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新人はミストレス





 All the world's a stage



And all the men and women merely players.



(この世は舞台、男も女もみな役者だ)



By ウィリアム・シェイクスピア















 時は二〇二〇年。


 十五年前に発見された超能力の存在により、特設ブースでヒーローショーが行われる時代は終わりを迎えた。
 正義と悪の力強いエンターテイメントはCGやアニメといった二次元を飛び越え、現実 世界へと躍り出る。
 高層ビルを飛び回り、拳で大地を割り、爆炎や吹雪を巻き起こす。
 様々な超能力者がヒーローとして名をあげた。


 正義あれば悪あり。
 敵となるヴィランがいなければ主人公たちも輝けない。
 悪を体現した彼らが世に出てきたのは必然と言えるだろう。
 彼らは正義と戦い、時には敗北を、時には勝利をもたらした。


 そんな彼らをプロレスの延長だと嗤う人たちもいた。
 しかし、全力でしのぎを削る彼らを見て、人々は心を奪われていった。
 カーストという人気投票制度が設立されてからは、よりいっそう民衆はヒーローやヴィランに熱をあげるようになる。


 そんな中、一年前より燦然と現れた悪の星があった。
 堂々のヴィランカースト一位の男。
 どんな正義であろうと未だに打倒したことのない無敗の悪。
 世間は彼のことをこう呼んだ。
 正体不明の道化師『マスカレード・ジョーカー』と。







 控え室はとても簡素なものだった。
 硬そうなパイプイスと古びたロッカー、細い姿見ぐらいしか置かれていない場所は、一見すれば少し広めな更衣室にも見える。
 その中に一人、イナズマの刻印が施された衣装に身を包んだ学生らしき少年が座っていた。
 つり目と天然パーマが特徴的な彼の脇には鮮やかな黄色のフルフェイスヘルメット。姿見に映った彼の背中は、どこか煤けているようだった。
「はは、まったく期待されてないな、俺」
 暗い笑顔でそうつぶやく彼のスマホは、今日のオッズを表示している。


 ヒーロー:カースト2位<プリズムスターズ> 1. 28倍
   VS
 ヴィラン:カースト23位<五像六夫> 3. 5倍


 ヒーロー:カースト100位<ライジング> 10倍 
   VS
 ヴィラン:カースト1位<マスカレード・ジョーカー> 1. 10倍


 ここで言うオッズというのはどちらが勝つかを的中させた場合、賭けた金額がどれだけの倍率で返ってくるかを表したものである。賭けた人数が多いほど、配られる全体の金額に対して一人当たりがもらえる取り分が少なくなる。


 ライジング──榊ライトが勝った場合の倍率は十倍。
 つまり簡単に言えば、それだけの観客はライジングが勝利するとは思っていないということを意味していた。
「当然と言えば当然、か」
 重い息を吐く少年の手元が振動を感じ取る。
 ディスプレイが伝えていたのは『五条イツカ』という人物からの着信だった。


『おっす、ライト』
「イツカから電話かけてくるなんて珍しいな」
 先ほどの声色とは打って変わって、彼──榊ライトは相手に応じる。
 顔に浮かべた笑顔はどこか引きつっているようにも見えた。
『だって今日はライトの……ライジングの大勝負の日じゃないか』
 イツカの言うとおり、今日のライトの相手は一年前から人々を騒がせているますカレード・ジョーカー。
 そして、これに負ければライジングのアマチュアリーグ降格が決定する。
『だからちょっとテンション上がっちゃってさ。迷惑だったらごめん』
「いや、大丈夫。ちょうど……そう、緊張。緊張していたところだ」
『大丈夫だって、ライトなら勝てるよ。俺は信じてる。なんたってライトはみんなが憧れるヒーローじゃないか』
「そう……だな。うん、ありがとう。頑張るよ」
『頑張れ、ライト。応援してるからな』
 そこでぷつりと通話が途切れる。
 妙な静寂が場を支配する。
 ふっ、とライトの唇が弧を描く。
「応援下手すぎるだろイツカ。ヒーローだって絶対勝てるわけじゃないっつの」







