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VS酔っぱらい

 無数に(きらめ)く星々。その(とぼ)しい明かりに照らされた、薄暗い石畳(いしだた)みの道を歩く。
 堅苦しい検問を何とか抜けたネロは、今晩の宿を探していた。

(今日は野宿なんざしてたまるか……!)

 長い旅路により、元は白いはずのローブも土気色になっている。道中で稼いだ路銀(ろぎん)は底を突きかけようとしていたが、宿に泊まるという意思は固いようだ。

 ネロにとって睡眠は、人生の醍醐味(だいごみ)と同じなのだ。寝ていられる間は、俗世のことなど忘れていられる。この世の中は生きていくだけでも苦労が絶えない。ならばせめて、眠っている一時(ひととき)だけでも、安らかでありたい――常々、そう考えているのである。

(ふかふかの布団! 寝床!)

 ギラついた目に入ったのは、『安眠荘』と書かれた看板だった。古き良き木造二階建ての宿屋で、その外観は他の民家と区別がつかない。しかし店内から()れ出ている明かりに、不思議と温かさを感じた。

 高級な宿場は、旅人であるネロにとって論外である。逆にこういった(たたず)まいの方が、いくらか財布にも優しいだろう。これ幸いと、一にも二にもなく木製のドアを開いた。

「ごめんください」
「――あ゛ぁ?」
「ごめんなさいっ!」

 ネロを出迎えたのは、強面(こわもて)による(にら)みだった。思わず尻込みをしてしまう。むろん一風変わった接客ではない。本来なら笑顔を向けてくれそうな年頃の女性店員は、顔を赤くした三人の男達に囲まれていた。

 レンガ色の給仕服は水に濡れ、後頭部の高い位置で留めている黒髪は震えている。へなへなと、彼女は地面に座り込んでいた。

 どうやら間の悪いことに、“お取り込み中”だったらしい。

「んだ、てめぇは」

 ひときわ背の高い男がネロに凄みを利かせる。まるで丸太のような腕に、低く焼けた声。その口から吐かれた息は、濃い酒気を帯びていた。

「……一応、お客のつもりなんだけど」
「兄ちゃん、悪いが他所をあたってくれ」
 女性店員を取り囲む一人が言った。こちらは痩せ細い体格だ。
「なぁ見たら分かんだろ。空気読んでくれや」
 口元にヒゲを(たくわ)えた男も便乗してきた。
「いや見ても分かんねぇから。読めないからね、俺そういうの」

 第一声に驚いてしまったものの、既にネロは、いつもの調子を取り戻していた。世の中のこと全てがダルいとでも言わんばかりに、そのローブに隠れた眠そうな半目を、男達へと向ける。

「なに、どうしたの。怖がってるじゃん彼女。それともそういう儀式か何か?」
「あ゛ぁ!? ふざけてんのか、てめぇは」
「そう言われても困っちゃうな。事情を話してくれないと衛兵呼んじゃうだけだよ? 空気読めないだけに」

 わざとらしく聞こえるようにして、ヒゲ面の男は舌打ちをした。

「ざけやがって。こちとら酒でも飲んでねぇと憂さぁ晴れねぇってのに、こいつが止めてきたから悪いんだろうが!」
「う、うちは……酒場じゃ、なくて……」

 ようやくにして、縮こまった女は声を震わせた。精一杯の反論だったようだ。しかしそれが男達の火に油を注ぐ。

「ぅるっせぇ、こちとら客だぞ、客! 客に言われたんなら出すのが商売じゃねぇか、なあ!」

 ひょろい男の言葉に他の連中が頷くと、揃って下卑(げび)た笑い声を上げた。
 それとは対象に、店員は涙ぐませながら「助けて」と弱々しく呟く。

 これが、こちらの世界での治安だ。弱者は常に(しいた)げられている。そして強者も、どこかでは弱者と成り下がり、また(しいた)げられている。

 王都の城下町でさえ、この有り様なのだ。こういった不条理は、世界中のあらゆる場所で蔓延(まんえん)しているだろう。

 人は、魔族に負けてしまったのだ。“元”勇者が、そうであったように。
 今では交易から(まつりごと)、ひいては武具の管理までもを魔族に委ねられている。

 霊長類としての地位は、名誉は、そして尊厳は、地の底にまで落ちてしまった。

 その絶対的な支配からは逃れられない。“大”魔王に背く禁忌を犯せば、それ即ち重罪となる。
 魔族によって与えられた平和。人は心にわだかまりを残しながら、それに甘んじてきた。

 ――だが。

「あ~、うっさい。これじゃあ、おちおち寝てられねぇぜ」

 ここに、そんな人々の目を、覚まさせる者がいる。

「……聞き間違えか? なんか言ったかい、兄ちゃん」

 筋骨(きんこつ)(たくま)しい男の一言に、他の二人は口を(つぐ)んだ。女性店員は押し殺した悲鳴を上げる。この威圧感が漂う中で、今もって喋れてしまうのは、ただ一人。

「夜中に近所迷惑なんだよ、お前ら。もう家に帰って寝ちまえ」

 背荷物を降ろし、ネロは頭に掛かったフードを取った。

 水色の髪の毛は、まるで寝癖のように跳ね返っている。加えて、やる気のない半眼――その瞳は深い青に染まっていた。

「喧嘩、売られてるんだよな、俺ぁ」
 熊のような男は、青筋を浮かべながら仲間に訊く。
「あっちゃあ、死んだぜ、兄ちゃん」
「身ぐるみ()がされるのは覚悟しとけや」

