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初登校で洗礼を受けた

 翌朝、妹に連れられて、俺が通っていたという学校に行ってみた。
 十三反田(じゅうさんたんだ)高校。
 名前は知っているが、ジュリ達と一緒に通っていた高校とは名前が違う。
 門をくぐると、女子校に男が迷い込んだような錯覚に陥った。
 周りはグレイのブレザーにグレイのチェック柄のスカートの女生徒ばかり。
 スカートの丈は妹よりもずいぶんと短い。
 辺りをよく見ると、確かに妹の言うとおり、男子生徒がいないことはないが、かなり少ない。
 男子生徒は俺と同じ学ラン姿。女生徒に合わせたブレザーではない。
 そんな生徒達の中に混じって歩く妹のセーラー服が珍しいのか、俺達二人はしばらく注目の的になっていた。

 俺が行くことが伝わっていたからか、昇降口の前で先生らしき女性が立っていて、出迎えてくれた。
 丸眼鏡をかけてきつく縛ったポニーテールが可愛い、と思ったが、意外にも冷たい言い方で妹をすぐに追い返した。
 女性は俺のクラスの担任教師で、一応カオルと名乗った。忘れられていると思ったのだろう。
 俺は、妹の後ろ姿を見送った。
 足早に去って行く妹を、すれ違う生徒全員が見ている。
(俺ではなく、妹の何かがよほど珍しいらしい……。そうだ、ジュリとケンジはいるのだろうか?)
 昇降口や廊下で二人の姿を探してキョロキョロしていたが、カオル先生の冷たい「早く来なさい」の一言で諦めた。

 カオル先生に連れられて、2階の教室に向かった。
 廊下を走る女生徒。教室から響く騒々しい女生徒の声。
「ここよ」
 開いているドアをカオル先生が指さした。
 斜め上を見た。
(2年6組か)
 教室からカオル先生の姿を見つけた女生徒達が一斉に席に着き始め、ガタガタと音がうるさかったが、次の静寂の瞬間、俺はギョッとした。
 全員がこちらを睨んでいる。
 その視線が、突き刺さるようで痛い。
 それで二、三歩後ろにたじろいだ。
(何でお前が来るんだ)
(邪魔だよ、お前)
 視線から、そう敵意を感じたのだ。
 カオル先生は教壇に立ち「みなさん、マモルくんは事故で記憶喪失になっています」と優しく言った。
 先ほどまでの冷たい言い方が嘘のよう、別人みたいだ。
 その声に教室中でドッと笑いが起こった。
「記憶喪失!?」
「マモルの記憶が飛んだ!?」
「そりゃ都合がいいぜ!」
 口々に飛び出す言葉を、咄嗟に理解ができなかった。
「席はあそこよ。何突っ立っているの。早くしなさい」
 窓際の列の後ろから二つ目にある空席が俺の席らしい。

 席についてから、『都合いい』の意味が分かってきた。
 後ろの女生徒からは、尖った鉛筆で突かれる。
 右横の女生徒からは、消しゴムのかすが飛んでくる。
 前の女生徒からは、丸めた教科書で頭を叩かれる。
 右斜め前の女生徒からは、丸めた紙が飛んでくる。開くと「死ね」と書いてある。
「本当だ。記憶喪失だ」
「いつもなら、んだよ!って食ってかかるもな」
 女生徒達は、俺を取り囲んで大いに笑った。
 これはいわゆるイジメだな、と思った。
 ここではどう振る舞ってよいのか分からないので、されるがままに黙って様子を見るしかなかった。

 しかし、からかう女生徒の笑いは続かなかった。
 帰宅時になると、からかうのも飽きてきたらしい。
「本当に記憶が飛んだみたいだな」
「大丈夫か、お前?」
「ま、いつものお前に戻ると困るけどな」
 という具合に、朝のトーンが格段にダウンしてきた。

 クラスに二人いる男子生徒は、俺を哀れむように見ていた。
 二人は近づいてきて、言葉をかけた。
「頭大丈夫か? 夜中は痛むか?」
「分からないことがあれば、聞きなよ。教えてやるからさ」
「こんなマモルも調子狂うが、悪くないぜ」
「急に記憶が戻り、俺達を巻き込んでのいつもの悪さはしないでくれよ。女どもとの喧嘩を止めるのが面倒だし」
 どうやらここでの俺は、相当な厄介者だったらしい。

 この世界は何もかもがおかしい。
 そもそも、妹が生きている。
 町は女性だらけ。学校も女生徒だらけ。
 町に女兵士がうろうろしている。
 ようやく、俺は、このおかしな世界、異世界というか並行世界に飛ばされたことに気づき始めた。
 一瞬に時間が経過したのではない。過去にさかのぼったのでもない。よその国に運ばれたのでもない。
 信じたくなかったが、確信せざるを得なかった。
(なぜこうなった?)
「そうだ、あの全身黒タイツの男!」と声を上げて叫んだ。
 後ろにいた女生徒がびっくりして「どした!? そんな奴、どこにいる!?」と笑った。周りにいたみんなもつられて笑った。しかし、俺は笑えなかった。
(あいつ、あの未来人のせいで、このおかしな世界に飛ばされたんだ!)

