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厄日な休日2

「な、何事ですか!?」

 男は驚愕しながら舞台袖に顔を向ける。会場の人々も自身の護衛を近くに呼びながら、固唾を飲んで事態の推移を見守っている。状況が分からなければ動けないのだろう。

「・・・・・・」

 僕は視線を舞台裏の方まで飛ばして状況の把握に努める。どうやらあの二匹の蜘蛛が檻から出たようだ。それにしても・・・。
 僕は反対側に立つ商人風の男の様子を確認する。僅かに腰を落として周囲に油断なく視線を向けている様子から、明らかに戦闘慣れしているように見える。片手は腰元に隠し持つ武器がすぐに取り出せるように、服の裾にそっと触れている。
 さて、どうしたものかと様子を窺う。
 正直ここがどうなろうと、この場の人間がどうなろうとも、心底どうでもよかった。自業自得だろうし。
 まぁ犯罪者の臭いはしなかったから、商品にさせられている人々は別だろうが。特にエルフの女性は隙を見て逃がさなければいけないだろう。種族間の摩擦は歓迎できない・・・もう手遅れではあるのだが、無駄と解っていても、放置してわざわざ火に油を注ぐのは愚か者の所業だろう。
 そう考えていると、ドガンという大きな破壊音と共に舞台近くの壁が派手に吹き飛ばされる。
 その吹き飛ばされた壁から巨大な何かが姿を現す。
 会場の視線が集中する中、その巨大な何かが舞台の明かりにその身を晒し、その全容が皆の目に映る。それは、先刻競り落とされたエルフの女性の前に出品されていた大きな蜘蛛の魔物であった。

「うわっ!!」
「キャー!!」
「な、何だ!!」
「おい!! お前らどうなっている!!」
「お、お前ら!! 俺を守れ!! 早くしろ!!」
「助けてーー!!」

 大蜘蛛のその派手な登場に怒声や悲鳴が飛び交う中、競売に参加していた人達は御付きの者や会場の護衛達を盾に、我先にと入り口へと殺到する。
 しかし、魔物も馬鹿ではない。強ければ強いほどに知能も高くなる。それに狩る側の本能というのもあるのだろう。僕の眼は小蜘蛛の方が裏から扉の先へと回っているのを捉えているのだから。
 彼らがどのような人物であれ、彼らの行動を非難するつもりはない。命の価値は平等ではない。雇われている以上雇用主の方が命の優先順位は高いのだろう・・・感情の面では別だろうけれども。
 まぁそんな雇い主達も扉の先では大変だろうが。
 とはいえ、この流れは実に不自然だ。まるで図ったように魔物が行動している。
 僕は寸刻考え、なるほどと納得する。あの魔物は魔族産だ。外で自然発生した訳ではない。つまりはこれは魔族の偵察。いや、暇つぶしか?
 魔物を創造した場合、創造主と創造物には繋がりのようなものが生まれるという。それはある意味では主従関係を表すようなものではあるが、その繋がりで、創造主は創造物が見聞きしたものをぼんやりとだが感じることが出来るらしい。
 強大な魔族が魔物を生み出した際は見聞きしたものがはっきりと分かっただけではなく、触覚まで感じることが出来たとか。他には創造物越しに相手と会話したとかあるらしい。どこまでが本当かは分からないけれど。
 とにかく、今回の騒動は蜘蛛の魔物越しに魔族がこちらを観察しているのだろう。それならば、あれ程の魔物を捕獲出来たのにも納得がいく。つまりはわざと捕獲されたと。道理で蜘蛛がいつでも壊せる檻の中で大人しかった訳だ。
 入り口に殺到する人の波を避ける為に入り口から離れていた僕の耳に、廊下から恐怖に染まった叫び声が届く。
 会場も主催者側の護衛と、競売のお客側の護衛が大蜘蛛を相手に囲って戦っているが、時間稼ぎぐらいにしかならないだろう。
 僕はその間に、商品にされている人々がいる場所へ移動することにする。隠密行動は得意だ。でもその前に、同じように密かにどこかへ移動しようと様子を見ている商人風の男性に目をやり、興味が湧いたので、移動を開始したら途中まで後をつけてみることに決める。
 その為にもまずは自分の存在を消す事からはじめようか。そう思ったものの、まずはやらなければならないことがあることに思い至る。