「あ、やっと出てきた。遅刻するよ、ライト」
 ライトが控え室から出ると、魔法使いのような装いの美郷チアキが彼を出迎える。
 明るい朱を基調とした服は彼女の性格をそのまま形にしたようだった。
 たたっと駆け寄る動きに合わせて、亜麻色のショートヘアがさらりと揺れる。
「待っててくれたのか、チアキ。あっちは?」
「すぐに戻るから大丈夫。というか、むしろ行ってこいって追い出されちゃった」
「そ、そっか」
 たはは……と照れるチアキに、ライトもはにかんだ笑顔を返す。
 先ほど控え室で浮かべていた暗さは見る影もなかった。


「その調子だと大丈夫そうだね。よかった」
「……チアキ」
「何?」
「自分を応援してくれるファンがいるっていいな」
 その言葉に、チアキは得心したように頷く。
「また五条君?」
「あぁ。いい友人を持ったよ、俺は」
「妬けちゃうなぁ。ここにもいるんだからね、ライトのファンは」
「あぁ、よく知ってる。ファン第一号だもんな」
「う……そ、それはそうだけど、改めて言われるとなんか恥ずかしいね。ちっちゃい頃のことだし」
「でも、嬉しかったよ。あの時背中を押してくれたおかげで、今の俺がいるんだから」
「ライト……うん、そう言ってもらえたらあたしも嬉しいな」
 見つめ合う二人。
 その絡まった視線にこめられた想いは、きっと十年以上ともに過ごしてきた彼らにしか分からない。


 やがて、ついとチアキが目をそらす。
「たはは……行こっか、ライジング」
「そ、そうだな。プリズムレッド」
 廊下を進む二人の距離は、少し空いていた。
 彼らの顔が赤かったのは、きっと今まさに沈もうとしている夕日のせいだけではないだろう。







「頑張れ、ライト。応援してるからな」
 まだ猛暑の余韻残る九月の夕方。
 ほのかなオレンジ色に染まりつつある高層ビルの屋上に立つ男は、耳につけたインカムのスイッチを切り替える。


 それは全身を多く漆黒のコートを身に纏った妙な出で立ちの男だった。
 目元だけを隠す仮面のせいで詳しい年齢は分からないが、かなり若い。
 青年、いや、少年と言ってもいいかもしれない。
 しかし、彼の纏うひょうひょうとした笑みは、見る者に薄ら寒さを感じさせるだろう。


 仮面の奥にある瞳が眺める先には、封鎖された交差点が広がっていた。
 交差点の周りには立ち入りを禁ずるためのカラーコーンや声を張る警備員が配置されている。その向こうにいるのは押し寄せるほどの群衆。今か今かとその時を待つ彼らの格好は様々だ。学生服姿が多く見られるのはさすが平日の夕暮れ前と言ったところか。


『いつも思うけれど』
 鈴を鳴らしたような少女の声。
『よくあんなにぬけぬけと心にないことが言えるわね。しかも今日の相手だって言うのに。その面の厚さは呆れを通り越して尊敬に値するわ』
「そりゃどうも」
 表情一つ変えずに応じる男の耳に、インカム越しのため息が届く。
 しかし、彼はそれもまた涼しい顔で受け流す。


「同時刻にプリズムスターズもいる。うまく巻きこめれば賞金を巻き上げられるぞ」
『……あのヒーローカースト二位の五人にそんなことが言えるのはあなたぐらいよ、きっと。それにライジングだって最近伸び悩んでいるとはいえポテンシャルの高さは侮れないわ。油断したら逆に巻き上げられるわよ』
「はっ、だといいんだがな」
 つり上げられた口元には自信や慢心らしきものはない。
 ただ暗い陰が射すばかりだった。


