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16 釣り人ウイコウ

 貰った(?)つるはしをひとまずインベントリに入れて、鍛冶の素材を集めるためにドンガさんの工房を出て神殿方向へと向かって歩く。

 それにしても、ただの石を得意げに出したのは恥ずかしかった。ここまでとんとん拍子にいろんなスキルを取得できていたから、ちょっと調子に乗っていた。どのみち最後は5つしかスキルを持ちこせないんだから、いまはいろんなことを体験できればそれで十分。スキルを取るためにプレイするのではなく、楽しんでプレイした結果としてスキルが得られればいい。
 
「さて、橋まで着いた。あとは右に行くか、左にいくか……って、左一択なんだけどね」

 なぜなら、左側の水路沿いには初日から今も変わらず釣りをしている人がいる。話しかけたら【釣り】スキルが……っと、それは考えない考えない。
 神殿前で心配そうに私を見ているレイさんに笑顔で手を振ると、橋の手前で左に折れ水路沿いを歩く。釣りをしている人は、橋から見た感じでは粗末な服に身を包んで、大きな麦わら帽子のようなものを被り、小さな木製の椅子に腰かけて竹竿のようなものを使って糸を垂らしていた。横から白い顎鬚が見えるので、お爺さんのように見えるけど、体付きや腕はしっかりしているようにも見えるから本当はもっと若いかなと思いながら近づいて声をかける。

「こんにちは、私はコチと言います。少し見させてもらってもいいですか?」
「おうおう、これは珍しいのう。夢幻人さまが儂のような爺に話しかけてくださるとは。儂はウイコウですじゃ、いまは余生をこうして釣りをして過ごす毎日ですじゃ」

 ……あれ? さっき遠目で見たときよりも細身に見える。確かに口調も声も年相応だからおかしくはないけど。

「そうなんですね。あの、できれば私にも釣りを教えてほしいのですが」
「へぇへぇ、いいですとも。では、こちらを使ってください」

 人懐っこそうな笑顔でウイコウさんはインベントリらしき場所から、竹竿と椅子をもうひとつずつ出してくれた。

「ありがとうございます。ちょっと、お借りしますね。お隣いいですか?」
「へぇ、もちろん。餌はこいつをどうぞ」

 ウイコウさんが取り出したのは小さなミミズのような生き物。さすがに現実ほどのリアルさはなくて、玩具のミミズ程度の見た目に抑えてある。これなら本物のミミズが苦手な人でもなんとか触れるだろうレベルか。私はリアルでも大丈夫なので問題ない、魚も自力で三枚に下ろせるし。
 お礼を言って、竿、椅子、餌を受け取ると隣に腰を下ろし、手早く餌を付けて水路に投げ入れ椅子に座る。
 水面に私のものと、ウイコウさんの|浮き《・・》がぷかぷかと漂うのを眺めながら、竿が引くのを待つ。

……待つ。
…………じっくりと待つ。
………………まだまだ待つ。
……………………しつこいくらいに待つ。
…………………………もはや悟りを開くレベルで待つ。

<【釣り】を取得しました>

 あ、【釣り】を覚えた。っていうか一匹も釣れてないんだけどいいのだろうか。それに、これだけやっているのにウイコウさんの竿にもまったくアタリがない。そもそも釣ったはずの魚を入れるための道具、魚をすくうためのタモ(網)や、|魚籠《びく》などの道具が見当たらない。それらが仮にインベントリにしまってあったとしても、釣りを楽しみたい人はそれを手元に準備しておくんじゃないだろうか。それに最初に見たときの違和感も気になる。

「【釣り】を覚えましたね」
「ほう、それはおめでとうですじゃ。では、お別れですのう、竿と椅子は差し上げますじゃ」
「え? 本当ですか、ありがとうございます。でも、私はまだ行かないですよ」
「ふぇ?」

 意外そうな顔をして、僅かに目を見開くウイコウさん。そんなに変なことを言ったつもりはないんだけど。

「え? だってまだ魚一匹も釣れてないですし。まだまだ頑張ります!」
「そ、そうですな…………釣れるといいですのう」

……釣れない。
…………浮きも動かない。
………………竿先はピクリともしない。
……………………ウイコウさんはこめかみに汗をかいている。
…………………………ここまでくると完全に|根比べ《・・・》だ。

