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3.守るために

 襲撃を受けてから幾日――。
 コッパーの訓練場は、ワイワイガヤガヤと賑わい、これまでと想像がつかないほどの活気に満ちていた。剣を打ち合い、時には笑い声も起こる。
 新たに訓練生がやって来たわけではない。そこにいるのは、誰もが見知った顔の町の者たちばかりであった。
 
 ――町が襲撃を受けた時、町人は全員建物の中に籠っていた。
 この選択は正しかったのだが、町の危機を外部から来た女二人に全て押し付け、自分たちは窓ガラス隔てて見守る事しか出来なかった事が歯がゆく、町人たちは『最低限でも戦えるようにして欲しい』と一人、また一人……と、申し出たのである。

 宿屋の女将もその中の一人であり、木剣と盾を手にゼーゼーと肩で息を吐きながら、そこを通りがかった鎧姿のシェイラに話しかけていた。

「女将さん、た、大変そうですね」
「じぇ、シェイラちゃんは、こんな訓練を毎日しているのかい?」
「ええ、でも今日は軽い方ですよ?
 今日の私のメニューは、金属鎧の重さに慣れるのと、体力作りのためにランニングだけですが、いつもならこれに素振り五百とかありますし」
「……町を守る前に、内部から崩れてしまいそうだね……」
「あ、あはは……レオノーラさんは手加減出来ない人なので……」

 女将は同じように、バテバテになっている町の者に目をやりながらそう呟いた。
 身をもって教官の厳しさを知っているシェイラも、苦笑いを隠さずにはいられないようだ。
 当然、レオノーラは難色を示した。
 難しい選択を迫られ、どうしたものかとベルグに相談した所――

『一方的になぶり殺しにされるよりマシ』

 と、即答され、町人の訓練までも即決してしまったのだった。

 窮鼠猫を噛む――獣人には、“無抵抗のまま敗北を選ぶ”ことを最も嫌っている。
 かつて人間に集落を追われた際、当時の“長”であったベルグの父――〔ブラック・ブラッド〕は、その信念を曲げてでも、後ろ指をさされてでも生き延びねばならない選択を迫られた。
 “断罪者”と“天秤”を守るためである。内部から非難の声にもじっと耐え続け、いつかは……と、肝をなめる思いを味わっていたのだ。
 それを保護した家、その娘・シェイラも、そのような事情があった事を最近になって初めて知った。

(スリーラインたちも、故郷を取り戻したいんだ……)

 守るべきモノのためであれば、己を犠牲にする事も厭わない。
 着地点は同じ場所にあった事を知り、シェイラは深く息を吐いた。
 いつか故郷を取り戻しても、ベルグの傍に立っているのは自分ではないだろう。
 あの日の“姉と弟”、笑顔が絶えない日はもう戻って来ないのだと思うと、胸が締め付けられてしまう。

「……シェイラちゃん、どうかしたのかい?」
「あ、い、いえっ、何でもないですっ!」

 シェイラは、込み上げて来たものをぐっと堪えた。
 訓練に戻ります、と女将の返事を待たないままランニングを再開した。
 目元から頬を伝う“汗”に、鬱々とした気持ちを混ぜ、グラウンドを駆け続ける。

(私は“お姉ちゃん”なんだから、しっかりしなきゃっ……!)

 ガチッガチッ、と重い鎧の音だけが耳に響く。
 テアが貸してくれたエルフの魔法金属製のとは違い、人間が作った金属製の鎧はただただ重い。
 エルフ製のはやや防御力は劣るものの、非常に軽い。しかも多少の魔法やドラゴンや悪魔などのブレスにも抵抗があるとも言われている、一級品のシロモノであるのだ。

(あのままくれても良かったのになぁ……)

 図々しいと思ったが、シェイラはあのままプレゼントしてくれると期待していた。
 初めての報酬で貰ったこの鎧をフイにする事になってしまうものの、それほどまでにあの軽さは魅力的だったのである。

(でも、デザインはこっちのがいいかも。)

 シェイラにとっては、今身につけているカジュアルな感じの方が落ち着く。
 エルフのは花や植物などの彫金から始まり、煌びやかなそれが合わなかった。
 しかし、名を馳せた暁には……と密かな願望と言う妄想は、未だ抱いたままである。
 そのためには、人間の鎧でも百パーセントの力で戦え、いつもの三分の一程度の距離でヘバるほどの体力の問題をどうにかしなけれなならない。
 金属の籠手のせいか、ここのところ槍まで重く感じてしまう。
 この鉄の塊に慣れ、最低でも身につけていない時と同じ回避能力、持久力を持つ――これが、ベルグとレオノーラから与えられた課題であった。

