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第二章

 翌日、アラタはいつもより早く登校した。教室に入ると、いつも朝の早いセーラが笑顔で迎えた。
「おはようアラタくん。昨日は変な時間に電話かけちゃってごめんね?」
「おはようセーラ。構わないよ、俺の方こそ出られなくてごめん。何か用だった?」
「ううん、何でもないの。昨日なかなか寝付けなくて、アラタくん起きてるかなって思って」
「そっか。昨日は何だかすごく眠くてさ」
 自分の席に鞄を置き、アラタはセーラの隣の席に腰掛けた。
「お詫びって言ったら違うかもしれないけど、今度の日曜、二人でどこか遊びにいかないか?」
「えっ……」
「あ、何か都合悪かった?」
「ううん。行く。絶対行くっ!」
 セーラは頬を赤くして、それでいてとても嬉しそうに笑った。
「じゃあ決まりだな。どこか行きたいところとかある?」
「ううん。アラタくんに任せる」
「オーケー、了解」
 それから次々とクラスメイトが登校し始め、アラタは自分の席に戻っていった。
 またつまらない一日が始まる。
 それでもアラタの表情はいつもより明るかった。

 一方、ポートアイランドの某工場、アラタとさくらが初めて会ったプレハブ小屋では。
 裸のさくらが白い背中を開き、複数のケーブルが複雑な内部構造に挿されていた。薄暗い部屋の壁に映像が映し出されている。さくらが見た空を飛ぶ魔法少女の映像だ。
 シンプルな端末を操作しながら先生は呟く。
「やはりパーソナル迷彩が掛けられてますね。光が邪魔で顔もろくに映ってませんが」
「そうですか。残念」
 先生は空を飛ぶ魔法少女に絞り、映像を拡大する。
「これは翼かな……。しかしこのサイズで人は飛べない。象徴としての翼。ふむ」
「魔法少女シリーズなのは確かなんですよね?」
「武器依存なのは間違いない。彼女はそこに強いこだわりを持ってたからな。おそらくこの魔法少女の武器は銃。それもかなり大きな。さくら、銃の特徴と言えば」
「遠距離攻撃、弾数制限、大型ならマシンガンやロングライフル? もっとありますか」
「その通り。この魔法少女は狙撃銃のように精密に、また機関銃のように大量の弾をばら撒いている。口径はかなり大きく砲と言っても差し支えない。つまり彼女の武器はあえて極めて曖昧に銃という武器を捉えている」
「厄介ですね。赤色のも一緒に殺そうとしてたみたいですし」
「そこが一番分からない」
 空を飛ぶ魔法少女から、リリの詳細へと映像を切り替える。
「リリが人を殺せないのはこの組織にいた時から明らかだった。それでも破壊力は群を抜いていて、施設の破壊等に使用する予定だった。確かにメンテ中のテディロイドは破壊できるが、さくらやアラタさんが来たらどうしようもない。他にも適任はいたはずなのに、なぜリリを投入したのか」
「先生を狙ってる訳ですから、使えない子を消耗品扱いしたのでは?」
「あり得ない。それは彼女の思想に反する」
「つまり?」
「爆撃はさくらとアラタさんが逃げてから起きている。アラタさんがリリを回収するのを見込んでいたのかもしれない」
「だとしたら?」
「もう一度アラタさんの身辺を洗う。さくらは可能な限りアラタさんの動向を監視していなさい」

