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第二話



「やぁ、夜分遅くにすまないね。何分、私は夜にしか生きられないものでね」

 
 ごしゅじんのねぐらの、ほとんどを占めるベッド。
そこに無駄に優雅な仕草で腰掛けている、全身が血のように赤い怪人がいた。
頭にかぶるシルクハットも、その背中に生えるマントも。
そしてそれほど大きくもない顔を覆う仮面も、みんな赤かった。


なるほど、こんな格好されちゃあ、会ったことがあるかどうかなんて分かるわけがないのは道理だ。
おそらくは、そのマントにも帽子にも仮面にも、正体を気付かせにくくさせる魔法がかかっている。
まぁそれ以前に、塗ったばかりなのか、赤色塗料(ペンキ)の匂いがきつくて、それどころじゃないのだが。


ただ、その佇まいと語り口調でなんとなく予測はできる。
この世界、『ユーライジア』において夜にしか現れない怪人と言えば、街でも話題になっている、『夜を駆けるもの』のことだろう。

神出鬼没正体不明の何でも屋で、いい噂も悪い噂も耳にする人物だ。
それこそごしゅじんが言っていたように、魔精霊の密売やら何やらに一枚噛んでいる、なんて話もある。

そう考えればおれっちに用って、ちょっと警戒してしかるべきなんだろうけど。
あまりそう言う気にはなれなかった。
それは、いかにも今塗りたくったばっかりですっていう赤ペンキの匂いや、何故かおれっちに対して腰が引けてる感じがしたからだ。


「そういう言い方をするって事はお前『夜を駆けるもの』だろ? 何しにこんなとこまで来たのかしれないけど、布団が汚れるからそんな所に座ってんよな」
「え? あっ、ごめん! うちで洗って返すよ……っ」


何にせよ交渉は強気で。
そんなノリでそう言うと、一瞬で剥がれる化けの皮。
どうやら素らしい声をあげ、少しペンキの付いてしまった掛け布団を纏めようとして、はっと我に返る。

「そ、それはともかくだ。何をしに来たかと、そう聞いたね? 実は今日、あるお方に頼まれてね、君たちに伝えたいことがあって来たのだよ。……それと、ヨースからの預かり物もある」

取り繕うようにそう言ってきたが、しかしそれ以上茶化す気にはなれなかった。
たぶんそれは、おれっちを抱えるごしゅじんが、目の前のどうにも力の抜ける相手に対して、緊張感を高めたのが、鼓動の早さで感じられたからだ。


「何だお前、ヨースの奴と知り合いなのか? 最近ここに来ねえけど何し」
「……っ、どういうことっ!?」

そう言えばここ数日顔を見ていないなと思いそう言い掛けたら。
そこにかぶせるようにして、最近のごしゅじんにしては珍しいくらいに動揺し、焦った声が頭上から響いてくる。

ぴんとたった耳をつんざくごしゅじんの声に、全身が痺れる感覚に襲われた。
それにブルブル実を震わせていると、それを止めるみたいに、絞められそうな勢いでぎゅっとされる。
ぬくもりと柔らかさ以上に、力の強さを感じ、おれっちが目をしろくろさせていると、
ごしゅじんはそのまま赤仮面に詰め寄っていく。

おぉ、ごしゅじんが駆け出すなんていつぶりだろう。
強めに抱きしめられるのも悪くないなと思いつつ、ごしゅじんを襲う危機感にも気づけず。
その時おれっちはそんなのんびりとして事を考えていて。


「ティカ。今君が感じた通りさ。ヨースは、この世界から剥離してしまった。いつまでも自分を赦そうとしない、君のせいで」
「そんなっ……どうして? 私のせいなら、私に罰を与えればいいのに! どうしてそんなっ……」

