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第十七話



 それから。
 人間用の食事だったが、なかなかに豪華な朝餉のひとときを終えて。


 「さて、よろしければお二方の今後のご動向をお聞かせ願いたいのですが」

 まさしく、食事の間に控える給仕のお姉さんみたいに、つんと澄ました立ち振る舞いをし、傍に控えていたステアさんは、おれっちたちの食事が一段落ついたところで、そう切り出してくる。

 おれっちはごしゅじんと顔を見合わせ、任せるよ、とばかりに一声鳴く。
 するとごしゅじんはどこか神妙にこくりと頷いて、それに答えた。


 「港町……レヨンという所へ行きます」
 「それはそれは……つまり、『海の魔女』討伐の船に乗るということですか?」
 「……うん。一緒に乗せてもらうの」
 「別に討伐しにいくわけじゃないけどな」

 なるべくごしゅじんの自主性を促したいと、口を挟むつもりはなかったんだけど、おれっちの曲がった耳には、そう言うステアさんの言葉が、どこか含みがあるような気がして。
 咄嗟にそんな口添えをしてしまう。


 「そうですか……では、お待ちしています」
 「……うん」

 案の定な意味深長な言葉。
 どこで誰を待つのか?
 それを分かっていた上で、頷いているように見えるごしゅじんに、その真意を問い質そうと目の前にいるステアさんから僅かばかり視線を逸らした、その瞬間だ。


 「道中お気をつけください」
 「なっ」

 そんな言葉を残して、霞がかり消え去ってしまうステアさん。
 まるで最初からそこにいなかったかのような消えっぷり。
 思わず背中から首筋までの毛が逆立つ。
 再びごしゅじんの事を伺えば、しかしそこにあるのはそれが当たり前であるかのような、綺麗なすまし顔。


 「高位転移魔術【リィリ・スローディン】……いや、蜃気楼炎【フレア・ミラージュ】の応用、か?」

 途端に回転する頭脳。
 ごしゅじんはさほど好んで使うことはなかったが、妹ちゃんが凝って愛用していた魔法の一つだ。

 幻影を作り出す魔法。
 アレンジすれば、さもそこで喋っているかのように見せかけることもできるし、魔力を籠めれば籠めるほど、具現化の力を強めることもできる。

 あれだけのぬいぐるみを操っていたことを考えると、それも可能のような気がしてくるし、逆に言えばごしゅじんと似た女の子と取り違えたのも、その場にいなかったのだとすれば、年月のずれもあるだろうし、まぁ分からなくもない気がした。

 一つ、気にかかっていた問題が解決した、そんな感覚。


 「せっかちだな。まぁ、いいか。おれっちたちも行くとしよう。詳しい話は道中聞かせてもらうからね」

 おれっちの肩を竦めつつ言ったそんな言葉に、すぐ返ってくるのは無言の首肯。
 秘密と口を閉ざされたらどうしよう、なんて思い込みを一瞬で消し去ってしまうような反応だった。

 おれっちはそれに嬉しくなって尻尾をばたつかせつつ。
 今日も今日とて愛すべきごしゅじんの腕に抱かれながら、お屋敷を後にするのだった……。




 
 「……あの御屋敷ってカムラル家の別荘だったのか? それはまた」

 流石はユーライジア四王家の一つ、カムラル家。
 異世界に別荘を持っているとは、道理でごしゅじんが勝手知ったる風だったのかと、思わず納得する。

 それは、残され無人となり、動かなくなったぬいぐるみたちだけとなったお屋敷についてのことである。
 よくよく聞けば、ユーライジア時間で言う、十年ほど前に訪れたことがあると言うごしゅじん。


 「となると、ステアさんはカムラル家に仕える侍女か何かか?」

 立ち振る舞い、ごしゅじんと分かってからのあの態度、雰囲気。
 お金持ちの王族なのに、お金にケチと言うか、お国のためにお金を使っちゃうような一族であり、侍女さんや執事の人達を雇うことも稀だった、カムラル家。

 だけど、こちらの世界に別荘があるのならば、そこを管理する人は必要だろう。

 
 そう言う意味で、話のさわりとして何気なく口に出した言葉だったけど。
 ごしゅじんはその問いかけに、何だかちょっと悩んでいた。
 それは、言いたくないという類のものではなく、分からない、といった雰囲気。
 それでもじぃっとごしゅじんの滑らかな顔の輪郭を見上げていると、ややあって口を開く。


 「……お母さんの右腕? 左腕? の娘さん」
 「右腕? ほう、相棒ってことか?」
 「……たぶん」

 また、しばらく考えた上での首肯。
 おそらく、十年前だと言うならごしゅじんもまだ小さかったから、うろ覚えで確たるものではないのかもしれない。
 右腕と呼んでもおかしくないくらいに仲が良かった……程度に考えておくのが無難なのだろう。

 更に聞けば、その右腕の人こそが、あの別荘に来たときにごしゅじんが最初に口にした名前だそうで。

 「あ、それじゃぁ、あの最初にあった子も? ファイカさんだっけ?」
 「……うん。でも、十年経ってるから、違うかも」
 「ふむ」

 だからごしゅじんも、あの瞬間迷いがあったわけだ。
 
 「んじゃ、あの子もティカんちの右腕やら何やらの娘さんってことか?」
 「……ううん、右腕の人より前に出てくるの。『海の魔女』……ファイカさんの娘さん、だと思う」
 「……っ」