 パキポキと指の骨を鳴らす男達。誰もがネロの敗北を悟っただろう。背丈こそ変わらずとも、圧倒的に筋力が違う。ネロのような優男では、おそらく拳一つで昏倒するに違いない。数であっても負けている。多勢に無勢だ。助けを求めていたはずの女性店員でさえ「や、やめて」と懇願(こんがん)していた。

「へ、おっかねぇ」

 口でそう言いつつも、しかしネロは逃げようとはしなかった。腰から一本の杖を引き抜き、指先で一回転させ、いかにもな構えを取る。道端で拾ったような木の棒だったが、杖は杖。
 それを見て男達の顔色が変わった。

「こ、こいつ」
「魔法使いか……!」

 そう、腕力で敵わない差は――魔力で(くつがえ)る。よほど才能に恵まれない限り、個人差はあれど、人は魔術か祈術(きじゅつ)、そのどちらかを使えるのだ。

 今となっては人と魔族の生活に、それは欠かせない。一般的な教養を受けているのなら、成人となる前に簡単な魔術の講義は済ませているだろう。

「怖気づくな」強面の大男は言った。「魔法使いだろうがピンからキリだ。こんな見すぼらしい格好の奴が、まともな魔術を使えるわけがねぇ」

 握り拳を作り、男は腰を低くした。

「術なんざ使われる前に、殴った方が早い。それに、こっちは“三人がかり”だしな。囲んじまえば、こっちのもんよ」

 考えなしの突進。力任せに突撃あるのみ。魔法は練れば練るほど術の効力を増すが故に、大抵の魔法使いは、そうしている間にやられてしまう。どれだけ魔力があろうとも、術者自体は生身の人間なのだ。それも学に努てきた非力そのもの。ネロはもとより他の術者だろうと、それは同じで――

「ご託はもういいっての。さっさと来い」

 プツン、と糸の切れる音がした。

「……な、めやがってぇえええええええ!!」

 ネロの淡白な一言が、男の堪忍袋を切れさせる。

 言葉通りに、強面で筋肉質な男が猛牛のように駆け出した。ネロは相変わらず無気力なまま、杖の先端を迫り来る巨漢(きょかん)へと向け――

「ほい」

 接触の間際、女性店員は思わず目をつむった。続け様ばたりと倒れる音が聞こえ、さらに強く(まぶた)を押し付けた。

 乱闘騒ぎは、この酔っぱらい達が落ち着くまで収まらないだろう。母と二人、仲睦まじく暮らしてきた店が、たった一晩で滅茶苦茶にされる。絶望に顔が青ざめていった。

「て、てめぇ!」

 こうして、また店が荒らされる。彼女にしてみれば、酔っぱらいだろうが魔法使いだろうが同じことなのだ。どちらにしても、店の物を壊すことには変わりない。

 たとえ魔法使いが高名な人物だろうと、男達へ反撃すれば、それだけ店の被害も出るだろう。火術であれば店が燃える。水術であれば水浸し。治安が悪化してから、もう何度目になるのか分からない争い事。

 こんな生活が、一体いつまで。

「な、何しやがった!?」

 しかし今宵(こよい)は、何かが違った。

「なにって、眠ってもらったんだけど」

 場違いに力無い声が、彼女の固く閉ざした目を開かせる。

 ネロの足元には、熊のような大男が倒れていた。ピクリともせず、うつ伏せで、まるで死んでいるかのように。

 そして皆の視線が集まる中で――魔法使いは、高らかに天へと拳を掲げる。
 実感を噛み締めるような小声で、さも難敵を打ち負かしたかのように。

「勝った……!」

「納得いくかボケェ!!」

 残ったヒゲ面と痩せた男が次々に襲いかかる。今度は二人がかりだ。これを対処するには、詠唱なしの即応性が求められる。その分だけ威力が弱まってしまうのは言うまでもない。まして人間を無力化させるほどの魔術ともなると、尚更なのだが。

「ほい、ほい」

 (わず)か二振りで、事は終わってしまった。
 突如、男達は足を止め、その場で魔法使いに対し、疑念に満ちた眠気眼を送る。

「か、体が」
「……なに……しや、がった、こらぁ……」
「いやだから、眠らせたんだってば」

 またしてもネロは指先でクルリと杖を回転させ、元あった腰の後ろへと横差しにした。

「お前らには、わざと手加減しといたんだ。こいつ重たそうだしな。二人で運んで帰らせてやってくれ」
「ん、だと」
「それが嫌なら――」

 瞳孔(どうこう)の青色が静かに(にご)る。

「永遠に眠りたいってか?」

「……ぐっ。おい行くぞ」

 さながら徹夜明けで泥酔した人間を引き摺るように、酔っ払った男達は『安眠荘』を後にした。
 ネロはそれを見送ると、へたり込んでいた女性店員の所へと赴く。

「宿を探してたんだ。もう色々あってクタクタだぜ。一晩だけでも泊めてくれないか?」

 一部始終、余すところなく見ていた店員は、慌ててポケットから宿泊名簿を取り出し、恐る恐る口にした。

「お、お客さん、お名前は?」
「ああ、俺は――」

 今にも寝そうな魔法使いは、あくび混じりに、こう名乗った。

「ネムイ=ネロ。しがない旅人さ」

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