『ライジングとかち合ったら南南西に誘導しなさい。二キロも動かせば合流できるはずよ』「ルート案内頼んだ」
『安心なさい。最初からそのつもりだから』
「さすがマリナだ。帰りにドーナツ買って帰ってやろう」
『じゃあエンゼルとアーモンドチョコ、お願いするわ。……と、そろそろ時間よ』
 男は首元から懐中時計を取り出す。
 時計盤の上でリズムを刻む針は、もうすぐ六時を指そうとしていた。


 ビルの合間から黄色い雷撃が交差点の中心に飛来する。
 まばゆい光と弾ける音が止んだ後には、ひとりのヒーローがたたずんでいた。
 その演出に群衆が沸き立つ。
 彼の登場は、もうすぐ最強の悪が訪れることを意味していたからだ。
『いってらっしゃい、イツカ兄さん』
「あぁ、行ってくる」


 マスカレード・ジョーカーは今まさに飛び降りようとして──その動きを止めた。
「誰だ、あれは」
 おそらくこの場にいる誰もがそう思っただろう。
 ライジングのもとに、ひとりの女性が向かっていた。
 警備員たちの間をするりと抜け、優雅にライジングへと歩いて行く。


 仮面の下からでも分かるほど美しい美貌と、見る者を誘惑する豊満なプロポーション。遠目に見ても目立つ血を被ったような濃い深紅の服装は、広く露出された肌によってさらに際立っている。
 その姿はさながら一人の女王といったところか。


 女王の足が止まる。
 ライジングと向かい合う形で。
 それは彼女の立ち位置をはっきりと表していた。
「マリナ」 
『解析中よ』
「助かる」


 ヒーローとヴィランの戦いにジャイアントキリングとハプニングは日常茶飯事。
 群衆はわずかな動揺を見せながらも、ライジングと見知らぬヴィランとの乱入に盛り上がる。
「<マスカレード・ジョーカー>の獲物を盗むとはな……面白い。その力、見極めさせてもらうぞ」
 全てを見下ろす少年の身体から黒い煙のようなものがにじみ出す。
 その顔には隠しきれないどう猛な笑みが浮かんでいた。






 戦いが始まるはずの午後六時。
 夕日に照らされた交差点に現れたのは偽りの道化師にあらず。
 見覚えのないヴィランだった。
 右手に握られた不釣り合いなほど大きな槍は血に浸けたかのごとく深紅に染め上げられている。黒と赤が混ざり合った露出の高いヴィランコスチュームは、彼女の妖艶さの前には彩りを添える脇役となっていた。
 彼女は自らを見せつけるようにゆったりと足を進めていき、ライジングの二十メートルほど前で立ち止まる。
 その姿はいるだけで人を惹きつける魅力に溢れていた。


「ごきげんよう、ライジングさん」
「……誰だ、君は」
 誰もが思った疑問がライジングの口から漏れた。
 各所に埋めこまれた高性能マイクに拾われ、交差点に響き渡る。
「私? 私は……そうだね。ブラッディ・ビューティなんてどうかな? ヴィランっぽくていい名前じゃない?」
 世間話でもするように話しかけてくる侵入者に、ライジングはヘルメットの下で眉をひそめる。
 彼女の言葉使いは、見た目にフレンドリーなものだた。


「ここは新人が来ていい場所じゃない。安直に名前を売ろうって考えてるなら出て行ってくれ。それは君のためにもならない」
 ヒーローとヴィランの戦いに乱入は禁止されていない。
 だが、禁止されてなくとも無闇に乱入しないことは暗黙の了解となっていた。
 それはこのような事態を防ぐため。
 自分の力を過信した新人がこうしてプロ同士の戦いに混ざり、ケガをしないようにするため。
 それでもこうやって粋がった新人がやってくるのは、割と日常茶飯事であるのだが。


