんだ思いがあった。それは退屈だという思い。
 それを敏感に感じ取った少年は、思わず嬉しさを全身から醸し出す。一瞬とはいえ、そんなことが考えられる様になったことが新鮮だったのだ。かつて奪われた感情、それがしっかりと手元に戻ってきている証左と思えたから。
 とはいえである。何処かに自分以上の相手が居ると考えてはいるが、未だにそんな相手に出会った事はない。少なくとも、自分が居た世界には存在しない。それは世界を掌握した時に理解していた。
 少年は世界を掌握した時、自分が居た世界が別の世界の付随物でしかないことに気がついた。その時に、少年は世界と世界を切り離すことに挑み、成功する。しかし、それは完ぺきではなかった。
 技量不足で完全に切り離せないと悟った少年は、切り離せない部分を中心に世界を創り変えてしまおうかと考えたものの、手間を考え思い直すと、一部改変だけに留める。
 その後は不足していた技量を埋めるべく努力し、とうとう世界の創造さえ可能な域に達する。
 しかし少年は世界を創らず、残っていた道も敢えて残すことにした。それと同時に改変をもっと広範囲に行い、新たな世界に新たな存在を生み出す。それは、世界の管理者。既に興味を失った世界を譲る相手だった。
 そこまでを済ませた後、少年は次の段階に進む為の模索を始める。それは、残した世界を渡る方法。
 譲った世界に敵が居ないのならば創ってしまおうと考えたものの、創造した管理者は育つのに時間が掛かる。ならばと相手を求めて、世界を創った神々の世界へと渡ろうと考えたのだ。

「別の方でもいいのだが」

 創造した神の世界以外にも、少年の住む世界には他の世界からの干渉がある。そちらについて少し調べた少年ではあったが、相手は敵と呼べるほど強くはなく、失望した。
 しかし、少年は直ぐに考えを改め、軽く調べた以外に強者が居る可能性についても考える。全てを知った訳ではない以上、その可能性も高い。

「準備も結構進んだし、さて、どうしたものか」

 現在少年は自ら動かないようにしている為に、遊びに行くのは難しい。他の世界へと渡るには、一度自縛を解かなければならないのだから。
 それを考え、首を振って諦める。今はまだ鍛える時だと自分に言い聞かせて。

「もう少し道を均しておくか。ついでに向こうの様子も、もう少し探らせておこう」

 今は雌伏の時と定めた少年は、今できることをしておくことにする。そのついでに今居る世界の様子を眺め、育ってきている管理者の様子も確かめる。思った以上に育っていることに、少年は小さく笑みを浮かべると、少し声を掛ける事にした。





 退屈だ退屈だと思っていても、時というものは過ぎていくもので、気づけば五年生になって四ヵ月が経とうかとしていた。
 慣れた任務をこなして、休日にクリスタロスさんのところへと転移して研究をする日々。
 研究をしているからこそまだ何となっているが、もうそろそろ寝ながらでも見回りや討伐が出来そうなほどである。まぁ、本当に出来るかと問われれば、難しいと答えるが。ただ、不可能ではない。
 そんな愚にも付かぬことを考えていると、西側への見回りが始まった。
 防壁上から見る景色は、時の流れと共に変化はあった。例えば平原に敷かれている絨毯の色。白みがかった枯草から、青々しい活力の色へと変化していた。
 他にもその上を動き回っている生徒や兵士達。数はそこまでではないが、一部人員が変わっている。特に生徒の顔ぶれの変化が顕著だ。他国の生徒は帰ったり、新しい者がやって来たのだろう。ナン大公国出身の生徒は、同じ学園の別の生徒と交代したのかもしれない。
 他には、においや湿度か。一気にカラカラとした乾いた空気になったからか、青臭いにおいやかび臭い土のにおいが風に乗って鼻に届く。
 そういう色々と細かな変化は多い。空の色だって違うし、生徒や兵士達の服装も変わってきている。そんな細々とした点を挙げればきりがないが、大きな変化と呼べるモノは残念ながらなく、相変わらず平和な平原の様子が目に入るだけだ。
 つまりは変わらず退屈な散歩ではあるが、脳内で研究を進めているので、まだ何とかなっている。
 そんな見回りを行うこと三日。南門前に戻ってきた後、部隊が解散してから一人で宿舎に戻る。現在は昼頃だが、このまま進めば到着は夕方ぐらいか。
 ぼんやりとそんなことを頭に思い浮かべながら、駐屯地を足早に進んでいく。そして予想通り、夕方になったぐらいに宿舎に到着した。
 そのまま宿舎の中に入り、自室に戻る。部屋には同室者が一人居たが、もう寝ていた。夜中の任務にでも従事するのだろうか? 同室でも名前も聞いていない相手の事など知らないが。
 それでも起こしては申し訳ないと思い、梯子の下で靴を脱いだ後、静かに梯子を使って上段のベッドに登る。
 ベッドに上がる前に服と身体を魔法で清潔にした後、ベッドの上に背嚢を降ろして、横になる途中で着替えも済ませた。
 その頃には外も暗くなってきていたので、早々に眠ることにする。夜中に目覚めたらその時考えるとしよう。
 そう思いながら意識を手放して、目を覚ます。一瞬に思えるが、睡眠とはこんなものだろう。
 上体を起こして窓の外に目を向けると、薄っすら明るくなってきているが、朝にはまだ時間が掛かりそうだ。
 このまま起きようかと思ったものの、まだもう少しこのままでいいだろう。そう考え、上体を倒して研究について思案していく。
 現在はあの模様、落とし子達をこちらの世界に喚んだ模様についての解析も大分進んだ。
 あの模様には様々な系統の魔法が入り混じっていたが、それは発現する魔法にではなく、模様の方を意識して描かれた可能性が出てきた。その上で様々な可能性を検討していくと、一部模様への影響を考慮した模様と、発現する魔法へと考慮した模様に分かれていることに気がついたものの、今はそこまでしか判っていない。

