斜陽の訓練場 ～幼馴染な姉は、罪を告げるヴァルキリー～

　コッパーの町外れ。その訓練場は、人気のない鬱蒼とした山道を抜けた先にあった。
　抜けるような空の下、城壁のような高い壁に囲われたそれは、まるで牢獄のような重苦しい印象すら与える。
　入口には『第※回　入校式』と書かれた、粗雑な看板が立てかけられているが、上書きに上書きを重ねられたその数字は、もはや読む事すら難しい。
　そんな陰鬱とした訓練場であっても、“入学希望者”が一人……二人……足を踏み入れてゆく。
　彼らの眼は、夢と希望でキラキラと輝いていた。そして、受付カウンターに立つ女を見るなり、更にその眼を輝かせた。

「――はい、申請書の確認ができました。
　時間になれば教官が来られますので、それまであちらの待合室でお待ちください」
「は、はいっ」

　視線の先にいる女――優しい笑顔で迎えたシェイラに、“新入生”は声を弾ませてしまう。
　灰色の訓練服を着ているところから、彼女も同じ訓練生だと分かる。恐らく自分と同等かそれ以下……そうと分かった瞬間、“新入生”の目が“獣”のように光った。
　シェイラの横に立っていたはずの、宿屋の女将には一瞥もせず、口元をだらしなく緩ませる。
　胸を張り、自信に満ちた足取りで消えてゆくその後ろ姿に、女将は思わず、はぁ……と、重いため息を吐いた。

「――どいつもこいつも……入学早々、何を期待してるんだい。
　これは、今年も期待できそうにないね……はぁ……」
「ふぇ？　何がですか？」
「シェイラちゃんが、悪(・)い(・)狼(・)に狙われやしないか、と思っただけだよ。
　いや、あんな軟弱者ならまだ、“狼”の方がマシだろうさね……。
　――ところで、シェイラちゃんは、訓練に行かなくて良いのかい？」
「はい！　今日から“新入生”の訓練があるため、一週間ほどお休みなんです。
　だから、これが終わりましたらお店手伝いますね」
「おや、そうかい？　シェイラちゃんが居てくれると助かるよ。
　それ目当てにお客さんも来てくれるし、多めに仕込んでおこうかね」
「そ、そんな事ないですよっ！？」

　恰幅と愛想が良い女将は、『そんな事あるんだよ』とニマリと笑みを浮かべた。
　数か月前、コッパーの訓練場に“転校”して来たシェイラは、宿屋に住込みと言う形で、食堂のアルバイトとして働いているのである。
　これまで、入学式の日は女将が手伝いとして受付をしていたが、シェイラも“在校生代表”として参加している。
　……が、張り切っていたのも束の間、“希望者”の列はすぐに途絶えてしまっていた。

「――ま、まさか、今年はたったのこれだけなのかいっ！？」

　番号が刻まれた“新入生”用のハート型のバッヂは、ついに“十番”すら到達しなかった――。
　とりあえず“三十番”まで用意してあったのだが、昨年は“二十番”近くまであったはずである。どう言うわけか、“二十三番”のバッヂだけは紛失したままであるが、その心配は必要ないだろう。
　確かに、“新入生”の数は減り続けていたが、今年は昨年よりも十以上減らしてしまっているのだ。
　これは由々しき問題だった。女将も多少の覚悟はしていたものの、想定を大きく下回ったそれに唖然としている。

「……それもこれもッ、全部あの陰険オヤジのせいだよ……ッ！」
「お、女将さんっ！？　こ、声が大きいですっ！？」

　こうなった原因――ケヴィンの行いが全てであった。
　それを思い返すたび、女将のふくよかな腹の底から、ふつふつと怒りが湧き上がる。
　思わず口に出してしまった所で、女将は口を押え、聞かれてやしないかと慌てて二人で周りを見渡すが、幸いにもロビーには二人の女のほか、誰も居ないようだ。
　ほっと胸をなで下ろしたものの、女将の心中は穏やかではなかった。

（うちも、そろそろ年貢の納め時かね――）

　もう誰も来る気配のない、ガラン……とした玄関口に目を向けた。
　その目に“諦め”が浮かんでいる。訓練場があるがゆえに、この町はやって来られたと言っても過言ではない。
　“新入生”が落として行く金は、この町にとっても重要な収入源でもあったのだが、今年の“新入生”は、過去ワーストとなる八人だ――。
　ケヴィンが来てからと言うもの、卒業生がゼロに近いため、町の財政は悪化の一途を辿り続けている。
　そこに加えて、収入は昨年の半分以下……どれだけ甘く見積もっても、これではどこも採算がとれない。