 まったく変化のない釣竿を眺め続ける時間が続き、陽も陰ってきたころウイコウさんが諦めたように小さく溜息を吐く。

「コチ殿、実は……むっ!」
「あ!」

 ウイコウさんが何かを言い出そうとしたそのときだった。この水路を泳いでいた手の平ほどの亀が、水路の流れに煽られてひっくり返った。しかもついてないことに、ひっくり返った先で流れを緩和するために立ててあった柱と壁の間に裏向きのまま挟まってしまっている。挟まった亀は短い手足と首でもがいて脱出しようとしているが、すっぽりと挟まった甲羅は抜けそうもない。あの亀のような生き物が水中で息ができるのかどうかは知らないが、あのままだと危険なような気がする。そこまで考えた私は、反射的に水路に飛び込んでいた。

「もう少し我慢して!」
「あ、コチ殿!」

 うお、意外と冷たくて深い。深さは胸ほどで、流れも思ったより速いけど人が流されるほどじゃない。足を滑らせないように、じゃぶじゃぶと水路を歩いて亀のところまで辿り着くと、がっちりと嵌まっていた甲羅を外してあげる。手の中の亀はややぐったりとしているが、元気そうで|円《つぶ》らな瞳で私を見上げている。

「よぉし、もう大丈夫。お前も亀なんだから、もうそんなうっかりさんな失敗はするなよ」

 想像以上にごつごつしていて手触りはよくなかったけど、緑というよりは蒼く見える甲羅をひと撫でしてそっと水の中に放す。水に沈む寸前に私のほうを振り向いた亀が『感謝する』と伝えてきたような気がしたのは私の願望だろう。
 亀を見送ったあとは、ウイコウさんの手を借りてなんとか水路から上がった。この水路には掃除などで出入りする用の階段なんかもあるらしいけど、この近くにはなかったので引き上げてもらって助かった。
 
「ありがとうございます、ウイコウさん」
「驚きましたぞ、コチ殿。まさかいきなり飛び込むとは思いませんでした」
「ご心配おかけしてすみません、つい。夢幻人だからと自己の危機管理が甘くなっているつもりはないんですけど、流れも深さも予想よりあってちょっと無鉄砲でしたね」
「いえいえ、あの亀も我が街の住民みたいなものでしてな。礼を言いますじゃ」

 ウイコウさんがほっほっと笑いながらお礼を言ってくれる。でも、私としてはなんとなくで突っ込んだだけなので、お礼を言われるのはなんとも|面映《おもは》ゆい。

「それよりも、急に飛び込んじゃったせいで釣りが中断してしまってすみません。またこれから頑張りましょう」

 幸い、濡れた服は一定時間経過で一気に乾くようで、すでに乾いているので安心してまた釣りに集中できる。

「ほっほ、コチ殿は随分と釣りがお好きなようじゃな」
「いえ、そんなことはないですよ。もちろん嫌いではないですけど、でもこの街でどんな魚が釣れるのかは気になります」

 私は隣のウイコウさんに視線を向けず、淡々と餌をつけ水路に糸を垂らして座る。

「それはすまんの、実は「それに、なんで魚のいない水路でウイコウさんがずっと釣りをしているのかはもっと気になりますから」」

 おそらく種明かしをしようとしたウイコウさんの言葉にかぶせるように、私が推理した結果をぶつけてみる。

「……」

 その言葉に好々爺としていたウイコウさんの雰囲気が一瞬だけ変わる。それでいままで感じていた違和感の正体もなんとなくわかった。

「ついでに、なんでウイコウさんがお爺さん演技をしているのかも教えて欲しいですね」
「…………ふ、これは驚いたな。いままでの夢幻人は【釣り】スキルだけを覚えれば満足して立ち去ったんだがね」
 
 私の言葉を聞いたウイコウさんは、小さく肩を震わせて笑ったあと、しわくちゃだった顔に似合わないニヒルな表情を浮かべた。そして、ウイコウさんがゆっくりと大きな麦わら帽子を取る。