 土曜日は澄み渡るような快晴だった。
 アラタは某高級ホテルを訪れていた。エレベーターが上昇していく。階数表示が次々と切り替わっていく。
 扉が開いたところでアラタは電話を掛けた。
「俺だ。パーソナル迷彩を起動してくれ」
『了解でーす』
 さくらの弾んだ声が静かな廊下に響く。
 やわらかなカーペットの上を歩いていき、とある部屋の前でアラタは立ち止まった。コンコンと二回ノックをし、扉を開ける。
 広いリビングの大きな窓の向こうにはどこまでも空が広がっている。
 ソファに沿って歩いたところにある扉の前でアラタは再びノックをした。返事はない。
「入るぞ」
 厚い扉の向こうにはおよそ聞こえない声でアラタは短く告げ、扉を開けた。
 そこは豪奢なベッドルームだった。キングサイズのベッドが二つ並んでいる。その奥の方で彼女は身体を起こしていた。
 魔法少女リリだ。
 リリはアラタを一目見遣り、すぐにまた視線を手元に落とした。きゅっと唇を引き締め、絞り出すように彼女は言う。
「……どうして私を助けた」
「少なくともそんな愚問に答えるためではない」
 アラタは部屋を見渡し、二人掛けの小さなソファに腰を下ろした。
 しばしの静寂が部屋に落ち、アラタは唐突に尋ねる。
「俺を殺したいか」
 リリは視線を上げない。ただじっと組んだ手を見つめていた。
「そんな訳ないだろう」
 沈黙をもって理由を尋ねるかのように、アラタは口を開かない。
 小さく首を振り、リリは苛立った声で答える。
「人を殺したいなんて思う訳ないだろう。そんな事普通は思わないんだ。思えないんだよ。どうしてそんな簡単な事が分からないんだ」
 再び静寂が落ちる。それを守るようにアラタは小さく、端的に応える。
「そうか」
 途切れ途切れの会話はひどく重苦しい。そんな重さを嫌がるように、アラタは一つ咳をした。
「空を飛ぶ魔法少女について話してもらおうか」
「知らない。……お前らの仕業じゃないのか」
「とぼけるな」
「とぼけてなんかいない。本当に知らないんだ」
「痛い思いをしたいのか」
「知らないものは知らない! 私はシヴァが来ると思ってたんだ!」
 頭を抱え、首を振りながらリリは叫んだ。ひどく情緒が乱れているようだった。
 荒げた呼吸を落ち着かせ、リリは静かに告げる。
「……好きにしろ。私は何も知らない」
 アラタはそれ以上追及せず、目を伏せたリリをじっと見つめていた。

『……好きにしろ。私は何も知らない』
 そんなリリの様子を先生とさくらは薄暗い部屋で眺めていた。アラタが身に着けている襟章からの映像だ。
 さくらが嬉々として尋ねる。
「えっちなお仕置きはまだですか?」
「お前は本当に致命的な欠陥があるのかもしれない。アラタさんがそんな事する訳ないだろう」
「でも、敵と二人きりで寝室ですよ? 何もしない方がおかしいです」
「アラタさんの洞察力なら本当に何も知らないと分かる。ついでに言えば武器依存の魔法少女から武器を奪った時点でリリは敵ですらない」
「でもでも、先生ならしますよね? えっちなお仕置き」
「お前は僕を何だと思ってるんだ。少し黙りなさい」

「では質問を変えよう。時間稼ぎなら黄色いのが適任だったはずだ。なのになぜお前が選ばれた?」
「黄色いの? ……ああ、マナの事か」
「質問に答えろ」
「選ばれたんじゃない。選んだんだ」
 リリは自嘲するように小さく笑った。
「どうせ私に人は殺せない。そうする事が正しい事だと分かっていても、私には殺せない。だから志願したんだよ。何の役にも立たない自分に、もう疲れた」
 掛け布団をぎゅっと握り、顔を上げた。
「私達は兵器だ。選ばれた細胞から作られた兵器なんだ。役目を果たせない道具に意味はない。存在する価値もない。だからお前に、お願いがある」
「黙れ」
「なぜだ、お前なら私を殺せるだろう?」
「黙れ!」
 アラタは激昂し、立ち上がり怒鳴った。瞳が赤く変色していた。
「……黙れ」
 もう一度そう呟き、心を落ち着かせるように目を閉じる。
 目を閉じたままアラタは言う。
「お前はもう死んでいるも同然だ。殺すだけの価値もない。だが、それでも」
 横に伸ばしたアラタの右腕が銀色に変色し、伸長する。
「それでも死にたいと思うならば本気で俺を殺すと誓え。殺してでも生きたいと強く願え」
 伸長したアラタの右腕から剣が現れた。リリの剣だ。
 アラタは剣をソファに突き刺し、はっきりと見開いた目でリリを見据える。
「簡単に生きる事を諦めるな。生まれがどうであろうとお前は人間だ。人間に生まれたならば己の為すべき事をしろ。それすら放棄するなら黙って変わりゆく世界を見下ろしているがいい」
 剣を残したまま、アラタはリリに背を向けた。
「お前……」
 アラタがベッドルームから出ていき、厚い扉が閉じられた。リリはしばし扉を見つめていたが、やがて剣に目を遣り一人呟く。
「問題なさそうだよ、アルベルト」