ごしゅじんがここまでたくさんの言葉を喋ることは本当に稀だ。
ごしゅじんのそんな叫びとともに、一滴、二滴と冷たい水がおれっちの背中に零れて。


かっとなった。
おれっちは言葉にならない威嚇の声あげて、思ったより小さい赤い仮面に飛び掛る。



「うわっ、うわぁぁっ!? やめて、来ないでーっ!」

すると、赤い仮面はさっきまでの優位性を台無しにする声をあげて逃げ回った。
やっぱり、こいつはおれっちのことが怖いらしい。


「やめてほしいなら、ティカに謝れぇぇっ!」

叫びつつ、追い掛け回すおれっち。
だが、その言葉が何かの引き金となったらしい。
恐怖に打ち勝つようにその場に留まると、赤い仮面はごしゅじんに向かって叫んだ。

「し、謝罪し自省すべきはティカ、君の方だろう。ヨースは数少ない君に対する擁護派だった!
なのに君はヨースを受け入れず、ここに留まった! その責任を負う形で、彼は封ぜられる羽目になったというのに!」


飛ばされる、擁護派。
話を聞いているうちに、おれっちにもようやく会話の内容が理解できた。

ヨースのような、人間族の敵である魔人族に慈悲を与えようとするのは、ごく一部の者達だろう。
彼がいなければ、きっとごしゅじんは今ここにいなかったに違いない。
だが、自分を赦せなかったごしゅじんは、ヨースの手を取ろうとはしなかった。
それがどっちつかずになって、擁護派でない大多数が痺れを切らしたのかもしれない。

封ぜられるというのは、このユーライジアの『スクール』における仕事上の言葉だ。
今おれっちたちのいるユーライジアという国には、世界の哀しみを消し去る、ということを生業にしている、『ステューデンツ』と呼ばれるやつらがいる。

『スクール』は、そんな彼に、ユーライジアではない別の世界での、任務を与えたのだろう。
ようは、異世界に飛ばされたのだ。
帰ってこられるかどうかも分からない、命の保証すらできない、どこともしれぬ世界へと。


それは、いつかは起こる気がしていた日常の破綻。
何事の変化もなく、ごしゅじんがこうして日々を過ごしていくことがずっと続くとは思っていなかった。

だけど、ごしゅじんの気も知らずにごしゅじんを貶め傷つけようとする事は、どうしても我慢ならない。
それがたとえ、正しいことを口にしていたとしても。



「ふしゃぁぁっ!」
「ひ、ひいっ」

おれっちは、身体からあふれ出る怒りにまかせて赤仮面に突進してゆく。
相も変わらずの怯えた声。
そんなのには騙されないぞと、以外に細く白い首もとに食らいつこうとして……。



「……いじめちゃだめ」

それを止めたのはあろう事かごしゅじん自身で。
首の後ろにある猫持ち地点(ポイント)を掴まれたおれっちは、為すすべもなく引っ張り上げられていつもの定位置、ごしゅじんの腕の中に戻されてしまう。

どうして、と抗議の鳴き声を上げると、ごしゅじんはゆっくりと首を振った。
そして、心配しないでと目で訴えてくる。

そこには既に、さっきまでの泣き顔やうろたえた様子はなく。
代わりにあったのは、何かの決意を秘めた瞳だった。

それは、揺らめく炎のようで。
何も起こらない、平穏無音の日々にはなかったもので。

ごしゅじんは今、自分自身の意志で顔を上げ立ち上がろうとしている。

そう思ったらいつの間にやら怒りも消えていて。
おれっちは文字通りごしゅじんに身を任せこの場を任すことにした。

それが分かったのか、腰が引け今にも逃げだしそうだった赤仮面は、何事もなかった体を装ってこちらに向き直る。


「君たちに与えられし選択は二つだ。一つはヨースの恩恵を賜り、ここへ居続けるか。
一つは、一切のしがらみを捨てヨースを追いかけるか。もう、その様子だと答えは出ているようだけどね」

それは、選択などと言ってはいても、結局は決められた答えを促すものだった。
冷静になって考えてみると、わざわざこんなことを言いに来た赤仮面は、悪い子じゃないのかもしれないな、という気はした。

ごしゅじんがおれっちの怒りの発露を止めようとした意味がよく分かる。
彼女……そう、彼女だ。
いくら姿隠そうとも、ペンキの匂いがきつくともおれっちの鼻はごまかせない。

世の女性の存在を感じるためにあるおれっちの五感を持ってすれば、そんな赤仮面などないにも等しい。



(……あれ?)

