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怪奇

 自宅の庭で頭がい骨発見。字面的には全く派手ではないものだったけれども、タクトの経験としては衝撃的だった。骨を箸で取り上げる経験がなかったわけではなかったけれども、それはあくまで身内のもので、荼毘の炎を潜り抜けてきたものだけだ。だれのものか分からない、しかも地中で肉の部分がすっかり分解されている白骨を取り上げる経験はあるわけがなかった。
 常識ある未成年であれば、これを親に知らせるのが常識であろう。タクトもこの点においては常識人で、親に頭がい骨の存在を教えた。こうして親から警察に電話が入って、タクトは第一目撃者として警察から調書をとられる。ごく当たり前の流れだ。けれども、タクトの親は、特に母親がとんでもないことを言いはじめた。
 黙っていろ、だれにも言うな、警察にも言うな。
 まったく非常識な母親だ。日々の疲れかなにかかは分からないけれども、タクトが正しいに決まっているのに、キーキー怒っている。ヒステリックな声のせいで、たぶん周りに声が漏れているのに、だれにも言うなとはなんていう言い草か。一方父親はどうかといえば、母がヒステリックしている横で静かにしていたけれども、いよいよその場に留まっていられずに台所に消えていったところでタクトに耳打ち。これはお父さんがなんとかしておくからお前はなにもしなくていいよ。まったく常識的な父親である。
 ただ、常識的か否かでとらえられない問題が多々起こるようになった。タクトの家の周りには家がない。お隣さんまでは歩いて数分という場所にあるぐらいだから、夜は防音室並みの静けさである。なのに、声が聞こえる。うめき声のようなソレは夜通しずっと、時たま日本語とはっきり分かる言葉が耳にとびこむ。ときには、だれかとだれかが会話しているような。内容もさまざまで、ただのひとりごとのようなつぶやきから、ひどく耳に障る罵り言葉や人の悪口。海外コメディのような陽気な言葉の投げ合いが聞こえたときには夜中に大笑いしてしまった。ただし、『お前は俺らの話が聞こえるのか?』と、あたかも耳元でささやかれたような音を耳にして肝が縮み上がった。どんなにおかしな話でも、タクトは笑えなくなってしまった。
 あくまで外からの異変だったからまだよかった。しばらくしたら、ついに家の中にまで異変が浸みこんできた。廊下から足音が、床のきしむ音が聞こえてくるようになった。廊下からだったときはまだよくて、ひどいときは耳のすぐ近くを歩いたり、天井からきしむ音が聞こえたりした。ずっと歩いているわけではなくて、ときどき音がなくなるから恐い。立ち止まっている間、足音の主は一体なにをしているのか。目をあけたらその姿を見つけて、しかも目が合ってしまうそうだから必死に目をつぶっていた。
 二週間ぐらい正体不明の物音や声に悩まされ続けたあげく、タクトはついにつけられるようになった。タクトは声が聞こえるようになったとはいえども、その姿や形を目に収めはしなかった。
 ではどのようにしてつけられていると分かったのか? 
 わら人形がいるのだ。
 日本人ならよく知る定番中の定番の呪詛アイテムが、二足歩行で、学校帰りのタクトの後ろを、ついてくる。人間らしく足をつけて歩くのではなくて、幼児が人形遊びをしているときのような、ひざを曲げないで身体を左右にゆすりながらついてきた。間隔というと、電柱同士の間隔ぐらい離れたところを、てくてく。立ち止まれば、藁人形も微動だにしない。歩き出すふりをすれば、つられて一歩踏み出して、そのまま固まったままになる。なんだか人間臭い雰囲気があるわら人形ではあるけれども、わら人形はわら人形。だれかの呪いを実現するための道具だ。
 だれかが呪いをかけようとしているのではないか。タクトはひたすらについてくるわら人形を気にしながら家路を急ぐ。だが決して早足ではなくて、というのは、家に逃げ帰りたい気持ちと、家にまでついてこられたらどうしようかという気持ちが半々でごちゃまぜになっているからである。
 駅から自宅までは、歩いておおよそ二十分。駅を降りたときには後ろをついてくる人形はいない。けれども二つ目の交差点のところで振り返るとついてきている。はじめは毎度ちらちらと後ろをうかがって、中間地点あたりになったあたりでそいつを巻くことを考える。幾度となく道を曲がって、ときどき道ですらない藪を通り抜けて、それぞれのポイントで後ろに黄土色のそいつがいないのを確かめて、それから家の門をくぐる。姿がなくなってからは全力疾走え家の中に逃げた。