「あれ、剣置いてっちゃいましたよね。いいんですか?」
「あまりよくない、でも想定の範囲内かな。ああ見えてアラタさんは好戦的だからね。この前はきみが邪魔したからちゃんと決着をつけたいんだろう。拠点一つまた破棄する事になっちゃったけど」
「私のせいですか」
「そうとも言える」
「……します? えっちなお仕置き」
「その前に本格的なメンテをします。さて、僕達も行くよ」
 映像を消し、先生は立ち上がり部屋を出る。さくらもあとを付いていく。
 やわらかな絨毯、落ち着いた雰囲気の静かな廊下。
 先生達がいたのはリリの隣の部屋だった。エレベーターの扉は閉まり、階数表示が降下していく。アラタと顔を合わせる事はなかった。
 リリの部屋へと入り、ベッドルームに入る前にはノックをした。やはり返事はない。
 扉を開けると、リリは大きく目を見開いて飛び起きた。
「どうしてお前が……!」
「直接出向くのは意外でしたか。まあそうでしょうね」
「お久しぶりでーす。ぷーくすくす」
 ベッドから下りたリリは壁を背にし、ソファに刺された剣をちらりと見遣る。
「……私を殺しにきたのか」
「何のためにですか。あなたの方こそどうです? 僕を殺す千載一遇のチャンスですよ」
「私が守りますけどね」
 リリは床に腰を下ろし、目を落とした。
「無理だよ、私には」
「シスターに居場所を教える事もできないようですね」
 先生と目を合わせ、リリは短く笑う。
「できるかもしれないぞ?」
「僕に嘘が通じるとでも?」
「シスターにはきっちり騙されたじゃないか」
「だからこそより合理的な計画が実行できてるんですよ」
「相変わらず失敗を認めないな」
「何を言っているのか分かりませんね」
「……もういい。お前とは話すだけ無駄だ」
 立ち上がり、リリは先生達を背にしてベッドに潜り込んだ。
 先生は独り言のように話す。
「やはり信号は一方通行のままか。脳からチップを取り出す意味もなさそうだ」
 リリは動じず、肩一つ動かさない。
「今日のところは帰ります。新しい世界になったらまた来ますよ」
「えー。えっちなお仕置きは?」
「黙りなさい。ほら、行きますよ」
 先生達が出ていったあと、リリは嗚咽を漏らしながら泣き始めた。抑えていた感情を開放するように、子供のように泣きじゃくった。

 その後、アラタと先生は黒塗りの車の中で合流した。相変わらず先生は助手席に座っている。
 アラタがリリの部屋に剣を残してきた事には触れず、先生はこう切り出した。
「魔法少女の元担当責任者をシスターというのですが、リリの反応からして連絡は一方通行のまま仕様は変えていないようです。魔法少女を捕えても彼女の居場所は分かりそうにありません」
「シスター?」
「はい。宗教的な意味合いではなく姉妹としてシスターと呼ばせていたようです。僕がアラタさんやさくらに先生と呼んでもらっているようなものですね。僕も彼女の本名は知りませんし、素性も知りません」
「そう言えば、さくらはどうした」
「彼女は臨時のメンテ中です。若干ですが言動に不可解な点が見受けられましたので」
「確かに」
 詳しく聞かずともアラタは納得した様子だ。
「しかし、そのシスターも先生と同じように人間なんだろう。どうやって生活しているんだ」
「食料の調達などは黄色のマナが請け負っているようですね。しかしマナは複数の場所から同時出現しますからこの線からの拠点特定は難しいです。すべてフェイクで誰かの家に転がりこんでいる可能性もありますし」
「だが顔ぐらいは分かるだろう」
「実は直接の面識はないんです。当時の権限では僕より下だったんですが、上がクーデターを恐れていたようでして。もっとも今は僕が組織の全権限を握っているのですが、彼女はご丁寧に在籍していたすべての記録を抹消したようで、今となっては僕の記憶にある彼女の声しか手掛かりがありません」
 先生がさらっと重要な事を言ったのをアラタは聞き逃さなかった。
「待て。今は先生が組織のトップなのか?」
「そういう事になりますね。考えてみてください、起ち上げ当初から利権を牛耳るでなく、ただ世界の統一を標榜する組織なんておかしいでしょう」
「……そうだな。だが、どうやって?」
「その辺りはあまり詳しく話したくないですね」
「それならいい。それはそうと、明日は休ませてもらう。標的を見つけても連絡しないでくれ」
「休み?」
 珍しく先生が振り返った。
「構いませんが、重要拠点が襲撃された際には出動していただきますよ。さくらだけではどうしようもありませんので」
「そうならない事を願おう」
「デートですか」
「なぜそう思った」
「アラタさんは高校でかなりモテているとさくらから聞きましたので」
「実感はないが、さくらが言うならそうなんだろう」
「……羨ましい」
 再び前を向き、先生はそう呟いた。
「実に羨ましい」
 繰り返してもう一度言った。
「僕は襲撃を恐れて常に逃げ回っているというのに、アラタさんは青春を謳歌している。実に羨ましい」
「……先生が選んだ道だろう」
「そうです。その通りです。しかし羨ましいものは羨ましいのです。ちなみにどこへお出掛けですか」
「この流れで言う訳がない」
「そうですか。では僕もたまには息抜きでもしましょうか。さくらを連れてのんびりと」
「そういたらいい。互いに休息は必要だ」
「そうですね。そうしましょう」