「ふぅん……威勢だけはいいんだね、弱者のくせに」
 一瞬だけこわばるヒーロースーツに包まれた身体。
 それを見た仮面の下の瞳が、ほんのわずかに細まった。
「安い挑発だな。その程度で乗ってくると思っているのか?」
 威圧目的の低い声は、しかし女王の嗜虐心を高ぶらせるのみ。
「底辺がベテランぶっても醜いだけだよ。あぁ、ごめんね。ベテランですらないんだっけ?」
「…………出て行かないのなら叩き出すまでだ」
 ライジングは右手右足を後ろに引き、構えを取る。
 そのの足からバチバチと火花が散り、呼応するようにヒーロースーツが淡い光を放つ。
「ならやってみたら?」
 対する女王は悠然と槍を構える。鋭くきらめく切っ先が目の前の敵に向けられる。
 この瞬間、既に勝利の天秤ははっきりと傾いた。


「ヒーロー、<加速する雷光>ライジング!」
「……ヴィラン、ブラッディ・ビューティ!」


「「──勝負!」」







 道理がなっていない新人。
 ライジングが目の前のヴィランに下したその評価はすぐに覆ることになった。


 光速で近づき一撃。
 雷撃を帯びた右の蹴りはすんでのところで槍に受け止められる。


 その勢いのまま二撃。
 返しの左足は肩に当たる。しかしヴィランはよろめかない。


 背後に回って三撃。
 普通なら防御が間に合わない蹴りを防いだのは槍ではなく、血のように赤い霧だった。
 狙っていたはずの背中からしみ出したそれは、二人の間に硬い壁を作り出していた。


「どうしたの? 速いだけじゃ勝てないよ」
 ライジングの方を一瞥もせず、ビューティは優しささえ感じ取れる声で笑う。
 ぞわり。
 ──何かがヤバイ……っ!
 ヒーローとしての直感が彼を飛び上がらせる。


 その時、彼は見た。
 自分の足を止めた霧。
 それがブラッディ・ビューティを起点にしてじわじわと広がっているのを。
 能力の一端を見たライジングは、距離を取ってアスファルトの上に着地する。


「メタ型か」
 小さなつぶやきはスピーカーに拾われることなく消えていく。
 ヒーロー、ヴィランはその能力に大きく分けて三つの分類がある。
 防御系のフィジカル。攻撃系のスキル。干渉系のメタフィクション。
 ライジングは相手をその中でも能力や環境に干渉するメタフィクションタイプ──通称メタ型だろうと推測していた。


「メタ型特有の攻撃力の弱さを自らやスーツのタフネスで補っているタイプ。メタ型のテンプレ……なら、干渉されないほど早く動けばいいだけだ」
 あの霧の効果が分からない以上、短期決戦で仕留めたい。
 隙を見極めようとする。
 そんな思惑が攻め手を慎重にさせてしまう。
 それが悪手であることに気づかずに。


「……っ、捉えたっ!」
 黄色い閃光。
 気づいて顔を向けたところでもう遅い。
 後頭部めがけて振りかぶった拳は雷を纏い────しかし、その攻撃は敵に届くことはなかった。


 ライジングの拳は、寸前でぴたりと止まっていた。
 いや、拳だけじゃない。
 彼の身体自体が宙へと縫いつけられていた。
「ようこそ、支配の檻へ」
 血のように赤い口角をつり上げながら悠然と振り返る女帝。
 その笑みはまさしく策謀にはまった相手を弄ぶ女主人(ミストレス)。
「頭が高いよ。跪きなさい」
「ぐ……がっ……」
 命令一つ。
 彼の表情が苦悶に満ちる。
 そして、ヒーローは地に墜ちる。
「がぁぁあああああ!」
 とたん、ビルを振るわせるほどの絶叫が響き渡った。
 もんどり打ってのたうち回る。
 その姿はあまりにも痛々しく、観客の中には目を背ける者もいた。


 しかし、それもすぐに止む。
「が……」
 ライジングが糸が切れたように地面に突っ伏したために。
「あー、やっぱりこうなっちゃったか。つまんないの」
 その様子を眺めていた女帝はため息をつきながら吐き捨てる。
 とどめを刺すべく槍を振り下ろす。


 だが、彼はそれを待っていた!
 ピンチはチャンス。
 両腕に力をこめる。
 イメージは爆発、最大出力!


