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第一話


 おれっちは猫である。
この、『ユーライジア』の世界に、『魔法』やその元だと言われる『魔精霊(ませいれい)』が生まれるよりも遥か昔から存在する、人にくっつき、様子を伺い、類まれなる可憐さと野生と人のぬくもりとの狭間で生きぬいてきた小さな獣だ。

しかも言葉を解し、読み書きもできて魔法も使える。
古代語で言うところの、『特別(すぺしゃる)』な猫だな。

一応、おれっちの暮らすこのユーライジアの世界では、世界を創り留めし十二の根源のうち、
『光(セザール)』と『月(アーヴァイン)』に与する魔力持つ存在、魔精霊ということになっている。

そんな秘密めいたおれっちの名前はおしゃ。
ごしゅじんがくれた大切な名前。
由来は分からない。
無口なごしゅじんが、恥ずかしがって教えてくれないからだ。

でも、本当は由来なんて聞きたい訳じゃなかった。
聞くと必ず真雪のような肌を真っ赤にしていやいやと首を振るごしゅじんが可愛いから。
ただ、それだけだった。

そう言って真っ直ぐに本音をぶつけると。
いつまで立っても耐性のできないごしゅじんは恥ずかしさのあまりおれっちをぎゅうと抱き締める。
その、おれっちの顔より大きくて肉球なんか目じゃないくらい柔らかでたわわな双丘で包み込み呼吸を奪う。

それは至福の時間。
おれっちが天寿を全うした時には、死に場所と決めている場所。
人知れず死ぬという猫にはありえない話。

そんなことを考えていると知ったらごしゅじんはどう思うだろう?
拒絶されない自信は、僭越ながらあった。
小さくてもこもこで可愛いものが大好きなごしゅじん。
そんなごしゅじんの好みに生まれてきた事に、今では十二の神すべてに感謝しているくらいだ。
つやつやの真っ白い一張羅も。両手両足に履いた黒い靴下と手袋も。
ごしゅじんのお気に入りであることがおれっちの誇りで。

今ここでこの場所で果ててもいいだなんて、だけど当然口にはできなかった。
拒絶されない代わりに悲しみに暮れるごしゅじんの姿が用意に浮かぶからだ。

それはおれっちが、この世で一番嫌いなもの。
故におれっちは天国を垣間見させる谷間の誘惑から何とか逃れようと、ただ唯一自由の利く尻尾を使って助けを請う。
尻尾は何を隠そう一番のお気に入りだ。
といっても一見すると長くもなく短くもないただの尻尾である。
唯一特徴を挙げるとするならば、尻尾の先だけ色が違うといったところだろうか。

自慢の白の一張羅に、鰹節をまぶしたような茶色。
おれっちにしてみればそれだけのことだったけど。
ごしゅじんはそんなおれっちを珍しがった。
目を向けてくれた。
なんでも、猫族の紳士には、三つの色を持つものはまずありえないらしい。
そのせいか、いるとするなら珍しいので高く売れるらしく、悪い人間族に捕まってしまうかもしれないそうで。

いつでもごしゅじんは心配してくれる。
おれっちたちの暮らす、世界の名と同じであるユーライジアと呼ばれる国には、
そんな人間なんてなかなかいやしないってことを、ごしゅじん自身が一番分かっているはずなのに。
心配しながらいつも、ごしゅじんは何かに恐れていた。
自分に報いが降りかかるのを……恐れながら、どこかで期待している節さえあって。

おれっちはいつも、逆にごしゅじんのことこそが心配でならなかった。
その背中に隠した烏の濡れ羽色の翼で、どこか遠い遠い所へおれっちを置いて飛んでいってしまいやしないかと。
故におれっちはごしゅじんのそばにいる。
その華奢で、仄かに冷たいけど温かい腕に守られながら、その実ごしゅじんの事を離さないようにと。


