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3.カニ×ヴァルキリー

 空がまだ藍色がかっている頃――。
 ベルグ・カート・シェイラの三人は、初めての依頼主のいる【ラスケットの町】に向かうべく、西に歩を進めていた。
 山を一つ挟んだ約半日の距離に、ラスケットの町はある。その近くには大きな湖があるため、夏場にもなると、保養地や避暑地として利用する者も多い町でもであった。
 しかし、そこまでの道のりは決して楽なものではないようだ――。

「はぁ、はぁっ……ちょ、ちょっと待って……」

 今現在、三人が歩いているのは、人の往来によって出来ただけの山道である。
 アップダウンも多いそこは、体力のないシェイラにとって過酷な物だった。
 慣れぬ槍の重さも相まって、彼女はペタンと両膝をつき、山道に座り込んでしまっている。
 金属鎧ではなく、軽めの革製の胸当てやひざ当てを身に着けているものの、それでも今の疲労の色が浮かぶ彼女にとっては、十分に重い物だ。
 何度目か分からぬ休憩であったが、毎日の訓練による疲労と筋肉痛により、今回は中々立ち上がろうとしない。

「こんなペースじゃ、夜になっちまうぞ」

 白み始めた空を眺めながら、カートはそう呟いた。
 一日の始まりを告げる空であったが、まだ三分の一も進んでいないのである。

「う、ごめんなさい……」
「慣れぬ装備を身につけているのだし、疲れるのも無理はない。
 今日は、ラスケット川とオルダー街道の交差地までにし、町には明日の朝向かうとしよう」
「ま、それが賢明だな。交差地なら昼までに着くだろ」

 オルダー街道は、主要街道の名称の一つである。
 平たんで人の往来はまだ多い通りであるものの、どの町を行くにしても大きく迂回するような、不便な道となっていた。
 二者択一であったが、今回はシェイラの訓練も兼ね、一直線に向かう山越えを選択した。
 多少悪路ではあるものの、山道では木々が地面を干からびさせるような陽光を遮り、涼し気な風も吹き抜ける。ここであれば暑気にあてられる心配もない、とベルグたちは考えていた。

 湿った土の上を走る陸ガニを追い越し、追い越されしながらのペースであったが、焦る必要もないようだ。
 シェイラに合わせるように、傍にある石に腰をかけたカートは、あちこちでチョロチョロ動き回るカニを見て首を傾げた。

「陸ガニが妙に多いな……」
「増水が原因か? 最近、あちこちの水位が上がっているようだが」
「増水か……あちこちで聞くが、雨はそんなに降ってねェだろ?」

 ローズと出かけた際も、増水などの災害が各所で起っているのを思い出していた。
 じっと周囲を見渡せば、視界のどこかに一匹は赤みがかった小さなカニが映る。
 休んでいるシェイラの横にも何匹か佇んでおり、太い爪で掻いた土を口へと運ぶ――。
 ベルグは怪訝な目をしながら、それを一匹摘まみあげ、じっくり観察し始めた。

「うーむ……やはり《キングクラブ》の子か……」
「何だと!?」
「きんぐくらぶ?」

 じっくりと観察しているベルグを他所に、その名前を聞いたシェイラは思わず

(美味しそう――)

 と、考えてしまっていた。
 事実、身が詰まって肉厚なため、海岸沿いでは高級食材の一つとされている。
 だが、大人は体長は六十センチを超える非常に獰猛なカニであり、相手が人間であっても躊躇なく襲ってくるモンスターの一種となる。
 グループで行動する上に素早く、後ろに回り込まれ足を切られでもすれば、たちまち肉塊が作りあげる……非常に獰猛なカニなのだ。

「この三センチほどの子ガニが、二十倍近くデカくなるってのかよ……」
「子蟹は、揚げて塩かけると美味いんだ」
「え……スリーラインは、カニ食べても大丈夫なの?」
「ん? 俺は半分人間の血が混じっているし、カニも平気だぞ」

 犬は海生生物などを筆頭に、血の出ない生き物を食してはならない。
 しかし、ベルグは人間とのハーフであり、嫌いな玉ねぎ以外であれば、何でも食うのである。

「でもよ、この親は人間も食うんだろ? 間接的にカニバリズムにならねェか……?」
「カニだけに?」
「……」
「……」
「な、なによっ!?」

 あまりにありきたりな答えだったため、ベルグとカートは反応に困った。

「まぁ、うん……。こいつはスカベンジャー(腐肉食動物)でもあるが、海洋生物は大抵そうであるし、特に気にするものでもないだろう。
 こいつの場合は、フレッシュなのも食うが――考えだしたら何も食えん」
「ま、そりゃそうだ」

 カニも心臓も美味けりゃそれでいい、とカートはベルグと共に、カニを布袋に放り込んでいる。
 ベタベタなボケをスル―されたシェイラは、一匹をおそるおそる掴みあげ、

「面白かったよね?」

 と、尋ねるも、カニはハサミを広げ、目の前の女を威嚇している。

 ・
 ・
 ・

 カートの言葉通り、その日の目的地である交差地までは昼を少し回った頃に到着していた。
 ラスケット川は鉄砲水のような濁流がごうごうと流れ、その勢いは留まる事を知らないようだ。