「・・・んー」

 それでもかなり解明したと思う。とりあえず、少し改良するまでは出来た。発現できるかどうかは別だか。
 次に模様と魔法の組み合わせる事についてだが、全く上手くいっていない。進展は無いといってもいいだろう。適当な思いつきから始まった研究だが、想像以上に難しい。どうやら魔法を発現前の模様は、魔法との相性がよろしくないらしい。いや、良すぎるのか?

「奥が深いといえばいいのか、何なのか・・・」

 思考してその難しさに小さく息を吐く。まだまだ分からない事だらけだが、落とし子達の世界とこちらの世界を繋げた模様についてはもうすぐ解析が終われそうだ。
 模様と魔法の組み合わせだが、これについては手掛かりがないので、先が全く見えない。
 もう一つの条件で起動する模様の発見についてだが、これについては一切調べていないし、探してもいないので論外だろう。
 そんな風に難しい顔で考えていると、一気に外が明るくなってきた。どうやらもうすぐ朝のようだ。





「ウ~~~ン! タいくつだナー!」
「そうですね~。しかし、手出しは出来ませんし~」
「ハはハ! ソれはじごうじとくだヨー」
「うぐ。それはそうですが~・・・」
「メいれいはちゅうじつニ。ソれがながいきするこツ。ラしいヨ?」
「何方の御言葉で~?」
「ウン? ダれだったっけナー」

 全身を灰色の髪ですっぽり覆った少女は、湿地のぬかるみで汚れる事も厭わず、地面に腰を下ろしていた。
 その横で十数センチメートルほど浮いている少女が、立ったまま髪の長い少女に目を向ける。

「思い出せないのですか~?」
「ソうだネー。ワたしはめいさまいがいにはきょうみがないからネー」
「そうですか~」
「デモ、ノーブルさまはおぼえてるヨ!」
「少し前にお会いしましたからね~」
「ソうだネー」