「──ライジング・バーストッ!」
 バトルフィールド全体を覆い尽くすほどの雷撃。
 振りかざされていた槍が弾かれたように跳ね、身体までも宙に浮かび上がる。


「はぁ……はぁ……」
 ヒーローは荒い息をしながらも立ち上がる。
 ──危なかった。一瞬意識が持っていかれてた。


 吹き飛ばされた女帝は冷静だった。
 槍の尖端をアスファルトに突き刺し、ポールダンスを踊るかのようにくるりとその周りを一回転。しなやかな柄は衝撃を殺し、何事のなかったかのように地面に降りる。
 その仕草は終始優雅なものだった。


 だが、無傷というわけではない。
「いいね、いいね。楽しくなってきた! そうこなくっちゃね!」
 傷一つなかったはずの女帝のコスチューム、そのいたるところに焦げ目がついていた。
 痛々しいはずのそれは豊満な肉体と相まって扇情的にさえ見える。
 瞳に宿るのはどろりとした感情。
 唇に浮かぶのは真っ赤な艶笑。


「なんだ、それは……」
 その感情の名前をライジングは──榊ライトは知らない。
 ゆえに恐怖する。
 彼女の仮面の奥で燃え上がる狂気を。
 

 体勢を立て直すべく、痛みを引きずりながら離脱しようとして──
「え?」
 背後が壁にぶつかった。


 深紅の格子だった。
 それは背後だけではなく天にも、左右にも漂っている。
 出口はブラッディ・ビューティのその先だけ。
 それもすぐに閉じられることとなるだろう。
 ──支配の『檻』。
 その言葉の意味を、彼はようやく理解した。
「逃げないの? なら、こっちから行くよ!」


 大ぶりの槍を腕で受け止める。
 痛みで飛びそうになる意識を、食いしばってこらえる。
 持ち前の速度を奪われたライジングにとってかなり厳しい展開。
 それでも心は折れていなかった。


 新人に負けられない、というプライド。
 そして、この戦いの裏で幼なじみが──チアキが戦っているということが、彼をまだ二本の足でアスファルトに立たせていた。
 ──身体中がすりむいたみたいに痛いけど……まだ戦える。
 ──もう一度電撃をリチャージしてライジング・バーストを打ちこめれば……。
 どうにか槍をさばきながら、機会をうかがう。
 しかし、どれだけ待ってもその攻撃が止むことはなかた。


「ほら、ほらほらほらほらほら! もっと抵抗しなよ! そうしないと──死んじゃうよ?」
「がはっ──ぐふっ──」
 何度も、何度も。
 戦いではなく、もはや一方的な拷問に他ならない。
 刃で刺すことがないのは同情ゆえか。
 それとも楽しみを終わらせないためか。
 見ていられなくなった観客から、中止を求める声が上がる。
 しかし、それは逆効果。
 女帝にとって羽虫の飛ぶ音でしかなく、ただいらだちにより振るわれる力が強くなるだけ。
 

 ──終わりは思いの外すぐにやってきた。
「あっ」
 マイクに拾われたのは、何とも気の抜けた声だった。
 それまでとは明らかに比べものにならないほどの速度で振り抜かれた槍が、ライジングにぶち当たる。


 それはバットに捉えられた野球ボール。弾丸ライナーとなったライジングは雷光よりも速く吹き飛び、檻を破り、背中からビルの一階部分に突っこんだ。
 対衝撃加工がされたビルの壁は傷一つなく、それでも相殺しきれなかった振動が建物ばかりか空間を揺らす。


 衝撃の余韻が残る中、ヒーローは静かに頭からアスファルトへと沈む。
 空気に溶けて消えていく檻の向こうから、勝者はつまらなそうに動かなくなった敗者を眺めていた。







「あーあ、やっちゃった。もうちょっと楽しめると思ったのに。それとも──」
 力なくアスファルトに倒れこむヒーローに、やった張本人は悪びれる様子もなくため息をつく。
 誰もいないはずの背後を振り返りながら。