そんなことを考え感じたのは、身に覚えのない既視感だった。
その素顔を露わにして拝んだわけでもないのに。おれっちは彼女のことを知っている。

いったいどこの誰だろう?
なぜ今まで忘れていていきなり思い出したのか。
そもそもどうして彼女は正体を隠しているのか。
おれっちの中で様々な疑問はつきなかったけれど。


「行かなきゃ。ずっと待ってもらっていた答えを出さないと……」

ごしゅじんにしては珍しい、長文での決意表明。
その、保留にしていた答えをおれっちは知っている。

死が分かつまで、ともに生きること。
それこそが、地下へこもるごしゅじんの元へやってきたヨースの最初の言葉。

お互いが両想いであると知った瞬間。
だけどごしゅじんは、それに対してはいともいいえとも答えなかった。
いや、答えられなかったといったほうがいいのかもしれない。

ヨースのことが嫌いなわけじゃない。
むしろ、ヨースがそうであったように、出会ったその時から惹かれていたはずで。
だからこそ簡単には答えが出せなかったんだ。

こんな自分が幸せになってもいいのかと。
ごしゅじんはそのことでずっと悩んでいた。

そんなごしゅじんが今、前に進もうとしている。
きっかけがどうであれ、そのことに関しては感謝すべきなのだろう。

仮面のせいでその表情は分からなかったけれど。
赤仮面も、意気込むごしゅじんに対し安堵しているというか、大きく頷いているのが何だか印象的で。

彼女がもし、おれっちの知りうる人物であるのならば。
ひょっとしてこれは、こんなところに引きこもっているごしゅじんを立ち上がらせるための狂言ではないのだろうか、という気もして。

おれっちが、そんなことを考えていたのが分かったのだろうか。
無粋なことは口にしてくれるなよ、とばかりにおれっちに視線を向ける赤仮面。

それにただ頷くのがしゃくだったおれっちは、ふらりと近づいた一瞬の隙をついて猫拳(パンチ)。


「ひゃぁぅっ!」

当然ごしゅじんにしっかと抱きしめられていたおれっちのその前足が届くはずがなかったのだが。
ちょっとこっちがひくぐらいの勢いで驚いてみせる赤仮面。

どこか、ごしゅじんに似てる気がしなくもない女の子の声だ。
しかも、この反応はよく憶えている。

むしろその反応が楽しくて敢えてちょっかいをかけていた節さえあった。
やはり彼女は、ごしゅじんにとって一番身近な少女だったらしい。
姉であるごしゅじんには、そんな気配まったくないのに。
姉妹でも違うんだなぁってしみじみ思っていたっけ。
となると、ますますわけの分からなくなる、彼女が正体を隠している意味。


一度袂を分かった形になったとはいえ、ごしゅじんにとってみればもはや唯一の肉親。
加えて今現在おれっちとヨースを除けば、殆んど唯一といってもいい、積極的にごしゅじんに接してくる人物でもある。

ごしゅじん自身だって、その仮面の向こうが誰なのかなんてとっくに気付いているはずで。
いい加減その正体を暴いてやろうかと更に身を乗り出そうとしたおれっちだったけれど。
何故だかそれはごしゅじんの手で、やさしく頭を撫でるという行為により止められた。
もしかしたら、本人にしてみればいじめちゃ駄目って叩いたのかもしれないけれど。


「……こ、こほん。君の強い意志を、しかと受け取ったよ。ならば私はこれを君に贈るとしよう。ヨースからの預かりものだ」

赤仮面は、何とか気を取り直し、懐からぼぅと光を放つ本を取り出す。
いや、それは本というには大きすぎ、薄い気もした。

日記か何かだろうか。
ただし、どうも見てもただの日記帳ではありえない。

本質が魔力の塊であるおれには分かる。
それは、かなりの魔力を秘めたマジックアイテムのようだった。
洩れ出るそれは『光(セザール)』の魔力。

なるほど、ヨースからというだけあって、確かに彼の魔力を感じる。
ごしゅじんにも、それが分かったんだろう。殆んどひったくるような勢いで、その本を受け取り、すぐにページをめくる。