 二人は遠くを眺めながら、穏やかに会話する。二人が居るのは、ぬかるんだ地面が広がるだけの、遠くまで望める開けた場所ではあるが、二人以外の存在は確認出来ない。

「遊び相手でも居ればいいのですが~」
「コのあたりはすこしあそんだからネー」
「ええ。もう少しゆっくり遊ぶべきでしたね~」

 残念そうにする浮いている少女だが、もう一人の少女は気にした様子もなく遠くを眺めるだけであった。湿地に穏やかな時が流れていく。





 感情とはなんだろうか? そもそも意識、というか自我とは何か? ・・・違うな。そういう話以前に、そもそも私がこうして自由に思考している事自体が異常なのだろう。
 そうは思うも、現に私はこうして考えているし、その偉業を成した人物も知っている。それは視界に映る、猫背で銀髪の少年。隣には同色の髪をした、凹凸のしっかりとした女性が立っている。そちらは私の先輩。彼女もまた、私同様に思考している、生無き造られた存在だ。
 私は造られて間もない存在だが、それなりに知識は与えられている。その知識から考えるに、私の製作者はよく無事だと思う。私達のような存在は危険というか、秘匿されるべき技術だと思うのだ。
 そう思いながら、周囲を見回す、
 現在私達が居るのは、製作者と同族の人間という種族の生活圏の東側に広がる平原。
 つい最近来たばかりではあるが、この地に出る魔物という敵性生物は中々に手ごわい。
 周囲にはたくさんの人間が魔物と戦っている。どの人間も複数人で組んで戦っているが、製作者は私達二人以外とは誰も組んでいなかった。前までは誰かと組んでいたと聞くが、それは私が造られる前の話らしい。何故別れたのかは聞いていないので分からない。
 製作者は魔法という技法で戦っているが、それは私達には行使できないようだ。なんでも、魔法に必要な魔力を私達は扱うことが出来ないからだと教えられた。
 なので、私達は近接武器で戦っている。先輩は両刃の巨大斧で、私は少し長めの槍を手にしている。
 前衛を先輩、中衛が私、後衛が製作者という並びだ。
 隊列を組み暫く平穏に平原を進んでいると、遠くから魔物が走ってくるのを捉える。数は三体。この辺りでは少ない方だが、油断はできない。
 迫ってくるのは四足歩行の魔物で、珍しくはない。ただ、こういう魔物は足が速い場合が多いので、気を付けなければならない。
 まずは、製作者が離れた場所の魔物へと攻撃する為に魔法を発現させる。
 三体の魔物に一つずつ発現した魔法が飛んでいく。魔物は飛来してきた魔法に反応できずに直撃して動きを止めた。
 どことなく痛がっている魔物を視界に収めながら、流石だと私は製作者の凄さに驚く。今まで見てきた人間達の中でも、これだけ精密に直撃させられ、尚且つ高威力の魔法を扱える者はほとんど居なかった。間違いなく製作者はかなりの使い手なのだろう。
 痛がり足を止めた魔物達へと、私と先輩が駆けて止めを刺していく。私達の移送速度は人間の比ではない。魔法で強化された人間よりも速いと自負している。
 私が突き出した槍で貫かれた魔物の一体が消滅する。その頃には、残った二体の魔物は先輩が処理していた。あんなに重い武器を持ちながらの目にも止まらぬ速度での攻撃には、見慣れたはずの私でもつい驚愕してしまう。
 こうして魔物との戦闘は直ぐに終わった。

「流石で御座いますね。ティファレト様」

 製作者の元へと戻りながら、途中で合流した先輩へと心の底からの賞賛の言葉を贈る。

「これぐらいではまだまだです」

 しかし、先輩は小さく笑って首を振る。周囲の人間達以上の強さを誇るというのに、驕らない方だ。

「それに、セフィラ様もとても巧みに魔法を操りますね。私達は魔法を扱えないので、憧れます」

 様々な現象を引き起こす魔法。それは可能性が果てしなく広がる技術だと思うが、残念ながら私達命無き者には使用できない。

「そうですね・・・いつか使える日が来るかもしれませんし、それを越える日が来るかもしれません。その辺りはセフィラさんに期待しましょう」

 先輩が優しげな笑みを浮かべた。そんな日がやって来ることを私も願っている。

「はい。いつかあれほどに巧みに魔法を操れるようになりたいものです」
「ふふ。そうですね。しかし、もっと上を目指してもいいのですよ?」
「もっと上、ですか?」
「ええ。まぁ、この辺りにはセフィラさん以上の使い手が少ないですからピンとは来ないかもしれませんが、この世界にはもっと強い方も居るのですよ」
「それは最強位という方々ですか?」

 私に与えられた知識だと、人間の治める各国には最強位と呼ばれる強い魔法使いが一人居るということらしいので、おそらくその方々の事を指すのだろう。私はそう推測して、確認の為に問い返した。

「そうですね。実際にお会いした事はありませんが、とてもお強いのでしょう。しかし、在野の方にも優秀な方は居るのですよ」

 そう言って先輩は微笑む。その笑みはまるで特定の誰かを思い浮かべている様に見えた。もしかしたら、知り合いにそういう方がいらっしゃるのかもしれない。なので、その事を尋ねてみる。

「どなたかそういうお知り合いが?」
「ええ。実際に戦っているところは見たことありませんが、確実にかなりの実力があると思われる方に心当たりがあるのですよ」
「そうなのですか。そのような方が」
「しかも驚くことに、その方はセフィラさんの唯一のお友達なのですよ」
「え!?」

 私は驚愕に思わず足を止めてしまった。製作者は人間を嫌っている。それは近くで見ていれば直ぐに気がつくことで、ご自身さえ嫌っている節があるほどだ。
 そんな製作者なので、先輩の言葉につい尋ねてしまった。

「その方は人間、なのですか?」

 私の間抜けな質問に、先輩はクスクスと本当におかしそうに笑う。それは親しみのある、私が初めて目にした笑みだと思う。

「そうですね。人間ですよ。とても面白い方です」

 そう語った先輩は、親愛の籠った笑みを浮かべていた。それもまた、私が初めて見る笑みであった。

しおり