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2.襲撃者

 ベルグ達は、割に合わぬ“なぞなぞの報酬”に落胆の色を隠せずにいた。
 転がり落ちて来たのは、古い頭蓋骨と折れた杖、そして古臭い“指輪”――。
 頭蓋骨はもちろんのこと、杖も折れていては薪ぐらいにしかならないだろう。
 したがって、残るのは二束三文にしかならなさそうな、“指輪”だけであった。
 これも捨てようかとの案もあがったが、普段使わぬ頭を使って得た、唯一の“お宝”でもある。

「よし、シェイラにやろう。
 これが取れたのもシェイラのおかげでもあるし」
「え、えぇ!? ……い、いいの?」

 何か思案するかのように、手の中で(もてあそ)んでいた指輪をシェイラに差し出した。

「犬に論語、豚に真珠であるしな――」

 価値がない、と言いたいらしい。カートも端金には興味がないので同意している。
 指輪を女に渡す行為は何を意味するか、それは色恋沙汰に疎いシェイラとて知っている。手渡してくれたのは“弟”であるが、れっきとした一人の男である。
 現実は、ただ単にいらないから――それは百も承知であるものの、女としてはやはり嬉しいものがあるようで、ついその顔をほころばせてしまった。

(ま、まぁ……“弟”からのプレゼント、みたいなものだし。
 でも、こんなおっかないのは、薬指にはめられないけど……)

 僅かに落胆の色が浮かぶ。誰が身につけていたのかも分からぬ指輪、ましてや骸骨と一緒に転がり出てきた物であれば当然だろう。

 シェイラは自分の左手の薬指に目をやり、いつかはここに――と、空想の相手を頭に浮かべ、一人で頬を染めた。


 ◆ ◆ ◆


 ベルグ達が廃墟にて指輪を手に入れた頃――。
 フォルニア国の東、国境沿いに位置する【イルフォード】の娼館に、一人の男が足を踏み入れていた。
 短い白髪のガッシリとした体躯、齢四十半ばではあるが、年齢を感じさせぬ身体をしている。
 左眉から頬にかけ、四本の傷痕を残す男の顔は怒りで歪められ、引き留めに来た若いボーイを次々と突き飛ばしながら、ズンズンと奥へと向かう。
 廊下でその男の顔を見た娼婦は恐怖で腰を抜かし、その女と愉しんだであろう男は瞬時に顔を伏せ、“恐怖”を見まいとする。
 怒れる男は店の最奥――そこだけ分厚く頑丈な扉を強く開け放ち、中に居た男を見るや否や、怒号を放ち始めた。

「スポイラーッ!! 貴様ッどう言う事だ!!」

 長い金髪のスポイラーと呼ばれた男は、椅子に腰かけたまま、面倒くさそうに性悪そうなひねくれ顔を白髪の男に向けた。
 その男の股ぐらには、今先ほどまで涙を流し続けていたであろう女――突然入って来た男を、恐怖と懇願が入り混じった顔で見上げている。

「“指導中”に入って来ないでくださいよ、“先生”――」
「やかましいッ! 貴様ッ、コッパーにあの“犬”を放ったなッ!」
「そんな怖い顔しないでくださいよ、“新入り”が怖がっているじゃありませんか……。
 コッパーに美味そうな女が居る、と言ったら、勝手に“野良犬”が出て行ったんですよ」
「奴らに関しては、まだしばらく時期を見ろと言ったはずだッ!
 貴様だけでなく、貴様の従兄弟・タイニーまでも勝手に動き、“スキナー”を刺激しおって……ッ!」
「保険ですよ、保険。“断罪”や“裁断”、そして“スキナーのガキ”までいるんです。
 “獲物”に金は返せないでしょうが、万が一、借金を返されでもしたら、私は表立って動けませんからね――」

 スポイラーは女の髪を鷲掴みにし、まだ怒張したままのそれに無理やり近づけた。
 女は嗚咽を漏らしながら、“指導”された通りにそれを口に含み、“訓練”を再開し始めた。
 白髪の男は、それに嫌悪の表情を浮かべている。

「貴様……ッ、従兄弟を捨てゴマにするつもりかッ!」
「そももそも“先生”が悪いのですよ。“獲物”……シェイラ・トラルを訓練場に行くように仕向けるから。
 あんな事せずとも、ウチで“訓練”すれば苦労せずに済んだものを……」
「そうすれば“裁断”の力が与えられぬ、と何度言わせるッ!
 確かにコッパーの訓練場に、“断罪者”と“スキナー”が来たのは誤算だ。しかしッ、貴様はただ、その女のように性隷が欲しいだけだろうッ!」
「イイではないですか、“あの人”も、『“裁断者”を手に入れる方法は問わない』と言っているのですし……。“先生”こそやる事やってくださいよ――“ウルフバスター”の名は飾りですか?」

 白髪の男は、腰にぶら下げた、波打った刃が特徴的な片刃のロングソードに手をかけた。
 それにはスポイラーも思わず縮み上がり、女の歯にそれを擦り当ててしまう。
 思わず顔をしかめたスポイラーは、恐怖を怒りに変え、女の頬を平手打ちにした。
 床に転がった女は、助けを求めて“ウルフバスター”の足下にすがり付こうとするが――。

