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第一章

 アラタが学校に戻った時は丁度六限前の休み時間だった。
「早かったですね。体調はもう大丈夫なんですか?」
 ノートを抱え困ったように笑いながら、さくらが駆け寄ってきた。
「ああ。さくらこそ復習しなくていいのか」
「分からなくなったらアラタさんに聞きますから」
「俺を当てにするな」
「えへへ。これ、五限のノートです。アラタさんの分も書いておきました」
「……ありがとう」
 席に着いたアラタが確認すると、丸っこい字で詳細に五限の授業内容が書かれていた。脱線した教師の与太話まで書かれており、アラタはそれに赤の二重線を引いた。
 小さなため息をつき、さくらを手で招く。
「何ですか?」
「ノートは授業の範囲だけを書くんだ。こういう余計な話まで書かなくていい」
「そうなんですか。分かりました」
 さくらは小さく頭を下げた。
「授業内容とそうでない内容は区別できているのか」
「教科書と照らし合わせます。問題ないです」
「ならいい。用件はそれだけだ」
「はーい」
 軽快な返事をして席に戻っていくさくらの後姿を、アラタは心配そうに見つめていた。
 席に着き、さくらが他の女子生徒と話し始めたのを見届け、アラタは初めてさくらや先生と会った時の事を思い出していた。

(回想)

 きっかけは、高校入学試験受験者に対するアンケートという名目だった。当時在籍していた中学で行われたものだったし、いつもの簡単な作業としてアラタは参加していた。
 一日の学習時間や学習塾に通っているかなど、初めはありがちな内容だった。しかし後半に進むにつれ、世界情勢に対しての意見や死刑制度、政治主義についてといったおよそ高校入試とは関係のなさそうな内容になっていた。
 後日、大音高校合格が決まったその日。アンケート結果からより詳しく話を聞きたいという老紳士が家を訪ねてきた。高校合格を当然の通過点と捉えていたのだろう、両親は家におらず、アラタは老紳士を家に上げた。
 このあと予定が入っていたが、まだ時間があった。
 老紳士は更に詳細な、ちょっとした冊子ほどのアンケートを求め、アラタはそれに答えていった。
「おめでとうございます。合格です」
 アンケートは途中だったにも関わらず、老紳士はそう言った。
「強制はできませんが、よろしければ別の場所で我々の話を聞いて頂けませんか」
 アラタは躊躇した。元を辿れば中学でのアンケートが発端とは言え、今さっき会ったばかりの男に着いていくのは危険と考えて当然だ。
 しかしアラタは承諾した。
 ただ高校に合格しただけの何でもない日に、何でもない日常の連続に、ちょっとしたスパイスを加えたかったのだろう。
 外に出れば既に黒塗りの車が待機しており、アラタは迷う事なく後部座席に乗り込んだ。
「それで、僕は何に合格したんですか」
 老紳士にアラタは尋ねたが、答えたのは助手席に座る人物だった。
「世界の希望です」
 それが先生との初めての出会いだった。
「世界は腐り切っているじゃないですか。この国なんて最たる例です。資本主義のうまみを吸う一部の特権階級の連中が彼らにとって有利な法整備を進めて、実務をこなす官僚の連中も省ごとの不仲で無駄に税金を食い潰す。国民などまるで家畜のような扱いです。そう思いませんか」
 いつものように淡々と先生は語り、アラタは苦笑した。
「仰っている事は分かりますよ。でも、仕方ないじゃないですか。世界はおろかこの国だって変えられない」
「変えられます。正確にはアラタさん、あなたが変えるんです」
「……僕が?」
「そうです。これは夢物語でもなければ酔っぱらったサラリーマンの愚痴でもありません。具体的なプランありきの、世界への挑戦です」

