4:幕間
「40分と21秒、珍しく長う戦いでございましたね」
〈扉〉より帰還した戦士二人――幼き外見の〈枢機卿〉スティーブ・バニング、初老の貴族クロード・エンリ・ド・ラヴァル。二人の前に三つ指付いて、ゆったりとした一枚布の服の女性は、出迎えの礼を取る。
シノ・イザベラ・アリマ。位階は〈司教〉。黒髪は北方人の特徴であるが、その中でも少数派の民族の出身である彼女は、楚々とした振る舞いや落ち着いた声音に比べ、些か顔立ちが幼い。外見固定年齢は25歳の筈だが、スティーブから見ると、10代と言われても信じられる外見である。教国内には〝マリア〟という名が多い為、彼女の姓はしばしば、ミススペルの産物と誤解される。
「長い戦いか――その内、百日は走ってただけのようなもんだ」
単位の食い違う会話。彼等が戦った戦場は、外界と時間の流れが異なるのだ。
〈扉〉の内の1時間は、外界の1秒。果てなく思えた戦いの日々も、扉の外では、小説を一つ読み終わりもしない程度の余暇に過ぎない。
「おい、火ぃくれ」
「私は血が滴るステーキを所望する。おーうい、我々が帰ったぞ! 百日ぶりの晩餐だ! 贅を尽くせい! 散財せぇい!」
扉を出て早々、スティーブは近くの棚から煙草の箱を取り、一本を引き出して咥えた。クロードは隣室、食堂へ向かい、数部屋先まで響き渡る大声で夕餉を要求する。
「新入りの彼はどうなりました?」
シノは、スティーブの煙草の先に指先を近付ける――指先に火が灯る。着火し揺れる白煙を、ゆったりとした袖口を振るって払った。
「彼?」
「ほら、寝癖が何度撫でつけても治らないあの子――」
「ああー……一週間で諦めた」
「……そうですか。もっと頑張ってくれると、思っておりましたが」
「気にすんな、教育係のせいじゃねえさ。この炭鉱夫生活にゃ才能が要る。あのガキには才能が無かった――それだけのこった」
煙をたんまりと肺に取り込んだスティーブは、幼い外見に似合わぬダミ声で、外見だけなら年嵩と見える淑女を慰める。酒と煙草に焼けた声だが、幾度傷つこうと死のうと元の形へ戻る彼は、〝この境遇に成り果ててから〟こうなったのではない。時に囚われるより前からの荒んだ生き方が、彼に奇妙な貫禄を与えているのである。
「けれども、悔いは残ります。せめて執着を与えてやれなかった。この世に留まる意味を見出せるように導けなかった……私の力不足でございます故に」
慎ましく声を抑えて、しかしその声に滲む涙。長く〈扉〉の内で戦って、尚も人の死を嘆ける者は少ないが、シノはその内の一人である。
「なーにをウダウダ言ってんだい、あんた。生きる意味だなんだってのは、自分で見つけなきゃ意味が無いじゃないか」
対照的な陽性の声。アントーニア・クルス・デ・ラ・クルス。珍妙な長い名前の所以は、南方人である両親が、偶然にも同姓であった為。日に焼けずとも褐色の肌。農繁期の小麦の穂の波より鮮やかな金髪。肉感的な体軀をタンクトップとショートパンツで惜しげも無く晒す様が、気性と見事に合致している。名誉職ながら〈大司教〉の位階にある彼女は、高いヒールの靴を鳴らしてスティーブの背後から、彼を挟んでシノと向かい合うように立った。
「アントーニア様。しかし私の務めでございます故――」
「あのね、死ぬ奴は死ぬの。死なない奴は死なないの。あんた、あたしがあれだけ適当に教えたのに生きてるじゃないか。スティーブが教えた連中はどうだい。30日(12分)持った試しが無い」
「私は特別でございます。神に見出され試練を受けた者。ならば私は人の十倍、苦しみ努めねばならぬでしょう」
陰性の気質に、悪意無き特権意識。己が特別であると信じる故、他人並の成果では己を許せない、傲慢と背中合わせの自己処罰心だ。よほど歪んだ女と見えるが、しかしこの〈イカれの巣窟〉ではマシな部類である。