「がッ……ァ……」

 “ウルフバスター”は目に怒りを込めながら、その女に“救い”を与えた。
 女の口からゴポッと血の塊を吐き出され、赤い池が広がりを見せてゆく。

「私を甘く見るなよ若造ォ……――。
 ベルグ・スリーライン・ミュートは俺が討つ……俺が必ずなッ!」
「わ、分かりましたよ、ルース“先生”……」

 先ほどまでいきり立たせていたスポイラーのそれは、即座に縮みあがった。
 この男は、ただ金とたまたまの“権力”で成り上がっただけの男。そのため、実際は気が小さく臆病なのだ。
 ルース、と呼ばれた白髪の男は、そんな男のために働かなければならない事を情けなく思ったが、“断罪者”……ワーウルフ(ベルグ)を討ち取るには、この方法しか無かったのである。


 ◆ ◆ ◆


 その頃、ベルグ達が屋敷の外に出た時である――。
 “スキナー一家”の同盟である、“ジム一家”の配下の者が血相を変えて駆け寄って来た。
 支離滅裂気味であったが、火急の報せに誰もが我が耳を疑う。

「こ、コッパーが襲われただと!?」
「恐らくスポイラーの手先、東の《ウェアウルフ》が七匹、かと……」
「東の、だと……くそッ、急ぐぞッ!」

 ベルグは焦燥に駆られた。
 東の《ウェアウルフ》は荒くれ者が多く、非常に危険な存在なのだ。
 秩序を重んじる《ワーウルフ》と違い、自分たちの利になるなら何でもやるようなそれは、獣人の中でも鼻つまみ者であるのが多い。
 双方は、同じ獣人(ライカンスロープ)であるものの、それぞれの価値観は対極に位置する。
 《ワーウルフ》多少の差異はあるものの、人間の姿になる事ができるためか、生活様式も人間に近い。
 片や《ウェアウルフ》は真逆である。彼らは“欲望”のままに動き、その獣の力を利用して容赦なく人を襲う。
 “獣の神”による罰か、彼らは人の姿を取ることが許されなかった。
 そのため、生活様式は野生そのものに近い。

 ベルグは町よりも、まずそれと戦うであろうレオノーラ達が心配であった。
 彼女らは己の責務を果たすべく、剣を握るであろう。
 もし何かあれば俺の責任だ、と自責の念にと怒りに捉われ続けている――。

 シェイラは前を走るベルグとカートを、必死に追いかける。
 この照り付けるような日差しがより辛さを加速させ、普段の訓練以上に辛いものだ。
 ベルグと同じく町や町の人、宿屋の女将も心配である……が、

(レオノーラさんが居るから……?)

 苦しみと寂しさが浮かぶ目で、シェイラはその“弟”の背中を見ている。
 必死な顔になっているその顔を見ると、肺が引っ張り上げられそうで辛かった。
 置いて行かれるかもしれない、との想いはどちらの意味なのか……それを己に問えば、より苦しみが増す。
 ぐっと唇を噛みしめ、何かを堪えた時――距離が離れて来た二人との距離が詰まってゆくのが感じられた。
 突然シェイラの足が早くなった……わけではない。
 二人が立ち止まり、肩で息をしていたからだ。

「は、はァッ……はァ……ふ、二人共どうしたの……」
「目の前に、よ――」

 カートも息があがっており、全ては言えなかった。
 汗だくの顔をそこに向けた先には、何やら濃い茶色の毛むくじゃらなそれが道に蹲っていたのである。
 見れば、所々に赤い血がこびり付き、犬の左耳が失われ肉がむき出しになっていた。

「な、な、にあれ……」
「《ウェアウルフ》ッ――」

 カートもシェイラも、ベルグの唸るような低い声に、体温の上がった身体が急に冷えてゆくのが感じられた。
 怒りの形相は二人も思わず息を呑み、言葉を失ってしまうほどだ。
 “断罪者ではないベルグ”は、それは肩を怒らせ爪を立て――時間が経ては息絶えるであろうそれに、容赦なくのど輪にかけた。

「――ガッ……ハッ……」
「馬にでも跳ねられたか? 犬よ」
「き、さまは北の……ァッ……」
「心臓をえぐり出す前に聞こう――町は、そこに居た者はどうなった!」
「や、やはり……て、てめェの女ァ……か……あ、アイツは……ァァ……」
「まぁ、このザマを見れば分かるか。東の荒くれ者、新王者、あと何だったか?
 飼い犬か? 負け犬か? 誇り高き《狼男》も墜ちたモノよ――」

 《ウェアウルフ》の目がギロリとベルグを睨み、力が抜けて行く手でベルグの毛を引っ掻いた。
 しかし、それは傷すらつけることも叶わず、ただ指先で毛を撫でただけである。