 学校の門を出ると、妹が鞄を抱えて塀に(もた)れかかっていた。
 待っていてくれたのだ。
 道が分からないだろうから、一緒に帰るという。
 門を出る生徒達がジロジロと妹を見るので、気になって仕方がない。
「あのさ」
「何?」
 妹は横を向いたままだ。
 そこで、生徒達に聞こえないように妹の耳元で(ささや)いた。
「何でお前のことをみんながジロジロ見るんだ?」
 妹は足を速め、「家に帰ってから」と言う。俺も足早について行った。

 家に着くと、妹は着替えもせずに、ちゃぶ台を前にチョコンと座った。
 俺も着替えず、向かい合うように座った。
 妹はチラチラとこちらを見る。
「本当に覚えていないの?」
 本当に知らないので、素直に答える。
「ああ。何も」
 妹は、ふぅと溜息をつく。
 考え考え、ようやく口を開く。
「お兄ちゃんってさ」
「うん」
 急に妹は涙ぐむ。
「お兄ちゃんってさ」
「……」
(道路で裸で寝ていた兄貴の妹だ、ってことか?)
 少し顔が熱くなった。
 妹は泣き顔になった。
「お兄ちゃんってさ。……私のためにあの学校の人達と大喧嘩して、何人もの相手に怪我をさせて逮捕されたの」
 妹の言葉にドキッとしたが、これで今日の同級生達の態度が分かったような気がした。
「その時、止めに入った兵隊さんも怪我させて、大騒ぎになって」
 妹がそう言うと、頭の中で急にサイトウ軍曹の顔が浮かんできた。
 相当な暴れん坊だったんだ、俺。
 いやいや、こちらの並行世界の偽の俺。

 徐々に口を開いた妹から、こちらの世界の俺がどういう人間かが分かってきた。
 学校での俺の評価だけを取り上げると厄介者で暴れん坊だが、妹の話を加えると実は妹思いで、妹がひどい目に遭ったら仕返しに乱闘事件をも平気で引き起こす。
 どこでどう間違ったのか、妹思いは同じだが、それ以外は今の俺の性格とは正反対になってしまったようだ。
(元の世界でも、何かのきっかけに俺の性格は変わるのだろうか)
 考えるだけでもゾッとする話である。

 さて、これからどうしよう。
 よくよく考えたが、やはり、こちらの世界の俺を再現してはいけないと思った。
 記憶喪失にかこつけて、あくまで元の世界の俺を演じることに決めた。
 事件を起こすと妹を悲しませることになるのだ。
 妹の涙なんか絶対に見たくない。

 ここで、妹を通じて少しこの世界の様子を探ることにした。
「そう言えば、兄ちゃんの友達にジュリって名前の幼馴染みの女の子いなかった? 突猪(とついの)ジュリ。あと、スポーツマンみたいでがっしりとした体のケンジという男。歩牛(ほぎゅう)ケンジ」
 妹は、記憶喪失の兄が突然何を言い出すのだろうと思ったのか、眉を(しか)める。
「いないわ」
(しまった!)
 妹が疑い始めたと思って動揺した。
(周りが知らないことを話し始める記憶喪失者なんて、おかしいだろ)

 妹は、俺の頭から下に向かって、じっくりゆっくりと観察を始めた。
(これは、まずい)
「その指輪、何?」
 視線が左手に向けられた妹の言葉に、心臓が凍る思いがした。
「拾った、拾った。落ちていた奴をね。喧嘩なんかしていないから」
 おそらく笑って言ったかもしれないが、どういう顔で言い訳をしたのかはどうでもよかった。
 とにかく、この場を切り抜けなければいけない。
「記憶も混乱しているし、訳が分からないことを言ってゴメン。疲れたから、今日は早く寝る」
 口から出任せのようなことを言うと、妹はまた溜息をついた。
「戦利品じゃないのね。よかった。もう喧嘩はしないでね」
 疑いの目から抜け出せたようなので、安堵の溜息をつきながら言った。
「ああ。しないよ、絶対」
「約束よ」
「ああ約束だ」

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