 着いたのは工場地帯の人工島にある、比較的大規模な工場の一つだった。車ごと中へと入っていき、シャッターが閉じてからアラタ達は車を降りた。先生に先導されるかたちで薄暗い工場の中を歩いていく。工場内は少し寒く、カンカンと足音が高く響く。
「こんなところで世界を変える計画を?」
「他にもありますがその一つです。ところでアラタさん、アンケート第八四項『世界の平和、秩序を確固たるものにするにはどういった機構が必要か』という項目であなたは実に模範的な回答をされましたが、本当はどう思いますか」
「……賢者による統一政治。どうしてあれが本音ではないと?」
「〇,八秒ほど遅れるんですよ。あなたはすべての項目において模範的な回答をしていながら、本音と建前が違う時だけ遅れるんです」
「書くところを見ていたんですか」
「カメラ越しにですが。彼の襟章に仕込んであったんです。まあそんな事はどうでもいいんですよ。肝心なのは同じ理想を共有できている事です」
 階段を上っていく。その先には明りのついた小さなプレハブ小屋がある。
「歴史を顧みれば当然の回答、常識の範疇だと思ってたんですけどね。意外と世の中の人はそう思っていないようで驚きました」
「普通は思わないでしょう。思い至ったとしても、そうは書かない」
「常識とは恐ろしいですね。常識こそ僕にとって最大の敵なのかもしれません」
 そう言って先生はプレハブ小屋の扉を開き、突然の強い光にアラタは目を細めた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
 小屋の中で恭しく頭を下げた桜井さくらは、とても実用的とは言えないフリルが過剰に付いたメイド服を身に纏い、眼鏡は掛けていなかった。萌えに知見のないアラタにも彼女が異常な服装をしている事は明らかだっただろう。これがアラタとさくらの初めての出会いだった。
「ただいま。彼が真木アラタさん。話は聞いているね」
「はい、伺っております」
「ちょっと待ってくれ」
「どうしたんです?」
 アラタは先生のジャージの襟を掴み、一旦プレハブ小屋から離れる。
「彼女は何者なんですか」
「テディスペシャルです。簡単に言えば僕の設計したメイドロボです。どうですか、すばらしいでしょう」
「……ロボット? 彼女が? しかもあなたが作ったと?」
 アラタが振り返るとさくらは困ったような笑みを浮かべた。
「そうです、すばらしいでしょう」
「すまないが帰らせてもらおう」
「なぜです。メイドはお嫌いですか。それともロボでがっかりですか」
「きみが金を持て余した狂人だと気付いたからだ」
 そう言ってアラタは踵を返した。無理もない、さくらはどこからどう見ても人間だ。より正しくはメイド服を着るタイプの人間だ。そんな彼女を指して自分が作ったと言われれば、誰だって正気を疑うだろう。アラタは足早に上ってきた階段を下りていく。
「そういう訳にはいきません。テディ、アラタさんを捕らえろ」
「かしこまりました」
 頭をぺこりと下げ、スカートを抑えながらさくらは大きく跳躍した。
 空中でくるりと向きを変え、狭い階段の途中、アラタの目の前に着地した。状況が理解できなかったのだろう、アラタは目を見開き、小さく叫んだ。
「申し訳ございません」
 その言葉を最後にアラタの意識は途絶えた。
 白い手袋をはめたさくらがアラタの頭を両手で掴み、脳に微細な振動を与えた結果だった。

(回想終わり)

 スマホの振動に気付き、アラタは我に返った。
 いつの間にか六限も半分を過ぎていた。さくらという名もなく、かつてメイドロボだった少女は真面目そうに授業を受けている。アラタはスマホを取り出し、メッセージが来ているのを確認した。
『固まってるけど、大丈夫?』
 差出人は同じクラスの椎名セーラだ。振り向くと、振り向くと彼女は小さく手を振った。数か国の血が混じっているセーラの明るい髪は長く、艶やかに波打っている。髪色と同じ明るい瞳が特徴的だ。
 アラタとセーラは家が近所で、中学は違うが幼稚園、小学校と同じ学校に通っていた。
『目を開けたまま寝てたみたいだ……』
『嘘だー。ずっとさくらちゃん眺めてたじゃない』
『そんな事ないよ! 今日は塾休みだったよな? 一緒に帰ろう』
『マジかっ! 了解~』
 爽やかな笑みを浮かべて小さく手を振り返し、メッセージのやり取りを終えた。セーラは嬉しそうに笑っていた。
 先生の配合した特製ドリンクを飲み、アラタは再び思い出の海に沈んでいく。