 その日も、そんなごしゅじんとただのんびり過ごして終わる、何気ない一日のはずだった。
広い広いユーライジアの国、その中心にある『スクール』と呼ばれる場所。
あらゆる種族の子供たちが、生きるための術を学び育ってゆくところ。

その一角にある、第三十三裏庭。
その更に奥まった隅っこに、植樹帯に囲まれ隠されるようにして地下へと続く階段がある。
その先には、ここに通う生徒たちもほとんど知らない、忘れ去られ必要とされなくなり、
意味をなしえなくなったかつての懲罰房……牢屋があった。

意味がないというのは、牢屋であるのにも関わらずそこに鍵がかかっていないせいだ。
随分と昔からあるらしい石造りの地下牢。
誰も使っていないことをいいことに、ごしゅじんは誰に断ることもなくそこをねぐらにしている。
唯一の肉親であるごしゅじんの妹ちゃんやその友人たちが一緒に暮らそうといくら誘っても頑なに拒んでいた。

その理由をごしゅじんは、自分の犯した罪の償いだとのたまう。
いくら待っても罰せられない自分に、疑問を覚えながら。

ごしゅじんがそう思うのも分からなくはないと、おれっちは思う。
ごしゅじんが初めてこの地に来た時、人間族や魔精霊(人間以外の生き物……つまりおれっちたちのことだな)の敵であった。
ユーライジアを、世界を滅ぼそうと画策していた『魔の王』、その軍の一将。
それこそ、刹那にして町一つを消し去るほどの、『覆滅の魔法』の使い手として、
人間たちには『魔人族』と呼ばれ、恐れられていた。

そこに、ごしゅじんの意思が反映し介入していたかどうかはともかく。
この、ユーライジアスクールと呼ばれる場所を中心に、血で血を洗う争いがあったのは確かで。
長きに渡る戦いの結果、魔王の軍は人間族と魔精霊たちに対し、敗北を喫することとなる。

苛烈な戦いの中、なんとか生き延びることのできたごしゅじんは。
それでも負けたことで、自分の命はないものと思っていたに違いない。
それだけのことをしたと、誰よりもごしゅじん自身が一番思っていたはずで。

だけどそんなごしゅじんの考えは、見事なまでに裏切られた。


まだ鍵のついていた頃のこの地下牢に捕らえられて。
待っていたごしゅじんの元にやってきたのは、罰を下す執行人ではなく。
鍵を開けごしゅじんに自由を与えようとする一人の人間族の少年だった。

ヨース・オカリー。
魔王軍を解体させるのに、一役買った勇者と呼ばれる人物。
戦場の最中でありながらごしゅじんに恋をし、愛を覚えた人物。
同時に、ごしゅじんに家族を奪われ、世界の誰よりもごしゅじんを恨み、怒りを覚えていたであろう人物でもある。

彼の手にかかって命尽きるのならば。
納得はできるし心残りもない。
ごしゅじんはきっと、その鍵が開け放たれるまでそう思っていたに違いなくて。


なのにそんなごしゅじんは。
そのまま何のお咎めもなく赦されてしまった。
生きろ、と。
死ぬよりも辛い枷を嵌められて。

枷は二つ。
一つは、首に巻かれた白い『チョーカー』。
ごしゅじんが自分で命を絶たないように、監視するもの。

そしてもう一つは、おれっち自身だ。
人に馴れ過ぎ、野生に帰れず、一人では生きられない小さな子猫。
ごしゅじんは、そんなおれっちの世話をすることを命ぜられた。
と言っても、強制じゃない。
嫌ならその猫がのたれ死ぬだけだという脅迫めいたものだった。

それは裏を返せば、そうまでしてごしゅじんに生きてもらいたかったという不器用な気持ちの表れだったのだろう。
ただ、それにあたって幸いだったのは。
ごしゅじんが大の動物好きで、おれっちたちが初対面じゃなかったことだろう。