 本州と四国を結ぶ海峡大橋の途中に淡路島という島がある。その島は丸ごと遊園地で、名をたまごどりアイランドという。
 カラフルなたまごに天使のような翼の生えた、たまごどりという代表的なキャラクターは国内外を問わず人気がある。
 約束の日曜日、アラタとセーラはたまごどりアイランドに遊びに来ていた。
 普段より明るい色調の衣服を纏ったセーラは珍しく短めのスカートで、笑顔もとびきり華やかで、まるで春の妖精のようだった。事実、カップルで来ていながら足を止めて見入る男性もいるほどで、セーラの可憐さは遊園地の華やかさにも決して負けていなかった。
「ここ来るの小学生以来だよー」
 セーラは満面の笑みを輝かせる。
「俺もだよ。あの時はうちの家族とセーラの家族も一緒だった」
「そう、あの時。まさかこうやって二人で来るなんて思わなかったなぁ」
「俺はまた来たいと思ってたよ。セーラと二人で」
「……もうっ!」
 セーラは横からアラタの厚い胸板をどんと叩いた。
 二人はしばし目を合わせ、やがてセーラは恥ずかしそうに目を逸らした。
「アラタくん、大きくなったよね」
「セーラもな」
 自然な仕草でアラタはセーラの頭を撫でた。セーラはハッと顔を上げたが、撫でられるがままにしていた。
「……あははっ」
 セーラが笑い声を溢す。
「くすぐったい?」
「ううん。……今、世界で一番幸せかもしれない」
 そう言ってセーラはアラタの腕にもたれかかった。
「セーラが幸せなら、俺も嬉しいよ」
 二人は指を絡めて手を繋ぎ、満たされた時を少しでも引き延ばすようにゆっくりと歩いていく。

 そんな二人を木の裏に隠れじっと見つめている者達がいた。先生とさくらだ。
 先生はジャージにぼさぼさ頭でいつもと変りなく、さくらはさくらでセーラー服とこちらもやはり普段と変わらない。
「さっそく見つけちゃいましたね。それにしてもラブラブですね」
「まさか本当に遭遇してしまうとは。まあ、僕らが見つかった訳ではないし別にいい」
「突撃しますか?」
「する訳ないだろう。邪魔をしに来たなんて思われるのは絶対に嫌だ」
「え、違うんですか?」
「違う」
 断言し、先生は振り返る。
「そもそもさくらがどこか行きたいというから来たんだ。こんな事ならゆっくり漫画を読んでいたらよかった」
「だって先生の持ってる漫画つまんないんですもん。女子高生が喋ってるだけで」
「ああん?」
 珍しく眉間にしわを寄せ、先生はさくらの細い首を掴んだ。
「日常系漫画をディスるのは許さん。あの世界こそ望む世界なんだ。僕の行動理念の原動なんだ。何も分かってないくせに知ったような口を叩くな」
「分かりました。分かりましたから」
 困ったように笑い、さくらは先生の腕を引き離す。
「本当に分かってんのか」
「これから勉強させて頂きます。ね?」
「ならいい」
 そっぽを向くように再び先生は前を向いた。その視線の先ではアラタとセーラが仲睦まじく歩いている。
「随分と仲がよさそうだ。あの子は?」
「セーラちゃんです。いい子ですよ。頭もいいし、優しいし」
「手を繋いでいるな。それも恋人みたいに」
「私達も繋ぎますか?」
 先生は黙って手を後ろに伸ばした。その手をさくらが繋ぐ。
「おかしい。これで状況は同じはずなのに、不思議と何かが違う」
「それはだって、私は先生に作られたロボットですから」
「それは理由にならない」
「なりますよ。言わば先生は私のお父さんですよ?」
 ぎぎぎ、と油の切れた機械のように、先生は振り返った。
「お父、さん?」
「そうです」
「なら、お前は僕の娘か」
「そうです」
「なるほど」
 再びアラタ達に目を遣った先生はうんうんと頷き、振り返りさくらの顔を見てはまたうんうんと頷いた。
「なるほど」
 繰り返し、先生は繋いでいた手を離した。