 工場で意識を失ったアラタが意識を取り戻した時、彼はプレハブ小屋のベッドに寝かされていた。
「ご主人様。アラタさんが目を覚まされました」
「経過は順調みたいだね」
 先生はこの時も漫画を読んでいた。
 焦点の定まらないまま身体を起こした時、アラタは服を脱がされている事に気付いたようだった。小屋の中もやけに寒い。掛けられていた毛布で身体を隠しつつ、頭を抱えながらアラタは尋ねた。
「……僕に何をした」
 どこか痛むのか、アラタは顔をしかめる。
「ちょっとした手術を施させていただきました」
「私が第一助手を務めさせていただきました」
「……何を言っているのか分からないな。僕の、僕の服はどこだ。返してくれ」
「ご主人様から片付けておくよう命じられたので、捨ててしまいました」
「テディ、片付けるっていうのはそういう意味だけじゃなく保管しておく意味もあるんだ。これからは間違えないようにしようね」
「ちょっと待て、捨てただと! スマホも財布も入ってたんだぞ!」
 アラタはベッドから下りようとして、やめた。今の彼は全裸だ。さくらだっている。
「申し訳ありません。まだ教育が不十分なもので。新しい服を用意させましょう。僕の服でよければすぐに用意できますが」
「別の服で帰ったら不自然だろう! ゴミ箱に捨てたものでいいから僕のを持ってきてくれ」
「残念ですがアラタさん、それは無理です」
「何が無理だって言うんだ!」
「アラタさんがここに来て三日経ってますから」
 先生はさらっと重要な事を口にした。
「……三日、だと」
 アラタは唖然とした表情で先生を見つめた。
「はい。三日です。でも安心してください、幸いにもスマホだけは無事です。こちらも少し改造させていただきましたので」
「いや、待て、三日? 三日だと?」
 混乱しているのか、アラタは妙な笑顔を浮かべた。
「三日間もここにいたって言うのか? そんなバカな事があるか!」
「本当ですよ。確認してください」
 先生が差し出したスマホをアラタは奪い取った。画面の日付は確かに三日進んでいる。
「……日付なんて設定で変えられる!」
 確実に日時を確認するため、アラタは時報に掛ける。
 しかし時報は残酷にも――彼が家を出た日から三日後の日付を告げた。
 理解が追い付かないのだろう、スマホを耳に当てたままアラタは固まってしまった。
「テディ、僕のジャージと新しい下着を持ってこい」
「かしこまりました。ご主人様」
 恭しく頭を下げ、さくらはプレハブ小屋から出ていった。
「――ははは」
 アラタは力なく笑う。
「僕に何をしたんだ」
「ですから手術です。世界を平和にするための」
「彼女がロボットだというのは本当なのか」
「本当です。僕が設計しましたから間違いありません」
「僕は、アンドロイドにでもされたのか」
「まさか。でも近いと言えば近いかもしれませんね。次の世界の人類、ポストヒューマン。アラタさんは人間であって人間ではない」
 アラタは左胸に手を当てた。心臓は動いている。
「名称なんてどうでもいい。具体的に、何を変えたんだ」
「それはテディが戻ってから説明しましょう」

「アラタくん、最近さくらちゃんと仲いいよね」
 高校からの帰り道、緑の映えるなだらかな下り坂の並木道。セーラは唐突に切り出してきた。
「そんな事ないよ。あいつが勝手に寄ってくるだけだよ」
「でも今日、お弁当あげてた」
「ちょっと頭痛がひどくてさ。余らせても悪いから片付けてもらっただけ」
「そういうの仲いいって言うんだよ?」
「そう? じゃあそうなのかもしれないな。俺は全然興味ないけど」
 セーラは小走りにアラタの前に回り込んだ。まっすぐに目を合わせ、彼女は言う。
「私の事は気にしなくていいからね」
「……何かあったのか?」
「ほら。すぐそうやって心配する」
 顔を綻ばせ、えいっとアラタの胸を小突いた。
「私はもう気にしてないから、アラタくんも心配しないでって事」
「分かってる。大丈夫だよ」
 セーラの手を握り、アラタは再び歩き始める。
「何があっても、セーラは俺が必ず守るから」
「もーっ! 全然分かってないじゃない!」
「冗談。冗談だよ」
 アラタは笑い、繋いでいた手を離した。

