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サーカス・ファンタジア

―――――レディース&ジェントルメン!!ようこそサーカスファンタジアへ!
セディス・ルリスの声はよく響く。持って生まれた天性とそのバカ明るい声を響かせて彼はお気に入りのステッキを振り回した。
ふっと猛獣の上に乗っていた少女の鋭い視線にセディスは見事なブロンドを揺らして肩を竦めた。
「セディス」
「ちゃんとやるって!ではイッツ!ショウ!ターイム!!」
 
 ところでセディス・ルリスは海を一つ隔てた広大な敷地、かの王侯貴族から譲り受けた美しきブレイアス城の主である。通常城主と言えば、領土を管理し、領民を豊かにしつつ、豪勢な暮らしを楽しんでいるはずだが、ある事情で城を追い出されたのであった。
「バカな女に引っかかるからよ!」と怒り心頭で一緒に付いて来たラブラ・ミントは少女の頬を膨らませて羊から降りた。続いて黒髪ツインテールの双子の登場である。メイド服をぴったりと着こなした双子は空中ブランコに捕まり、続いて現れた青年二人に受け止められ一団は揃って頭を下げて見せた。

「…しかも魔女だなんて」
「ラブラ、僕と背中合わせになる度に、その話するの止めてくれない?」
「ほら、しっかりお仕事しないと、大変な事になるわよぉ~?」
 喋るだけ喋った少女はたたっと舞台を駆け出す。ばかでかい羊を鞭で軽く叩くと、ラブラはその上に乗り、宙返りして見せた。お客たちが喝采をあげるたび、キラキラと空中にスノーホワイトのような結晶が降り注ぐ。
 それをシルクハットの中に吸い寄せると、セディスは微笑んだ。シャリマの魔法の効果か人間の嬉しいという感情の波が宝石のような輝きを持つことを知ったのは最近だ。
 嬉しい気持ちは人を幸せにするスパイラル…なはずだが。キラキラが集まれば集まるほど、セディスの機嫌は少しずつナナメになる。
 ほら、頭がムズムズする。アレが出てくる。
(―――――あの魔女…っ…よくも僕の苦手なものを!!)
 ぽん。
 頭の上に現れたものを両手で押さえて、セディスはシルクハットを被った。むきゅ、と頭の上で音がする。
「セディス様、堪えて」
時計を常に手放さない執事がこそりと囁く。
「直に暗転します。出来ますね?」
「大丈夫だ………」
 いや、大丈夫じゃないよな?と遠くから駆け寄るのは、奇抜な貴族衣装のピエロだ。
「カウル!煙幕を!」
「了解!マリー、ローズ!セディス様を連れ出して」
 はーい!と同じ声が重なって響いた。セディスの「発作」まであと十秒程度。時計を翳した男、ハービー・クラウンが秒読みを始める。
「9 8 7 6 5 4 3 2………」
「うわあああああああああああああ!」
 団長の声と同時に色とりどりの煙がステージを覆い隠した中で、ローズとマリーは主人の腕をしっかりと掴んでステージ奥に連れ出した―――――。

「情けないですよ、セディス様」
 奥でお茶を啜っていたばあやがため息をついてセディスを受け止める。
「あとはこのばあやが引き受けますよ。みんなはステージにお戻り」
 はあ~い。明るい声が二つ響いたあとで、老婆はさて、と帽子を押さえたまま蹲っている主人に歩み寄った。
「い、いやだっ…」
「我儘をいうもんじゃありませんよ。大丈夫、ばあやは笑いはしません」
「ほ、本当だな?!」
「…と見せかけて」
「あ!」
「ぷ」
「ばあや!今日という今日は…」
「ほれ」
 ぱっと鏡を見せられて、セディスは硬直した。猫耳がピクピクと目の前で動いている。信じたくない現実がここにある。
「うわあああああ」
 猫。この世で苦手なものが自分の頭の上に乗っかってピクピクと動いている。
「お坊ちゃまとても可愛らしゅうございます」
 セディスは震えながら鏡を指した。
「か、可愛いものかっ……もう僕は今日はステージには出ないぞ!は、早く夜になってこんな姿とはおさらばしてやる!!」
「夜の坊ちゃまも可愛いと思いますがの」
 そんな会話の途中で、ハービーがステージから降りてきた。
「ご主人様……だいぶ興奮していらっしゃるようだ。宜しければ紅茶などをご用意させていただきますが」
 どんな時でも動じない執事が懐中時計を開き、おやと首を傾げた。
「こんな状態で紅茶じゃないだろ!……いいよ、ステージ出るよ。どのみちこんな中途半端じゃダメなんだ。ううう耳生やして、しっぽ生やして……気持ち悪いっ」
 セディスは言うと、シルクハットを元通りに被った。では、と執事もピエロのマスクをつける。
 巷で人気の仮面雑技団サーカス・ファンタジア。その実態は城を追い出されたブレイアス城主ご一行様だと知る者はまだまだいない。