「橋超えるの怖かったよ……」
「もし崩れたりでもしたら一巻の終わりだな」

 川にかかる大橋を越え、その先の宿屋に泊まる事になったのだが、軋む橋から覗く川のうねりは、落ちた者を二度と浮かび上がらせぬような、恐ろし気なものであった。
 シェイラはそれに恐怖を覚えながらも、何とか橋を渡り終え、今は借りた部屋の中で冷えた身体を温めている。また、ベルグは厨房で《キングクラブ》の子ガニを揚げており、カートは任務の期日の再確認を行っていた。
 カート曰く、“野菜泥棒の調査” と言う任務ではあるが、特に急を要する物でも無いようだ。

「畑主も気楽なもんだ」
「捕まえなくてもいい、だっけ? どうしてなんだろ」
「今どき、野菜泥棒なんざ食うに困った奴ぐらいしかしねェからな。
 高く売れる作物ならまだしも、収穫祭用のカボチャだろ?
 食えねェし、収穫祭はまだ先だ。盗む奴も一体何考えてんだ?」
「カボチャの種類が、プッチーニやベビーパムなら食べられるけど……。
 オモチャカボチャなら、あまり食べられないね」
「お前、やけに詳しいな……」

 収穫祭は一日だけのお祭だが、シェイラには数日続くお祭りでもあった
 近所から処分するカボチャ飾りが貰え、自然と人の恵みに感謝する日なのである。
 そのため、飾りに使われるカボチャの種類・食べ方については良く知っている。

(でも、あれ美味しかったなぁ)

 まだ早いけど、今年は何のカボチャ料理を作ろうか、と考えていた時――

「よし、できたぞ」
「わー、美味しそうな匂い」
「匂いは良いが、まんまカニだな……本当に食えんのか?」

 その姿のまま赤く色づいたカニは、皿の上でこんもりとした山を形成している。
 山で集めていると、次から次へと異様なほど姿を現し、気が付けば袋一杯になってしまっていた。
 あまりにそのままの姿で出されたため、カートは少し躊躇う姿を見せる。

「ちゃんと揚げているから大丈夫だ。ほれ――」

 ぽいっと口の中に放りこむと、口の中でボリボリと小気味よい音を立てている。
 それを見て、ちゃんと食べられる物だと分かった二人も口に近づけた時――

「うっ……ぐぁぁぁっ!」
「ちょっ、スリーライン!?」
「まさか、生きてたんじゃねェのか!?」
「――と、生きてたらこうなる」
「テメェコルァッ!!」

 思わず取り乱してしまったカートは、懐から短刀を取り出し、ベルグに飛びかからんとしていた。
 それを必死で止めるシェイラを見ながら、ベルグはワフワフと笑い、小ガニの唐揚げをパリパリと食べ続けている。

「みんな一回は引っかかるんだこれ」
「いいかッ!! 次やったら、カニの代わりに舌切り落としてやっからなッ!」
「スリーラインも冗談が過ぎるよっ!」
「――ったく、俺としたことが……ん、確かにうめェなコレ」
「ん……ホント、パリパリとして、ちょっと苦味がいいアクセントになってる」

 カニの味はしないものの、揚げられた殻の香ばしい風味と食感に舌つづみを打ち、どんどんと口に運んでゆく。
 その姿に抵抗があったのは最初だけで、美味いと分かればもう一口で一匹丸々頬張り始めている。

「そして、ビールとよく合うんだ」
「いいツマミになるなこれ。子ガニがこんなうめェとは思わなかったぞ」
「初めて知った時は俺も驚いた。殻ごとすり潰し、スープにして食う方法もあると言う」
「それ美味しそうっ!」

 軽く振られた塩がその風味を引き立たせて、ビールがどんどんと進む。
 シェイラはアイスティーで我慢しているが、それも合うようでパリパリごくごくと、休む間もなく手を動かしていた。
 水のようにビールを飲み干してゆく“弟”に、“姉”はふと思い出したように口を開いた。

「あ、そうだスリーライン!」
「ん?」
「お酒飲みすぎたら、次の日頭痛くなるんだよ?」

 先日、体験した事を得意げな顔で語っていた。
 私は知っているんだから、と胸を張っているシェイラであったが――

「……」
「……」
「……だ、だから飲みすぎたらダメだからね?」
「うん、知ってる」
「そ、そう? なな、なら気を付けなさいね。うん」

 何を当たり前の事を――と言わんばかりの思わぬ返答に、シェイラは“お姉さん”顔のまま、パクりとカニを頬張る。
 酒も飲んでいないのにほんのりと顔を赤くし、ほんのりとした苦味に口元をモゴモゴとさせながら、口の中で『何でよ……』と呟いていた。

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