(回想)

 さくらが持ってきた先生のジャージを着、アラタは切り出す。
「それで、一体僕に何をしたんだ」
「言葉で説明するより実感してもらった方が早いでしょう。アラタさん、テディを殴ってみてぐださい。テディ、防御に徹しろ」
「かしこまりました、ご主人様」
 さくらは恭しく頭を下げる。
「待て。女性を殴るなんて野蛮な事はできない。殴るならお前を殴らせろ」
「テディはロボットですけどね。まあそれでも構いません。テディ、僕を守れ」
「かしこまりました、ご主人様」
「……本当にいいのか?」
「構いません。思いっ切りいっちゃってください」
 アラタの人生にこれまで暴力という言葉はなかった。しかし固く拳を握り締め、先生の顔面へと思い切り殴りかかった。
 最も驚いたのはアラタ自身だろう。
 その拳はあまりにも速過ぎた。直撃すれば骨を粉砕すると分かるほど、素人の繰り出せる拳ではなかった。
 しかし、その拳が届く事はなかった。
 尋常ならざる速度を更に超え、およそ人間では出せない速度でさくらが割って入っていた。
「シールド展開」
 さくらの言葉とともにハニカム構造の壁が彼女の前に現れた。拳は壁にぶつかり、ぐちゃりと嫌な音が鳴る。
 砕けて折れた手の骨が肉を破り露見していた。
「ぐわあああああッ!」
 大きく目を見開き、血まみれの拳を抱えてアラタはうずくまる。顔中から汗が噴き出す。ぽたぽたと滴り落ちる血に血相が変わる。
「上出来ですね」
 血の惨事を前にして先生は平然と言う。
「ありがとうございます、ご主人様」
「きみに言ったんじゃない。上出来なのはアラタさんだよ」
「失礼致しました」
「何でもいいから治療してくれ! 手が、手がぁッ!」
「大丈夫ですよ。痛いのは錯覚です。その程度の負傷、アラタさんならもう治っているはずです」
「そんな訳ないだろう! 骨が――」
 アラタは改めて砕けた手を見た。
「骨が……」
 初めから何事もなかったかのように、その手は正常なかたちを取り戻していた。だが腕や床に血は残っている。酷い怪我を負ったのは事実だ。
 アラタは確かめるように手を動かした。
「治っているだと……ッ! なぜだ、僕に何をしたんだ!」
「あなたは既に新しい世界の人間です。分かりますか。新しい世代というものは常に古い世代を駆逐する存在なのです」
 何を語る時も先生は平然と語る。
「しかしながら、今はまだ過程に過ぎません。まだ完全ではなく、世界を変えるほどの力はありません。どうですかアラタさん。この腐り切った世界を、もう一度再生したいと思いませんか」
 アラタは再生した手のひらを見つめた。
「世界を変える力……」
 その手を握り、拳に変える。まるで世界を手中に収めるように。
「おもしろい」
 アラタはニヤリと笑った。
「いいだろう、詳しく聞かせてもらおうか」

(回想終わり)

「それじゃあセーラ、また明日、学校で」
 セーラの家の前でアラタがそう言った時、セーラはアラタの手をぎゅっと握った。
「……アラタくん、最近変わったよね」
「そうかな。そんな事ないと思うけど」
「何だかすごく楽しそう。すごく自身に溢れてる」
「自覚はないけど、それならそれでいいんじゃないのかな」
「何だかアラタくんが遠くへ行っちゃった気がする」
「……そんな事ないよ」
 そう言ってアラタはセーラの頭を撫でた。
「俺は何も変わってない。いつだってセーラの味方だ。どうしたんだ? セーラこそセーラらしくないぞ」
「……そうかな。そうかもしれない」
「もしかしてさくらに妬いてるのか?」
「そんな事ないっ! そんな事ないもんっ!」
「ははは。冗談だよ」
 セーラの頭をぽんぽんと叩き、細い肩を両手で優しく握った。
「でも嫉妬してくれてるなら、俺はすごく嬉しいよ」
「アラタくん……」
 ほんのりと頬を朱に染めたセーラの肩を、元気付けるように優しく叩いた。
「何かあったら電話して。何もなくても構わないけど」