「この生活ももう慣れましたわねぇ」
「そうですわねぇ」
 かならず二人で会話を繰り広げるツインテール双子はさておき。執事がいつも通りにポットを持ち上げながら、憮然としたセディスにお茶を継ぎ足した。
「お見事な出で立ちで」
「セディスはそのままの方が萌えるのに…夜のセディスはちょっとヤバいよ」
 もくもくとスコーンを口に運んでいたラブラがセディスのしりに生えたしっぽを掴む。
「仕方ないだろ!文句はシャリマ・ドレークに言えよ」
 背中を丸めてなるべくしっぽが目に入らないようにしているセディスの背中をばあやが叩き、主人を憐れんだ。
「坊ちゃま。日ごろからばあやは言っておりましたゆえ。お坊ちゃまは世間の女を知ら無すぎる。変な女を城に呼ぶなとあれほど」
「う、うるさい……だからこうして呪いを解こうと頑張ってるんじゃないか!」
「自分の姿に怯えながらね」
「お前は僕の味方なのか敵なのか!…ひぃっ」
 無言で鏡を向けたラブラは、ハービーからのお茶を受け取ると、吐息をついた。
「呆れて責める気にもならないわよね。ちょっと浮気心で呼んだ女が?実は大の猫好きで?しかもちょっと貧乳で?…それをちょっとからかったら?相手は魔女で?城全体に魔術が広まって?結局城を追い出されちゃったって?バッカよね~~~~あたしを差し置いて浮気なんかするからよ」
「ラブラ様。その辺りにしておいた方が宜しいかと。本人も反省しているようですし」
 してないわよ、セディスは!と言い切ると、ラブラは短いスカートを揺らして、座っていた箱から飛び降りた。
 セディスは奇妙に動く猫耳に顔を顰めながら、苦虫を噛み潰したようにお茶を啜っている。貴族のお茶とおやつは大切な時間だ。魔法がかかっていようとも、そのお茶の時間は死守する!と執事は言い張っては地方の珍しいお菓子を手に入れてくる。
「おいおい、そろそろ夜が来るぜ?セディス、ヤバいんじゃねえの?」
 ワイルドに髪を切り上げたカウル・オウエンは庭師である――――がテントをくぐって外を指した。
「もうそんな時間か」
「ああ、そろそろ来るぜ?夜のお客さんが…」
 低い声で辺りを窺うようにカウルが呟く。ざわ…ざわ…と夜が忍び寄る音。生暖かい風が吹いて来たと思ったらばあやの吐息だった。
「この季節はお客様が多いからねえ……ほら、月が昇るよ。準備おし」
 紳士二人は気まずそうに顔を見合わせて、カーテンの奥に引っ込んだ。月が昇る…月の魔力は魔女の糧であり、シャリマーの呪いがもっとも強くなる時間帯だ。
「うっ」
 セディスが耳としっぽの毛を逆立てた。ラブラがセディスの上着を引っ手繰る。
 不思議な妖の光がテントから溢れてゆく。6人の身体から発光する光は邪を呼ぶ周波を保って、外に漏れた。
「……何回見ても慣れないわね…」
 美少年が美女を見つめ、ピンク色の髪をかきあげる。さっきまで平だったセディス・ルリスの胸は今や女性が羨むほど膨らみ、しっかりと太かった腰は柔和なカーブを描いて、しかも妖艶たる眼差しに猫耳にしっぽ。
「僕だって慣れるものか!…あー、さっさと終わらせるよ!あれ?ローズ?マリー?」
 があがあ…と白いあひるが美しい翼を広げた。みゃお~と顔を洗った猫が一匹。そのそばでは狼が二匹によぼよぼのじいさんが一人。
 昼間は口うるさいばあやも、夜の魔法で色ぼけじじいに変わってしまうのだ。ちょ、寄るな…とセディスはほっそりとした手でじいを追い払った。
「遊んでる場合?お客さんがイッパイよ」
 夜のお客は昼間と違って実態がない。闇に属するシャリマの魔法は、昼間は人間の嬉しさ、楽しさで呪いを強くし、その呪いは闇のものを喜ばせた時に消えてゆくのだ。
 幽霊だって楽しませてほしい。とお客さんたちがうずうずと集まり始めた。青紫のオー
ラは薄気味悪いが、そうも言っていられない。
「じゃあみんな!夜のショータイムと行こうか!マリーは僕に寄るなっ、ローズは僕の肩に止まって。じゃあ行くよ!」 
 レッツ!ショウターイム!ナイト・ファンタジア!…セディスの声は高く夜空に響いて今夜のショウを盛り上げようとしていた。

