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―参―

 それはそうと、俺にはもう一つ気になってることがあった。

 コイツ等妖怪にも、妖怪側の事情があるわけだから、ちょっとびっくりしてもらう程度は許容するとしよう。だが、それにも限度というものがある。余りに怖がらせてしまうのは、それはそれで差支えがあるのだ。
 例えコイツが、俺からすれば単なるオモシロ生物でしかないのだとしても、怖がりな者からすれば充分に恐怖の対象だろう。生徒を安心させる為に行うのに、変に怖がらせすぎて要らぬトラウマを植えつけたのでは、まさに本末転倒だろう。

 例えばの話だが、コイツが怖がらせた直後に俺が姿を現して、生徒を安心させてやるというのでは拙いのだろうか?
 例えそれが必要な事だとしても、生徒に恐怖を感じさせるのはやっぱり気が引ける。出来るならさくっと終わらせて、後に引かないようにするのが望ましいのだ。

「くっく……。オヌシ、なかなか面白い色をしとるのぅ。だが、まぁ安心するがよい。確かに一時的には恐怖を感じるじゃろうが、それは誰かに話す度に半減し続ける仕組みになっておるからのぅ」

 なんだかニヤニヤと笑いながら答えてくる。なんだか見透かされているようで腹が立つが、別に俺は、生徒達を重んじている訳では無いからな? 単に俺達の行動が原因で、しなくても良い恐怖体験を引きずられては寝覚めが悪いというだけだ。

「つんでれか?」

 そんな言葉で片付けるな、安っぽすぎる。
 なんにせよ、コイツ等の影響が、単純に誰かに話しただけで薄れる程度ならばそれで良い。どういう理屈かはわからんがな。

「ワシ等のもたらす感情は、この学校の生徒全員で、その総量が決まっておるのじゃ。話が広がるにつれ、一人ひとりの恐怖は薄れていくじゃろう。特に最近では、『けーたい』やら『いんたーなんちゃら』やらで、すぐに拡散するじゃろうしな。問題なかろ」

「お前の話を聞いた人数が増えるほど、一人ひとりの抱える恐怖は減る、というワケか」

「そういうことじゃ。誰かに話す前までは、腰を抜かす程度の恐怖を感じるかもしれんが、例えば一人にでも話してしまえば、自分の部屋にGが出たくらいの怖さに薄れるはずじゃ」

 それは既に、充分すぎる恐怖だと思う。
 とはいえ、俺がどうにか頑張って、この妖怪こまっしゃくれを怖がれば良いというのは朗報である。俺は生徒ではないが、それでもこの学校の一員。拡散する前の恐怖を、一時的に肩代わりしてやるくらいは出来るのだそうだ。

「わかったよ。最悪、俺があの黒い悪魔の襲来に怯える程度で済むんなら、それで何とかしよう。流石にその程度ならなんとでも耐えられるしな」

「んにゃ、オヌシが一人でおっかぶるなら、ヤの付く自由業の事務所にロケット花火打ち込む程度の恐怖になるじゃろうな。ま、死にはせんから大丈夫じゃろ」

「心臓止まるんじゃないのか、それ」



 そして俺達も女子トイレ前まで移動した。
 ……なんだろうな、今の自分を客観的に捉えたくないという衝動に駆られる。トイレに向かう女生徒をつけまわしている自分の姿が、紛れもなくヘンタ――いや、よそう。これ以上は良くない。

「さて、次はどうするんだ。お前が出現する為には、何かの手順がいるんだろう?」

「なんぞそれ? ワシは別に、そんなモンなくとも出て行けるぞ?」

「そうなのか? よく聞く話だと、決まった数のノックをするだとか、お前の名を呼ぶとかしなければ、姿を見せないという話だったが」

「知らんのぅ。……いや。もしかすると、別の学校の奴ならば、そういう儀式的な何かを好む奴も居るのかも知れん。オヌシが聞いたのは、恐らくソイツ等の話じゃろう」

「ということは、お前以外にも『トイレの花子さん』は居るのか」

「居る居る、ごまんと居るはずじゃ。とはいえ、基本的にワシ等は学校の中に引きこもっておるからな、他所のヤツラと顔を合わせることなどない。もしかすると、一時(ひととき)前までのワシのように、既に消えかけておるのかもしれんの……」

 妙にしんみりとした声でそう洩らす。良くわからんが、そういうのは勘弁して欲しい。こっちまでつられてしまうではないか。そもそも、ここで衰退する妖怪業界について思いを馳せても何一つ始まらないのだ。
 さっさと、脅かすなりなんなりして来いと送り出す。

「おっと、そうじゃった。それでは行ってくる。このワシの勇姿、とくとその眼に焼き付けるが良いぞ」

 長い黒髪を揺らしながら、テクテク歩き出す妖怪変化であった。

 ちなみに俺は現在、女子トイレの入り口に背を向けて立っている。トイレという性質上、入り口から真っ直ぐ中を覗く事は出来ない作りになっているため、たとえ正面を向いていたとしても、入っていった花子さんを見守る事はできない。

 それでもこの姿勢を保っているのは、例え中が見えないとわかっていても、真正面から見守るというのは受け入れられないからだ。誰も居ないならいざ知らず、女生徒が入っているとわかっているトイレを覗き込むのは、流石にレベルが高すぎる。