（あの人が遺した大事な店だけど、もう潮時なのかもしれないね……。
　シェイラちゃんの“卒業”に合わせて、うちも“卒業”するかね……）

　と、女将は腹を括ったような、重いため息を吐いたその時――これで終わりかと思っていた、最後の“希望”が、ぬっとロビーに姿を現した。

「ひっ……！」
「あんれぇ……今年もまた、風変りなのが来たねぇ」

　それは、ローブをまとい、頭には覆面のように布袋を被った、不気味な男(・)であった。
　正しい性別は不明であるが、大きく屈強な体躯からして恐らくは“男”であろう。
　小さく震えるシェイラに封筒を渡すと、その者は身じろぎ一つせず、静かに佇んでいる。
　初めは、その異様さに目を見開いた女将だったが、布袋の前が飛び出ているのを見て、

（恐らく“被り物”でもしているんだろう。今年はこれが生贄――脱落者一号かねぇ）

　女将はそう思い、小さく息を吐いた。
　“怪物(モンスター)”かと思えるほどの体躯だ、そのような被り物も似合うだろう。
　毎年一人はこうして、“おふざけ”を披露する者が現れる。しかし、そのような目立ちたがりは、この訓練場が廃れる原因となった教官の“訓練”によって、真っ先に叩きのめされてしまうのが定番であった。
　若気の至り――初めこそ、そのような彼らを哀れんでいた女将だったものの、

（ま、こればっかは、やられる方も自業自得さね）

　今ではもう、同情もする気すら失われているようだ。
　手や脚を震わせる、気の弱いシェイラに代わり、女将は“九番”のカードを渡しながら、チラり……と、一言も発さない男に目をやった。
　その瞬間、女将は思わずハッと息を呑んだ。

――決しておふざけではない。

　布袋の黒い闇の奥底で、恐ろしく鋭い眼が、ぎらりと覗いている。シェイラは、この獣のような眼を直視してしまったのだろう。
　先ほど起きたばかりなのか、まだ若干の眠たさを残しているものの、その澄んだ瞳からは、目を背けられぬ“何か”が窺える。
　無言のまま番号札を受け取り、待合室に向かう男の背中を見送った女将とシェイラは、すぐさま提出された書類に目を落とした。
　名前の欄には【ベルグ・スリーライン・ミュート】と記されている。

「スリーライン――？」

　聞き覚えのあるそれに、シェイラは懐かしむような声でポツリと呟いた。


◆　◆　◆


　一方で、“新入生”が控える待合室の中は、異様であった。
　椅子も机も無い、ガラン……とした空間の中で十五～十七歳の幼さが残る青年たちは、じっと佇んでいる。
　ある者は目を伏せたまま、ある者は横の者と目をやり合う。
　一部を除いた“新入生”たちの視線と興味は、不気味なほど静かに、壁にもたれ掛っているだけの覆面男・ベルグに集められていた。
　しかし、そのせいで、待合室の入口に差しかかかった影に気づいた者は少なかった。

「――これから訓練を始めるぞッ！！」

　待合室の扉が力任せに叩きつけるように開かれ、意識を別の所に向けていた“新入生”の多くは、その音に不意を突かれ、身体をビクリと震わせてしまう。
　待合室に入って来たのは、教官・ケヴィンである。彼らのその反応に、ケヴィンは気を良くした。
　眉間にシワを寄せながら、威圧的に一人一人の“新入生”の顔を、睨みつけるように覗き込む――弱者が緊張・恐怖・不安を感じている顔を見るほどに、愚かな自尊心が満たされてゆく。

　その時ふと、壁にもたれ掛った“覆面男”の存在に気づくと、眉間のシワを更に深め、忌々しげに睨みつけた。
　しかし、その者――ベルグは何も感じていない。布から覗く鋭い眼は、ただ虚勢を張りたい、弱者をいたぶりたいだけの男だと見抜いている。
　逆に軽く、ギロリと睨み返してやると、ケヴィンは顔を強張らせ、たじろいでしまった。

「ふ、ふん、まぁいい……これから早速訓練に入るッ、全員外に出ろッ」
「そ、外に？」
「まだ何の説明も……」
「アァッ？　俺のやり方に文句あんのかオラッ！」

　再び己を大きく見せようと、ケヴィンは酷く口を歪ませ、弱そうな“新入生”の胸倉を掴みあげた。

「ひぃっ、な、何もありませぇんっ！」
「俺の前では『はい。分かりました』だけだ。分かったなッ！」
「は、はいっ、分かりましたっ」

　訓練生のビビリ顔を見た教官は、それに口角を上げ、顔を歪ませながら汚い笑みを浮かべる。
　だが、ベルグだけはそんな“イビリ”も意に介せず、

（ぶん殴る時は、ついでにあのホクロを毟り取りたいな……）

　と、覆面の下で大あくびをし、その布地を盛り上げていた。
　しかし、優先順位を誤ってはいけない――と、しばらく様子を見るにとどまっている。