――これを見るまで還れないって?お父さん。
――そうだよ。子供たち。もう生きることは出来ないから…せめて…楽しく終わらせよう。
 幽霊の親子たちがテントの前に集まった。
「また満員御礼だな…」
 セディスは呟くと、はち切れそうな乳をぼよんと揺らす。後ろの狼二匹がさっと顔を背けた。伸びてきたしわくちゃの手を払いのけて、セディスはシルクハットを被ると、軽く走り出した。
 幽霊たちが大喜びして負のオーラをまき散らす。サーカス・ファンタジア夜の部の客は実体を持たない。どうやれば成仏できるのかを忘れた彼らは、セディスの放つ光にまるで羽虫のように集まってゆく。
「…もっときらきらにしてあげるよ。嫌な思い出は全部ここに置いて行って、綺麗だったものだけを抱いて空へ向かうんだ、みんな」
 セディスが腕を掲げると、いくつもの光の珠が淡く光って、月の下で夜空に浮遊する。少しずつ負のオーラを吸収していたセディスからネコ耳が消えた。
 途端にぼん!ぼぼん!の音と共に粉塵が巻き上がり、霧で一行を覆い隠す。
 シンとなった会場でラブラがセディスの頭を撫でた。
「泣かないの」
(ありがとう)(おにいちゃん、ありがとう)(たのしかったよ)
 翳した手の向こうでは、楽しそうな声が溢れている。その声に耳を澄ませた合間にばあやの「いつになってもねんねですね」という声が聞こえて台無しになった。
「セディス様…そろそろ宿に戻りませんと」
 主の冷えた肩にそっと自分のジャケットを被せた執事がたおやかに囁く。
「そ、そうだな……ハービー…今日はミントティが飲みたいのだが」
「かしこまりました。この地方特産の焼き菓子もご用意致しております。この道中は居城と同じように何も憂いることなく、お過ごし願えますよう」
 うん、と城主の顔が明るくなった。

 ―――魔女に呪いをかけられ、その呪いを解く方法もなく、夜になれば大嫌いな猫になるという性悪極まりない呪いを受けたセディスはひとりとぼとぼと廊下を歩いていた。
 ―――――巻き込んだみなにどう謝ればいいんだ…。
 そう思ったセディスに「行きましょう」と旅支度を済ませたハービーと、「どこまでも御供しますわ」「ご主人様に従いますわ」というローズとマリーが笑っていた。
 どれだけ心が暖かくなっただろう?
「婚約者に見限られた僕と共に来るのか?…」
「誰が見限ったって?聞き捨てならないわね」
 幼女の声に一面が周囲を見回す。セディスが声を張り上げた。
「お前!ラブラか!」
 麗しい貴婦人だった女性は、今やセディスの腰くらいの背丈を反り返らせたが、頭が大きくてコテンと倒れてしまう。
「…ついつい心配で貴方を見に来たら…変な煙に巻き込まれたのよ」
「ラ、ラブラ…僕の大好きなあの乳は…」
 セディスが慌ててラブラを抱きしめた。抱いた時に喜ぶ巨乳はどこにもなく、そこには幼女が怒りの形相で立っているだけ。
「あたしも連れてってよ…こんな状態じゃ帰れないよ。いいでしょ?」
「だそうだ。つーことで」
庭師のカウルがぼりぼりと鼻をかきながらくいと外を指した。
「準備万端。馬車の用意はしといたぜ!」
「ばあやも一花咲かせてみせますぞ」
「ば、ばあやまでか!……いいだろう!領主として世界を見に飛び出そう!」
 ばあやまで加わったセディス・ルリスの一行は大層賑やかになった。
彼らはこうして旅に出たのだった。

