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満月に咲く花

「いたぞ!」

 脇腹の怪我が響き、速度が落ちたタラ達は再び追いつかれた。
 前方に飛び出したのがジネ、後方にガズとペリが陣を取る。

「脇腹が痛そうだね。タラ」

タラ達がもはや逃げ切ることは出来ないと、ガズは自信たっぷりの笑みを浮かべていた。眼鏡の奥の緑色の瞳は嬉々として輝いている。

「もう命乞いしても無駄だよ。かなり手間をとらせてもらったからね。もう日が暮れそうだよ。まったく」

 苛立ったガズの言葉に、アミアは森に入り込む微かな太陽の光の変化に気がついた。
 気がつけば感じる温度も少し下がり始めている。

 夜になれば人間の姿に戻れる。
 そうすれば、少しは助けになるかもしれないと、タラを見上げた。

 しかし待っている時間はないようだ。
 敵はじりじりと距離をつめていた。
 タラもそれがわかっており、柄に手を置き、空いた手でアミアをきつく抱く。
 彼の心臓の音がアミアの体全体に広がる。
 タラが先に動いた。
 ガズに向かって剣を抜き、防御のため彼が振り下ろした剣ごと、思いっきり押しやる。ガズは地面に倒され、その隙をみて突破を試みた。

「ペリ!」

 呼ばれたのが先か、自ら動いたのか、逃げようとするタラにペリは剣を下ろした。タラは後方に避けた。剣はそれまでタラの頭があった場所を切り、茶色の髪の毛が数本宙をまった。

「ちょこまかと!」

 ジネが苛立ちを露わにタラに襲い掛かった。
 タラは避けるために跳んだ。
 怪我人とは思えない見事な動きだった。
 しかし、追う側からすると目ざわり以外ではない。

「殺せ!」

 起き上がったガズの余裕のない言葉に、ペリとジネが同時に動く。
 が、二人の攻撃が届く前に異変が起きた。

「!」
「きゃあ!」

 地響きとともにタラの足元が崩れ落ちる。
 アミアを守らなければと、タラは剣を捨てその小さな体を包みこんだ。

 ジネとペリは、慌てて後退したため無事だった。ガズはその後方だったのでさらに安全な位置だった。タラたちが立っていた地面が広範囲で崩れ落ちていた。
 落下した距離はかなりのもので、ガズは二部屋入るのではないかという大きな穴を覗き込む。
 地面の底にタラと蜥蜴姿のアミアが倒れているのが目に入った。眼鏡をずりあげ、再度確認するが動く様子はなかった。

「し、死んだのか?」

 それは絶望にも似た呟き。
 隣国で白い蜥蜴は不老不死を呼ぶといわれており、それを土産に隣国に身を売るつもりだった。すでに連絡を取り、今のように僻地ではなく、中心部の土地を拝領する約束をしていた。

「……が、何もないよりはましのはずだ」

 死体でも手ぶらよりは待遇が少しはいいだろう。ガズはそう一瞬で判断した。

「下に降りろ。死骸でもいい。蜥蜴を隣国に持っていくのだ」
「……」

 二人は嫌そうに顔を見合わせる。が。雇われ主のガズからはまだ半額しか報酬をいただいていなかった。ここまで来たのだから全額は払ってもらいたい。二人は仕方なく、下に降りる算段をし始めた。




「タラ!」

 先に目を覚ましたのはアミアだった。
 タラの腕の中で目を覚まし、呼びかける。

「お、王女様」

 体を横にしたまま、視線だけをアミアによこす。

「も、申し訳、ありません。俺、体がもう、動きそうもあり…ません」

 致命傷ではなかったが、肩と脇腹の傷はタラの体力をかなり奪っていた。その上、どれくらいかわからないが、落下したのだ。体全体に衝撃を受け、体を起こすのもままならなかった。

