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白蜥蜴の呪い

「と、蜥蜴!誰か、王女様が!」

 耳障りな金切り声で、アミアは目覚めさせられた。
 視界に入るのは、青ざめた顔で彼女を指差す侍女。
 侍女の態度に無礼極まりないと、憤慨して気が付く。

 体の均衡がおかしかった。
 足元に目を落とすと、陶器のような滑らかな肌に覆われた足が見えた。ベッドから体を起こそうとして、違和感を覚える。
 動いたのは足だ。その爬虫類の足が動き、アミアの心臓が跳ねる。

「誰か、誰か!」

 侍女の狂ったような悲鳴に反応して、ワズリアンの軍服を着込み、剣を構えた男が入ってきた。
 男はアミアを見て、声を失う。が、侍女のように騒ぐことはなかった。

「お、叔父様?」
「アミア、なのか?」

 男はアミアの叔父で親衛隊長であった。緊急に休みをとった兵士に代わり王女の部屋の警備を担当しており、悲鳴を聞いて部屋に飛び込んできたのだ。

「おう、王女様?」

 半分錯乱状態の侍女が、二人の会話を聞き、正気を取り戻す。

「騒ぐではない。これよりこの部屋を立ち入り禁止とする。オリザ、王室に使いをやれ。王女の身に一大事だとな。このことを他に漏らすようなことがあれば命はないと思え。行け!」

 親衛隊長に命令され、オリザは頷くと、部屋を飛び出した。

「まさか、「白蜥蜴の呪い」が本当に起きるなんて」
「……叔父様?」

 見上げる叔父は顔に手を当て、彼にしては珍しく青ざめた顔をしていた。アミアは何が何だからわからなかった。
 ただわかったのは自分の姿が変わってしまったことだった。

  ★

 人口わずか四万の小さな王国――それがワズリアンだ。
 百五十年前にスリ・ワズリアンが建国した。
 アミア・ワズリアンは第八代目の王の一人娘だ。

 ワズリアン王国は小さい国でありながら、建国以来、百五十年間平和を保ち続けていた。歴代の国王は徹底的に防御に力を入れ、城内は元より、血を分ける東西南北の領主に国境警備隊を編成させ、国を守らせた。
 攻めることが難しい国、また支配したところでもたらす富もなかったこともあり、これまで隣国が本気で攻めてくることはなかった。

 そんな小さな王国。
一つだけ秘密があった。それは「白蜥蜴の呪い」で、初代が魔力を持つという白蜥蜴を殺したことで、生まれた呪いだ。
 王は一族に白蜥蜴の呪いが降りかからないように、石碑を建て、王国の紋章に蜥蜴をあしらった。

 それは効果を挙げ、百五十年もの間、何事もなく過ぎた。
 しかし、第八代目の王の娘が十六歳の成人の儀を終えた翌朝、「白蜥蜴の呪い」は起きてしまった。

「なんてことが……」

 蜥蜴になってしまった娘の姿を見て、そう言葉を発したのは王だ。その隣の王妃は顔色を変え、そのまま卒倒しそうな勢いだ。

 両親の痛ましい表情を見て、アミア自身も胸を詰まらせる。
 王達の到着を待つ中、彼女は叔父に自分の姿がどのようなものなのか、聞いてみた。
 叔父のケシは戸惑いながらも、白蜥蜴の姿だと答えた。
 鏡を見たいというアミアの申し出を叔父は最初受け入れなかった。しかし、覚悟ができている、今の姿を確認したいと懇願され、鏡台にアミアを連れて行った。

 自分の姿が鏡に映った瞬間――アミアは驚いた。が、悲しい気持ちは起きなかった。ただ鏡に映る美しい白蜥蜴の姿に目を奪われた。

 王は娘に必ず呪いを解く方法を探し出すと約束し、国中の識者に密かに伝達を出した。同時に王女にかかった呪いはごく限られたものだけの秘密にし、城内でも厳令を敷いた。
 しかしそれから三日がすぎたが、有力な情報は入ってこなかった。
 ただ、一つだけわかったことがある。それは呪いが完璧ではないということだった。


「夜がやってきますよ。王女様」

 栗色の髪の侍女はベッドで転寝していた王女に声を掛ける。
 蜥蜴姿のアミアにおびえるオリザの代わりに、侍女頭のリリンがその傍に付いていた。年が十歳程上で、姉のような彼女は姿を変えた王女に変わらぬ態度を示した。

 長い首をもたげ、アミアは少し開いた窓から徐々に消えていく橙色の光を眺める。
 今夜も三日前から始まった現象が、彼女に再び訪れようとしていた。
 どくんと心臓が大きく跳ねる。痛みはなかった。光がアミアの体から溢れ始め、姿が変わり始める。
 リリンは光に包まれる彼女を興奮した表情で眺めていた。

「王女様!」

 金色の真っすぐに伸びた髪、どことなくあどけない顔、長い睫毛のぱっちりと開いた水色の瞳。短いと本人が気にしている首には、小さな翠玉の宝石の付いた首飾りが微かな光を放つ。寝巻き用の真っ白なドレスの七分袖からは健康的な色に焼けた腕が見え、膝下より少し長い目のスカートからは二本の足がにょきりと伸びている。
 呪いは完璧ではなく、日が沈むと解けるようになっていた。だからアミアは日中部屋に引きこもり、夜になると人前にその姿を現した。
  