「──貴方が代わりに踊ってくれるのかな、マスカレード・ジョーカーさん?」
「中々心躍る誘いだな」
 低いバリトンボイスの出所は長く伸びたビルの影。
 初めはただの闇だった。
 カッ……カッ……カッ……。
 足音が聞こえる度、霧が晴れるように姿を浮かび上がらせた黒いコートの男は、夕暮れの下に身体をさらす。


 ヴィランカースト一位、マスカレード・ジョーカーがそこにいた。
 その瞬間、空気ががらりと変わる。
 観客が遅れた主役の登場に観客は沸き上がる。


 しかし、ブラッディ・ビューティだけは違った。
 透き通るような白い肌に冷や汗が浮かぶ。
 その足が半歩、下がった。


「だが、俺は俺を倒す可能性を持つ相手としか戦わない。今日のところは諦めろ」
「私じゃ力不足かな?」
 ブラッディ・ミストレスはあくまで友人に話しかけるような気軽さで話しかける。
 それは相手が最上位であろうと変わらない。
 めまいがするほどのプレッシャーにたじろぐ内面を見せなかったのは、彼女の意地の成果だった。


「そうすねるな、ブラッディ・ビューティ。お前の刃は俺の首をかき切るのにじゅうぶんだろう」
 自らの心を見透かされた少女は笑みを崩さず、その瞳に怒りを顕わにする。
 いや、ただの人間が見れば瞳の中の感情さえ読み取れないだろう。
 それほどまでに彼女の仮面は完璧だった。
 しかし、圧倒的強者はそれさえも見透かして言葉を続ける。
 
 
「万全の状態なら、な」
「──っ」
 パチン、と指を鳴らせば、ビューティの立つ地面に昏い闇が落ちる。
 避ける暇さえ与えず、ぐわりと大口を開けて顔から下を呑みこんだ。


 それは端から見れば捕食行為に見えただろう。
 今まで以上の悲鳴が周囲から巻き上がる。
 だが、闇が晴れた後に残されたのは、修繕されたコスチュームを着たひとりのヴィランだった。


「失礼、一晩踊り明かしたくなる艶めかしさだったのでね」
「……っ」
「おや、人並みほどの羞恥心はあったか」
 それまでの人ならざる笑みとは打って変わって顔を赤くした女帝に、最強の悪は愉快げにのどを鳴らす。
 ライジングを圧倒していた時は比べものにならないほどに、それは一人のうぶな少女のような反応だった。


「それに、だ。君は少々ヒーローを侮っている」
「え?」
 ビューティが振り向いた先には、ふらつきながらも立ち上がるライジングの姿があった。


「……ふぅん、素早いくせに意外とタフなんだね」
 ──馬の蹄に踏み砕かれればいいのに。
 言葉にこめられた感情は何とも冷ややかなものだ。
 本来の目的は達成した彼女にとって、ライジングはもう敵などではなくそこら辺に転がっている石ころほどの価値しかない。


「マスカレード・ジョーカー……?」
 彼の声が震えていたのは、身体に刻み込まれたダメージのせいだけではない。
 それはそうだろう。
 新人に苦戦しているところに、十二分に力を出し切っても勝てないかもしれない相手が加わったのだ。
 彼が感じる絶望はどれほどのものだろうか。


「案ずるな加速する閃光。今の俺は気分がいい。将来有望な悪がまた一人誕生したのだから。その晴れ舞台に水を差すのは無粋極まるというものだ。ゆえに、ひとりの観客としてこの戦いの行く末を見守るとしよう」
「……みんな満足していないみたいだけど?」
 その言葉通り、マスカレード・ジョーカーの戦いを見に来た人々は不満げだった。
 一部からはライジングの仇を討てなどというおかしな意見まで聞こえてくる。
 そんな人々を見て、彼は少しばかり悩む素振りを見せた。