(レオノーラさんは分かるけど、スリーラインもどうしてなんだろ?
 最近、様子がおかしいと言うか……焦っているような気もするんだけど……)

 シェイラは“弟”の様子がおかしいと、薄々ながら気づいていた。
 耳を垂らし、口をモゴモゴさせている姿は、何かを躊躇っているようだ――と。


 ◆ ◆ ◆


 そのベルグは、一冊の本を持ってローズの研究室を訪ねていた。
 書物や実験器具が乱雑に並べている部屋の中は、外の喧騒は全く聞こえなかった。
 シン……と静まり返った室内に、ベルグが持ってきた本を捲る紙ずれの音だけが響いている。
 それはテアに渡された本であり、その綴られた文字を追うごとに、ローズの眉間にシワが深くなってゆく。
 ここ近年の自然災害――彼女のクラスである錬金術師(アルケミスト)、そのギルドにも関する内容であるため、ベルグはローズならとそれを打ち明けたのだ。

「――これ、一体どう言うことなの?」
「時代と共に形態が変わった、のだが、その弊害が今になって現れた――と言ったとこか」
「馬鹿じゃないから、それぐらいは分かるわ」

 ここコッパー均衡では実感がないのだが、各地では異常気象だけに留まらず、ハリケーンや大きな地震なども観測されている地域もある。
 エルフがまとめた本には、その“原因と元凶”が記されていたのだった。

「――“裁きを下す者”が世界を滅ぼしかねない、ってことじゃないの!
 しかも、これが本当なら、お姉ちゃんは一体どうなるのよ……」
「レオノーラに関しては、問題はないとテアが言っていた。
 ただ、それでも“裁断”と“断罪”の関係は戻さねばならないようなのだが……」

 ローズはその言葉に安堵を浮かべたが、一抹の不安も残った。
 本には、“裁きを下す者”の本来の関係性から、どこから“おかしくなったか”までこと細かく記されている。

 【“断罪者”と呼ばれる者は存在しなかった。
  本来は、“裁断者”の妻と、 “守護者”の夫だけである】

 ――と。

「本来の関係って、この本の通りなら……アンタとシェイラは“夫婦”になるじゃない。
 そうなったらお姉ちゃんはどうなるの? ただの妾? 愛人?
 どちらかを“天秤”にかけ、解消とか甲斐性なしな事とかしたら……惨たらしい死に方を覚悟しなさいよ」
「いや、獣人にはそのような概念はないので、全員が“妻”だ」
「それ、お姉ちゃんからも聞いたけど……『()人だから()人の妻が持てる』って、一体誰が決めたのよ……」
「親父。長の決定は絶対だからな」
「はぁ……まぁ、そのおかげで、お姉ちゃんは“妻”でいられるからいいか――」

 あまり喜ばしい事でもないが、獣人の世界の法は人のそれとは違う――。
 勝手に決定して、母からチビるくらい怒られたが、とワフワフと笑いながらベルグは言った。

「で、()()()()()()()はどうすんの?」
「それが問題で、頭を悩ませているのだ……」

 不本意ながらも冒険者となったシェイラとて、冒険者として世界を歩き、人並みであれど恋もしたいはずだ。“裁断者”と言うだけでも制限がかかっているのに、シェイラに“妻”も強制させて、“女”としての夢までも制限しまう事になってしまう。
 これまで“自由”が無かった彼女から、さらに“自由”を奪う事にベルグは難色を示している。

 ベルグは他に手がないのか、とテアに問うたが、

『別に夫婦(めおと)のそれだけが、全ての繋がりではありませんが……。
 手っ取り早く、かつ彼女にとってもベストな選択でもあるってだけです、はい。
 納得いかないのであれば、形だけくっついて別れればいいじゃありませんか。
 もしくは夫が二人でも――』

 と、アテが外れ、無責任に返された。
 ベルグは、いつシェイラに切りだすべきか、とずっと思案している。
 もしシェイラに想い人が出来れば……と思うと、“選択”を迫ることに胸が痛むのだ。
 それよりも――これまでの、“姉と弟”の関係が崩れる事を危惧していた。

「しかし、全ての原因って、“先代の裁断者”じゃない。
 コイツが消えたせいで“断罪者”が独立する形になって、妻が“守護者”になった。っておかしな事になってるし」

 “守護者”はいつしか“断罪者”と呼ばれるようになったが、シェイラの前、“先代の裁断者(エルマ・フィール)”が裁断・断罪そして、審理の三つに分けたのが原因なのである。