(回想)

 さくらが淹れた紅茶を飲みながら、アラタと先生は机を囲んでいた。
「完全な状態である必要はありませんが、ある程度成長した状態でのアラタさんのサンプルが欲しいんです。サンプルから量産したポストヒューマンを日本を中心に世界中に配置し、その実力を見せつけたところで我々が声明を出す予定です。血の流れない革命にしたいですね。できればですが」
「人間と同じ外見をした兵器を世界中にばら撒く訳か。効率的な方法だな。それで、僕はどうすれば今以上に成長できるんだ」
「RPGみたいなものですね。強い敵を倒してアラタさんは成長していきます。もちろん敵役も用意してあります。それが彼女達、魔法少女です」
 スマホを操作し、先生は壁に画像を映写する。複数の少女達の顔が映され、その下に詳細な説明が書かれている。
「魔法少女?」
「中止したプロジェクトネームです。当時は魔法少女達が悪を懲らしめる形式だったのですが、開発担当者と一緒に集団逃亡してしまいまして、複数の拠点を破棄する羽目になりました。まったく、人に任せるとろくな事がありませんね」
「要するにこの子達を殺せという事か」
「殺す必要はありません。武器だけ奪ってもらえれば十分です。説明にも書いてありますが、彼女達はそれぞれの武器によって強化された存在ですので。もっとも黄色のこの子、マナだけは相手にできないと考えてください。無限に増え続ける上、常に安全な場所に何人か待機させているようなのでキリがありません。それでも経験値を稼ぐために何度かは戦っていただきますが」
「……どういう理屈かまったく分からないな」
「科学の行き着く先は魔法の領域という事ですよ。初めのうちはテディも同行させます。魔法少女達の武器による最大攻撃力未満なら彼女のシールドで防ぐ事ができます。そういう訳で、彼女に名前を付けてあげてください」
「テディは名前じゃないのか?」
 立ちっぱなしで黙っているさくらに目を遣ると、彼女は困ったように笑った。
「違います。テディスペシャルはあくまで型番です。ほら、仲間になったらまず名前を付けるのがお約束でしょう。僕、こういうの苦手なんですよ。考え過ぎて結局決められないタイプなんです」
「僕もそういうのは苦手だ。逆に執着がなさ過ぎてだが。テディでいいじゃないか」
「テディロイドは他にもいっぱいいるんです。それに彼女はポストヒューマン量産型の試験タイプとして一般生活をさせる予定なんです。テディじゃおかしいでしょう」
「どうして僕が責められているんだ。テディ、きみの希望はないのか」
「ご主人様の意向に従うまでです」
「これからのパートナーです。いい名前を付けてあげてください」
「……なら、桜井さくらで」
「……本当に執着がないんですね」
「嫌ならきみに決めてもらおうじゃないか。そもそもきみの名前は何なんだ」
「いえ、桜井さくらですね。それで結構です。テディ、今日からお前は桜井さくらだ」
「かしこまりました、ご主人様」
 さくらは恭しく頭を下げる。
「それから、僕の事は先生と呼んでください。他の者もそう呼んでおりますので」
「テディ、じゃなかった、さくらはご主人様と呼んでいるが?」
「メイドにご主人様と呼ばせるのはロマンでしょう! 男からそう呼ばれたくはありません。さくら、今すぐ僕への呼称を先生にしろ」
「かしこまりました、先生」

(回想終わり)