『プラタ、聞こえますか?』
『何で御座いましょうか? ご主人様』
『現在どちらに居ますか?』
『ご主人様が居られる建物の外に』
『見つかっては――』
『御座いません。御安心ください』
『こちらの様子は把握していますか?』
『三匹の蜘蛛の魔物が人々を襲っているぐらいですが』
『三匹?』

 その言葉に眉根を寄せると、僕は魔力視の届く範囲を拡大する。そこで確かに新たにもう一匹の蜘蛛の魔物を確認できた。
 その蜘蛛は檻に入れられている魔物を食べているようであった。しかしあんな蜘蛛、騒動が起きて直ぐに目を向けた時には居なかったはずだけれど。

『一体何処から?』
『大きな蜘蛛の中から出てきていました』
『なるほど』

 つまりはあれは母蜘蛛だったということか。
 あまり見たくないからと視野を狭めたのは失敗だった。まだまだ自分も甘いな、と内心で苦笑する。

『蜘蛛が外に出た場合の駆除をお願いできますか?』
『畏まりました。人間の方はどう致しますか?』
『捨ておいていいです』
『では、人間を追って魔物が出てきた場合はいかが致しましょうか?』
『・・・・・・』
『ご主人様?』
『外の人間に被害が及ばないように任せます』
『では、その時は喜劇を観覧させていただきましょう』
『あまり痕跡を残さないようにお願いしますね』
『御任せください』
『頼りにしています』

 これで魔物の方は大丈夫だろう。それにしても、視界が広いとはいえ、最近はプラタに頼りきりだな。今度何かお礼をしないと。
 さて、後顧の憂いを絶ったところで、彼が動き出すより先に存在を消しときますかね。
 気配を消す。
 言葉でいうのは簡単だが、これがまた意外と難しい。といっても、もう慣れたものだが。
 自分を消し、世界と同化する。己の存在が消えて無くなる感覚は結構気分がいいものだが、それに浸って心を乱しては意味が無くなるのが残念だ。
 商人風の男は大蜘蛛が開けた壁の穴ではなく、大蜘蛛と護衛達を迂回して舞台袖の方へと移動する。舞台上には誰も居ない。司会進行役を務めていた男を含め、舞台に居た人間は皆、大蜘蛛の出現と共にお客を囮に袖の奥へと消えていた。
 結局、僕が目指す壁の穴の先も舞台袖の奥からでも行けるので、僕は手にしていた本を舞台袖に隠すようにそっと置くと、そのまま商人風の男の尾行を継続する。
 商人風の男はしきりに周囲を警戒しながら先へと進むも、どうやらそれでも僕の存在に気づいていないようだった。
 舞台袖の奥は広い空間になっており、そこは暗闇ではなく、物の輪郭が薄っすらと確認出来る程度の明かりが点されていた。
 その広い空間の先には、仄暗い明かりでその身を浮かび上がらせる廊下が目に映る。
 商人風の男は周囲を警戒しながらも、迷うことなくその廊下へと足を向けた。
 その身のこなしは手慣れているようではあるが、こういう潜入はよくやっているのかもしれない。まぁそれでも人間相手には、のようだけれど。それにしては、前を進む商人風の男からはあまり嫌なにおいはしないんだよな。
 僕は後を追いながら、何かヒントになる事はなかったかと記憶を探る。
 人と会話することに慣れた喋りに、見た目を意識した着こなし。笑顔を張り付けることが習慣になっている人間。これだけでも十分怪しいのだが、競売中の彼の視線の先には何があったか・・・一番意識していたのは軍人風の男ではなかったか? その視線は敵意や嫌悪を微かに含んではいたが、それよりも観察しているような雰囲気の方が強かった。
 そこまで考えて、そういえば特別教室の時にアンジュさんやスクレさんが話していた内容を思い出す。奴隷売買は根が深く、憲兵隊が捜査していると。
 そこまで思い出せれば、彼の正体が容易に想像がつく。ああ、この男は憲兵隊の人間なのか、と。まぁ何の確証もないんだけれども。
 じゃあこの男の向かう先はこの場所の中枢か、この場の中心人物の場所かも知れない。僕は商品が運ばれた場所に向かってるので、残念ながら彼とは途中までしかご一緒できませんが。
 足音に気を付けながら薄暗い廊下を進む事暫し。僕は先を進む商人風の男と別れ、落札された商品置き場へと続く道に折れる。
 曲がった先の薄暗い道を進む。廊下はそこまで長くは無く、程なく落札商品置き場に辿り着いた。
 廊下よりは少しだけ明るいその部屋で目にしたものは、凄惨な光景であった。