「セディス様」
「ああ、ハービー……今残りの仕事をしていたところだ。…猫になるとそれどころじゃないからね」
「ああ、ご自分の姿を見ずに生きるのはさぞかし難しいでしょう」
 ふっと微笑んだハービーがミントティを差し出した。
「…みんなの様子は?」
「ラブラ様はお部屋でのんびりしておられます。マリーとローズはもう寝たようです。カウルはこの宿の裏にある珍しい植物に夢中、ばあやは明日のステージ衣装を縫っておられます」
 それぞれ満喫してるならいいよ…とセディスが微笑んだ。
「それで?…また仕事?……場所は?」
「ローズワットでございますね。ここからなら馬車で行けます」
 セディスは捲っていた書類を綴じると、こりこりと羽ペンで頭を擦った。
「―――――ハービー…」
 ソファに移動して、領主は寄り添って立っている執事に頭を伸し掛からせる。
「何でしょうか」
「どうして、みんなついて来たのかな…あの魔女が魔法を掛けたかった相手は僕だけで、多分他の皆は巻き込まれただけだ。その魔法解除の仕方も見つかるかわからないんだ…」
 ハービーは優しく目元を少し垂らす。落ち着いた執事のトーンで続けた。
「そうですね。……ご主人様が聞きたいことは違うのでは?」
 図星を指されたセディスが言葉に詰まる。この執事の前で隠し事は出来ないらしい。
 観念して、口を開いた。
「そうだよ。僕が一番不思議に思っているのはラブラだよ」
「ではお聞きになれば宜しい。二人分のお茶を用意して参ります」
 二人分?
 セディスは首を傾げ、開いたドアの向こうに立っている幼女の姿を見つけた。
「ラブラ…」
「ちょっとお邪魔するわよ。ハービー、何かつまめるものないかなあ」
 お任せください、とばかりにハービーが竹籠を持ってきた。
「地方の御茶菓子はすぐに取り揃えていますから。しばし、婚約者同士のご歓談も宜しいでしょう。セディス様の平穏はすぐに去ることでしょうし」
――嫌な事を云うなぁとセディスがボヤいた。
 確かに、本来の自分でいられる時間は「夜の公演」がハネて、朝になるまでだ。また「昼の公演」が始まれば、おのずと猫に近づいてしまう上、夜には女体化+ネコ化。
 かと言って「昼の魔法」を使わなければ、夜には猫そのものになってしまう。性悪魔女らしい魔法である。しかもその魔女、魔法解除の呪文を忘れたと来た。

 あー、お茶が最高…などとラブラは言い、微笑んだ。
「全く。セディスの女好きにも困ったものね。それが本能って言うなら仕方ないけどね!バッカみたい。…そんで女になってりゃ世話ないわね~」
「ラ、ラブラ…傷つくんだけど」
 ラブラはキリとした目をセディスに向けた。
「何よ。じゃあ誤魔化しながら微妙に過ごせばいいの?セディスのあのボンボンした身体も、あたしの素晴らしい美少年ぶりも全部観ないフリをすればいい?」
「それは……気まずいな」
「ね?出来るわけがないの。だから真実を見て、カラかって笑いあうしかないのよ」
 セディスの口に「はい」とクッキーを放り込んでやりながら、ラブラはため息をついた。
「それに、あたしは貴方の婚約者。投げ出すわけに行かない。……嫌いじゃないでしょ。キラキラの魔法」
 甘いクッキーに顔を綻ばせたラブラが手足をぶらぶらさせた。
「夜の公演は辛いよね……でもね、幽霊さんたちの最後の「ありがとう」って言葉はとっても好き。それはセディスの魅力だもの」
「僕の魅力?」
「これ以上は内緒」
 ラブラは大きな頭をセディスに預け、そのままウトウトし始めた。
 ――酒好きで、クッキーなんて食べなかったのにな。
 セディスは胸に上下する呼吸を眺めながら、ごめんねとありがとうを交互に噛みしめるのだった。