「ふむ……では一つ。
 近々、最も頂点に近い五人の魔女に戦いを申しこむつもりだ。会場と日程については追って予告状を出す。
 心して待つがいい!」


 頂点に最も近い五人の魔女。
 それはヒーローカースト二位、プリズムスターズのこと。
 この場にいる誰もがそう確信した。
 今までにありそうでなかったマッチングに盛り上がる。
 あまりにすがすがしい手の平返しだ。


「それでは、これからも正義と悪の戦いをお楽しみあれ」
 最強の悪はふたたび闇の中に消えていく。
 その後ろ姿を、ビューティは熱い視線で見送っていた。
「あれが、マスカレード・ジョーカー……なんて、なんて素敵な人」
 ──檻に閉じこめたら、どれほど反抗してくれるんだろう。
 
 
 これが最強の悪と、後に最強の悪に名を連ねる一人の少女とのファーストコンタクト。
 彼らは後に知るだろう。
 この出会いが作為であり必然であり、運命だったということに。







 彼の宣言に反応したのは、観客だけではない。
 早々に『五像六夫』との戦いを終わらせたプリズムスターズも、お色直し用のキャラバンの中でこの予告を聞いていた。
 化粧台やシャワーなどが完備されたキャラバンで、彼女たちは取り付けられたテレビを眺める。
 予告を聞いた彼女らの反応は三者三様、いや、五者五様だった。
 空気が張り詰めたのは全員同じ。
 一年でヴィランカーストを駆け上がり、一年間その地位を維持しつづけてきた男との初対決だ。
 緊張は当然のものだと言えるだろう。
 だが、その中でもプリズムレッド……壬生チアキの反応は、別種の感情を伴っていた。


「……牽制された」
「牽制?」
「これであたしたちはあの場に出て行けなくなったの」
「……? どういうことです?」


「イエローはテストの直前に別の科目の小テストをやれって言われたらどう思う?」
「え……た、大変ですレッドさん! そんなの徹夜で覚えたこと忘れちゃいます!」
 慌てふためくイエローに、周囲の空気が軽くなる。
 プリズムスターズのムードメイカーは今日も好調だった。


「うん、イエローはもうちょっと計画性もって勉強した方がいいんじゃない?」
「ピンク、あんた人のこと言えないでしょうが」
「ワタシはそうでもないし~」
「じゃあ次のテストでノート見せなくてもいいわよね」
「待ってくださいブルー様それだけはやめてください」
「あはは、ブルーも大変だねー」
「グリーンも助けてあげなさいよ。学校違うっていってもあんた成績優秀でしょ」
「じゃあ今度皆で勉強会しようねー」
「え、あ、いつの間にかあたしも巻きこまれてるっ?」
「レッド、死ぬときは一緒だからね……」
「ちょっとピンク~っ!」


 先ほどの重々しい空気はどこへやら。
 いつもの和気藹々とした空気に戻っていた。


 マスカレード・ジョーカーとプリズムスターズの戦い。
 最強の悪画がその地位に上り詰めてから待ち望まれていた対戦カードだ。日本中が注目する一大イベントになるだろう。
 企業も多数動き、数え切れないほどの予定が狂わされる。
 それほどまでにこの戦いは影響力の強いものだ。
 だからこそ、彼女たちはヒーローとして負けられない。
 ──今、この戦いにかまけている余裕があるのか?
 彼は今し方の宣言を通してそう問いかけたのだ。
 

 突如、大きな歓声が鳴り響く。
 テレビの中では、ヒーローとヴィランのぶつかり合いが再会されていた。
「ライジング……」
 プリズムレッドは見守ることしかできない。
 どういう形であれライジングに手を貸せば、マスカレード・ジョーカーは今度こそ彼に牙を剥くだろう。
 プリズムスターズとしてもライジングが一対二の状況にならなければ参戦しないという話でまとまっていたが、それと心配する気持ちは違う。
 仲間に励まされながらも、ヒーローカースト二位を率いる少女は静かにライジングのことを見つめていた。

しおり