「これは・・・」

 壊された大量の檻。そこに入っていたであろう魔物の姿は最早無く、その魔物を喰らった蜘蛛の魔物は少し前に確認した時よりも若干成長したように思える。その蜘蛛が現在食しているのは、同じ部屋で檻に入れられていた人であった。
 阿鼻叫喚とはこのことかと言わんばかりに、あちらこちらから悲鳴や絶望、怨嗟の叫び声が上がっている。逃げようにも檻の中では逃げられない。
 エルフの女性が入れられている檻は蜘蛛が食事をしている檻から離れているが、彼女はへたり込み、酷く怯えていた。
 とりあえず蜘蛛の魔物を狩らねば話にならないだろう。ただし、魔族が魔物越しに眺めている事を考慮すれば、出来るだけ密やかに。それでいて速やかに。
 僕は爆炎と呼ばれる魔法を発動する為に素早く魔力を練ると、蜘蛛の体内に爆炎の基点を精確に定める。魔物の体内で収まるように威力調整も忘れずに。そして。

「ギィ!」

 短い悲鳴にも、ただ空気が漏れただけにも聞こえる声を上げると、蜘蛛の魔物は表面上は何事もないままに魔力へと還っていった。
 突然の事に驚く人々を他所に、僕は檻を壊して生き残った全員が逃げられるようにする。
 急に出来た出口に一瞬の空白が生まれるも、直ぐに人々は檻から出て我先にと逃げようとする。どうやら地位も名誉も関係なく、人は人らしい。
 それに苦笑しながらエルフの女性の下へ移動する。
 エルフの女性が入れられている檻は他より少し頑丈な檻ではあったが、魔法的な守りは脆弱だった為に、解除の魔法であっさり鍵を外して中へと入った。
 因みに解除の魔法で他の檻の鍵を開けなかったのは、壊した方が開いたのが分かりやすいからで、決して面倒だからではない。

「ヒッ!」

 檻の鍵を開けて入ってきた僕に、エルフの女性はしゃっくりのような悲鳴を上げて怯えた目を向けてくる。
 その恐怖に濁った目に心が軋む音が聞こえた気がして、勘弁してくれと泣きたくなったが、今はそれどころではない。
 エルフの女性を拘束している手枷と首枷を解除の魔法で鍵を外すと、両手を伸ばしてそれを丁寧に外す。手を伸ばした際にもの凄く恐がられたが、気にしない気にしない・・・気にしない。
 枷を外されたことに呆然としながらも、エルフの女性は確かめるように手首や首元に手を当てる。
 それを確認して、「逃げますよ」 と僕は手を差し伸べた。
 エルフの女性は差し出した僕の手と顔を何度も何度も交互に見遣り、おずおずと僕の手に自分の手を伸ばしてくる。
 手と手が触れると、それを優しく掴んで引っ張り立たせる。
 舞台で見た時は離れていたので正確には分からなかったが、思っていた以上に彼女は長身で、僕よりも少しだけ背が高かった。ちょっと悔しい。
 エルフの女性に怪我がないかサッと確認する。流石に商品には何もしていないようで、怪我があるどころか健康そのものだった。ただ、少し肌艶が悪く、多少ガサガサと荒れている気がするのは、もしかしたら食事は拒絶していたのかもしれない。そう思えば、体形も細すぎる気がする。
 その頃には商品だった人達はほとんど逃げたようで、商品置き場は大量の檻があるだけでがらんとしている。逃げた後の事については感知しないので、是非とも頑張ってほしいものだ。犯罪を犯すようなら容赦はしないけど。
 西門街の警備には西門警固兵も協力している。警固任務の一環として生徒も参加しているとか。僕は調査に専念しているので参加したことはないけれど。
 とまれ、まずは蜘蛛の徘徊するこの建物から無事に逃げられるか、なんだけれども。建物内の人間もだいぶ減ったみたいだし。
 僕はエルフの女性と共に部屋を出る。この建物から出なければならないのは僕も同じだ。それも彼女を誰にも見られないようにしながら。
 部屋を出た先にある廊下は、今しがた大量の奴隷が逃げた割にはとても静かであった。
 それを不審に思い、建物内を探知する。
 その結果、蜘蛛二匹はまだ建物内で人を狩っていた。
 小蜘蛛は競り客を逃がさないようにしつつも、少しずつ愉しむように襲っている。
 大蜘蛛は護衛を全て片した後に、こちら側へと移動して来ていた。途中で出くわした商品を捕食しつつも薄暗い廊下を移動している。どうやらあの商人風の男と同じ方角を目指しているらしい。
 それにしても、よくよく大蜘蛛の魔力を観察してみると、胎内にまだ小蜘蛛が蠢いているのが視える。食した人間の魔力を養分にしているらしい。
 魔法使いは当然としても、魔法が使えない人間でも微量に魔力自体は体内に保有しているからな。それに、どうやら小蜘蛛と魔力を共有できるようだ。親子の成せる技なのかな? それとも創造主が同じだからか? これもまた興味深い。
 念のために商人風の男が向かった方角にも眼を向けると、そちらには複数の人間の反応があった。その中にはこの会場の警護に就いていた魔法使いの中で一番実力が有りそうな人物の存在が確認出来るところから、主催側の権力者が居るのかもしれない。