「そうは言うがね、あんただって人間なんだよ。向日葵の種から樫の大樹は育てられないだろう。結局人間は才能さ、死人のことなんざさっさと忘れな!」
一方でこちらは、〝最もマシ〟な人間だ。子供のような顔に狂気を宿したシノと真正面から向かい合い、真剣に慰めようとしている――言葉の選びは褒められたものでないが。
「けれども!」
「だからぁ!」
立ち上がり、アントーニアに食いかかるシノ。額を打つけるように迎え撃つアントーニア。立ち位置を変えぬままの衝突は、必然、間に立つ哀れな上位聖職者を押し潰すことになり――
「お前ら、脳味噌を足して二で割って来い! 俺を挟むな!」
ダミ声の怒号。11歳児平均程度の身の丈では、些か気迫に欠ける叫びであった。
「っとと、すまない。けどあんたも何とか言っておくれよスティーブ、こいつったらさぁ」
「うるさい。俺は肉をたらふく食べて、滝のように酒を浴びて寝るんだ。百日ぶりの酒が待ってるんだ邪魔をするな!」
「団長! 今宵の馳走は美味であるぞ! 百日ぶりのタンパク質! 分厚いスッテーェェェェェキ! ふっはっはっはっはっは!!」
既に隣室の食堂には、老貴族クロードの、理性が吹き飛んだと言わざるを得ない快哉が響いている。経過時間から察するにベリーレア。殆ど生の肉塊に、吸血鬼のごとく牙を剥いて被り付く様が目に浮かぶようだ。
「おい。俺の飯は用意できてるんだろうな?」
「スティーブ、あんたウェルダンじゃなきゃ食べないだろ? あと数分待ちなよ……その間に、はい」
まるで横暴な夫の如く尋ねる上司を宥めながら、副官アントーニアは、尻のポケットから折り畳んだ紙を取り出した――ポケットの浅さに比例し、随分と小さく折りたたまれた紙だ。開き、スティーブの顔の前ではためかせる。スティーブがそれを、奪うように手に取る。
「……新人の補充だぁ? いやに早いな、前のが来て一ヶ月も経ってねえぞ」
「珍しいよねぇ。しかも四人もだ。〝神聖にして冒すべからざる我らが教国〟も、凶悪な犯罪者が増えたってことだねぇ。……罪状とか見とく?」
「要らねえ、いつも通りだ」
「そうかい」
肩をすくめるオーバーリアクション。
聞くだけは聞いたが、アントーニアは上司の癖を熟知している。
〈氷の聖母守護騎士団〉へ配属される者の罪状を、スティーブが知ろうとすることは無い。この罪人の群れに於いて、誰の罪が上等、誰の罪が下等と比べるも愚か。ならば知らぬが良いと、矮躯の枢機卿は考えているのだ。だからスティーブが手にしている書類は、アントーニアの手で罪状の項目が破り取られている。
アントーニアは、この上司のスタンスが好きだった。単純明快、罪人皆平等。自分の身の上を、話したければ話せばいい、言いたくなければ口を閉ざして良い。それが、心の距離を尊重する在り方であると感じているからだ。
辺境の小さな基地だ。対人関係を拗らせるのが一番怖い。ロクでも無い生活だが、概ねアントーニアは、この基地の生活に満足していた。
「半端な時期に来ちまうなぁ、連中も」
煙混じりの息を吐き、ガラガラと喉を鳴らすような声のスティーブ。
「そうだねぇ。明日からだろ、あんたの〝内勤〟」
「ああ。枢機卿が一人くたばった、って話だからな。お飾りの俺だろうが何だろうが、呼びつけなきゃあならねえんだとよ。炭鉱夫に勲章なんぞ渡すからこうなるんだ、馬鹿共が」
「……平気かい、あんた」
アントーニアが足を止める。スティーブは、二歩だけ先に行って立ち止まり、振り返らぬまま、携帯灰皿をポケットから取り出した。
「何が」
半ばまで灰と化していた煙草をすり潰しながら、言う。
「死んだのはユーリヤ・ミハイロブナ・アレンスカヤだろ」
「実験中の事故死だってな。そういう事もあるだろうよ」