「やっぱり」
「なぜわかったのか、できれば是非種明かしをお願いしたい」

 どうやら、その麦わら帽子に仕掛けがあったらしく、帽子をとったウイコウさんは白い顎鬚こそそのままだったが、その顔と体はお爺さんではなく精気溢れるナイスミドルのおじさまだった。

「種明かしですか? ……そうですね。橋の上から見たウイコウさんと、近くで見たウイコウさんの体格が違うように見えたのが最初の違和感でした。多分ですけど、その魔導具みたいなものの効果範囲はそれほど広くないのではないでしょうか?」
「む、正解だ。この帽子は見た目の年齢を数十年分ほど老けさせるという幻惑系の魔導具で、効果範囲はせいぜい五メートルと言ったところだ」
「なるほど、あとはたいした理由はありませんよ。普通に私が魚を釣り上げてみたかったというのがあって、でも私どころかウイコウさんもまったく釣れていなかったので半分意地になってました。あとは、ずっとここで釣りをしているはずのウイコウさんが釣り上げたあとの魚に必要な道具を何一つ持っていなかったので、この水路には魚がいないんだろうなと気が付きました」

 ウイコウさんは黙って私の話を聞いている。こんなの推理でもなんでもなくて、ただの意地と、なんとなく気になったことの積み重ねに過ぎないんだけどいいんだろうか。

「そして、さっきの見た目の違和感と、水路から引き揚げてもらったときの力がお爺さんのものとは思えなかったので、ウイコウさんが見た目通りの人ではないのではと思いました。【釣り】スキル取得後にさっさと別れようとしたのも、なんとなくばれたくないことがあるのかなぁと思ったので、そのあたりですね」

 たぶんウイコウさんの本来の役目は夢幻人に【釣り】スキルを取得させるまで。会話の制約が解けていなければ、スキル取得後はおそらく『ほう、それはおめでとうですじゃ。では、お別れですのう、竿と椅子は差し上げますじゃ』しか言わなくなっていたかも知れない。

「うん、お見事。ただ、ひとつ聞きたいんだが」

 ウイコウさんは鷹揚に頷くと、指を一本立てる。

「はい、なんでしょう」
「【釣り】スキルを取得後は、魚がいないのが分かっていれば釣りを続ける必要はなかったし、私が見た目を詐称していようが、君にはまったく関係がなかったのではないかな?」
「え? でもそれじゃあ、本当のウイコウさんと仲良くなれないじゃないですか。私はこの街の皆さんと話をして仲良くなりたいんです」
「だが、君たち夢幻人はこの街で」
「ここを出たら二度と会えなくなってしまうかも知れない人たちであるならば、尚更です」

 会話の制約が外れたせいもあるけれど、この街の人はみんないい人で、凄い人たちばかりだ。このゲームを続ける限り、ずっと関係を続けていきたいと思うほどに。だけど、システム上はチュートリアル終了後、この街には入れなくなってしまう。それが避けられないのなら、この街にいられる間に少しでも仲良くなって、たくさんいろんなことを教えてもらいたい。そうすればこの街を出ても私の中には皆の技術と知識と思い出が残ると思うから。 

 私の視線をまっすぐに受け止めた渋いおじさま、ウイコウさんはしばしそのまま黙考したあと破顔して頷く。

「うん…………いいね、いいよコチ君。私はキミのことがとても気に入った。キミとなら面白いことが出来そうだ。さすがは強引に会話の制約を破っただけのことはある」
「ん? どういうことでしょうか?」
「いや、すまんね。いまキミが気にすることじゃないんだ。ただ、キミはキミらしく現在の目的のままに、この街の住民全員と、そう|全員《・・》と話をして仲良くなればいい。期待しているよ」

 ウイコウさんが右手を差し出してきたので、私もその手をしっかりと握る。

「え、あ……はい。わかりました、ウイコウさんはずっとこちらに?」
「そうだね、私はいつでもここにいる。魚は釣れないが釣りをしているよ、またいつでも話し相手になりにきてくれ」
「はい、わかりました。必ずまたきます」



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