「それが、何らかの原因で仲間割れを起こし、全ての――」
「うむ……全ての“繋がり(リンク)”が切れ、“調和”が切れた……。
 神の道具だとしても、たかだか道具のそれが途絶えただけで、ブチギレるとはな」

 何とも我慢の無い神だ、とベルグは溜息を吐きながら言う。

「――エルマの以前には、“裁きを下す者”に空白の期間がある。
 これは、“役目”と道具を捨てたのが原因と推測する?
 罰を与える立場は何をしても良いのか、神に問われるべき行い……か。
 こいつも大概、ってかこいつが道具捨てなきゃ、今の状況は生まれてないんじゃないの?
 アンタたちの、“責任問題”はどうなってんのよ……」
「まぁ、投げ捨てたくなる気持ちも分からんでもない。人の数だけ“罪”があるのだし。
 犬も食わぬような夫婦喧嘩の裁量を求められたり、子供の喧嘩に親がしゃしゃり出て白黒つけさせられればな……」
「アンタ、そんなことしてたんだ……」
「人間は、利用できるモノは何でも利用するからな。道具であれ、人であれ、自然であれ」
「あー、あー、きこえない、私には何もきこえなーいっ!!」

 錬金術師(アルケミスト)は特にそうであるため、ローズには耳が痛くなる言葉だった。

「けど、それだけで調和が途切れるって、この世界もどんだけ脆いのよ」
「いや、直接的にはメダルが原因――」

 そう言って、ベルグはこれまで裁量に使っていた三枚のメダルを取り出した。
 テアも、それを認めたくなかったシロモノであるらしい。

「天秤らを見つけた時、これも一緒に持ってきたのが原因のようだ」
「何で?」
「それぞれの道具を保管していた“間”の鍵で、道具を持ち去る際、台座にはめ込まれていたこれまで持ち去ったのがいけなかったらしい」
「……人間って強欲な生き物よね、ホント」
「で、それに気づいたけど、どうしようも無くなったから、“先代の裁断者”がそこで中立の力を使って“均衡”させていた、ようだ」
「それが持たなくなって、シェイラとバトンタッチしたいって事?」

 かもしれん、とベルグは言った。
 “裁断者”の資格を持つ者はいたものの、その力を授かるまでには至らない。
 その力を欲する者が、根こそぎ刈り取ったりしていたのが原因であり、シェイラもその中の一人になろうかとしていた。
 テアらのエルフは、この千載一遇のチャンスを長く待っていたようである。

「ずいぶんと身勝手な話だが、まずは全ての繋がりを取り戻さねばならんのだが――」
「砂浜で砂金一粒探すようなものね……アンタみたいに目立ってりゃ別だけど」
「俺は目立ちたくないのだがな、と言でも言いたい所だよ。
 ……ああ、砂金で思い出した。明後日ぐらいに、“死者の財宝”を取りに行くつもりでいるので、外出許可をもらいたい」
「それはいいけど、場所は分かってんの?」
「うむ、テアに読み取ってもらった。本当は、今日か明日にでも出たかったのだが」
「ふぅん……。どうせ世界がボーンってなるのなら、豪遊して死んでやるわ。すんごいお宝、期待しているわよ?」
「別に、カートの家なら贅沢三昧できるだろう?」
「なっななな、なっ何でそこでアレの名前が出てくるのよ!?」

 と、真紅の薔薇ように顔を真っ赤にしたローズは、ワフワフ笑う犬の胸毛を掴みあげていた。


 ◆ ◆ ◆


 一方そのカートは、町の近郊にて“スキナー一家”の者からの報を受けていた。
 唇を尖らせ、面白いのか面白くないのか分からない顔で、受け取った手紙に再び目を通す。

「“ジム一家”がやられっぱなしなのがキツいな……」
「『やられ役に徹する』と言ってますが、このままだとヤバそうですし、オジキも手を講じています」
「しかし、【リーナス】でも“ワルツ”と二分してんだろ? 兵隊足りんのか?」
「悪い奴らは、いつか罰が下されますので――」
「ああ、なるほど、な。
 いつになるか分からんが、親父に小遣いはずめって言っておいてくれ」
「承知いたしました」

 音を立てず、ささっとその場を去った“手”の背を見送り、カートは天を仰いだ。

「いつか俺らにも下るのかねェ――」

 雲一つないそれは、通り雨一つ来なさそうな澄み渡った空であった。

しおり