気付けばこんなことまで話し合える間柄になって。
だけどごしゅじんはおれっちと出会ったばかりの頃のように、笑顔を見せてくれることが少なくなってしまっていた。
おれっちの執拗な言葉攻めに照れるようになっても、あの嬉しくって泣きたくなる、蕩ける笑顔を見せてくれることはあまりない。

それはきっと、誰に赦されようとも、何よりごしゅじん自身が納得いってなかったからなのだろう。
だからごしゅじんは今日も、この地下牢へと帰ってくる。
いつ来るかも分からない……自分を赦せるその日まで。



「……」
と。
いつもならば地下牢の入り口のところでおれっちを下ろし、お休みの挨拶をしてごしゅじんと別れる所だったのだが。
ごしゅじんはいつもと違い、何かに迷う仕草を見せて立ち止まった。
そして、そのままじぃっとおれっちの方を見つめてくる。

その思わず全身の毛が逆立つほどの綺麗な顔の半分以上を隠す、
だけど負けないくらい綺麗で長いごしゅじんの髪。
ごしゅじんの魂……『火(カムラル)』を顕す赤、茶、金の三色をまぶしたそれは、つやつやで肉球触りも抜群であり、それを掻き分けた向こうに光るは、紅髄玉の虹彩を潜ませる大きく澄んだ黒い瞳。
見ただけでちょっと泣きたくなるくらいに儚い美しさを湛えている。
語る言葉以上に、おれっちに何かを訴えようとしている。


「どうかしたのか、ティカ? あ、さては一人で寝るのが寂しいんだ。だったら今日は一緒に寝るかい?」

だからおれっちは、先手を打つ形でそう言った。

おれっちの目に映る世界すべての可愛い女の子に警戒心を抱かせずに近づくためには、口をきかない方が都合がいいのだけど。
ごしゅじんは言葉を話せて読み書き魔法までお手の物な猫だってことを誰より知っていたから。

おれっちは遠慮をしない。
ただただ正直に思いの丈をぶつけるのだ。


「……」

するとごしゅじんは僅かに小首をかしげ、ふるふると否定の意を示すがごとく首をふってみせた。

「すいません。なんて言うか調子に乗りました」

何気ない拒絶に衝撃を受け、素直にしょげ返っていると、一層強く首を振る。
これはあれだ、母性本能をくすぐるこの身姿で可愛い女の子たちともふもふするぜ、なんて下心がついにばれてしまったのかもしれない。
まぁ、それは言い訳の仕様もない事実であるからどうしようもないのだけど。
それでもどう言い訳したものかとうんうん考えていると。


「……お客さん」

そんな思考を吹き飛ばすみたいに、おれっちだけに聞こえる小さな声でごしゅじんは呟く。

「お客さん? 誰かと待ち合わせでもしてたの?」
「うん。おしゃも一緒にって」

こんな、誰も好き好んで寄り付かないような辺鄙な場所にお客さんが来るってのも驚きなのに、
そのお客さんはちょっと喋るだけの猫にも用事があるらしい。

でも何より驚きなのは、会う約束をごしゅじんがしていたことだった。
しかも、ごしゅじんの様子を見るにあまり会いたくなさそうで。
数は少ないけどごくごく親しい間柄ならともかく、ごしゅじんが苦手な人と約束を交わせるなんて。
こう言ったら失礼かもしれないけど、結構驚きだった。

初めて会った時にはこんな無害も甚だしいおれっちにですら警戒してほとんど口を利いてくれなかったくらいなのだ。
こうして平和にのんびり過ごすようになって、ごしゅじんもこの場所での生活に慣れてきた兆候かなと、ちょっと嬉しくなって。

「おれっちも? 誰だろ? おれっちの知ってる人?」
「……分からない」

随分と悩んだ後、首を振るのを見るに。

少なくとも一緒にいる時に会ったことのある人じゃないんだろう、なんて予測を立てていたわけだけど……。


        (第2話につづく)



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