「…王女様は、お怪我は、…ありませ…んか?」

 息絶え絶えにそう問われる。

「ええ。私は大丈夫。だから話さないで」

 蜥蜴の身、何もできない。だが、アミアは必死に叫ぶ。それを見てタラはぎこちない笑みを浮かべた。

「……王女様、俺の…ことは、大丈夫ですか…ら」

 それは明らかの嘘に違いなかった。タラは安心させようとしているのか、アミアを撫でようとして、手を動かす。

「王女…様。に、逃げて…ください。奴ら…が来るかも…しれ…ない」
「そんなことできるわけがないじゃない。私が離れてしまったら、あなたは!」

 涙が込み上げてきて、視界を歪ませた。

「…だ、大丈夫…です。俺は。だから、逃げ、てください」

 苦しげに言葉を紡ぐ、タラ。
 動かした手は力尽きて、アミアに触れることもできない。
 アミアは胸がつぶされるような気持ちを味わう。
 この人を置いていけない、強くそう思った。

 ふいに、どくん、と心臓が跳ねる。
 いつもの感覚がやってきているのわかる。
 元の姿に戻るのだ。
 こんなときに、もっと早く戻っていたらと悔しい思いに駆られる。
 しかし、呪いは夜にしか解けないのはわかっていたことだった。

「…王女様。死、死ぬ前に…王女…様の、本…当の姿、見れてよか…た。それ…なら、もっと…遠く、まで、逃げ…れるはず…ですから」
「タラ!」

 不吉な言葉を封じるようにアミアは彼の名を叫んだ。しかし、彼は目を閉じたまま、開けようとしない。

「タラ!タラ!」

 アミアは必死に呼びかける。
 しかし、彼が瞼を再び上げることなかった。

 ★

 ふいに見つけた血の後、ラズはその血が誰のものかわからなかった。しかし、新しく、点々と続いていることから、ガズ達かタラ達のどちらかだと予想した。

 血の後を追っていると急に地響きを感じた。
 発信源は特定できない。
 気味がる兵士たちを鼓舞し、ラズは血の後を追いつづけた。

 そして視界に見知った顔を捉えたとき、ラズは号令をかけた。

「目標を発見。捕らえるのだ!」

 号令と気配を感じ、ガズが逃げ出した。
 だが、国境警備隊切っての早足を誇る面々を振り切ることなどできなかった。

「ガズ。お前をナアン領主の名の下、逮捕する。処罰はワズリアンの王に委ねられる」

 部下達が捕獲した弟の傍に到着し、ラズは宣言した。

「僕は何もしてない。なんのこと?」

 タラもナアンも死んだ、証人はいないはず。ペリ達はならず者にすぎない。嘘はまかり通ると、ガズは兄に訴えかける。

「……お前が殺したはずのトキがすべてを話してくれた。ガズ・ナアン。いや、ガズ。今を持って、お前の身分を剥奪する。お前は領主の弟ではなく、王族を狙った賊にすぎない。無実の領民を騙し、計画に使うなど許しがたい。俺はお前を一生許さない」
「に、兄さん!」

 冷たい目を向ける兄にガズは情けをかけてもらおうと媚びる。
 しかし、ラズの態度は変らなかった。

 ★

 ーーアミア
 聞き覚えのある声が彼女を呼んだ。
 しかし彼女はタラの傍についたまま、動かなかった。

 タラ以外のことを考えらない。
 目を開けないタラ、このまま死んでしまうと、絶望で頭がいっぱいになる。

 ーーアミア
 来なさい。お前を満月の夜に咲く花に案内しよう。

 声は構わず語りかける。

 ーーアミア

「満月に咲く花の蜜なんてどうでもいいわ。このままではタラが死んでしまう!」

 語りかけてくる声の主がワズリアンを呪う蜥蜴だろうが、なんだろうが、アミアにとってはもうどうでもよくなっていた。
 目の前のタラ、その消えていく命がアミアにとって全てだった。

 ーーアミア。
 お前は一生蜥蜴姿でもいいのか?元に戻らなくても

 声が意外そうにたずねる。

「ええ、もう。どうでもいいわ。タラが死んでしまうならもうどうでもいいの」

 六日前まで知らなかった一人の兵士。
 始めは怖かった。
 しかし、どんどん気になっていった。
 彼に守られ、ここまで来られた。が、今となってはもう後悔の思いしかない。
 彼を旅に連れださなければ、彼が死に至る事などなかったのに。

 ーーアミア。
 その青年の怪我を治してやろう。ただし、お前は日が明けると一生人間に戻れなくなるだろう。それでもいいか?