「いい天気ですよ!坊ちゃま、お嬢様!」
 シャー、とカーテンレールの音にセディスが目を擦る。ばあやがカーテンを開け、ハービーが「おはようございます」とブレックファーストを運んで来たところだった。
「ばあや…おはよ…」
「んまあ!坊ちゃま!…顔を洗って、御着換えなさってくださいまし!」
 貴族は基本朝寝坊だ。だがばあやにはそんな風習は関係がないらしい。膝で眠ってしまったラブラは瞼を開けない。
「ラブラ、朝だよ」
「ご主人様……一つだけ宜しいでしょうか」とハービーがうやうやしく声をかけて来た。
「何だ」
「今のラブラ様は幼女でございます。御睦みは…その…」
 セディスが目を丸くした前で、ラブラはタンクトップ姿で目を擦って起き上がる。自分のブラウスが脱げているのに気が付いたラブラの手形はセディスに炸裂した。

「杞憂でしたか」
 氷を貰い、頬を冷やさせているセディスがむっつりと頬を更に膨らませている。
「あるわけないだろ!……僕は巨乳以外は手を出さない」
「それもどうかと思いますが……あ、見えてきました。ローズワットの屋敷ですね」
 馬車にはハービーとラブラ、セディスが乗っている。ローズワットの区画は界隈では高級住宅地で、身分のないばあや、カウルたちは踏み込めない貴族の区画なのである。
「ありゃラブラが寝ぼけて脱いだんだよ!」
 ラブラは知らんぷりで窓の景色を楽しんでいる。その横で、ハービーがセディスに耳打ちをしてきた。
「セディス様。どう致しましょうか」
「人数は少ないけど……今の僕とラブラなら何とか出来るよ」
 セディスは言うと、いつも持ち歩いているステッキを手にした。赤と青が半分ずつ。シャリマの魔法はこのステッキに一番かかった。結果、このステッキは魔法を溜めるステッキになってしまったのである。見れば昼のキラキラと夜のキラキラが丁度半分。
「ねえ」
 二人の会話に、今日は黒でゴスロリチックに決めたラブラが口を挟んだ。
「そのお屋敷の人って、何であたしたちを知ってたのかな。この街に来たのって3日前じゃない?公演は二回しかやってないわけで…」
 ツインテールに巻いた髪目の前で揺れる。セディスはステッキを手に考え込んだ。
「ビラを捲いたワケじゃないしね……まあ、路銀の足しになると思えば」
「城主とは思えない言葉ね」馬車が止まり、ラブラの辛口を最後に、会話は終息した。