 真夜中、〇時を回った頃。アラタは机に向かい復習をしていた。明りはデスクランプだけだ。
 復習といっても教科書をぱらぱらとめくっているだけで、特に集中している様子はない。それでもアラタは十分に学習する事ができた。それだけの能力が備わっていた。
 机の上、すぐ手の届く場所にスマホが置いてある。アラタはそれにちらちらと目を遣っていた。誰かからの連絡を待っているかのようだった。
 スマホが震えるとアラタはすぐに着信ボタンを押した。
「俺だ」
『僕です』
 アラタは立ち上がり、ブレザーに袖を通す。
「先生? さくらはどうした」
『ポートアイランド七四倉庫に襲撃を受けまして、彼女には先行してもらっています。メンテ中のテディロイドがある場所なのですぐには破棄できないんですよ。急行してもらえますか』
「分かった。相手は」
『赤色の魔法少女です。ちょっと困った子ですけど、やれますか』
「問題ない。八秒後にパーソナル迷彩を起動しろ」
 通話を切り、アラタはベランダから跳んだ。ヴァンパイアへと変貌を遂げ、弾丸のように夜の町を駆けていく。
 夜を歩く人や建物を正確に捉えながら人工島、ポートアイランドへと一直線に突き進んでいく。

 一方、ポートアイランド七四倉庫では既に戦闘が始まっていた。
 燃え上がる炎を模したロングジレ、白熱した剣を構えた赤色の魔法少女リリが尋ねる。
「あんた、魔法少女じゃないの?」
「違います。システムを一部流用しただけです」
 大音高校指定ではないセーラー服を着用し、眼鏡を外したさくらは巨大な銀色の盾を構え、困ったように笑いながら返す。
「それより、あなた方みーんな高校生ぐらいですよね? なのに魔法少女って。ぷーくすくす」
「てめえっ!」
 一気に距離を詰めたリリが剣を横に薙ぎ、さくらはそれを巨大な盾で防ぐ。寸瞬、ハニカム構造の光が瞬いた。
「加速が本領なんでしょう。もっともっと距離を取ってもらってもいいんですよ? そのまま逃げてもらっちゃってもいいんですよ? ぷーくすくす」
「お前こそ守ってばっかだろうが! 時間稼ぎしか能がないくせにえらそうに言うな!」
 振り下ろされた剣をさくらは再び盾で防ぐ。
「防衛に徹しろと命じられてますので? っていうか、あなたも時間稼ぎですよね?」
「……どうしてそう思う」
「私が防衛に徹してるのは明らかなんです。距離を取る時間はいくらでもあります。本気で私を突破するつもりなら普通そうしますよね。お仲間が来るんでしょう?」
「…………ッ!」
「いいですよ、待っててあげます。一人じゃ何にもできないお嬢さん。ぷーくすくす」
「……殺す」
 そう言ったリリの目に炎が揺らめいた。さくらに背を向け、剣を振るう。
「拓け、火焔の路ッ!」
 リリが叫ぶと同時、倉庫の壁を貫き、燃え上がる炎に包まれた坂道が星空に届かんばかりに現れた。
「逃げるなら今のうちだぞ、地下施設ごとぶっ壊す!」
「やれるものならどうぞ。私はここを一歩も動きません」
「……やるッ! やってやるッ!」
 そう言い残し、リリは火焔の路を急激な加速で駆けていった。
「やれもしないくせに。ぷーくすくす」
 火焔の路を見上げながら鼻歌を歌っていたさくらのもとにアラタが駆け付けた。
「待たせたな、無事か。……その恰好はどうした?」
 火焔の路を見て状況は察したようだ。
「もちろんです。この装甲は先生の新作です。似合ってますか?」
「……先生と呼ばれるなら学生という事か。あいつはいつもくだらん事に力を割く」
「似合ってるか聞いたんですけど」
「似合ってるよ。メイド服もよかったがセーラー服もまた一段といい。……これでいいか」
「わーい。ありがとうございます」
 アラタは再び火焔の路を見上げた。
「初撃は耐えられたのか」
「問題なく」
「次はいつ戻ってくる」
「もうすぐじゃないでしょうか。かなり焚き付けたので私が防ぎますね」
「少しでも経験が欲しい。俺が防ぐ」
 そう言ってアラタはさくらの前に立ち、両手を銀の槍へと変化させた。
「ご存じだと思いますけど彼女は加速が本領です。速度に比例して加速度の上がる路を展開し、武器の威力も速度に比例して上昇します。応援も来るそうですし、私が防いだ方がよくないですか?」
「構わん。赤いのも応援も俺が倒す。さくらは誰が応援にくるのか先生に特定を急がせろ」
「了解でーす」
 リリは程なくして戻ってきた。速度に対して加速度が上がる彼女の特性は突撃にも撤退にも無類の優位性を誇る。
 しかし先生も言っていたように、リリには困った癖があった。
 リリは火焔の路からではなく、低い放物線を描く超高速の跳躍によって戻ってきた。
 何か叫んでいるが音速より速く聞き取れない。
 数千メートルの距離が一瞬で詰められる。
 上段に剣を構えるリリを、アラタの目は正確に追っていた。
 振り下ろされた剣と槍が、衝突する。
「うおおおおおおおッ!」
 腰を落とし低く構えていたアラタが一気に押される。残像を生み出すほどの速度に、速度によって増す剣の威力に、受け止めた両腕の槍が硬質な悲鳴を上げる。
 倉庫の端まで追い詰められる。アラタの足が壁にぶつかる。
 否、それは壁ではなかった。さくらの構えた巨大な盾だ。
 直後、アラタはハニカム構造の壁に包まれ、リリは後方へと大きく吹き飛んだ。
 振り返ったアラタは激昂する。
「俺が防ぐと言っただろう!」
「えへへ。すみません」
 困ったように笑いながら、さくらはちろりと舌を出した。
「……来たな、悪魔め」
 剣を杖代わりにリリは立ち上がっていた。まだ目の焦点が合っていない。
「どう呼ばれようと構わんが、どうする。もう一度加速してくるか? 俺はその方がありがたい。今度はちゃんと路を駆け抜けてこい」
「いや、もういい……。どうせ私に人殺しなんてできないんだ」
 これはリリの説明にも明記されている。
 彼女は圧倒的な力を持ちながら、あるいはそれ故に、人を殺す事ができない。
 そうでなければ最初の突撃できちんと火焔の路を駆け抜け、最大火力でさくらを斬って捨てられたはずだ。
 そんなリリに対し、アラタは明らかに見下した口調で告げる。
「信念のために人一人殺せないか。くだらん」
「お前は……お前らは、あいつの理想が狂っていると思わないのか? あの変人の目的は究極の恐怖政治なんだ。本当にそれでいいと思っているのか!」
「私は命令に従うのみですので」
 さくらは即答し、アラタは一笑に付す。
「構わん。どのような管理社会が作られようが、誰も不幸にならない世界が実現できるのならそれでいい」
 リリは声の限りに叫ぶ。
「お前らは狂ってる! そんな世界じゃ誰も幸せになれないんだッ!」
「吠えるなら対案を出せ。理想のために誰も犠牲にできないような半端者が騒ぐな。武器を置け、それは人を殺す道具だ」
「……分かってる!」
 リリはアラタに武器を投げつけた。ハニカム構造の光がそれを防ぐ。
「時間稼ぎは終わりだ。もうすぐこの倉庫は地下施設も含めて跡形もなく吹き飛ぶ。……お前らは逃げろ」 
「……さくら、先生からの情報は」
「近隣に魔法少女の存在は確認できません。逃げるための口実では?」
「それなら武器は足元に置く! 撤退するぞ!」
「了解でーす」
 アラタはリリの剣を拾い、さくらとともに倉庫から撤退した。
 その、直後だった。
 いくつもの白い光が、倉庫上空から降り注いだ。
 区画を正確に絞り、七四倉庫だけが灰も残さず消えていく。地上の倉庫が消えてなくなっても破壊の光は止まらず、メンテ中のテディロイドもろとも地下施設を完全に消滅せしめた。