おれは、そんなごしゅじんの邪魔にならないようにその腕から肩口へと這い登って、
一緒になってその魔法の品を眺める。

するとそこには、日記とは思えぬ『星になるまで』という表題。
確かに、ヨースの筆跡ではあるのだが。
いまいち意味を図りかねていたのは、ごしゅじんも同じだったんだろう。
首を傾げながら次のページをめくってみるも、そこには何も書かれてはいなかった。



「ヨース曰く、それは星集めの本らしい。ティカ、君はこれから異世界に渡り、世界のためになることをしなくてはならない。何をすればいいかは、必要なときのその本が教えてくれるはずだ。その成否に応じて、君に星が与えられる。その星が満足いくほどに溜まれば……後は分かるね?」

つまり、ヨースを見つけることができるとでもいいたいのか。
ややこしいというかしち面倒くさいというか。
そう思うも、見上げたごしゅじんのその表情はやる気に満ちていて。
これは、なんとしてもおれっちもついていく方向に持っていかなければなるまい。
そう思いつつ、おれっちは口を挟むことにする。


「溜めるって、どれだけ溜めればいいんだよ」

成否の判断の仕方は。
一体、世界のためになることと具体的に何か。
こんなものわざわざ使わなくともヨースのいる異世界の場所をさっさと教えてくれればいいんじゃないのか。

聞かなければならぬものから無粋なものまで、色々聞きたいことはあったけど、まず口をついて出たのはそんなことだった。
すると赤仮面は何故かしたり顔(あくまでもおれっちの想像だけど)で頷いて。


「満足できるまでさ。ティカが、これでヨースと会えると思えるような……ね」

そんなことを言い、笑う。
それは、決して悪いものじゃなくて。


「……むぅ」

おれっちは思わず、唸ってしまった。
罪滅ぼしをしたいごしゅじんにとってみれば。
何の贖罪もせずに許されたと思っているごしゅじんにとってみれば。
これほど意味のあるものはないだろうと。


「……わかった。頑張る」
「その意気だよ。期待している」

拳握る勢いのごしゅじんに、何度も頷く赤仮面。


「……」

そこで感じたのは、なんともいえぬ不安だった。
頑張るのも期待するのもいいけど、彼女たちは生まれながらにして上に立つものだから。
裏を返せば、致命的なほど世間知らずなのだ。

何より、世界を知っていると思い込んでいるのが性質が悪い。
というより、それ以前の問題だった。

世界のためになることがどんなことか知らないけど。
はたしてごしゅじんはまともに人間と話ができるのかと。
たいてい側にいたおれっちとしてはそう思わずにはいられなくて。


「待て、一つ条件がある」
「なにかね?」
「そのヨースを探す旅に、おれっちも同行させてくれないか?」

叶わなければおれっちが苦手なお前にもふもふ攻撃をお見舞いしてやるぞ、なんて威嚇したおれっちだったけど。

一瞬何を言われたのか分からなかったって感じに、硬直する赤仮面とごしゅじんがいて。
何だその反応はと思うよりも早く、二人は一緒になって笑い出す。

そんなとこで姉妹の仲のよさを見せ付けなくてもいいのになんて、何で笑われているのかもわからずいがいがしていると。
それに答えてくれたのはごしゅじんだった。


「最初からそのつもりだもん……」

言葉よりも、より一層の腕の力で。
思わず中身が出そうなくらいの、離さない、という意思。

「そっか。ならよし」

ヨースがいれば、おれっちはお役御免。
ごしゅじんの隣にいてずっとずっと過ごすのはおれっちじゃない。

だから、十中八九危険になるだろうこの旅に、愛玩動物でしかないおれっちは必要ない。
どこかおれっちには、そう決め付けている部分があったから。
思わず泣きそうになってしまったのは、その力のせいだと誤魔化せないだろうか。
しがみつくように隠すように、おれっちはごしゅじんの胸に顔を埋めていて。


「いいなぁ」

その時聞こえてきたのは、独り言を呟くように小さな、そんな赤仮面の声だった。

一体どういう意味でそう言ったのか。

彼女でないおれっちにとってみれば、分かりようもなかったが……。


              (第三話につづく)



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