「見て見て、あの写真!」
 そう言ってセーラが指さしたのは先程乗ったフリーフォールの写真だ。アラタはばっちりとカメラに目を向けている。
「ははは、完璧だな」
「ふふふ。髪は浮いてるのに真顔でおかしい!」
「次からは髪も固めてくるよ。あの写真買おう。きっといい思い出になる」
「そうだね。今日はいっぱい思い出作ろうね!」
 写真を買い、二人は外に出た。花壇に囲まれた大きなたまごどりの噴水がある広場だ。遊園地内の地図を広げながら、二人はぐるりと噴水を迂回していく。
「おらーっ! どこだ悪魔ーっ!」
 どこからか聞こえてきた声に二人が顔を上げる。
 そこには黄色の魔法少女、無限のマナがいた。セーラが首を傾げる。
「あの子、何なのかな? 何かのイベント?」
「何だろう。それにしても……いっぱいいるな。みんなそっくりだ」
 既にマナは増殖していた。その痕跡だろう、煉瓦の地面にはところどころ大きな穴が開いている。
 大きな木槌を肩に乗せ、辺りを見渡すマナと目が合っても、アラタは他の客と同じように不思議そうな顔をしていた。
 魔法少女と接触する際は必ずパーソナル迷彩で擬態している。今のアラタを見てもヴァンパイアには見えないはずだ。
 だからこそアラタはあえて余裕をもってマナ達を見つめる。
「よく分からないけど、何かゲームとかアニメとのコラボなのかな。最近そういうの多いらしいし」
「じゃあ、これから悪魔が出てくるのかな」
 セーラは空を見渡した。マナ達の喧騒とは違い、青い空に雲が流れる静かな空だ。
「どこだーっ! 出てこーいっ!」
 マナ達は高い声で叫び続けている。
「セーラ、どうする? 見ていく?」
「うーん、どうしよっか。長くなりそうなら他も回りたいところあるし」
「こういうのに詳しい友達いたかな……あれ、母さんから着信だ。セーラ、ここで待っててくれないか。絶対にここから離れないで」
「うん、分かった」
「すぐ戻ってくるから」
 人垣を抜け出しながら、アラタはさくらに電話を掛ける。

 一方、たまごどり帽を被ったさくらは一人園内を走っていた。観覧車の前を駆け抜けていったところだ。
「はいはーい! みんなのさくらちゃんですよー!」
『黄色のが俺を狙って探している。どうして居場所がばれているんだ』
「そちらもですか。奇遇ですね。こちらも青色の魔法少女を発見して先生と別れたところです」
『何だと? 今どこにいるんだ。攻撃を受けているのか』
「どこにいるのかはプライベートな質問なのでお答えできませんが、幸いにも向こうには見つかってないみたいです。先生はパーソナル迷彩で擬態できないので一旦距離を置く事にしました。どうします? アラタさんのパーソナル迷彩を起動しますか?」
『駄目だ。こっちには連れがいる。……お前達、まさかたまごどりアイランドにいるんじゃないだろうな?』
「残念はずれです。もっと大人であだるてぃなところです。具体的にはぷーくすくすですが」
 さくらは辺りを見渡した。観覧車と噴水の広場はかなり離れている。あいだにアトラクションも複数あり、互いに視認はできない。
『分かった、今はいい。危険そうなら連絡してくれ』
 それだけ言ってアラタは通話を切った。スマホを見つめ、さくらは呟く。
「これはバレてますねー。まあいいやっ」
 さくらはそのまま女子トイレに駆け込んだ。
「誰かいますかー? いませんねー」
 応答がないのを確認し、鏡の前でポーズを取る。
「パーソナル迷彩、起動!」
 腰に手を当て腕を回したが変化はない。見てわかる変化があればパーソナル迷彩の意味がない。ただ、突然「目の前で認識できていた人が認識できなくなる」とパーソナル迷彩を使ったとばれてしまう。故に魔法少女の前でパーソナル迷彩は起動できない。
「さてっ! 早く戻らないと!」
 女子トイレから飛び出し、さくらは再び観覧車の方へと駆け出した。

 一方、観覧車の床に伏せた先生は呟く。
「こんなものに一人で乗って寝転んでいるのは何とも退屈だな」
 見渡しのいい巨大たまごどり像の上で辺りを見渡しながら、青色の魔法少女は今もヒュンヒュンと鎌を回している。