 だがそんな俺を、トイレの中から呼ぶ声がする。

「オヌシ! そこではダメじゃ、もそっと近くに寄ってくれ。オヌシとの距離がありすぎて、何をやっても気付いてもらえんのじゃ!」

 マジかよ……。

「はようせい。このままでは、コイツが個室から出てきてしまうじゃろうが!」

 俺は苦渋の選択を迫られ、妥協案として目を瞑る。そして、普段ならば絶対に立ち入ることのない、女子生徒用トイレという魔境に足を踏み入れた。
 世の特殊性癖の持ち主なら、何らかの感慨を覚えるのかもしれんが、あいにく俺はノーマルなのだ。こんな場所、できれば一生立ち入りたくはなかった。



「おっ……。よしよし、存在感が上がってきておる。これならば……」

 コンコン、と、ベニヤ素材のドアをノックする音がした。
 恐らく花子さんの仕業だろう。先ほど話に上がった、花子さんと合うための条件に倣ったのだろう。だがそれは、お前を呼び出す側がやるんじゃなかったか?

 程なくして、花子さんと女生徒のやり取りが聞こえてくる。緊張感の欠片も感じられない間延びした声で話す妖怪赤着物に対し、女生徒の方は微妙に震えた声である。

「おぅい。出とるか~?」

「は、入ってま~す」

「なにっ? それではあべこべではないか。待っててやるから、遠慮せずにしっかり出すが良い」

「入ってます、よ~」

「だから、入ったら不味かろうて。そもそもどっから入れる気じゃ」

「あの……。私っ、忘れ物しちゃって。もう出ます! すぐ帰りますから」

「うむうむ。出るのならばそれで良いのじゃ。やはり人間、出すものしっかり出さんとなぁ」

 全力で噴出しそうになる自分を押さえ込む。なんだこの、あんまりすぎるやり取りは。
 必至で口と鼻を押さえていると、パタパタとスリッパの音が近づいてくる。そしてすぐに、渋面を貼り付けたような妖怪が姿を現した。

「ダメじゃな。物音くらいは聞こえとったようじゃが、どうにも声が届いて居る気がせん。やはり、もう少し近くに居らんといかんようじゃ」

 そして理解する。なるほど、さっきのズレまくったやり取りは、コイツの声が相手に届いていないだけだったか。しかし、ノックなどの、コイツが立てた音は聞こえていた、と。
 そういえば、コイツがトイレ入った時のスリッパの音も聞こえてこなかった。戻ってくる時は聞こえてきたのは、俺がここまで近づいたからなのだろう。

「う~む。たった数メートル離れただけで、物音すら無効化されてしまうのか……。なんとも弱体化してしまったものよ」

 とはいえ、流石に俺がこれ以上中に入るわけにはいかない。いかない、と言うか勘弁してほしい。
 さてどうしたものかと思案していると、激しく水が流れる音が聞こえ、立て付けの悪いドアからのキィという音が聞こえてきてしまった。
 マズイな、既に個室を出てしまったか。うかうかしていると、すぐにでもトイレそのものから出てきてしまう。

「っと、このままでは見つかる。逃げるぞ、花子さん」

 俺は急いでトイレの外へと避難する。


 先ほど、念のためにと上靴を脱いでいて正解だったようだ。慎重に足を進めれば、分厚い靴下に守られた足裏は、その足音を限りなく無音に近づけてくれていた。ちょっと衛生面での不安が残るが、帰ってすぐに洗濯機に叩き込めば問題ないだろう。
 衣擦れの音すら立てぬように神経を使いつつ、廊下に出てすぐ側にある消火栓の影へと身を伏せた。

 一息ついて隣を見ると、側にいたはずの妖怪黒髪おばけの姿がない。慌てて辺りを見渡すと、未だにトイレの入り口できょろきょろしていた。物陰に隠れた俺を見つけ、パッと目を開いて駆け寄ってきた。

「オヌシ、何を急にかくれんぼなどしとるのじゃ。やるならやると、ちゃんと宣言してからにせい」

「んなモンやるか、馬鹿。お前こそ何やってたんだ、早く逃げなきゃ見つかってしまうだろうが」

「いや、ちょっとな。脱いだスリッパを、きちんと揃えておらんかったのが気になって……」

 几帳面かっ!
 確かにトイレの汚れや備品の不始末は、たまに職員会議でも上がってくるくらいの問題ではある。だからと言って、時と場合というものがあるだろう。例えば避難訓練の最中に、律儀にスリッパ並べている生徒がいれば、それはそれで問題だと思う。

「馬鹿を申すな! トイレは常に、来た時よりも美しく。一時のコレで良いかという甘えが、後の汚れへと繋がるのじゃ」

「それは非常に大切な心構えだが、今やる事じゃあないだろうが! 気付かれてたらどうするつもりだっ」

「いやいや、ワシの目的からすれば、気付いてもらった方がありがたいんじゃが」

 ……だったな。

 そもそも、コイツの姿を見てもらうのが一番の目的なのだ。
 俺の姿を見られては大問題な為、思わずココに隠れたのだが、コイツはあのまま出待ちしていても問題なかったのかもしれない。
 だが、個室を出てきたら、見知らぬ着物の少女がスリッパを並べているという図はどうなのだろう。そんなので怖がってくれるのか? インパクトだけはあるかもしれんが。


 しかし、いささか困った状況だ。
 コレまでの行動で、女生徒を驚かせるに足る行為を何一つ取れていない。トイレに誘い入れたまでは調子が良かったが、その後のやることなすこと、完全にかみ合ってないように思われる。
 こんな調子で、怪談を復興させることなどできるのだろうか……。

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