 大抵の城のレベルはその調度品や装飾で見抜ける。英国において、一番判断しやすいのは庭園の手入れだが、ローズワットの屋敷は見事な薔薇の門で迎えられ、庭園作りを得意とするラブラですら、唸らせる素晴らしい整備のものだった。
玄関への道を進むごとに、セディスの表情は「城主」になる。ラブラのボケに対しても笑顔で返すだけだ。
「我が主人ながらお見事でございますね」
 ハービーは褒め称え、来訪のベルを押した。
「こちら…異国の旅一座にございます。本日はお呼ばれ戴き有難うございます」
 セディスは頭を下げると、ステッキを少し振り回した。キラキラが零れる。もうステッキの容量は限界らしかった。金髪を丁寧に結い、上流階級らしく、流行のドレスに身を包んだ貴婦人は麗しく微笑んだ。
「…娘にどうしても…今朝方夫が素晴らしかったと申しておりましたから」
―――――夫?
 貴婦人はハンカチで口元を覆い、セディスとラブラを螺旋階段に導いた。
 品の良い胡桃材の階段をゆっくりと上がる途中で、セディスが気が付いた。
「失礼ながら、この建築家はアーサー・ウィルトンでは?」
 まあ、と貴婦人が驚きの声を上げる。
「…失礼。僕は城の設計を見るのが好きなので。この品の良い階段、天井に彫り込まれた珊瑚の模様…ああ、なんて素晴らしい…っ!」
(ちょいとセディス、セディス)とうっとりと語りだしたセディスの脇腹をラブラが突く。
(なんだよ)
(あんたがお城マニアなのは分かったから、とっとと済まさないとまた猫耳出るわよ)
 ぴく、と頭を両手で押さえた瞬間に、ステッキが落ちた。
 ―――――え?ステッキが落ちたのに、音もしない?
「気が付きましたか」
 ハービーがセディスに囁く。セディスは声を出さずに頷いた。
「……マダム、その娘さんに僕の魔法をかけます。案内して下さい」
 マダムは頷いて、しずしずと階段を登る。貴婦人である故に足音を立てないのだと思っていたが…セディスはステッキを拾い、ぎゅっと握りしめ、シルクハットを被り直す。
「こちらですわ」
 落ち着いた色合いのドアのノブを引くと、さらに光が溢れて来た。
「……娘はずっと寝たきりなのですわ」
 大きく開け放たれた窓べから時折風がリネンを揺らしている。天蓋にかけられたベールが少女の廻りで優しく揺れていた。
「なるほど……大丈夫。僕の魔法でなら」
 セディスは言うと、ステッキを構えた。溜められた昼のキラキラと夜のキラキラが一気に放出され、部屋に光が溢れてゆく。
 溢れる程の光彩の中、セディスは回転し、そのキラキラは一つに集約されて大きな円になった。それをラブラが受け止める。
「えいっ」
 ラブラが手を動かすと、その円は眠っている少女を包み込み、ハービーの振ったハンカチで細かい粒子になってゆく。
 それを再びセディスは受け止め、そっと少女の手を取った。
 不思議な魔法が少女の手の平から入りこむ。
「……お嬢さん…そろそろ起きられるかな?」
 眠っている少女の手をそっと掴んだ。
「これが僕の魔法ですよ。昼と夜のキラキラが混じると安らかな眠りへ…誘…」
 涙声のセディスを小さなラブラが掴んだ。
「あんたはよくやったわ」
 目の前で消えてゆくマダムと娘……城すらも薄れて、色合いを失くしてゆく。腕で涙を擦るセディスの横で、ハービーが沈痛の声で静かに告げた。
「…ここは二年前に一家が惨殺されたお屋敷だそうです。…なんとか娘が目覚めるのを、母親は願っていたのでしょうね………ラブラ様、そのまま振り向きになりませぬよう」
「見なくていいよ、ラブラ」
 セディスがくるりとラブラを回れ右して手で目隠しして見せる。
 景観の変わった城は、ベッドには娘の形状の白骨、真横にはもう一つの崩れた骨のある廃墟に変わってしまった。
「……いつもながら、辛いね…」
「セディス様、いつもお辛い想いをさせてしまい申し訳ございません。…どうしても『夜』の後はこういった依頼が舞い込むのです。それだけ…」
 未練を残した人間は多いのでしょうね…。ハービーの言葉にセディスは涙目で頷いた。

「良くわかりましたね」
「影と音がなかったんだ…」
 帰りの馬車の中で、セディスがステッキを片手に呟く。
「シャリマの魔法も、こうやって消化していけば、いつかは解けるのだろうか」
 眠ってしまったラブラを撫でながら、セディスは言う。
「ハービー…」
「はい」
 セディスはアンニュイな目を輝かせた。
「シャリマを消せば…魔法は消える。そうわかっていて出来ない僕は弱いのだろうか」
 ラブラには言えないなとセディスは笑った。
 ハービーは静かに黒髪を揺らし答える。
「まだ結論を出すには早いですよ」
「……そうだね」
 セディスは再び唇を拓く。
「それでも、ラブラだけは……元に戻してやりたいんだ」
 聞いた執事がイタヅラっぽく人差し指を唇に当てて見せる。
「みなにはナイショにしておきますよ」
「うん…やっぱりラブラは特別だから」
 スヤスヤと眠る幼女の頭を優しく撫でると、ラブラ愛用のミントソープの香りがした。

「みんな準備はいい?!」
 美声がサーカス用のテントを飛び交うと、夜の公演間近である。
「…ご主人様が」
「やるよ!やるから!鏡をどけてくれよ!」
 セディスがはち切れそうな胸を揺らしてステッキを掴んでラブラを見上げた。少年になったラブラはセディスのスーツが丁度合うらしく、城主の凛々しさ満載である。
「もぎゃ!」
「あ、ご主人様すまね。しっぽ踏んじまった」
 大道具を抱えるカウルがどでかいブーツを上げて見せる。夕方。いつもの大騒ぎ。
「ねえセディス」
 ラブラがセディスのタイピンを止めながら顔を向ける。
「…魔法をかけられてハラ立つけど…昼間みたいな事あるなら、捨てたものじゃないよね」
「ラブラ」
「実は魔法を使うセディス、すっごく綺麗で好きなのよ」
 一瞬、麗しい髪を揺らし、大きな胸を揺らして微笑む勝気なご令嬢が見えた気がする。
 またいつか、ラブラをダンスパーティーに誘える日が来るのだろうか。
 その時には、とっておきのファンタジアを捧げるつもりだ。

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