「――スポイラーとやらに送られたか?」
「……グ……」
「ああ、その従兄弟も居たか。
 まぁ、どちらにしろお前は当て馬にもならず、噛ませ犬にもなれなかったが。
 どうだ? カスと見下していた人間に使われ、敗北し、
 半端者と見下した《ワーウルフ》に命を握られる気分は?」
「どちらも……だ……ど、どうせ、きさま、は《ウルフバスター》に……は、ハハ……」
「ハンターは獲物を狩るが、狩られる事もある――それは紙一重なのだ」

 命の火が消えかかったその胸に、ベルグの左手の爪が突き刺さり、小さな悲鳴をあげて《ウェアウルフ》は息絶えた――。
 だが、ベルグの“処刑”はそこで終わらない。
 肉と血と空気が混じる音を立てながら、その赤黒い命の核を引きずり出した。

「ぅッ……」

 シェイラは思わず後ろを向き、胃からマグマのように噴きあがってくるそれを必死で堪えた。
 金属の臭いが風に乗り、鼻先を漂う。
 さすがのカートもこれはキツいらしく、顔をしかめ、目線を反らしていた。
 しかし、“裁量”もシェイラの“宣告”もしていない。
 カートはそれに不安を覚え、思わずそれをベルグに問うた。

「お、おい犬っころ……罰は、大丈夫なのか?」
「ん? ああ。“獣の掟”は、獣人全てに与えられた権利だからな。こればかりは対象外であるらしい」

 掟に従い、ベルグは無法者を裁いた――。
 獣人には『死ぬと獣の神の下に参るが、心臓が無ければ行けなくなる』と信じられている。
 そのため、重罪を犯せるほどの者も、この“処刑”だけは恐れている罰なのである。
 もちろん理由なくこれを行えば、その者が同じ目に逢う。

「東のは手段を選ばん……町やレオノーラ達が無事であればいいが」
「命からがら逃げて来たって様子だ、大丈夫だろ」

 シェイラはその言葉にズキっと胸が痛んだ。
 認めたくはないが、それが“弟”の進む道である事を認めなければならない。
 自分のそれを抑えるように、ふぅ……とゆっくり長い息を吐いた。

 ・
 ・
 ・

 それからしばらく……
 日が傾き始めようとしていた頃、町に着いた三人が待ち受けていたのは、凄惨な光景であった。

「ひ……ィッ……」
「俺ら悪党でも、こんなエゲつねェ事しねェぞ……」
「俺、久々にブルッと来た――」

 門には吊るし首、各所で皮が剥がされた肉塊がゴミのように遺棄されており、その身は大カラスの餌となっていた。
 纏っていた皮は、まるで洗濯物であるかのように吊され、ゆらゆらと風になびいている。

「ベルグ殿ッ! 御無事でしたか!」
「あ、ああ……何と言うか――問題は、なかったようだな」
「もちろんです。あの程度の《ウェアウルフ》なぞ朝飯前でございますッ!
 ですが……一頭逃がしてしまい……」
「うむ、そいつなら道中くたばりかけていたので、俺が“処刑”した」
「そうでございましたか! で、そのもう一つお願いしたい事があって……」
「ん? どうした?」

 レオノーラは言いにくそうに、下げた両手を擦り合わせながら、身をよじりモゾモゾとし始めた。
 シェイラは何か嫌な予感と、『夫婦になるんだからね……』と覚悟を決めたのだが、

「その……襲って来た《ウェアウルフ》の集落はどこに?」
「――は?」
「やっぱり……って、え?」

 レオノーラの目は、『全滅させるまでが戦争』の目をしており、今からでも乗り込む姿勢でいる。
 そこまで怒るほどか、と疑問に思ったベルグ達であったが、そこにやって来たローズの言葉によって理解する事ができた。

「――か、髪の毛が切られたのが原因……だと?」

 戻って来てすぐに急襲を受け、その嬉しくて堪らない自慢の金髪の一部が、五センチほど切られてしまったのが発端だとローズは言う。
 シェイラはその理由を聞いて『分からないでもないけど……』とこの騒動で、同じく台無しになってしまった毛を弄った。

「おかげで、私は二体だけよ……」
「何だお前、戦えたのか?」
「あら? 私を見くびると痛い目に合うわよ?」

 ふふん、と不敵な笑みを浮かべるローズはいかにもな試験管を取り出し、チャプチャプと中身を揺らした。
 レオノーラですら、局地での戦いならローズに勝てないかもしれない、と言うほど危険な猛毒を複数携行しているのである。
 レオノーラがトドメを刺す前に、一匹にローズの自白剤を飲ませ『スポイラーの指示を受け、町とレオノーラ達を狙った』と聞き出したらしい。

「……ですが、敵をいくら仕留めても失った物は……」
「髪ぐらい、別に問題ないだろう?」
「き、気になりませんか? その変わってしまった所とか、バランスとか……」
「ならない」
「そ、そうですかっ!」

 それを聞いたレオノーラは、ぱぁっと明るい顔に戻った。
 ベルグは単に覚えていないだけであり、スロネットに整えて貰った後などもじっくり見る間も無かったため、あまり記憶になかったのである。

しおり