  
 ★

「これも違うわ」

 蝋燭の明かりを頼りにアミアは必死に書物を読む。この三日、よい知らせはなかった。ただ情報を待つだけでは、 居ても立っても居られず、自分でも調べることにしたのだ。
 学者達は皆、城外の街に暮らしている。夕刻前には退出するのが決まりで、アミアが侍女を伴い図書室に来た時はすでに誰の姿も残っていなかった。そのほうが王女にとっては都合がよく、百五十年前の建国前の書物を見つけ出し、片端から読んでいた。しかし真夜中をすぎた頃になっても自分が欲しい情報を見つけることはできなかった。

「王女様……。続きは明日でいかがでしょうか?私は王女様の蜥蜴姿も好きですよ」

 リリンはにこりと笑いかける。
 彼女の言葉は嘘ではなかった。蜥蜴姿のアミアに寄り添い、リリンはその世話を楽しそうにしていた。しかし、急に侍女頭から王女専属侍女になり、疲れもきているのだろう。気づかれないように何度か欠伸をしていた。

「ありがとう。リリン。あなただけよ。そう言ってくれるのは。後は私が自分で調べるわ。あなたは先に寝て。私は自分で部屋に戻れるから」
「王女様」
「大丈夫だから」

 心配そうな侍女に笑いかけ、アミアは自室に戻るように促す。

「だめです。私のお役目は王女様のお世話と、その身を守ることですから」
「ありがとう。でも本当に大丈夫。心配なら親衛隊員に来てもらうわ。そうしたらあなたも安心でしょ?」

 責任感の強いリリンに苦笑し、アミアは図書室の前に立っていた親衛隊員に声をかけた。茶色の髪に同色の瞳、真面目そうな兵士――タラは一瞬だけ顔を曇らせたが、敬礼すると王女の側に控えた。するとやっと侍女は安心して腰を上げる。
 無愛想なタラはアミアよりかなり年上のように見えた。訓練されているのか、表情は硬いままで何も話さず人形のように突っ立てるだけだ。
 その様子に居心地の悪さを感じたが、アミアは再び書物に集中し始めた。

 ――アミア

 どれ位経過したのだろう。
 ふいにアミアは名を呼ばれた気がした。
 側に立っていたタラにもそれは聞こえたようで、同じように顔を上げる。

「何者だ!無礼者め」

 タラは王女を背中にかばうように立ち、闇に声をかける。
 その声が思っていたより若くて、アミアは驚いた。タラは同じくらいの年齢のようだった。

 ――アミア。

 声が再びそう聞こえた。

「誰だ!」

 タラは剣を抜く。
 それと同時に闇の中に光が浮かび上がった。

「!」

 現れたのは真っ白な蜥蜴だった。
 アミアは目の前の、自分の昼間の姿とまったく同じ色彩の蜥蜴に息を飲む。
 だがタラはそれを敵だと認識したようで、剣を振りかざした。

「やめて!」

 アミアは反射的にそう叫んでいた。声に驚き、タラが動きを止める。

 ――アミア、私が元に戻る方法を教えてやろう。ナアンの森。そこに満月の夜にだけ咲く花がある。その花の蜜を呑むとお前の姿は元に戻るだろう。

「何の話だ!」

 動きを止めていたタラはそう叫ぶと一気に剣を振りおろす。

「!」

 日中の自分の姿を切られているような錯覚に陥り、アミアは反射的に目を閉じる。
 剣は白い蜥蜴を真っ二つにしたはずだった。
 しかし、剣は宙を切り、床を叩く。

「どうした!」

 その音が室内に大きく響き、他の場所を警備していた兵士が飛んできた。

「何かあったのですか?」

 駆けつけた兵士に問われたが、アミアは何も答えられなかった。
 ただ恐怖と驚きでその場に座り込むしかできなかった。

 ★

 兵士に送られ部屋に戻る。
 タラは引き続き図書室警護についたままだ.

 自室前まで来ると、リリンが待っており扉を開けた。
 部屋に入り、アミアは寝巻きに着替えるとベッドに横になった。眠気などなかったが、自分が起きているといつまでたってもリリンが眠れないと思い、寝室に戻ることにしたのだ。

 ベッドの横になり、天蓋を見上げる。
 静けさに満ちた部屋の中、白蜥蜴の言葉が脳裏に蘇る。


 ――アミア、私が元に戻る方法を教えてやろう。ナアンの森。そこに満月の夜にだけ咲く花がある。その花の蜜を呑むとお前の姿は元に戻るだろう。

『元に戻る方法』

 それはアミアが探し求めているものだった。
 答えをもたらしたものは、自分が変化した姿と同じ蜥蜴。
 白蜥蜴は呪いを掛けた諜報人、それが呪いを解く方法を教える。
 可笑しな話だった。

 しかし、アミアは元に戻りたかった。
 少しでも可能性があるなら試したい。
 
 ベッドから立ち上がり、カーテンを少し開けて空を仰ぐ。
 夜空にぽっかり浮かぶのは中途半端な形の月。
 半月より大きいが、楕円とも表現できない形。
 九日月と呼ばれる月。
 満月まで後六日……。


 ナアンとは南の領地の名称で、まだ生まれてから一度も行ったことがない場所だ。アミアには城からどれくらいでナアンに到着するかわからなかった。

 この満月が過ぎたら、後一月待つ必要がある。
 その一ヶ月はアミアにとっては永遠のように思えた。

「リリン」
 朝になったら、蜥蜴に戻ってしまう。蜥蜴姿では王との謁見も難しかった。
 夜が明ける前に――そう決めると、王女は王への謁見を求めるために侍女を呼んだ。

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