 それから程なくして黒塗りの車が二人を迎えに来た。今は人工島と本土を繋ぐ橋の上を走っている。夜はまだ深く、しかし街の明かりは煌々ときらめいていた。
「七四拠点が壊滅したのは残念ですが、アラタさんが無事でよかったです。収穫もありましたしね」
 本土の夜景を見つめながら先生はそう言った。
「空を飛ぶ魔法少女がいるなんて聞いていないぞ。どういう事だ」
「僕にも分かりません。組織のような資金源がない限り新しい魔法少女を作るのは不可能なはずなんですけどね。うちにいた時にこっそり作っていたか新しい資金源を見つけたか、どちらかでしょう。後者だと少しまずいですが」
「ところでアラタさん。この子、どうするんですか?」
 そう言ってさくらはリリの頭を撫でた。今は強力な睡眠薬で眠り、さくらの太ももを枕にしている。倉庫から逃げる際、アラタが担いで連れてきていた。
「何か使い道があるだろう。それこそ空を飛ぶ魔法少女について知っている可能性が高い」
「僕は望み薄だと思いますけどね。こうして連れていかれる可能性を考えれば、普通は当人にも情報を知らせないものです。大きな収穫である事は間違いないですが」
「敵対する魔法少女をさらうなんてドキドキですね。やっぱりえっちなお仕置きなんですか?」
 嬉しそうに笑いながらさくらは尋ねる。
「お前は俺を何だと思っている」
「性欲持て余す健全な男子高校生ですよね」
「おい製造責任者。このテディスペシャルには致命的な欠陥があるぞ」
「製造はしましたが責任は取りません。その子は安全性の高い拠点にでも置いておきましょう。アラタさんは今日学校なんですよね?」
「当たり前だ」
「では先に下ろしましょう。さくらは今日休みなさい。空飛ぶ魔法少女のデータを取ります」
「了解でーす」