「・・・・・・」

 そこに大蜘蛛が向かっているというのは食事のためなのか、それとも何かを狙ってなのか。狙ってなら何を狙っているのやら。
 僕達は大蜘蛛を見送り先へと進む。別に倒してもよかったが、目的がいまいちはっきりとしないから、観察のためにあれは放っておこう。ここで目的を探っておくのも大事だろう・・・ただの暇つぶしだった場合は困るけれど。
 大蜘蛛の通った後の道は生者の存在しない静かな道だった。
 エルフの女性は大人しく僕に付いてきてくれているので助かるのだが、やはりまだ怯えたままなのは、致し方ないにしてもどうにかならないものか。
 そのまま静寂に包まれた廊下を進み、舞台があった広間に到着する。
 そこには戦闘跡や少し前まで人だったモノの一部が落ちてるのみで、誰も居なかった。
 散らかっているその広間を過ぎて、競り客達が逃げた明るい廊下へ出る。
 そこには赤黒い染みが点々とありはしたが、他は少々散らかっているぐらいか。戦闘跡の類は見つけられなかった。まぁ逃げたのは普段肉の盾に護られている商人や貴族達だものな、抵抗らしい抵抗も叶わないか。
 僕達はその廊下を慎重に進む。
 エルフの女性はこういう血生臭い場面に慣れているのか、特に何の反応も示さない。やはり外の世界というのは過酷なのかな? それとも相手が人だからだろうか。
 エルフの女性を誰にも見つからずに逃がすという状況ながらも、高そうな調度品がそこかしこに転がり壊れてるのを目にすると、勿体ないと思ってしまう。あれを売ったらいくらするんだろう? そこらの調度品ひとつでも結構な値段で売れそうなんだよな。
 そんな余念が持てるぐらいには静かで誰も居ない廊下に、たまに悲鳴のようなものが遠くから薄く響くが、出口までは安全そうだった。
 まぁ視える罠は脅威にはならないだろう。それを囮にした視えない方の可能性には警戒が必要ではあるけれど。
 それにしても、エルフの女性は驚くほどに静かであった。
 常に眼は向けているとはいえ、たまにいなくなったのかと思うほどで、怯えているのは現状の凄惨さにではなく、単に人間に、敵だらけの状況を警戒しているだけのようだし。それも捕獲されてこんな場所に連れてこられて、商品としてあんな狂気の中で売られたらそりゃ恐いだろう。現在の人間とエルフの関係は最悪に近い訳だし。
 そこでふと、プラタがエルフが使えるという精霊魔法の事を思い出す。
 一応精霊を視る眼については昨夜のうちに概要は聞いている。詳細は時間をつくって妖精魔法の練習やらでプラタと会う時に教えてもらう予定だったが、試してみようかな。
 そう思い至り、精霊の眼を試してみる。そこには大量の小さな球体がふわふわと浮いていた。プラタが人形に入る前に似ているが、どことなく違うのが分かる。ただ、やはりまだ形だけ似せただけの眼の為に、ぼんやりとしか視ることが出来ない。
 その眼をエルフの女性の方に向けると、そこには凄く小さな人のような何かが居た。そして、どうやら何か会話をしているみたいだった。エルフの女性の口は動いてないので、僕がプラタと会話する時のようなもので会話しているのかもしれない。