「ごめんごめん、夕飯がいるかどうかの確認だけだった。悪魔は出てきた?」
 さっきよりも増えた多くなった人垣を抜け、セーラのもとへ戻ったアラタは尋ねた。
「ううん、まだみたい。もう行こっか?」
「そうだね。次は何に――」
 そう言いながらマナ達に背を向けた、直後だった。
「ちょっと待ってそこの二人!」
「うん?」
 アラタが振り返り、続いてセーラが振り返る。一人のマナがびしっとアラタを指さしていた。集まっていた人達の視線が一斉に二人に向けられる。
 駆け寄ってきたマナがじっと睨むような目でセーラを見上げて尋ねる。
「お隣の人、さっきどっか行ってたよね。同じ人?」
 マナは目線を移し、アラタをじっと睨む。
「一緒だよ? ねえお嬢ちゃん、これって何のイベントなのかな?」
「本当に本当に本当に同じ人?」
 重ねて尋ねられ、セーラはアラタと顔を合わせ困ったように笑った。
 アラタは優しい笑みを向け、マナの頭を撫でた。
「同じだよ。それとも彼女が別の男といたのかな?」
「撫でるなー!」
 アラタの手を振り払い、マナは言う。
「さっきはもっとイケメンと一緒にいた。お姉さん、本当に同じ人に見える?」
「同じ人だよ。私はずっとアラタくんと一緒にいた。それとねお嬢ちゃん、今のはアラタくんに失礼だから謝って?」
「いいよセーラ。俺が恥ずかしい。もう行こう」
「待って! 今から多数決を取りまーす! お集りの皆さんもご参加くださーいっ!」
 目の前のマナがそう叫ぶと、すべてのマナの視線がアラタに注がれた。群衆の視線は既に二人に向けられている。
「ちょっと待ってくれ。こういうイベントなのか?」
「そうなのかな。何だか楽しくなってきたね」
 気恥ずかしそうでありながら、セーラは楽しそうに笑っている。
「困ったな、こんなの絶対俺が悪魔にされちゃうじゃないか」
 アラタもまた気恥ずかしそうに笑う。
 そんな二人を無視して、マナ達は声を揃えて一斉に叫ぶ。
「見ていた人だけで結構です! 興味本位でなく真面目にお答えください!」  
 異常なまでの統一感と真剣さに、場の空気が変わる。二人の顔からも笑顔が消えた。
「さっきまでこのお姉さんと一緒にいた男の人は、本当にこの人ですか! 違うと思う方は挙手してくださーい!」
 重苦しい沈黙が、群衆の上に圧し掛かる。
「違う」
 最初に手を挙げたのは別のマナだった。
「美男美女だったから覚えてる。違う」
 次々とマナ達が手を挙げていく。
「違う」
「違う」
「違う」
 それはまるで、魔女狩りのように。
「違う」
「違う」
「違う」
「違う」
 群集心理か、それとも正しき審判の眼か。
「違うと思う」
「違う気がする」
「違うんじゃない」
「絶対違うよ」
「違う違う全然違う」
「違うだろあれは」
 マナ達を挟んでアラタ達の体面にいた人達が口々に呟き、手を挙げていく。
「……おい、やめろ。やめてくれ」
 群衆の前において、アラタの存在は極めて小さい。
 もし、マナがアラタを違う人間と認識しているとすれば。
 それは、アラタの意図しないところでパーソナル迷彩が起動した事になる。
「ご協力ありがとうございまーす!」
 目の前のマナがそう締めくくった。
 多数決でいえば挙手した人数の方が少ない。マナ達にしても全員が挙手している訳ではない。
 しかし問題は数ではない。比率だ。
 アラタの顔がよく見えたであろうマナ達を挟んで反対側の人達の多くが手を挙げ。
 対してアラタ側の人達はそのほとんどが手を挙げていない。
 だからこそ、目の前のマナは言う。
「決まった」
 マナ達が一斉にアラタに向け大槌を構え、一斉に叫ぶ。
「お前が悪魔だっ!」
 あまりの剣幕故か、アラタは後ずさった。
「……おいおい、何なんだこれは」
「フラッシュモブ……かな?」
 セーラも怯えたような顔をしている。
 アラタのそばから自然と人が離れていく。
 じりじり、じりじりとマナ達が迫っていくにつれ、アラタの周りからセーラを残し人がいなくなる。
 頬に一筋の汗を流し、アラタはついに口にする。
「……セーラ。ちょっと離れていてくれないか」
「え、でも……」
 ――その時だった。
「いやいや、違うだろう」
 どこからか声がした。
 その方向は、上。黒衣を纏った銀髪の男が、アラタのマナ達のあいだに割って着地した。
「お前らが探しているのは、俺だろう?」
 黒いコートを翻し、マナ達に向き合ったのは。
 アラタではない、もう一人の、ヴァンパイア。

「あれ?」
 巨大たまごどり像を見上げ、さくらは首を傾げた。
「魔法少女いなくなってる。先生は……通話中かー」
 振り返り、今度は観覧車を見上げる。先生が乗り込んだゴンドラはまだてっぺんにも達していない。
「なーんだ。急いで損しちゃった。私も観覧車乗ればよかった」
 一人呟き、巨大たまごどり像のそばにあるベンチに腰を下ろした。
「いや、先生と乗っても楽しくないか。私もアラタさんとデートしたかったなー」
 そう言ってニヤリと陰のある笑みを浮かべる。
「……二人の邪魔しに行っちゃおっかな?」