 家に帰ったアラタが確認すると、セーラから二件の通話着信があった。
 アラタはメッセージを返す。
『ごめん寝てた! 何かあった?』
 寝間着に着替えているあいだもアラタはスマホを気にしている様子だったが、返信はなかった。
 それからしばらく起きていたが、スマホを握り締めたまま、アラタは深い眠りに落ちていった。

 子浦山、山頂付近。魔法少女達が隠れ家にしている別荘にて。
「えっ! リリと連絡が取れない!?」
 マナの驚いた声に、シヴァはすっと立ち上がった。
 魔法少女達は脳に埋め込まれたチップでシスターと連絡を取っている。今まさにリリが囚われたとの情報が伝えられたところだった。
「……居場所は分かってるんですね。分かりました、連絡を待ちます」
 声に出す必要はないのだが、考えるだけで意思疎通するのは難しい。
「助けに行ってきます……」
「ちょっと待ったー!」
 ゆらゆらと揺れるように歩き、出ていこうとするシヴァの腕をマナが掴んだ。
「どうして止めるの……?」
「シヴァだって聞いてたでしょ! 剣の反応があるのはホテルの上層階! 私達が潜り込めるような場所じゃないでしょ!」
 ふぅ、とシヴァは嘆息した。その息はとても冷たい。
「……ホテルごと破壊すればいいじゃない。大丈夫、リリなら死なない」
「ばかっ!」
 マナはシヴァの頬を叩いた。
「ホテルに何百人の人がいると思ってるの!? 私達は正義の魔法少女なんだよ!」
 叩かれた頬に手を当て、シヴァは冷たい目でマナを見遣る。
「何百人いようが同じ。私はリリの方が大切だもの。拷問を受けてるかもしれない、殺されるかもしれない、それなのに放っておくの……?」
 僅かに間を置き、シヴァは尋ねる。
「正義ってそんなに大切なもの?」
 じわり、とマナの目に涙が浮かんだ。両の拳は震えていた。
「大切だよ。その一線を越えちゃったら、あいつと一緒じゃない」
「……分からない」
 ゆらりゆらり、頼りない足取りでシヴァはドアを開け、静かに呟いた。
「……そう」
 別荘の外では数十人のマナが大槌を構え、シヴァを睨んでいた。
 ドアを閉め、シヴァは室内のマナへと振り返る。彼女もまた大槌を構えていた。
「絶対に行かせないつもりなのね」
「当たり前じゃないのっ! そんなやり方で助けたってシスターもリリも喜ばないっ!」
 叫ぶマナに対し、見つめるシヴァの目線はとても冷たい。
「私だってつらい。だけどシヴァ、落ち着いてよ、お願い。今はシスターの連絡を待とう?」
 随分と長い間が空いた。
 シヴァの心は怒りに燃えていたのだろう。
 マナの言い分は分かっていても、心を冷ます時間が必要だったのだろう。
「分かった。ごめんなさい、ごめんなさい……」
 そう言ってシヴァは定位置、部屋の隅でうずくまった。
 その目はただ一点をじっと見つめていた。

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