「はい」

 アミアに迷いなかった。
 声の正体はわからない。呪いをかけた白蜥蜴に違いない。
 しかし、正体でどうであれ、タラの怪我を治してくれるなら、それでよかった。

 ーー満月の夜に咲く花、その蜜を彼に飲ませるといい。
 それで彼は元に戻る 。

「?」

 ーー元に戻る。すなわち、元の状態に戻すのがこの花の蜜の効果なのだ。しかし、一度蜜をとってしまうと、消えてしまう。それでもいいか?

 タラの命を助けることで、アミアの呪いは一生解けなくなる。

「はい」

 迷いのないアミアの返事に声が笑ったような気がした。

 ーーこっちに来なさい。満月の花はここに咲いている。

 アミアはタラから離れ、声の言われるままに歩く。
 騙されているかもしれない。それでもタラが助かる可能性に掛けた。
 数歩進み、アミアは光り輝く純白の花を見つけた。
 形は百合の花に似ているが、夜空、満月を仰ぎ見ていた。

 ーー花を摘み、花の蜜を青年にあげるがよい

 美しい花を手折る事に抵抗を覚える。しかし蜜は必要不可欠だ。花を摘み、蜜をこぼさないように両手で花を包み、タラの傍まで運ぶ。

「タラ」

 声をかけたが、やはり反応はない。口を開かせて飲ませようとしたが、唇は閉じたままだった。
 アミアは一瞬迷った上、花の蜜を口に含む。タラの唇に自らの唇を重ね、小さく開いた隙間から蜜を流し込んだ。
 こくんと喉が上下した。

「タラ?」
 体がしゃっくりをしたように大きく揺れたので、アミアは驚いて離れる。光が集まり始めた。アミアはその光に見覚えがあった。いつも自分の姿が変わるときに見る光だった。
 光はタラを中心に集まり、肩と脇腹の傷を癒していく。傷が完全に癒え、光は消えた。

「王女様?」

 タラは目を開き、驚きの表情をしていた。

「いったい……」

 体の状態が完全に元に戻っており、タラは肩と脇腹の傷を確認する。傷が塞がっており、傷跡すらなかった。

「タラ!」

 状況を把握できず、目を白黒させているタラにアミアは抱きつく。

「お、王女様!」

 突然抱きつかれ、タラは悲鳴に近い声を出した。

 ーー効果はあったようだな

 そんな二人に水を差すように、あの声がそう言う。


「ありがとうございます」

 王女が感謝し、タラはこの声が自分を助けてくれたのだとわかる。

「ありがとうございます」

 同様に感謝の意を表し頭を下げた。

 ーー子孫よ。
 なかなかいい青年を選んだようだな

「子孫?」

 思いもよらない言葉だった。
 戸惑うアミアに声は続ける。

 ーーそうだ。私はお前の先祖なのだ。ワズリアンに伝わる伝説は事実だが真相は異なる。私は確かに殺された。しかし、望んだことだ。私はスイの子が人間として育つことを望んだ。だから蜥蜴の私は死ぬべきだと思ったんだ。

 驚くべきことをつげ、声の主はやっと姿を現す。
 折られてしまった花、茎の部分が光り輝き、人の形を作り出した。

 現れた姿はアミアによく似た女性だった。

「貴方は?」

 自分の祖先と言われた。だが、アミアはもっと事実を知りたくてそう尋ねる。

 ――私はセリア。この地で死した白蜥蜴の魂だ。

 セリアは満月の下、百五十年前の物語を語り始めた。


 満月の夜だけ人間になれる白蜥蜴はその昔、一人の男を愛した。
 男はワズリアンの初代王スイ。
 彼はセリアの正体が蜥蜴と知りながらも彼女を遠ざけることはなかった。

 しかしある日、彼女は彼の前から姿を消した。
 現れたのは一年後、彼女は自ら王に殺されることを望み、赤子を託した。
 その赤子はスイの子であり、満月の夜に生まれ、蜥蜴ではなく人間として生を受けた。
 赤子は王の子でありながら、王の臣下カランサ家に預けられ、王の子と知らないまま生涯を終えることになる。