 一方、噴水広場では悲鳴が飛び交っていた。
 両手を黒色の剣に変容させたヴァンパイアがマナ達を次々と狩っていた。群衆は泣き叫び逃げ回り、アラタもまたセーラの手を引いて逃げ出していた。マナ達を斬り裂き無に帰す剣は、リリの剣とよく似ていた。
 手を引かれるセーラが振り返り叫ぶ。
「何、何なのあれっ!」
「見るな! 今はとにかく逃げるんだっ!」
 阿鼻叫喚に紛れ、アラタは眉をひそめ舌打ちをする。
「きっと何かのイベントだ、でもセーラは見ちゃいけないっ!」
「怖い、アラタくん、怖いよ……!」
 目に涙を浮かべたセーラの足がもつれている。セーラは震えていた。
 足を止めたアラタはセーラの肩を抱く。
「大丈夫。いつだって俺が守る」
 微笑み、セーラを抱き上げた。そのまま駆け出した。人一人抱えているとは思えないほど、アラタは力強く駆けていく。
 たくましい腕に抱かれ、小さな子供のようにセーラは呟く。
「アラタくん……」
「二度と怖い思いをさせないって決めたんだ、何があっても俺が守るって決めたんだ。たとえ世界を敵に回しても」
 しばし呆然としていたセーラだったが、やがてアラタの首に両腕を回し、目を閉じて微笑んだ。
「ありがとう、アラタくん」
 ――その刹那、アラタは一人の少女とすれ違った。
 青いマーメイドドレスを身に纏い、右手には異様に大きな鎌を手にしていた。青色の少女は惨劇の広場へと駆けていた。
 少女は呟いていた。誰にも聞こえないぐらい小さな声で呟いていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 何度も何度も、繰り返し呟いていた。

 最後のマナは柄と槌を切断されていた。
 ただの棒切れとなった柄を捨て、大の字に寝そべったマナは叫ぶ。
「殺すなら殺しなさいよ!」
 睨むマナの顔のすぐ隣に右腕の剣を刺し、ヴァンパイアは言う。
「たまには悔んで逃げ帰れ。己の無能を思い知れ。青色のが来る時間稼ぎすらできなかった無能が」
 マナは不敵に笑う。
「あら、シヴァが来るのが分かってるならあんたこそ逃げた方がいいんじゃない? シヴァは強いわよ。私よりずっと」
「知っている。武器の最大出力を出すのに時間が掛かる事も。だが待っていてやる。そこで一つ質問だ」
「……何よ」
「シスターはどうしてこの場所を選んだ? 遊園地は夢の国だ。彼女はこういった場所での戦いを好まなかったはずだが」
「あんたが現れるからいけないんじゃない! あんたが来なきゃシスターだってこんな選択はしなかったわよっ!」
「彼女は俺がここに来ると知っていたんだな」
 目を逸らし、マナは答えなかった。
 しばしの沈黙が場を支配していたが、やがてヒュンヒュンと風切り音が聞こえてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 悲哀にも似た憂いを滲ませ、青色の魔法少女シヴァが現れた。本来、鎖鎌は分銅を振り回す武器だが、彼女は鎌を振り回していた。
 その回転数により威力を増していく魔法少女。最大出力を出すには相応の時間が必要だ。
「ようやく現れたか」
 そしてヴァンパイアはその時間を――前述に反し、僅かにも待たなかった。
 俊足の突撃、怒涛の速攻。回転する鎌の合間を潜り、剣の腹で鎖を掴む手を強打した。鎖鎌はシヴァの手を離れ、剣に巻き付いていく。
「……痛い」
 そう言って打たれた手を抑えながら、しかしシヴァの表情は憂いたままだ。
「ちょっ、待つんじゃなかったの!?」
 奇襲に驚いたか、起き上がったマナが叫んだ。
「待つさ。また次の機会まで」
 巻き付いた鎖鎌を捨て、ヴァンパイアは剣を振る。
「拓け、火焔の路ッ!」
 現れた黒炎の道は遥か西の空まで続いている。
「また会おう。次はふさわしい場所を選べ」
 そう言い残し、ヴァンパイアは火焔の路を駆け、去っていった。
「あいつ、リリの技を盗んでる……!」
 残されたマナは悔しそうに空を見上げ、そんなマナへ申し訳なさげにシヴァが駆け寄る。
「……大丈夫? 遅れてごめんなさい、ごめんなさい」
「私の方こそごめん! 今度こそ絶対倒してやるんだからーっ!」
 消えた火焔の路にマナはリベンジを誓い、たまごどりアイランドの騒動は幕を下ろした。

