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 次の日、僕はシロと要を連れて見晴らし台へとやって来た。
 要はシロの遺骨と首紐を大事に持ってくれている。

『何だ坊主、また来たのか。学校に行かんと、碌な大人にならんぞ』

 何度も何度も、録画を再生しているかのようにかけられたお爺さんの言葉。
 でも、それも今日で終わりだ。

「お爺さん、前に、ダムの底の村があるって話してたでしょ?」
『うむ、話したが。それがどうした?』

 要から包みを受け取って、座るお爺さんから見えるように開く。

「ダムは、ずっと前に改装工事をするって水が抜かれたんだ」
『またまた。坊主は嘘が上手いな。ダムならほら、あの通り、たっぷりと水を湛えているじゃないか』

 そう言って笑うお爺さんは明らかに動揺していた。

 それはそうだろう。
 今開いて見せた包みにあるシロの首紐は、お爺さんが作ってあげた物だ。
 この頭骨がシロであることの確かな証だ。

『……ダムの底で、見つけたのか……?』
「そうだよ。壊れかけた家の屋根裏部分にあった」
『そうか……やはり、逃げていなかったか……』

 お爺さんはあまりにショックだったのか、顔を覆って天を仰いだ。
 僕はその手を片手でそっと取ると、包みを受け取らせるように触れさせる。

「受け取って、お爺さん。お墓を作ってあげよう?」
『あ、ああ。そうだな。このままにはしておくのは可哀想だ』

 お爺さんが両手で受け皿を作るのを確認して、僕は包みから手を離す。
 包みはお爺さんの手と膝をスルっと通り抜けてベンチの上に落ちた。
 カラン……と乾いた音が哀しく響く。

『こ、これは一体……?』
「お爺さん」

 僕の言葉に合わせてシロがスルッと前に出る。
 チリン、と軽い鈴の音にお爺さんが驚いた表情でシロを見る。

『シ……ロ? シロ、だよな。やはり、儂を恨んでいたのか? それにしたって、何故今頃……?』
『ニ―…』

 青褪めた顔で見つめるお爺さんの両足に、シロが体を摺り寄せる。
 尻尾を絡め足元で転がりお腹を見せて、前足で手招くような仕草と共にお爺さんの足首に頭を当てる。
 全身でお爺さんの誤解を解こうとしているのだ。

「恨んでないよ。シロはお爺さんを迎えに来たんだ」
『迎えに……?』

 お爺さんはシロをジッと見つめる。
 シロはまた甘えるような声を出して体をくねらせた。
 要が、義夫さんはまだいるのかとベンチを指して小声で聞いてくる。
 僕は頷いてお爺さんが見えるように要の手をギュッと握った。
 要は僕の手を握ったまま、お爺さんに一歩近づいて声を掛ける。

「義夫さん、まだわかりませんか? 死んだはずのシロが見えてるでしょう? 義夫さんはもう……」
『そうか、儂はもう、とっくに死んでしまっていたのだったな……』

 シロが見えてるでしょ、という要の言葉に、お爺さんは自分が死んでいることを思い出したようだ。
 要の言葉を遮るように呟くと、晴れやかな表情でシロを見つめる。

『シロ、ずいぶん長いこと待たせてしまって済まなんだ。迎えに来てくれてありがとうな』

 そう言って手を伸ばすと、シロのふわふわな毛並みを優しく撫でた。
 シロは嬉しそうに喉を鳴らしながら目を細め、その手に顔を摺り寄せる。

「シロは、昔お爺さんと暮らしていた家に帰りたいみたい。またお爺さんと縁側で日向ぼっこしたいんだって」
『ニー』

 僕の言葉を肯定するようにシロが鳴いた。
 お爺さんは凄く不思議なものを見るような表情で僕を見てきたけど、シロの鳴き方や仕草でそれが正しいとわかったみたいで何も言わなかった。

『……そうか、そうか。帰ろう。儂らの家に。懐かしの我が家に』

 お爺さんはそうシロに声をかけて撫でると、にっこり笑って立ち上がった。

『坊主、本庄先生も。ありがとうな。どうやったかは知らんが、シロが急に視えるようになったのは坊主の仕業だろう?』
「う、うん。……怖くないの? 幽霊が視えて」
『儂だって幽霊じゃないか』

 ガハハ、と豪快に笑うお爺さんは生前と全然変わらない。

『……坊主は優しいな。儂が死んでるって気づかせるために、わざわざシロの遺骨を探してきてくれて。シロと会わせてくれて、ありがとう』

 お爺さんが僕の頭をくしゃくしゃと撫でる。
 シロの骨は触れないのに、僕とは触れ合えるのが不思議だった。

『ちゃんと学校に行きな、坊主。何があったかは知らんが、坊主は優しくて強い子だ。すぐに皆わかってくれるさ。それで友達をたくさん作るんだよ。儂との最後の約束だ』
「うん」

 お爺さんとはこれきり会えない。そう理解して僕の視界が滲む。

『お別れだ。世話になった』

 そう言って背を向けて手をヒラヒラと振って歩き出すお爺さんの足元をシロがぴったりと寄り添って歩く。
 ダムに向かうお爺さんとシロはやがて、キラキラとした光の粒子になって消えた。
 それと同時に、シロの頭骨も、まるで役目を終えたかのように、ザッと砂となり崩れた。
 そのまま風に乗って消えてしまい、首紐だけがベンチの上に残っていた。

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