「そうじゃないよ」
「じゃあ、何だ」
新たな煙草を咥え、ポケットを叩いてライターを探す――無い。踵を床に打ち付けて苛立ちを示し、咥えた煙草を咥内へ。スティーブは、煙草をガムのように嚙み潰して飲み込んでしまった。世辞にも上等とは呼べぬ味に、低くざらついた呻き声を上げ、小さな歩幅で足早に食堂へ向かう。
食堂では既に、十数人ばかりが食事をしていた。スティーブが食堂へ踏み入ると、クロード以外の全員が立ち上がり一礼する。片手を上げて応じたスティーブは、足を止めずに厨房へ押入り、酒瓶を一本引っ掴んで戻ると、食堂の隅の椅子に、飛び乗るよう座った。
酒瓶のコルクを、嚙んで抜く。瓶を逆さに持ち上げ、度数六十度の強烈なアルコールを、顔へ浴びせるように飲む。
その光景に、食堂が声を失う。スティーブが暴飲に耽る時、言葉を掛けて良いのは二人だけ。その内の
「……あんただって人間なんだよ、スティーブ」
もう一人――アントーニアが、スティーブの座す椅子の隣で、壁に寄り掛かるように立った。
「納得がいかねえ事は有る。あの女が、実験の失敗なんぞでくたばるようなタマかってのはな。だがそれだけだ、他は知った事じゃねえ。本国のお偉い共が何を企もうが、俺達炭鉱夫には関係のねえ話だろ?」
「………………」
「もう良いんだ」
顔から首から、黒備えの戦装束まで全て酒で濡らして、しかし酔う様子は微塵も無く、スティーブは言う。執着無き言葉と素振りが、真であるか偽であるか、女は問いただすほど無粋でない。
「つまみは要るかい?」
だから、普段よりほんの少しだけ親切に、先回りして注文を取るのだ。気の利いた副官の提案に、幼い顔の上司はにぃっと笑って、上機嫌なダミ声を発する。
「チョコレートだ、甘ったるい奴を頼む」
「あいよっ」
かかん、と高い踵を小気味好く鳴らして、アントーニアは厨房の奥、菓子類の箱を開けに走った。グラム当たりの金額が銀とさして変わらない高級チョコレートを、惜しげも無く皿に並べる。テーブルへ運んで行くと、スティーブは子供のような笑顔を浮かべて、一粒つまみ大口を開けた。〈氷の聖母守護騎士団〉の、さして珍しくも無い日常風景であった。
……時に、〈氷の聖母守護騎士団〉とは、奇妙な集団である。
教国の公式の資料に、その名は記されている――〝極東の守護者にして、異才の最たる者の円卓〟と。調べようと思えば、初等科の児童でも、司書の助けを借りずとも見つけられる。
しかし所属する者の名は、どの資料を漁ろうとも記述が無い。
所属する者には、最低でも〈司祭長〉の位階が与えられる。だが、彼らが教国の領内で、教会の祭壇に立ち、無垢なる信者達に教えを説くことなどあり得ない。彼らの役職は飾りであり、〝地獄へ堕とされた者のせめてもの慰め〟なのだ。
〈氷の聖母守護騎士団〉は、大罪人によって構成されている。
犯した罪は様々だ。だが、死に値する罪であることは違いが無い。敢えて彼らを、凡庸なる死刑囚と隔てるものがあるとすれば、〝無為に殺すのは惜しい〟という一点に尽きるだろう。
何故か。
彼らは兵器だからだ。
仮に――もし仮に、一切の補給を必要とせず、一切の監視を必要とせず、完全自立、独立思考、その力は兵士数百人分を凌駕する。そういう戦士が居たならば?
兵士数人分のコストで、数千人の軍隊にも勝る戦力を動かせるとしたら?
しかもその戦力は、死なないのだ。
彼らは生を諦めない限り、ほぼ、死ぬことは無い。
――無敵だ。
少なくとも、〝そういう軍隊は無敵だろう〟と考える者が居る。だから彼らは死刑とならず、死よりおぞましい刑の果てに、ここの居る。
だが、ならば。
必然的に、一つの疑問が生まれることであろう。
〝スパイトベルグ教国は、そんな代物を何故、極東の僻地の小基地に押し込んでいるのか?〟と――。