「あっ。先生お帰りなさーい!」
 観覧車から降り、辺りを見渡していた先生にさくらが手を振り声をかけた。
「魔法少女は?」
「もういないみたいですよ。先生、たまごどり帽どうしたんです?」
 尋ねられ、先生はぼさぼさの頭に手を当てた。
「忘れてきたみたいだ。でもいい、どうせ僕には似合わない」
 それを聞いてさくらは口をへの字に曲げた。
「だーめーでーすー! こういうのはお揃いだから意味があるんです。さっ、新しいの買いましょう。次は何に乗りますか?」
「もう帰りたい。一生分の退屈を味わった」  
「だったらもう一生分遊べますね! 次はお化け屋敷に行きましょう!」
「近くに魔法少女がいるかもしれないのに呑気だな」
「その時は私が先生を守ってあげます。さ、レッツラゴーです!」
 足取りの重い先生の手を引き、さくらはお化け屋敷へと向かっていく。

 アラタが足を運んだのは園内にあるホテルの一階にあるカフェだった。やわらかなソファのある席を選んでセーラを座らせ、アラタはその横に座った。
 水を運んできたウェイトレスに手早く注文する。
「ティーセットを二つ。どちらもミルクティー、モンブランで」
 注文を繰り返し、書き留めたウェイトレスが去っていく。
「セーラ、大丈夫?」
「うん。ありがとう」
 冷たい水を一口飲み、セーラはぎこちない笑みを浮かべた。
「さっきの、何だったのかな」
「特に混乱は起きてないみたいだし、きっと何かのイベントだったんじゃないかな。ちょっと刺激的過ぎるとは思うけど」
「そう、そうだよね。私、びっくりしちゃって。……ごめんね?」
「俺も驚いたよ。何でもありなテーマパークとは聞いてたけど、突発的にあんな事もやるんだね。あやうく悪魔にされかけるところだった」
「本当にね。アラタくんが悪魔じゃなくて本当によかった。……実はね、ちょっとだけ分からなくなりりそうだったの」
「分からなくって、何が?」
「私の隣にいる人が、本当に私の知ってるアラタくんなのか」
 グラスの氷がカランと音を立てた。
 園内のカフェだ、子連れだっている。騒がしく陽気な空気で満ちている。
 アラタは眉をひそめた。
「群集心理の影響かな。異様な雰囲気だったし」
 セーラはくすくすと笑い、至近でアラタを見つめた。
「私を持ち上げて走ったアラタくんにもびっくりした」
 アラタは照れくさそうに目を逸らした。
「日雇いだけど力仕事のバイトもやってるからね。知ってる? フェスで使うようなスピーカーはセーラよりずっと重い」
「もうっ! それぐらい分かるよ!」
 二人して笑ったあと、不意にセーラはアラタの腕にもたれかかった。
「……アラタくん、大きくなったよね。小学校の時は私の方が背が高かったのに」
「おいおい、そんな昔の事を持ち出すのはよしてくれよ」
 何かを紛らわすようにアラタは水を口に含んだ。

「またしてもやられた」
「リリを救えなかった。ごめんなさい、ごめんなさい……」
 子浦山山頂付近、とある別荘にて。隠れ家に戻った魔法少女達はまるでお通夜のようだった。
「私達、弱いね」
「うん……」
 サラはこたつに突っ伏し、シヴァはいつも通り部屋の隅でうずくまっている。
「あの人絶対怪しいと思ったんだけどなあ。悪い事しちゃった」
「でも結果的にはシスターの言う通り、悪魔は現れた。……負けちゃったけど」
 かばりとサラが身を起こす。
「大体何であいつがリリの技使うのよっ! 何なの、嫌がらせっ!?」 
「分からない。何かおかしい……」
「そう、おかしいのよっ! 私達の魔法ってそんな簡単に盗めるものなの? 私の盗まれたら最悪じゃないっ!」
「あんなのが無限に増え続ける。おぞましい……」
 接敵したのは初めてだったからか、シヴァはぶるりと身を震わせた。
「あいつに言われた事を言うのも嫌だけど、シスターはどうして遊園地にあいつが現れるって分かってたのかな」
「私も不思議。あんなところに拠点を置いてるとは思えないし、私達がいたから現れたって感じだった。シスター、何考えてるんだろう……」
「あいつも何か不自然だったよね。私にとどめ刺さないのは無意味だからまあ分かるんだよ。でもシヴァを放っておいたらまずいって思わなかったのかな」
「主要拠点が国外にあるのかも。私達だけじゃ簡単に出られないし……」
「何か、分かんない事だらけだね」
「うん……」

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