「・・・・・・」

 精霊が何を話すのかが少々気になり、僕はつい足を止めて振り返ってしまった。

「ッ!? にゃ、にゃんでぃしゅんか?」

 エルフの女性はびくりと肩を跳ねさせて声を出す。おそらく「な、なんですか?」 と言ってるんだろう。エルフと人間では言葉が違うのかもしれない。

「ああ、驚かしてすいません。ただ、精霊が何を話すのか気になってしまって」
「!!」

 話す速度には気をつけたとはいえ、どうやら僕の言葉は理解出来たようで、端正な顔を歪めて怯えていたエルフの女性は、面白い程に目を見開き驚愕する。

「どょ、どょひてしょへお? み、みへるのへ?」

 余程精霊が視れる事は珍しいらしい。驚いて挙動不審になっているエルフの女性はとても可愛らしかった。いいものが見れた。怯えられるよりずっといい。

「そこに居る精霊の事ですか? それとも、周囲に居る無数の精霊の方ですか?」

 手で示すと、エルフの女性は更に目を見開く。エルフの目はもの凄く開くらしい。

「にゃ、にゃぜ?」

 「何故?」 だろうか。あるなら今度エルフ語を学ばないとな。頼りっぱなしで申し訳ないけど、プラタは知ってるのかな?

「妖精に精霊を視る方法を教えてもらいまして。まぁ初めてなので上手く出来てませんが」
「よ、ようしぇい!!」

 今日一番の驚きと共に口をパクパクとさせているエルフの女性。だけど、美人ってのは何しても美人らしい。
 しかし、確かに妖精は珍しいけれど、そんなに驚くほどの事なのだろうか? クリスタロスさんはここまで驚きはしてなかったけどな。
 とはいえ、面白いモノが見れたから良しとしよう。そう思いながら、エルフの女性が落ち着くのを暫し待つ。
 エルフの女性が落ち着くと、もの凄く真面目な目でこちらを見る。何か言いたいのだろうが、口を開けては閉じるを数度繰り返して閉口してしまった。適切な言葉が見つからなかったのかもしれない

「ここでいつまでも止まっている訳にはいかないので、そろそろ先に進みましょうか」

 僕の提案にエルフの女性がこくりと頷いたのを確認して、僕は先へと足を動かす。出口はもうすぐそこだ。
 彼女は外でプラタに預けようかな? 僕が外に連れ出すには西門を通らないといけないからな。通る際の彼女の身分証が難しい。だけど、プラタに頼りきりなのもな・・・うーん。
 さて、どうしたものかと頭を悩ませながら出口に向けて進んでいると、その途中から張り巡らされている肉眼では確認できない魔力で編んだ蜘蛛の糸で作られた罠を見つけ、それを掻い潜りながら僕達は粛々と先へ進む。
 進んだ先で僕が来るときに降りてきたのとは違う上階へと続くコンクリート剥き出しの細い階段を見つけ、僕達はそれを上る。
 狭い為に不可避の張り巡らされた蜘蛛の糸を慎重に切断しながら階段を上りきると、家具の少ない広い部屋へと出た。
 本来階段と部屋を隔てているはずの、質素な見た目の割に頑強そうな扉は何故か開いたままだった。ここまで逃げてきた人が居たのかもしれない。そう考えたが、階段の罠がそのままだったことを直ぐに思い出す。
 僕達が警戒して先へと進むと、直ぐに魔力視の視界に人のようなものが映った。しかし、それは確かに人ではあるが、精神操作された人だった。
 精神操作された人は、身体に流れる魔力の中に別の魔力が細く混在しているが、どうやらこれは同じ精神操作が扱えるものにしか分からないらしく、研究はされているみたいだが未だに精神操作が扱えない者がそれを見極められるまでには至っていない。これは精神干渉系統の魔法を扱える者の絶対数が少ないのも一因という話だった。
 さて、その人間をどうしたものかと考える。精神操作から解放させる事は出来なくもないだろうが、少々元々の精神との融合が進み過ぎている為に、分離作業は困難を極める。そのうえ、精神分離作業には時間が掛かるので、安全な空間も必要になってくる。それだけやっても分離出来るかはかなり怪しいというのは、正直絶望的だろう。