 外から聞こえる音だけではなく、家の中に忍びこむ音だけではなく、目に見える呪いの道具までもがタクトを追いこむ。日を追うごとに、わら人形から逃げるのが難しくなっていた。日進月歩で知能を蓄えているかのようで、藪の中を抜けたところで待ち伏せしていたり、電柱や電線を使って、高いところからタクトを見下ろしながら追跡するという高等技術を使ったりした。
 家にまでついてこられたら、たぶん自分の全てが終わる。タクトは直感としてそれを理解していたから、自分の足りない頭をオーバーヒート寸前まで使いこんで逃げきろうとした。ルートを考えたり、行方を分からなくするための隠れ場所を見つけたり。日に日に帰宅に要する時間が伸びていった。二十分が三十分に、三十分が六十分に。長くなる帰宅時間とは裏腹に、わら人形はますます自宅まで距離を縮めてきていた。その場しのぎの恐怖ではない、一日中、朝から家に逃げ帰った布団の中まで、延々と続く恐怖。さて、これで寝不足にならない人間がいるとしたら、ソイツは限りなく悪霊に近い人間か、人間っぽいなにかなのだとしか思えない。迫ってくる、迫ってくる。いるわけがないだれかの会話ときしむ音を耳にするタクトの頭の中は、わら人形が自分に向かって距離を縮めてゆくさまがぐるぐる回っていた。
 そしてついに、わら人形が、自宅の門へとつながる直線の道までやってきた。
 タクトはぼんやりとした寝不足の頭で『死』という言葉が充満してくるのを感じた。わら人形に取り殺される自分。わら人形が五寸釘を持ってやってきて、首なり心臓なりを刺して殺すに違いない。体から飛び出した魂をどこかへ持っていってしまう。もはや逃げようがないし、逃げる場所もない。そう思うと、怖くて怖くてたまらないのに、門までの道を全力疾走する気になれなかった。
 いつも全力疾走でくぐりぬけた門を歩きのペースでまたぐ。門から庭を縦断して、古臭い家の引き戸をゆっくりと開ける。ただいま、とつぶやいても反応はない。台所から物音がするところ、ヒステリックな母がなにか見つからずにイライラして今にもブチ切れそうなのだろう。大声で言葉を発すれば、怒鳴り散らされるのは目に見えていた。
 いるはずのないなにかが足音を立てる廊下を奥に進むと、自分の部屋の扉が大きくなってきた。まだ足音が聞こえてくる。姿に見えない足、あるいはストーカー。正体を確かめようと確かめまいと自分の人生が終わることには変わりないだろうから、あえて振り向きはしなかった。
 最期は自分の部屋で終わるのか。タクトはもはや考えるのをあきらめた。部屋に入ってしまえば逃げる場所はない。逃げる気もない。ついにタクトの想像していた五寸釘を体に突き刺す光景が現実になろうとしているのだ。タクトの力ではこの将来はどうすることもできない。タクトには抵抗できない。分かりきったことだから、タクトはあきらめた。
 扉を開けようとしても、なかなかドアノブに届かなかった。ノブがあるはずの場所めがけて手を伸ばしても、全然捕まえることができない。一体どうしたものか、自分よりも先にドアノブが殺されてしまったか。タクトは手元を見下ろしてみれば、しかし壊されたわけではなくて、ただ手が届いていなかった。このときにはじめて、タクトは自分の腕がブルブル震えているのを知った。
 腕だけではない。脚もひどく揺らいでいた。走りすぎて膝が笑っているのと大差ないぐらいだった。けれども、歩く距離はかなり長くなってはいたものの、笑うほどではない。脚までもが震えているという現実を把握して、ようやく恐怖の波がすぐそこまで迫っていることに気づいた。
 怖い。怖い。怖い。タクトは波に気づいたのと同時にのみこまれて、それ以外に考えられなくなってしまった。怖い。殺されたくない。あきらめていたつもりがたちまち生きる本能にすがりついて、目前に迫る将来を、ルートを変えたいと考える。この恐ろしい状況から逃げだしたい。
 タクトは背後の扉に振り返った。ドアの先にいるのはサチ姉である。タクトにとって最も信頼できる人である一方、最も迷惑をかけてはいけない人でもあった。あまり迷惑はかけたくはないけれども、しかし、タクトにとっては生きるか死ぬかの瀬戸際。他人を心配する余裕はなかった。

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