 昨日とは打って変わっての、心地よい木漏れ日の道。
 ともすれば睡魔に敗北しそうなゆるりとした空気の中、一定の拍子を刻み、早すぎず遅すぎず、ごしゅじんは歩を進める。
 
 そんな中、ごしゅじんの暗号めいたそんな呟き。
 その言葉の意味を理解した途端、おれっちの意識は一気に覚醒する。


 右腕より前?
 右手?
 そういや昔、そんな名前の魔物がいたような気がしたけど、ごしゅじんの言いたいことはそんな事じゃないんだろう。

 確かにごしゅじんは口数が少ない方だが、それは必要最低限の事を口にすると言う意味合いで、意味不明なことを口にするタイプじゃない。

 となると、おれっちの知識と理解力が足らないのか……正式な呼び名を知らないのか。
 なんとか説明してくれようとしているごしゅじんには悪いが、それより先に息をのんだのは、『海の魔女』の名がここで出てきた意味だろう。


 半ば確信に近いものは既に持っていたが、やはりごしゅじんは『海の魔女』なる人物と近い位置にいるらしい。

 故に何故人々を困らせているのか。
 その真偽はいかなるものかのか。
 それを知るために、おれっちたちは『海の魔女』討伐の船に便乗するわけだ。

 それは、ヨースの日記の指示がなくとも、選択肢の一つとしてあったもの。
 それはいい。
 問題なのは、善人悪人に関わらず討伐の依頼が来ている人物と、ステアさんたち、ひいてはごしゅじんが、このジムキーンなる世界でどのように認知されているか、という事に尽きる。


 極論を言ってしまえば、『海の魔女』と知り合い、仲間であると言うことが知られれば、討伐の名の元の刃はごしゅじんにも向けられるかもしれない。


 『猫のしらせ』を刺激するいやな予感はそれか、と思い立った時。
 おれっちの身体を覆うまっさらな一張羅が、再び森の変容を感じ取る。


 「……」

 おれっちは、予感を確信へと変えるべく、猫の七つ技の一つ、猫の嗅覚【サーチ・スーミール】を発動する。
 
 嗅ぎ取るのは、おれっちの周りにある生き物の気配。
 元々獲物(可愛い女の子たち)を捜し求めるために備わっている力ではあるが、今や狩りなどしなくても三食昼寝つきの快適生活なので、今となってはこの技は愛すべき縄張りに入ろうとするものを看過する力でもある。

 案の定、おれっちの『鼻』は、この森に入り込んでくる大勢の人間達の姿を捉えていた。
 気のせいではなく、こちらへ向かってくる感覚。


 「ちっ、そういうことなの、か?」

 思わず出る悪態。
 それは、ステアさんにさらわれた女の子を保護し、留まることなく帰っていったレンちゃんたちに向けられたものだ。

 まだ、そうだと決め付けるのは早計ではあるのだろうが。
 偶然にも森の恵等を採りに来た団体様が森に入ったと考えるよりは、可能性が高い気がしていた。


 「おしゃ、どうしたの?」
 
 態度の悪くなったおれっちを伺うようなごしゅじんの問いかけ。

 「ティカ、人ごみ苦手だろ? えらいたくさんの人がやってくるぞ。山の幸を……みんなで採りに来たのかもな」
 「……いきなりたくさんの人は、困る」

 今後人と接し、人を手助けするようなことをしていかなくては、愛しの王子様に会えないとしても。
 人間が、特に善人が苦手なごしゅじんは、途端に眉を寄せる。
 
 これが、自分を退治しに来た人間(だから悪である、と言うわけではないが)が押し寄せてくるなどと言えば、ごしゅじんが納得してしまう恐れがあるのは、おれっちにとっては何より怖かった。

 と言うより、ごしゅじんはある程度気づいていたはずだ。
 その目的が、山の幸を採りに来たわけじゃないことくらいは。

 心配顔なのは、おれっちを思ってのこと。
 ならばおれっちは、それを存分に利用しなくてはならないのだろう。


 「あるいは売れば破格の値段がつく、おれっちのことを狙っているのかもしれん。真正面から付き合ってやることもない、空へ逃げよう。あの雲の上に」

 三色猫に紳士にして漢はほとんど存在しない。
 希少な魔精霊として、お高くつくのは事実である。

 そもそもこの世界に純然たる魔精霊が存在するかどうかは不明だが、似たようなのはいるだろう。
 それは、ごしゅじんがいなければ、か弱いおれっちはもれなくあの世行きであろうという脅し。
 ヨースがごしゅじんにおれっちを預けた時に口にした、ごしゅじんを生に繋ぎとめる楔でもある。


 「……うん。分かった」

 迷いなく、即答するごしゅじん。
 感じるのは、自分の我侭さばかりであったが。
 それに自嘲めいた鳴き声を上げるより早く、その場に満ちるは『風(ヴァーレスト)』、『闇(エクゼリオ)』の気配。

 それは、ごしゅじんの翼が顕現した証。
 それに圧され、必然的にごしゅじんの腕の中で丸くなったおれっちは、久しぶりの遊覧ではない、飛翔を体験する。

 気付けば、にゃっと言う間に雲の上。
 その雲を縫ってゆけば、絶景が広がることだろう。
 
 だろうなのは、上れば上るほど強くなる風の圧す力のせいか。
 常に反発しあっている、おれっちとごしゅじんの魔力の均衡が崩れたせいなのか。
 いつもいつも、すぅっと眠るように意識を飛ばしてしまうからで……。


       (第十八話につづく)






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