 それから百三十四年後、ワズリアン王とカランサ家の娘が結ばれ、子が生まれた。
 それがアミアだった。

 カランサ家で蜥蜴の血は薄まり続けたが、根強く受け継がれていた。
 己の血が不幸よばないために、蜥蜴は翠石を赤子に託していた。
 もし先祖返りで、子孫が蜥蜴になった場合に、伝言を伝えるために。

 セリアはスイの意向で丁重に土に葬られた。
 躯は土に返り、満月の夜に花を咲かせる草木となった。
 満月の度に、花を開き、セリアは子孫が来るのを待った。

 そうして百五十年後の今日、子孫が花までたどり着いた。

 ――アミア。
 お前の決断に私は誇りを持っている。
 もう、ワズリアンに蜥蜴の呪いがかかることはないだろう。

 ――私の役目は終わりだ。
 こうしてお前達の幸せが見れて嬉しかった。

 セリアは微笑む。
 するとアミアがつけていた首飾り翠石が輝き始めた。
 光はどんどん大きくなり、森を包むと夜空の月に吸い込まれるように消えた。

「……セリア?」

 静けさが戻った森、アミアは先祖名を呼ぶ。

 しかし彼女が姿を現すことはなかった。

 ★
 
 満月の夜から一週間がすぎた。

 セリアは結局知っていたのか、口移しで花の蜜をタラに与えたため、蜜の効果は王女にもあった。日中になっても蜥蜴の姿になることはなくなったのだ。 
 旅の目的を達したのだから本来なら城へ戻るべきなのだが、ケシの回復を待つということで、アミア達はナアンに滞在し続けていた。

 ナアン領主の弟――ガズは城へ送られた。
 彼が隣国から雇った傭兵のペリとジネは、雇い主の危険が迫っていることを知り、アミアの捕獲を諦め、森からの脱出を図った。しかし、川にはラズの部下が待機しており、その場で逮捕された。
 ペリとジネから、ガズが連絡をとっていた隣国の者は、隣国の王家や貴族とは何もつながりのない者だと発覚。それを知り、ガズは更なる心身の疲労を味わい、もはや話す元気もないほどだった。
 弟を「失う」ことになったラズは、ナアンの領主を退くことを王に打診したが、王は許さずその地位はまだ保たれている。領民達も領主の弟のしたことは許せないが、ラズの領地政策に満足しているため、暴動などは起きていなかった。


「ケシ。そろそろ限界だと思うぞ」

 部屋に入ってきた領主は、窓の外を眺めていた友人に声を掛ける。
 ケシはベッドに座ったままで、ラズに顔を向けた。

「何がだ?」
「お前の足、もう完治しているはずだ。城に戻るべきだと思うのだが」
「……ばれていたか」
「当たり前だ。滞在を引き伸ばしたのは王女とあの若造のためか?」
「ああ。城に戻ると二人は一緒にいられないから」
「身分差。そんなもの。あの若造を私の養子にしてやろう。それなら問題ないだろう」
「本当か?」
「ああ、今回のことでは迷惑をかけたからな。少しでも償いをしたい。あの若造――タラか。見込みのある若者だ。跡取りにするわけにはいかんが、ナアンの姓を名乗るくらいの器量はある」
「そうか、それなら。今すぐ手続きを進めてくれ。足が悪い振りをするのは疲れた。そろそろ歩きたい」

 ケシがそう言うのを聞いて、ラズは苦笑する。

 庭に目を向けると、当人達が時折笑い声を上げながら散歩している姿が見えた。
 「白蜥蜴の呪い」の解けた王女は、青年に寄り添い、ゆっくりと歩いている。

 王家にかけられた「呪い」はこうして解かれ、それから王国は小さいながらも末永く繁栄を続けることになった。
 
 

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