「・・・しょうがないか」
「?」

 僕のその呟きに、後ろで首を傾げた気配がした。
 おそらく蜘蛛の魔物の仕業なのだろうが、こんな出入り口近くの存在を放っておく訳にもいかないだろう。
 今まで魔物の命を大量に奪ってきたし、仲間の死にも幾度も接してきた。二日前にも死を目の当たりにしたばかりだ。慣れたとは言いたくないが、受け入れてはいた。しかし、人を殺める事になるのは今回が初めてである。
 だから気が重い。肺が狭い箱にでも入れられたかのように苦しい。吐き気だってする。それでも、ここは避ける訳にはいかないだろう。
 まぁこのまま放置していてもプラタが処理してくれるだろうが、それに頼りきるのも駄目だろう。どんな理由でも、曲がり(なり)にも主人と仰いでくれるならば、それに見合った僕で在ろうと努めるべきだ。

「少しここで待っていてください」

 その要請にエルフの女性が頷いたのを確認してから、僕は気配を絶つと単身で敵の背後まで移動する。
 そこに居た敵は、白い半袖のシャツに橙色の半ズボンを穿いた、入り口で案内をしていた男性だった。

「・・・・・・」

 手に刃を模した魔力を纏わせる。魔力刀ならば確実に切り裂くことが出来る。それも手刀ならば精確に。
 心が乱れそうになるのを必死で落ち着かせる。心の乱れは表に出てしまう。
 浅く荒くなりそうな息も意思の力でねじ伏せる。
 僕は弱い。逃げて引き籠るほどに。だが、ここが切所。肝心な所で役に立たないならばここに立つ意味はないのだ。
 要所さえ押さえられるならば、他は余事にすぎない。だから、ここは己を殺してでもやり遂げねばならない場面。
 息を呑む。心臓が耳元に移ったかのようで鼓動が煩い。
 いざという時には精神干渉魔法を使うしかないのかもしれない。精神干渉は何も他者にしか使えない訳ではない。自分に掛けることも可能なのだ。むしろ、自分に掛けた方がやりやすい部分もある。

「・・・あれ?」

 そこで不意にそれを思い出してしまい、思わず声を漏らしてしまう。
 その声に反応した男が振り返る。それに僕は反射的に手を動かしてしまい、男の首を狩り取ってしまった。
 切れ味の良すぎる魔力刀であるために、手に伝わる感触はまるでない。しかし、遂にやってしまった。
 だけど、今の僕にそれを気にしている余裕はなかった。

「僕は昔、自分に精神干渉魔法を掛けている・・・?」

 男の首から勢いよく吹き出た血を盛大に浴びながらも、呆然と自分の手を見る。
 昔、恐怖に濁るあの目を向けられた後、狂う寸前だった僕は自分の記憶を、感情を・・・消した?
 いや、消しきれなかったのか。だからこうして思い出せるし、今でもあの目の恐怖に苛まれる。それだけ未熟だったということか。それとも消さずに封じたのか。
 自己防衛の一種、なのかな? 記憶が曖昧なのもそれのせい?

「・・・はは」

 弱いな。本当に。

「だけど、おかげで僕は生きている」

 たとえ惨めでも狂わずに済んだ。壊れずに今まで生きてこれた。だが、元から曖昧だったとはいえ、もう過去の記憶は信じられないかもしれない。記憶を改変した可能性も考えられるからだ。精神干渉で一番怖いのは、頭の中を弄られた事まで改変されて、それに気づけない事だろう。
 しかし、もし封じたのであればその記憶をいつか取り出したいと思うのだが、それには恐怖が伴う。封じた感情が熟成されるなんてことはないだろうが、それでもその時は覚悟が必要だろう。
 身体中に浴びた血を分離させ、身体を服ごと魔法で洗い、一気に乾かす。それを一瞬で行い身体を清める。

「さて、次は――」

 予想外の展開であっさり事が済んだが、これで死体が残る命を奪う事に慣れたわけでも、一線を越えられたとも思わない。だけど、経験はした。きっとこれは大きな意味があるのだろう。
 僕は足元に転がる男の首を胴体の近くに丁寧に置くと、視線を持ち上げ部屋の隅へと動かす。そこでこちらの様子を窺う蜘蛛の魔物と目が合った。

しおり